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五周目


  10   約束(旧ゼロ)
 
 
彼がプレゼントを渡すのは、いつも別れ際に決まっている。
照れくさいのか、さっと渡すなり、逃げるように車に乗り、走り去ってしまう。
そんな彼の態度にはすっかり慣れていたから、フランソワーズは苦笑しながらテールランプに左手をふり、それから右手に残された小さな箱にゆっくり目を落とした。
 
たぶん、アクセサリーだろう、と思った。
ブローチとか、イヤリングとか。
 
だから、部屋に戻ってから箱を開け、赤い貴石のついた指輪を見たとき、文字通り息が止まりそうになったのだ。
何度か深呼吸してから、そうっと取り出してみる。
中央に美しい深紅のガーネットが嵌っていて、その両端に小さなダイヤモンド。
単純なデザインの台は、たぶんプラチナで。
 
「エンゲージ・リング?」
 
思わずつぶやき、彼女はすぐに、まさか…と肩をすくめた。
 
もしそうなら、こんな渡し方するはずないわ、ジョーはちゃんとした人だもの。
そういうつもりなら、「誕生日おめでとう」だけじゃなくて、ひと言「結婚しよう」ぐらいは、いくらなんでも…
 
まあ。
何考えてるのかしら、私ったら!
 
もう一度深呼吸してから、フランソワーズは指輪を箱にしまい直した。
思えば、ジョーとはずいぶん長いつきあいになる。
彼のことなら大抵理解できるようになったと思っていたけれど……
 
やっぱり、まだダメねえ。
こんな突拍子もないことされちゃうと…混乱してしまうわ。
きっと何か考えがあってのことなんでしょうけれど…どうしたらいいのかしら。
 
お店の人、これは「婚約指輪」ですよってひと言も言わなかったのかしら?
 
 
 
「ごめんなさい、ジョー。これ…受け取れないわ」
 
珍しくフランソワーズに呼び出され、首を傾げつつ喫茶店に駆けつけたジョーは、席につくなりあの指輪の箱を差し出され、しばし絶句した。
やがて、彼は心配そうにフランソワーズに尋ねた。
 
「…気に入らなかったかい?たしかに、君のイメージとはちょっと違うかなあと思ったんだけど、1月の誕生石はコレだって…聞いたから」
「あの…だから…」
 
フランソワーズはゆっくり呼吸を整えてから、優しく言った。
 
「とても素敵な指輪だと思ったわ…でも、こんな高価な品、いただくわけにはいかないもの」
「いや…高価って。それほどでもないよ?ガーネットってさ、上はキリがないらしいけど、それは、大した値段じゃなかったんだ、たしか…」
「そうじゃなくて!」
 
慌ててさえぎった。
指輪の値段など聞いても仕方がない。
 
「もしそうでも、誕生日のプレゼントにはずいぶん贅沢だわ。ちょっと…気が重いの。ごめんなさい、気に入らないんじゃないのよ、ただ……」
「ああ、そういうことか。うん、やっぱり説明が足りなかったね」
 
ジョーはやっと合点がいったようにうなずき、微笑した。
 
「たしかに、ただのバースデープレゼントのつもりじゃなかったんだ…お守り、かな」
「…お守り?」
「うん。あ。別にレーザーや発信器が仕込んであるってわけじゃないぜ。本当にフツウの指輪だから、安心して」
「……」
 
もう何を言ったらいいのかわからず、フランソワーズはただあっけにとられてジョーを見つめ返していた。
 
「もちろん、こんなモノが本当に役に立つなんて思ってるわけじゃない。気休めさ。でも…」
「…ごめんなさい、ジョー。私、あなたの言ってること、わからない」
「フランソワーズ?」
「とにかく、お守りでも同じことよ…これは、受け取れません」
「……」
「忙しいのに、時間をとらせてしまってごめんなさいね。それじゃ、ごきげんよう、ジョー」
「フランソワーズ!…待てよ、君…!」
 
さっと席を立ち、店から出ていってしまったフランソワーズを、ジョーはなすすべもなく見送った。
やがて、すっかり冷めてしまったコーヒーをゆっくり飲み干し、やれやれ…と息をつく。
 
