1
ほら、と手渡したとき、彼女の手が少し震えているのに気付いた。
思わず首を傾げ、覗いてみると、青い目は大きく見開かれたまま、瞬きもしていない。
「フランソワーズ…?」
「素敵……なんて、可愛らしいの…!」
「…え?」
フランソワーズは掌にちょこんとのっている折り鶴をひどく大事そうに目の前まで掲げた。
「本当に紙でできているのね…」
「うん…だって、見てただろう?」
「ええ、軽いわ…ああ、私、こんな素敵なもの見たの初めてよ、ジョー!」
「大げさだなあ…」
ジョーは思わず肩をすくめた。
捨てようとした雑誌のページを切り取って作った折り鶴だった。
フランソワーズが、居間でめずらしくぼんやりと元気のない様子でいるのが気になって、何となく隣に座ってみた……ものの、当然、彼にはこれといった陽気な話題などなく、手持ちぶさたになった挙げ句、ふと思いつくまま折ってみせたのだ。
「…はい、ありがとう…ジョー」
「え?ああ」
そうっと返されたソレを、何気なくくしゃっと握りつぶした瞬間、鋭い悲鳴が上がった。
飛び上がって振り返ると、いっそう大きく見開かれた青い瞳が怯えた色を浮かべ、震えている。
さらにその瞳にみるみる涙が盛り上がったものだから、ジョーはうろたえた。
「え…え、ええと、フランソワーズ…いったい……?」
「……」
フランソワーズはジョーの手の中からつぶれた折り鶴をそうっと取り上げ、両手の中に収めると、そのまま胸に抱きしめるようにした。
「あ…の、フランソワーズ?」
「……」
「あの、あのさ、頼むから泣かないでくれよ…悪かった……その、僕は……つまり」
どうしたらいいかわからない。
いっそなじってくれれば返事のしようもあるかもしれないが、彼女はただ黙ってぽろぽろ涙を流しているだけで。
しかし、このままでいるわけにはいかない。
ジョーは必死で考えをめぐらせた。
「本当に、ごめん…それ…折り直すよ、僕に貸して」
「……」
ようやく顔を上げたフランソワーズから、紙くずとなった折り鶴をそそくさと取り返し、ジョーは丁寧にそれを一枚の紙へと広げ直した。
皺をできるだけ伸ばして、形を整え直し、また慎重に折り始める。
ほどなく、さっきよりややくたびれた折り鶴ができあがった。
くたびれてはいるが、細心の注意をはらって折っただけのことはあり、さっきより出来は数段にいい。
「これで、許してもらえる…かな…?」
「……」
「ごめん、フランソワーズ…こんないいかげんな紙で折ったから…その、きみがそんなに気に入ってくれているとは、思わなくて…」
フランソワーズは小さく首を振り、ジョーを見上げた。
微笑みがどこか儚く見えるのは、まだ涙が残っているからかもしれない。
そうっと指を伸ばし、頬をぬぐってやると、彼女はようやくいつもの笑顔になった。
「ありがとう…ジョー。これ、私がもらってもいいの?」
「ああ、もちろん…って、でも、そんなもの……」
「嬉しい…!大事にするわ…ごめんなさい、泣いたりして」
「…いや…ええと」
ありがとう、と言いながらも、また取り上げられるのを恐れるかのように、大事そうに折り鶴を持ったまま、いそいそ居間を出て行くフランソワーズの後ろ姿を、ジョーはあっけにとられて見送った。
女の子というのは、本当にわけがわからない。
2
言われてみて、ああそういえばそんなこともあったっけ…と思う009だった。
忘れてたのね、ひどいわ…と003がつぶやいたのは、聞こえなかったふりをしておく。
それどころではない。
忘れていたのは、忘れようとしていたからにちがいない。
自分の不注意から彼女を泣かせてしまった…なんて、できたらさっさと忘れてしまいたい失態だ。
そう言おうとしても、やはり言葉にはできず、009は困惑した。
とはいえ、もちろん、この場合困惑してばかりもいられない。
「それより、いいかい、きみはもう少しで大怪我するトコロだったんだぞ、こんなもののために…!」
「こんなもの、だなんて…!」
「こんなもの、さ!」
戦闘は終わっていた。
それが気のゆるみになったと言えばなったのだ。
ドルフィンに帰投する途中、隣を歩いていた003が、何の前触れもなく、ふと列から離れた。
009が振り返ると、彼女は何かを追いかけ、極めて無防備に近くの茂みへと一歩踏み込み……
残っていたトラップにひっかかった。
咄嗟に加速した009が、ぎりぎりのところで彼女を救出し、とりあえずことなきを得た…のだが。
彼女が追いかけたモノが、肌身離さず持っていたのを落としてしまった…のだという、あのくたびれた折り鶴だったと知り、彼はほとんどめまいがしそうな気分になっていた。
「とにかく…コレのために、きみがこんな行動を取るというなら、こうさせてもらう!」
「……!」
009は有無を言わさず003から折り鶴を取り上げ、同時に加速装置を噛んだ。
あっという間に彼の手の中で小さい炎が上った。
「あーあ、やりやがった」
「相変わらず、乙女心全然わからないアルね009は!」
「しーっ!」
きまずい沈黙の中、009は003の手を握り、引きずるようにして、仲間達を追い越していった。
3
本当に、なじってくれた方がずっとマシだ……と、ジョーは苛立ちをもてあましていた。
フランソワーズはあれからジョーに口をきかない。
他の仲間には普段と変わらない…のに、ジョーにだけは絶対に口をきかない。返事すらしない。
もっとも、彼女に話しかけようとすると、ジョーはどうしても気後れして、口ごもってしまう…ので、つまり、聞こえていないだけなのかもしれない。
でも、いつもの彼女なら、そんなときでも、彼の気配を察してすぐ振り返り、「どうしたの、ジョー?」と尋ねてくれていたわけで。
フランソワーズがこんなに頑固だとは知らなかった。
ジョーはほとほと弱り果てていた。
仲間達は、触らぬ神にたたりなし…を決め込んでいる。
それはそうだろう。自分が彼らの立場なら、もちろんそうする。
それでも、さすがに見かねたのか、何でもいいからひと言謝ってしまえ!…というようなことを、親切なアメリカ人が一度だけ耳打ちしてくれた。
彼になら、それも造作ないことだろう。しかし。
僕は間違っていない。
どう考えたって、彼女のあの行動は間違っている。
気まずさを恐れて、口先だけで謝っても意味はない。
ちゃんとわかってもらわないと…!
