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四周目


  7   誘惑(超銀)
 
 
そのひとの目は、深い泉のようだった。
僕が焦がれてやまないものが惜しみなくあふれていた。
そんな風に、僕には思えた。
 
だから、僕はそのひとを去った。
 
 
 
003の第一印象を、僕はあまりよく覚えていない。僕を取り巻く状況は、それどころではなかったわけだし。
きれいな子だな、ぐらいには思ったかもしれない。
でも、その子を愛することに…こんなに愛することになるなんて、思わなかった。そんな予感すらしなかったのだ。
 
いつも、僕は求めていた。
僕を無条件で愛してくれる……包んでくれる人を。
彼女がその人だとは、全く思わなかった。
 
003はいつも生真面目で、誠実で、優しかった。
僕は、その誠実さを、優しさを信じた。
それが、たぶん始まりだった。
 
そう始めるしかなかったのだ、僕は。
だって、知らなかったのだから。
無条件に包んでくれる人を、僕は持たなかった。
だから条件が必要だった。彼女はその条件を満たした。
僕たちは、そういう恋人同士だ。
 
はじまりは、どうでもいいのかもしれない。
とにかく、僕は彼女から人を愛することを教わった。
愛することが、どれほど人を幸福にするか、教わったのだ。
 
 
そして、あのひとに出会った。
宇宙の果て……星の彼方で。
 
 
 
もし、僕が003を知らなかったら……あのひとにも気付かなかっただろう。
あのひとの瞳の奥に輝く光を、それと知らず見過ごしてしまっていたに違いない。
 
あのひとの目は、深い泉のようだった。
僕が求めてやまないものを、あのひとは持っていた。
彼女…003が持っていない、何かを。
 
それをつかむことを、僕は恐れた。
恐れている間に、あのひとは殺された。
 
もし、それをつかんでいたら……
あの星に残り、あのひとと生きていたら、僕は今頃どうしていただろう?
 
……いや。
そう考えることは無意味だ。
僕は、決してそれをつかもうとしなかっただろう。
僕は、どのみちあのひとを去ったはずなのだから。
 
003。
僕は、君と生きていく。
そうするしかない。
君を失えば……どんな形であれ、失えば、僕はきっと生きていられない。
 
生きていられなければ、愛することもできない。
あのひとを愛することも、もちろんできない。
 
だから、僕はあのひとを去った。
 
去らなければ、僕はあの瞳に溺れていただろう。
溺れて、道を失って、生きる術を無くして、自分自身をも失って。
 
 
そして、でも、それは不幸だった……だろうか?
 
 
 
どんなに見つめても、君の澄んだ瞳に、あの光はない。
だから、僕は心から安心して君を抱く。
 
003。
君をつなぎ止めるためなら、僕はどんなことでもするだろう。
 
君は、世界の入口。
すべては君から始まっている。
君を信じられるから、僕は世界を信じることができる。
 
それなのに、僕は時々…いや、いつも、心のどこかで逃げたがっている。
君なしで世界を感じることができるかどうか、いつも試したがっている。
あのひとの瞳の奥に見えたものを…君が決して持たないものを、いつも求めている。
それは、君への裏切りだろうか?
 
僕は、今でもあのひとの夢を見る。
あのひとに焦がれている。
 
目ざめると、君が隣にいる。
僕は、心から安心して……涙を流す。
 
それも、君への裏切りだろうか?
 
もちろん、そうだ。
でも、君が僕を罰する必要はきっとない。
 
もし僕があのひとの誘惑に堕ち、君を離れたなら…
その瞬間こそ、僕の命が尽きるときだったのだから。
 
君は、僕の亡骸を抱きしめ、嘆いてくれただろうか?
それとも、冷たく僕をうち捨て、去っただろうか?
どちらでも…いいような気がする。
 
 
実際、どちらでもいいのだ。
そんな日は決して来ない。
 
 
 
003。
僕は、君を裏切らない。
 
僕が心の底で、君の持たないものを求めている…そのことを、聡明な君のことだ、たぶん知っている…よね?
それが、君をあまり苦しめないようにと、僕は願う。
 
あのひとが、再び僕の前に現れる日がきたら…僕は、また惑わされるだろう。
でも、惑わされながらもそれを信じ、求めるほど僕は強くないから。
あのひとに、僕は手を伸ばすことができない。永久に。
 
だから、苦しむ必要はないんだよ、003。
 
もし、あのひとを求めることができる僕だったら、きっともっと幸せになれるはずだと、君は思っているのかもしれない。
 
そうかもしれないね。
でも、そう考えても無意味だ。
僕は、僕なのだから。
 
君が教えてくれたやり方しか、僕は知らない。
人を愛することも、信じることも、全て、君が教えてくれたようにしか、僕はできない。
それは、不幸なことだと思うかい?
 
あのひとの目。
深い泉の奥にきらめく魅惑の光。
その美しさに、その甘さに、そのぬくもりに気付くことができただけで、僕には十分すぎる幸せだと思っている。
 
 
それもまた……君への裏切りだろうか?


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