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五周目


  9   我侭(平ゼロ)
 
 
耳を澄ませていたわけではなかったが、003はあ、と顔を上げた。
玄関に微かな気配がある。009だ。
思わず時計を見上げる。
 
「お帰りなさい、009…遅かったのね。晩ご飯はど…う…っ!」
 
蒼白、としかいいようのない彼の顔色に、003は思わず息をのんだ。
そんな彼女を弱々しく見上げ、低く何かをつぶやくと、009はそのまま昏倒した。
 
「009…009、どうしたの?…博士!ギルモア博士!」
 
すばやく全身をサーチする。とりあえず外傷はない。
が、倒れた彼に駆け寄り、そっと背中に手を当てると、膨大なエラー情報が流れ込んできた。
 
「これは、一体…?」
「どうした、003?」
 
あたふた駆けつけたギルモアを、003は振り返った。
 
「わかりません。こんな状態、見たことがないわ…すぐメンテナンスを!」
 
 
 
「風邪ェ〜?」
 
頓狂な声を上げる002に、003は小さく肩をすくめた。
 
「そう、なんですって」
「なんだ、そりゃ?サイボーグが風邪を引くのか?ははっ、さすが最新型は違うな」
「もう…!そういう言い方はよくないわよ、002…でも、たしかにそういう一面はあるらしいのよね…009のシステムはとても複雑で繊細だから…不具合も置きやすいんですって」
「ふうん?だが、ソレ、まずいんじゃないのか?あれだけ派手に戦うヤツがそんなんじゃ…」
「もちろん、そういうことも考えて作られているはずなの。細かい不具合があったら、大事になる前に、それなりの自覚症状が出るらしいわ」
「…じゃ、今回はその機能がワヤだった…ってことか」
「違うの。博士が言うには…我慢しちゃったみたいなんですって、009ったら」
「我慢…?」
「彼の意識が戻って、いろいろ聞いていくうちにわかったのよ…そういえばおかしかったかも…なんて言ってたらしいわ。それも、もう二週間も前から」
「だがよ、そういうのって、我慢できるモノなのか?」
「…さあ?」
 
003は首をかしげ、また肩をすくめた。
 
 
 
「009。君の体は…その、ほとんどがメカなんじゃ」
「…はい」
「ということは、不具合が自然に治る、ということはありえん。わかるかね?」
「…はい」
「だから、何事であれ、不具合を我慢するのは禁物なんじゃよ…」
「それは…わかっているんですが…」
「…ううむ」
「すみません。ご迷惑をかけて」
 
ギルモアは思わず息をついた。
数え切れない数のサイボーグを扱ってきたが、こういうケースは初めてだ。
 
何度倒れても、009の「我慢癖」は一向に治らなかった。
いっそ、セキュリティ感度を上げてしまおうかと思ったこともあったが、それでは戦闘どころか日常生活すら立ちゆかなくなる。
 
「困ったわね…定期メンテナンスの回数を増やしても、あなたの負担が大きくなりすぎるし…本当に、我慢しないでくれるようになるといいんだけど」
「本当に…我慢しているツモリは…ないんだ」
 
心底申し訳なさそうに009がつぶやく。
003はギルモアと顔を見合わせ、数枚の紙に目を落とした。
009のためにつくったセルフチェックシートだ。
細かい項目を彼はきちんと毎日チェックしている。
 
チェック項目の中には、数値化できるものもある。
が、そうではないものもある。
で、今回の不具合は、その数値化できない微妙なトコロで生じていた。
そして、そこにも、009は几帳面にOKのサインを残しているのだ。
 
考えてみれば…と003は思う。
009は、いつでも最後の最後まで…倒れるまで戦い続けていた。
それは、彼が最強のサイボーグだからだ、と思っていたけれど、たぶん間違いだったのだ。
彼は、つまりただ我慢していただけで。
 
