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四周目


  9   我侭(旧ゼロ)
 
 
「ねえ、009…テイシュカンパクって、なんのこと?」
「…亭主関白?」
 
いきなり尋ねられ、009はうーん、としばらく考え込んだ。
 
「どうしたんだい、急に?」
「そう言われたの…皮肉を言われたのかしら…それとも、褒められたって素直に思っていていいの?」
「言われたって…君がかい?誰に?」
「クリーニング屋さんよ。この間、新しいお兄さんが入ったの。ええと、たしか名前は……」
「変な人だなあ。何か勘違いしてるんだよ、きっと。亭主関白ってのは、女の子のことをいう言葉じゃないぜ」
「そうなの?」
「ああ」
「そう……じゃ、からかわれたってことなのかしら」
 
009は肩をすくめただけで、また雑誌に目を落とした。
たぶん、その店員はとびきり可愛い女の子のお客と、むやみに話をしたかっただけなんだろう…と思った。
003も、それ以上何も言わなかった。
 
それから数日後。
009の家を訪れた003は、きれいにプレスされたスーツを抱えていた。
 
「はい、これ…頼まれていたスーツ。間に合った?」
「うん、ありがとう…助かったよ」
「あ。この間のテイシュカンパク、やっぱり佐藤さんの勘違いだったみたい」
「佐藤さん?」
「ええ、クリーニング屋さんの」
「ああ、新入りのお兄さんか。君のこと、どこかの若奥さんだって思ってた…とか?」
「そうなの。失礼しちゃうわ……でも無理ないかもしれない…コレのせいで勘違いしたんですって」
 
003につられてスーツに目をやり、009はなるほど、とうなずいた。
 
「それで亭主関白…か。参ったな」
「ホントね…私は独身ですって、文句言っちゃたわ…そしたら、少しだけオマケしてくれたのよ…お詫びに、ですって」
「ふうん…」
「でも、腕はいい人よ。この間頼んだワンピースも、とってもきれいに仕上げてくれたの。ご両親とやっていたお店がこの間放火にあって、それで知り合いだった今のお店で働かせてもらっているんですって…気の毒だわ」
「…ずいぶん、くわしいね」
「このスーツを受け取りに言ったとき、ちょうど佐藤さん、休憩時間に入るところで…お茶をご馳走になったの」
「それも、お詫び?」
「ええ」
「…ふうん」
 
結構、やるじゃないか…と009は思わず心でつぶやいていた。
 
 
 
さらに一ヶ月後。
009が久しぶりにギルモア研究所を訪れると、003は美しい顔のななめ半分と左手、さらに右足を白い包帯に包まれた姿で、彼を出迎えた。
思わず息をのみ、険しい表情になった009に、003は慌てて、大したことじゃないの…と、弁解した。
 
「火事にあったのよ…火を消そうとして、そのときにちょっとやけどしちゃったの」
「ちょっと?それが?…大体、火事ってなんなんだ?」
 
素早く辺りを見回す009を003は押さえた。
 
「ココじゃなくて…あの、クリーニング屋さんよ」
「クリーニング屋…ってまさか…あの…」
「…佐藤さんのところ」
 
首を傾げる009に、003は説明した。
買い物に行っていたとき、偶然、その火事に気付き、夢中で消火と人々の救出にあたったのだという。が、なりふりかまわず奮闘しているうちに、焼け落ちた梁にはさまれて……
 
「なんだって…っ?そんな…!」
「すぐに佐藤さんが助けてくれたの…でも、そのせいで彼がひどいやけどを負ってしまって…私はサイボーグだから、少しぐらいのやけど、何でもなかったのに…佐藤さん、何も知らなかったから……」
「冗談じゃない、何が少しぐらいのやけど…だ!」
 
009は苛々と髪をかき回した。
 
「君がそんな無謀な真似をするから、彼だってケガをする羽目になったんだろう?少しは自重しろよ!確かに僕たちはフツウの人間よりも優れた体を持っている。でも、正しい状況判断ができなければ……」
「わかってるわ…反省してます」
「…まったく…!」
 
何か、もっと言ってやりたいような気がするのだが、何をどう言ったらいいかわからない。
が、悄然とうなだれる003の細い肩に、苛立ちは少しずつ鎮まり、代わりにどうしようもない愛しさがこみ上げてきた。
009はそっと003を抱き寄せ、小さい頭を包帯の上から優しく押さえるようにした。
 
「本当にとんでもないお転婆だよ、君は…どうしておとなしくしていてくれないんだろうなあ…」
「ごめんなさい…でも、目の前で火事が起きているのに…放ってなんておけないわ」
「わかってる…よく、1人でがんばったね」
「…009」
 