「あの店員さんが言ったとおりになっちゃったなぁ…」
 
いっそ、本当にギルモア博士に頼んで、レーザーでも仕込んでおいた方がわかりやすかったのだろうか。博士がそんなことに協力してくれるとは思えないけれど。
いや、そういうことじゃない。
レーザーではどうしても守れないものがある。
それを守るために、コレはある。
 
僕と結婚してください、と言えば、納得できたのかい、フランソワーズ?
僕は永遠に君だけを愛する、と誓えば…君はそれで幸せになれるのかい?
 
僕は知っているよ。
君のことなら、君以上によく知っている。
 
君は、そんな女の子じゃない。
 
 
 
 
自分と009との間には、どうやら共通の子孫がいるらしい。
 
それを聞かされたとき、実際のところ、自分も…そしておそらく009も、ちょっとフツウの状態ではなかった、と今となっては思う。
 
恐ろしい敵だった。
なにより、あの009をやすやすと捕らえ、抵抗できない状態にしてしまったのだ。
勝算など少しもなかった。
だからこそ、一歩でも彼に近づきたかった。
 
銃弾を浴びても、恐ろしいと思わなかった。
非力な自分が彼の傍に行っても、どうにもならない…とも思わなかった。
ただ、一歩でも彼に近づきたかった。彼の傍にいたかった。
彼が、その力を全て奪われたというのなら、なおのこと。
 
無駄死にするために進んでいったようなものだ。
いつもの009なら、なぜ来た、と叱りつけていたに違いない。
でも、なぜか叱られるとは思わなかった。
そして、彼は。
 
彼は、懐かしそうに彼女を見つめ、よく来てくれたね、とつぶやいたのだ。
ただ、そのひと言だけを、万感をこめて。
 
フツウの状態ではなかった。
切なく、幸福な時間。
今思うと夢をみていたような気さえする。
本当に、夢だったのかもしれない。
 
事件が通り過ぎ、研究所での治療が終わると、009はまた自分のマンションへと戻っていった。何事もなかったかのように。
たしかに、何事もなかったのだ…と、彼女が思うのにも、それほど時間はかからなかった。
 
そうして、ほどなく003はふと気づいたのだった。
「共通の子孫」の存在は、009と自分の間に子供が生まれることを必ずしも意味しているわけではない。
気づいてみると、あっけないほど当然のことだった。
 
それでも、子孫がいるというのなら、自分はいずれ誰かの子供を産むということなのだろう。
それを想像するのはかなり難しかったけれど…
009の子供を産むことに比べたら、まだ易しいという気がした。
だから、もうそのことはそれ以上考えないようにしていたのだ。
009も、そう思っているはず…というより、彼はそもそもそんなことを気にかけているようにすら見えなかった。
 
 
それなら、あの指輪もあっさり受け取っておくべきだったのかもしれない。
でも……。
 
やっぱりそんなのは嫌。
だって、私は、それでもあなたが好きなんだもの。
009としてのあなたではなくて。
そんな気持ち、持っていない方がいいんだって…何度思っても、捨てられないの。
 
それは、003としての私ではなく、ただのフランソワーズ…普通の女の子としての気持ち。
あなたには愚かでわがままな願いにしか見えないでしょう。
 
でも、捨てられない…捨てたくないの。
 
 
 
「003…003?」
 
囁くように呼ばれ、003はうっすらと目を開いた。
全身が燃えるように熱い。
 
「…00…9?…どこ?」
 
辺りは深い闇に包まれている。
はっと息をのむ気配のあと、静かに抱き起こされた。
 
「そうか…見えないんだね。やっぱり、無理をしすぎたんだ」
「…見え…ない…?」
「でも、もう見る必要はない。君は、ここで待っていて」
「009…?」
「君が道を探してくれたからね、あとは簡単だ。絶対に動くなよ…いや、動けないか」
「009?どうするつもりなの?」
 