「もう、これも訓練だと思ってもらうしかないんじゃないかしら?…今回のように、何か起きてしまったら、その度に、それまでどんな状態だったか思い出して…それを覚えておくのよ」
「…う、う…ん」
 
009はかなり自信なさそうにうなずいた。
 
 
 
いきなり頬を張られ、驚いて目を見張った。
003が火のような視線でにらみつけている。
それでいて、澄み通った碧の目には、涙が一杯にたまっているのだ。
 
「…あなたは…あなたって人は…!どうして黙っていたの?そんな、大事なことを!…我慢できるから大丈夫って…どういうこと?」
 
深い悲しみと怒りに震える声。
これ以上聞いていられない。
胸がどうしようもなく締め付けられ、009は呻くようにつぶやいた。
 
「だから…だから、黙っていたんじゃないか」
「009…?」
「君の、そんな顔……見たくなかったから!」
「そんな、顔…?私が、どんな顔しているっていうの?」
「…フランソワーズ」
「いいわ、どんな顔でも…でも、だったらよく見ておいて。私にこんな顔をさせているのは、他の誰でもないあなたなのよ、ジョー!」
「……」
 
ぐっと拳を握りしめ、009は003をにらみ返した。
 
「君には関係ないじゃないか!…いや…うん、わかってる。僕が、009がちょっとでも調子を落とすと、君たちに迷惑をかけるよね。でも、今は別に何も起きていない。戦いがあるわけじゃない。甘いかい…?いいよ甘くても!僕はね、もともとその程度のヤツなんだ。意気地なしで…甘ったれでさ、とても君たちみたいには…!」
「…ジョー」
 
はっと口を噤む。
009はぱっと003から顔を背けた。
重い沈黙が落ちる。
 
「叩いたりして、ごめんなさい。つらい思いをしたのは、あなただったのに…」
「…フランソワーズ?」
 
聞いたことのない声…だった。
思わず顔を上げた。
 
「あなたは、意気地なしなんかじゃないわ。私だったら、きっと耐えられないもの…そんなひどい…ひどい暗闇に、ひとり落とされたら」
「……」
「話してくれてありがとう、009。すぐ博士に報告するわね。迷惑かもしれないけど、原因をしっかり確かめておかないと…加速装置のオーバーホールはこれからもしなければいけないんだし…それにね、そんなことが起きたら、あなたは我慢できても、きっと002には無理よ…そう思わない?」
「……」
「博士に、うんと文句言っておかなくちゃ…叩くなら博士を叩くべきだったわ」
「フランソワーズ!」
 
思わず叫ぶ009に、冗談よ、と微笑して、003はくるっと背を向けた。
待って、とまた叫びそうになって、咄嗟に唇をぎゅっと噛む。
彼女を引き留めて何がしたいのか、何を言いたいのか、わからない。
009は、ただ立ちつくしたまま、遠ざかる背中を眺めていた。
 
ああ、そうか…002も、加速装置をもっているんだ。
 
ふと思った。
同時に、肩の力がすっと抜ける。
 
だから、彼女はあんなに怒ったんだ。
僕が、勝手に自分だけのことだと判断したから。
報告は僕たちの大切な義務のひとつだったのに。
 
そう思いこめば、ずっと楽になれる…という予感がする。
009は何度も繰り返し心に言い聞かせた。
 
だから。
だから、彼女はあんなに怒ったんだ。
僕が、わがままだったから。
僕が、ちゃんと我慢できなかったから。
彼女に、博士に…みんなに迷惑をかけた。
僕が、いけなかった。
 
思ったとおり、少しずつ心が凪いでくる。
ほっと息をつきながら、009は打たれた頬にこわごわ触れてみた。
そこだけが異様に熱い…気がして、また心は微かに騒ぐ。
ややもするとわけのわからない切なさがとめどなく溢れそうになるのを、彼は辛抱強く押し殺していった。
 