細い顎を持ち上げ、そっと唇を重ねようとしたとき、柱時計が6時を打った。
003はあ、と声を上げ、009の腕からするりと抜け出した。
 
「もうこんな時間…!急がないと、面会時間が終わってしまうわ」
「面会時間…?」
「ええ、佐藤さんに夕ご飯を持って行くの…病院の食事があまり口に合わないんですって…本当はお母様がしてさしあげればいいんでしょうけど、今とてもお忙しいから…入院費のこともあるでしょう?それで、無理みたいなのよ」
「…でも、だからって、君が」
「命の恩人だもの。これぐらいなんでもないわ…それじゃ、行ってきます…病院はすぐ近くなの。これを届けたら急いで戻って晩ご飯にするから、待っていてね」
「…ああ」
 
003はテーブルに置いてあった朱塗りの重箱を手早く風呂敷で包み、慌ただしく出て行った。
すぐ近くの病院、というと…アソコだろうな、と009はぼんやり思った。歩いて15分ぐらいのトコロにある。
片目を包帯で隠された状態で出歩くのはあまり感心しないが、彼女の能力を考えれば、そこまで行くぐらいなら余裕だろう。
 
どんなヤツだか知らないが、病院の食事が口に合わない…ってのもまた、ワガママな男だ…と、ぼんやり思った。
もっとも、自分が彼の立場だとしても、病院の味気ない食事と003の手料理とでは比較にならない、と思うだろう。それにしても……
 
「…続けて火事に合うなんて…珍しいヤツだよな」
 
009はなんとなくつぶやいた。
 
 
 
「申し訳ありませんね、ワガママを言って……」
「そんなことおっしゃらないで。助けていただいたんですもの。これぐらいのこと、させてください…お口に合うといいんですけど…」
「あなたが持ってきてくれたモノなら、何でも口に合いますよ、フランソワーズ」
「まあ!…お世辞はいいですから、本当に食べたいものをおっしゃってくださいね、佐藤さん…家族だと思って、遠慮なんてしないでくださると嬉しいわ」
「困った人だなあ、あなたは……」
 
ふとつぶやいた言葉に、003は首をかしげた。
彼は苦笑しながら言った。
 
「あの人…島村さんは、あなたがこんなことをしているのを…知ってるんですか?」
「島村さん……って」
「すみません、いつかお預かりした背広に名前の刺繍があったから」
 
思わず頬を染めた003は失礼だわ、とつぶやいた。
彼は慌てて続けた。
 
「僕もね、この仕事…ガキの頃から手伝ってますから、大体わかるんだ。服を見れば、どんな人がこれを着ているのか…って。島村さんは、姿勢がよくて、颯爽と動く人のようですね。物腰は洗練されてるし、細かい気遣いもできそうだ…すてきな人なんだろうなあ…」
「佐藤さん…?」
「いや、ホント…お会いしなくてもわかります」
 
何となく落ち着かない気持ちになって、003は、昼もってきて空になっていたランチボックスを素早く風呂敷に包み直し、そそくさと立ち上がった。
 
「気を悪くされたのなら、すみません…でも、フランソワーズ?」
 
優しい声に思わず振り向くと、彼は悪戯っぽくうなずいた。
 
「気をつけたほうがいい…あなたは、男をワガママにしてしまう。優しすぎるんだな、きっと…前に言ったでしょう、亭主関白…って」
「…佐藤さん」
「大丈夫、わかってるから僕は気を付けますよ…いや、もう十分ワガママしてるんだろうけどなあ……考えてみたら、島村さんも困った人だ。早く止めてくれないと」
「ジョーは、このことと関係ありませんわ。困ります、そういう……」
「そうですか。すみません…怒りましたか?」
「…少し」
「それじゃ…もう、来てくれないのかな?」
 
003は迷うように彼を見つめ…やがて、小さく首を振った。
 
「ほら…!だから、またワガママを言いたくなってしまうんだ…それじゃね、明日の朝は、フランスパンのオープンサンドが食べたいな…熱いカフェオレと一緒に。ゆで卵と、キュウリと、チーズで」
「わかったわ…お口に合うかどうかわからないけど」
「あなたが作ってくれるものなら…何だって口に合いますよ、フランソワーズ」
 
彼は楽しそうな、それでいて、どこか淋しい微笑を浮かべた。
 
 
 
やがて、003の傷はすっかり治ったが、彼女は包帯をはずさなかった。自分がフツウの人間ではないことを、未だ入院中の彼にわざわざ知らせることもないと思ったからだ。
 
その晩、咄嗟に最初の攻撃を避けることができたのは、その包帯のおかげだったのかもしれない。
相手はおそらく彼女を怪我人だと思いこんでいて、無意識のうちに少々手加減をしたのだろう。
とにかく、003は、いきなり暗闇から現れた鈍く光るナイフの切っ先を辛うじて避け、そのまま路上に転がった。
 