ようやく意識がはっきり戻り、003は支えてくれている009の腕をつかんだ。
敵を追い、サイボーグたち全員でこの迷宮のような基地に忍び込んだ…が。
たちまち反撃に遭い、バラバラに散らばって戦う羽目になってしまった。
罠だったのかもしれない。
 
003は懸命に仲間達の位置を追い、数々のトラップを見破り続けた。
そして、ついに敵の首領を発見し、その場所と全員が集結できるポイントを割り出した直後、すさまじい頭痛に襲われ、気を失ったのだった。
 
「…君が見つけてくれた集結ポイントに、みんな向かっている。僕も行かなくては。君はここで…」
「待って!」
 
思わず叫んだ。
気を失う直前、003は行く手に更に無数のトラップをとらえていた。
その全てを009に伝えることはまだできていない。
 
「待って。危険だわ。この先には、まだ…」
「もちろん、すんなり行かせてもらえるとは思っていない…でも、まあ何とかするさ」
「…009」
「行かなくちゃ。みんなが待っている。みんな、君からの情報を信じて、戦っているんだよ」
「……」
「待っていてくれ。必ず戻ってくる…いや、僕が戻らないと、君だって…」
 
009は堅く唇を噛み、003の手をそっとふりほどいた。
少し触れただけでわかる。ひどい熱だった。
目と耳を酷使しただけでなく、トラップを抜けるときに彼女を庇いきれず、傷も負わせてしまったのだ。かなりの失血もしている。
すぐにギルモアの治療を受けなければ、どうなるか……
 
「わかったわ…行って。私は、大丈夫よ」
 
穏やかな声に、009は更に唇を噛み、咄嗟に防護服を探った。
003の左手を取り、薬指にあの指輪をはめる。
驚く003が口を開くより早く、彼はさっと立ち上がった。
 
「僕は、いつも君と共にいる。それだけが…」
 
それだけが、僕が君にできる、ただひとつの約束だ。
 
 
 
003の左手に光る指輪について、仲間達は…007でさえ、何も言おうとしない。
それでいいんだわ、と003は思った。
 
009は、相変わらず何も言おうとしない。
003にこの指輪をはめてやったことなど、忘れたかのように…というか、そもそも彼女の指に光るその指輪自体が目に入っていない…かのようにふるまっている。
そうして、以前と何も変わらない日々が通り過ぎていく。
それでも…
 
左手の薬指の血管は、まっすぐ心臓につながっている…と聞いたことがある。
009がそれを知っていたのかどうかはわからない。
でも、それもどうでもいいことのように、003には思えた。
 
やっぱり、これは「エンゲージ・リング」…なのね。
あなたが精一杯してくれた、私への約束。
そして、それで十分だもの。
 
私、003でよかった。
いつでもあなたの傍にいられるんだもの。
仲間として、あなたの力になることができる。
ついていくわ、どんな場所だって。
それが危険な場所だというなら、なおのこと。
 
サイボーグとしての能力は、009の方が比べものにならないほど高い。
本当に危険な場所…彼の命が脅かされるような場所なら、003がついていっても足手まといにしかならない。ついていくことなど不可能だ。
でも…
 
あなたは、きっと私を連れていってくれる。
いつも守ってくれる。
私の魂を。
 
どんな敵も、どんな運命も、私たちを引き離すことはできないわ。
そうなのでしょう…009?
 
 
 
「おやすみなさい、ジョー。気を付けてね」
「おやすみ、フランソワーズ」
 
週末、009はギルモア研究所を訪れ、003たちと夕食を共にする。
その夜も、いつものように玄関まで見送りに出た003に009はふと優しい目を向け、ささやくように言った。
 
「よく似合っているよ。その指輪」
 
003は微笑し、うなずいた。
 
「当たり前じゃない…私は、003なんだもの」
「…フランソワーズ」
 
009は一瞬言葉を失い、それからそっと003を引き寄せ、抱きしめた。
003は満ち足りた思いで目を閉じた。
 
 
特別なことではないんだわ。
 
私は、いつもあなたの傍にいる。
私は、あなたとつながっている。
私は、あなたの一部。
本当になんでもない、ごく当たり前のこと。
 
それが、私。
サイボーグ003なの。


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