でも、こんな熱はすぐにひく。そうすれば……
いつもの僕に、すぐ戻れる。
 
 
 
受話器の向こうに、沈黙が落ちる。
 
「…002?」
 
心配になって呼びかけると、ああ、聞こえてる、とどこか呆けたような返事が返ってきた。
 
「あなたは、そんなことあった?加速装置をいじったとき…」
「いや。第一、考えたこともねえぞ、そんな…」
 
彼にしては口が重い…と感じるのは、気のせいではないだろう、と003は思う。
加速空間を知っているのは、009の他には彼しかいない。
ということは、その空間に閉じこめられる恐怖を誰より知るのも、彼だろう。
 
「で?…あいつの体感時間では、どれくらいの間だったんだ?」
「約一ヶ月…だったらしいわ」
 
ひゅう、と息を吸い込む音がする。
003は思わず受話器を握りしめた。
 
「…ま。仕方ないよな、起きちまったことは。もう対策はしたんだろ?」
「ええ、もちろんよ。博士もとても驚いて…」
「ったく。やっかいな体だよな……」
「本当ね」
「よく耐えたな、アイツ……」
「…ええ」
「せいぜい優しくしてやれよ」
「そうよね…」
 
ふ、と003は苦笑した。
優しくするどころか、彼の言い分も聞かず怒鳴りつけ、思い切り頬を叩いてしまった。
あれでは、心を開く気になどなれないだろう。
実際、あれから009は腫れ物に触るように彼女を扱っている。
 
「002、時間ができたら、こっちに来てくれない?…009の話し相手になってほしいの」
「…俺がか?」
「あなたになら、少しは悩みを打ち明けることもできると思うのよ、彼…」
「薄気味悪いこと言うなって。それよりオマエが…」
「私じゃ駄目」
「…003?」
 
私じゃ駄目なのよ、と003は繰り返した。
 
 
 
駄目なのだと思うと、それはそれで気が楽になった。
開き直ったのかもしれない。
 
003は、009を見張ることに決めた。
彼がなんであれ、つらい、と自分から訴えることはまずありえないと諦める。
そのかわり、自分が彼のわずかな変調でも見逃さないようにしよう、と決心したのだった。
 
そういう人なんだから、仕方ないわ。
それならそれで、どうにかしなくちゃ。
 
こうして一緒に住んでいるのが、もっと優しい少女なら、彼に安らぎを与え、その心を開くこともできたのかもしれない。
でも……
 
それも仕方がないことだわ。
私は、そういう子じゃないんだもの。
で、それならそれでどうにかしなくちゃいけないのよ!
 
彼の変調をとらえるには、まず彼の「普通」を知っておくこと。
気配には異様に敏感な009にそれと悟られることなく観察するのは、なかなか難しいことだったが、003には「能力」がある。
…やがて。
 
「ジョー、今日はメンテナンスよ」
「…へっ?」
「そうね、準備に少しかかるし、博士も今ちょっと手が離せないようだから、午後からになるけど…」
「メンテナンスって…そんな予定、あったっけ?」
「予定はなかったわ。でも、今日した方がいいと思うの。ちょっと右手を持ち上げてみて?」
「…こう?」
「ええ。この辺。違和感がない?」
 
009は曖昧な表情でしばし考え込み、やはり曖昧に首をふった。
 
「よく、わからないけど…」
「たぶん、そんなに大事ではないと思うわ。でも、今日にして」
「…わかった」
 
溜息がでかかったのを慌ててのみこみ、009は神妙な表情を作った。
こういうときの彼女に逆らっても、いいことは何もないのだから。
この前、うっかり口答えして大変な目にあったばかりだ。
 
怒るとコワイからなあ、フランソワーズは。
そもそも、どうしてあんなにすぐ怒るんだろう?
 