「あなたは、誰っ?」
 
鋭く問いかけると、動揺する気配があった。
やがて、慌ただしく足音が遠ざかっていく。後ろ姿しかわからなかったが、小柄な人間…1人だった。女性かもしれない。
 
003は息をつき、落ちているナイフを拾い上げた。何の変哲もない果物ナイフだ。
転がったはずみで、せっかく持ってきた重箱も放り出されている。しっかり風呂敷に包んでいたので、蓋が開くことはなかったが、これでは中身が台無しになっているかもしれない。
のろのろと拾い、そっと抱え直しながら、警察に通報しようか、このまま病院へ向かおうか、それともすぐ研究所に戻ろうか…と、少し迷った。
 
もうすぐ退院できそうです、と明るく笑う彼は、この頃食欲も出てきている。何も知らせず待たせることになるのは気の毒だと思う。
一方で、あの日苛立ちを隠しきれず烈しい言葉を投げつけた、009の眼も脳裏をよぎった。
理由はわからないが、自分が…003が狙われたことは間違いない。009に連絡をとっておいた方がきっといいだろう。
 
それでも、やはりその前に、急いで病院に寄っていくことに決め、003は素早く服の埃をはらった。
足を踏み出そうとした瞬間、鋭い痛みが走る。少し足首をくじいたらしい。
が、ごまかせないほどの痛みではない…と思った彼女は、そのまますっと背筋を伸ばし、歩き始めた。
 
足早に路地を抜け、通りに出て信号を渡る。病院の大きな自動ドアの前に立ったときだった。
突然、すさまじいブレーキ音が鳴った。はっと振り返った003の目に、突進してくるまばゆいヘッドライトの光が飛び込んだ。鋭い悲鳴が背後で次々に上がる。
 
反射的に飛び退こうとしたとき、足首が烈しく痛んだ。思わず呻いてその場に倒れ込み、それでも懸命に身を起こしながら、003は、運転席に座っている若い女性の狂気を帯びたまなざしをとらえていた。
 
「ジョー……っ!」
 
叫びは声にならない。
次の瞬間、烈しい衝撃に包まれ、003は意識を手放した。
 
 
 
何が起きたのかわからない。
どれくらい時間がたったのかも。
 
うっすらと眼を開けた003は、燃え上がる自動車の真っ赤な炎と立ち登る黒煙に息をのんだ。
思わず身を起こそうとするのと同時に、また足首が痛む。
 
「動くな…!」
 
見慣れた白い服と赤いマフラー。
呆然と見つめる003を、009は厳しい眼差しで見下ろしていた。
 
「心配しなくてもいい、怪我人はいない……君以外はね」
「…00…9」
「運転席にいた女性も、僕が助け出した。クルマは病院に突っ込む前にひっくり返しちゃったけどね…それぐらい仕方ないさ」
「……」
「警察がきたみたいだ…行くよ」
 
是非もなく抱き上げられた。
普段なら抗議するところだが、今はそれどころではない…というのも一応理解できる。
003はおとなしく009の首に両腕をまわした。
 
「でも、どうして、あなたがここに……」
「調べたんだ…ちょっと気になったからね、佐藤さんのこと」
「…気に…なったって…何が?」
 
009はしばらく黙っていたが、大きく息を吐き出しながら言った。
 
「二度も続けて放火にあうなんて、やっぱり変じゃないか」
「……そう…ね。そうかもしれない」
「彼は、狙われていたんだ。あの、クルマを運転していた女に」
「どうして…?」
「さあ…?そこはよくわからないな…でも、彼女が君のことも狙ったってことは…つまり」
「……」
「まあ、いいさ。彼女のことは警察がどうにかするだろうし、これ以上彼らの事情に踏み込むのも、僕たちの仕事じゃない」
「…ええ」
 
それきり009は黙り込んだ。
003も息をころすように、じっと彼の胸に額を押しつけていた。
彼女が突然小さい叫び声をあげのは、研究所のドアの前で静かに降ろされた時だった。
 
「いけない!…佐藤さんの夕ご飯!」
 
はっと口を噤み、おそるおそる009を見上げた003は、何の表情も浮かべていない彼の目に、思わず身を縮めた。
…が。
 
「拾って、届けておいた」
「…え?」
「加速していったから、彼には何がなんだかわからなかっただろうし、きっと中身もぐちゃぐちゃだろうけど」
「……」
「何か、不満でもあるかい?」
「…いいえ」
「なら、いい。もう二度とあそこには行くな。クリーニング屋にもだ。君ならわかっていると思うけど」
「…あの、ジョー…?」
 
白い防護服の袖を小さく引き、何か言おうとする003を、009は無言のまま抱き寄せながら、深く唇を重ねた。
やがて、驚きに見開かれた青い瞳をのぞき込み、彼は囁いた。
 
「これ以上、ワガママは許さないよ……フランソワーズ」
 


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