なんとなく見つめてしまう。
が、すぐに気付かれたらしく、厳しい視線が返ってくる。
009は慌てて目をそらした。
 
それでも、彼女の目は確かなのだ。
言われてみれば、右手の動きが僅かに重い気がしないでもない。
 
この間こっぴどく叱られたときも、結局彼女が正しかった。
たぶん、今日もそうなのだろう。
…と思ってみると、そういえば、右手の他にもほんの少しだけどちょっとおかしいかな?と思う場所はある。たとえば……
 
「そうだわ、ついでだから…左耳も、聴覚の感度をちょっと調べておいた方がいいかもしれないわね…」
 
…そう、それそれ。
 
 
 
「それでも、人には何かがある。絶対に信じられる、何かが!」
「妄想だよ」
 
幼い子供の声は、冷たく乾いていた。
ふと、彼女の顔が脳裡をよぎる。
 
この子は、叱られたことがあっただろうか。
柔らかい熱い掌で頬を打たれたことがあっただろうか。
ひとすじの炎のような激しさで、見つめられたことがあっただろうか。
 
僕には、ある。
だから、何度でも言える。
妄想じゃない。
これは、妄想じゃない。
あの掌の熱さを、頬の熱さを、僕は覚えているんだ。
 
この子にはわからないだろう。
こんなケースの中に閉じこめられていたこの子には…
あの頃の、僕のように。
 
すさまじい爆圧に、一瞬息が止まる。
魔神像が砕ける。
外はおそらく、成層圏だ。
それなら……
 
009は静かに目を閉じた。
僕は、これでいい。
ひとつの悪を見送ることができた。
僕の命とひきかえに…なら、これは上出来にすぎる成果だろう。
 
…でも。
…きみ、は?
 
《オコッテルヨ!》
 
赤子の声が聞こえたような気がして、009は思わず目を開いた。
まさか、そんなことは。
 
どうして、怒るんだ?
他にどうしようもなかったじゃないか!
 
《彼女ハ、オコッテル!》
 
よくやった、と思ってはくれないの?
これで世界は平和になる。
たとえつかの間でも。
 
《トニカク、オコッテルンダ!》
 
そんなの、めちゃくちゃだ…わがままだよ、フランソワーズは!
僕たち、我慢しなくちゃいけないことがたくさんあるじゃないか。
特に僕は…009だから。
 
そうだろう、イワン?
君だって、そう思ったから……
 
《彼女ハ、オコッテル……》
 
どうして、そんなにわからずやなんだ!
仕方ない…仕方ないことなのに!
 
心で叫んだとき、張り詰めた何かがふっと切れたような気がした。
不意に、さびしさが押し寄せてくる。
 
僕は、ここで消えるんだ。
誰も知らないところで。
ひとりで。
 
わかってたことだ。
知ってたことだ。
これが僕の運命だ。
 
悲しくない。
つらくなんかない。
でも。
 
僕は、ここで……
 
涙があふれかけたとき。
強い腕に、ぐっとたぐり寄せられた。
 
「…002?!」
 
 
 
「仲間、なんだからよ…」
 
照れたように笑うジェットの言葉がゆっくり心に沁みていく。
 
そうなんだ。
僕は、ひとりじゃなかった。
どうしてひとりだなんて思ったんだろう。
どうして……
 
「ジョー。きみは、どこに落ちたい?」
 
わからない。
でも僕は…僕たちはきっと、間違えない。
僕たちは、ただ落ちていこう。
今は、導かれるままに。
 
頬が熱い。
あの掌の感触。
ひとすじの炎のようだったあの視線。
今、この身を包むのがその炎なら。
それなら……
 
 
大丈夫だ。
僕たちは間違えない。
僕たちは引き寄せられる。
逃げることなんて、きっとできない。
 
僕たちはもう何も望まない。
そして何も我慢しない。
それでも僕たちは決して見捨てられることがない。
僕たちは引き寄せられる。
僕たちは二度とひとりにならない。
 
 
だって。
僕たちは、愛されているんだ。


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