自分も頑固だということに、ジョーはもちろん気付いていない。
謝ることはできない。
あんなモノ…紙くずのせいで、危険にさらされるなんて、本当に馬鹿げたことなんだ。二度とあんなことをされたら困る。
でも、このままでは……
ジョーはひたすら考えた。
どうすれば、彼女に理解してもらえるのか。
どうすれば、この状態を打破できるのか。
僕に、できることは…………。
ようやく彼にひとつの考えが浮かんだのは、膠着状態に入って、10日は過ぎた頃だった。
仲間達のしらんぷりにも限界が見えてきている。
一刻の猶予もならない。
成功するか、失敗するか…
失敗したら、今よりヒドイことになるかもしれないけれど…でも。
今日こそ、きみにわかってもらう。
僕は、謝らない。
いいかい、フランソワーズ!
ジョーは大きく深呼吸すると、閉ざされた彼女の部屋を力強くノックした。
4
ほんの少しだけ開いたドアを強引に押し開け、つかつか部屋に入ってきたジョーに、フランソワーズは目を丸くした。
彼のことだから、ドアの隙間から何か話をする…つもりなのだと思っていたのに……
ジョーは無表情に部屋を見回してから、ドレッサーの前に腰を下ろすと、無言のまま、ポケットから、色とりどりの四角い小さな紙を取り出した。
あっけにとられているフランソワーズに、目で「こっちに来て座れ」と合図する。
思わず座ってしまうフランソワーズだった。
「それを、一枚とって」
「……」
「僕のやることをよく見て…同じことをするんだ」
有無を言わさない口調に、フランソワーズは一番手近にあった水色の紙を手にとった。
それを確かめると、ジョーは、自分が手に取った赤い紙を二つに折り畳んだ。
続いてフランソワーズが水色の紙を同じように折り畳む。
また折り畳んで……広げて……
息詰まる時間が流れた。
…やがて。
「…これで、できあがりだ」
「……」
ジョーの手から、真っ赤な折り鶴がほろ、と落ちる。
そして、フランソワーズの手からも、水色の……
「……」
「……あれ?」
ジョーは思わず瞬きした。
フランソワーズが折り上げたソレは、鶴というよりは……というか、その。
「……」
「きみ、本当に僕がやったとおりにしたかい?」
「…したわ」
小さな声だった。
実に10日ぶりに聞く彼女の声だったのだが、あまりの驚きに呆然としていたジョーは、そのことに気付かなかった。
「…だって…これ……どうやったら、こんな」
ジョーはその水色の紙でできたモノを慎重に取り上げ、あれこれ回しては点検した。
たしかに、同じように折ったつもり……らしい。
でも。
「なんか、コレ…鶴というより……なんだろうな…うーん…」
「…意地悪!」
「え?」
振り返ると、フランソワーズが真っ赤に頬を染めて、唇をとがらせている。
子供のようにふくらませた頬が、手の中の水色のモノと、どこか似通っているような気が……した瞬間。
ジョーは、思わず吹き出していた。
「…くっ…くくっ」
「何よ、笑わないで!」
「だ、だって……そんなこと言ったって!」
もうがまんできない。
苦しそうに体を折って笑うジョーの背中を、フランソワーズは思い切り突き飛ばした。
「ご、ごめん…でも、フランソワーズ!…わっ、わあっ!…ははは、ごめん…ごめんってば…!」
「知らない…知らないわ、ジョーの意地悪!」
「悪かったよ…ああ、でも、きみ…コレって…まさかきみがこんな……!」
「だって、ちゃんと教えてくれないんだもの!仕方ないわ!」
「そんなに…難しいとは思えないけどなあ…?」
フランソワーズは、ドレッサーの上に散らばった折り紙を素早くもう二枚取り、一枚をジョーに押しつけるようにした。
「もう一度、ちゃんと教えて!」
5
折り紙がそんなに難しいものだとは思わなかった。
まして、仲間の中でもとびぬけて繊細な指先を持つはずのフランソワーズが、こんな子供の遊びに手こずるなんて…
不思議に思いながらも、必死な彼女についつりこまれ、ジョーは何枚も繰り返し鶴を折り続け、教え続けた。
なかなかうまくできない。
「…わかった!」
「え…?」
「ほら、ココだよ、フランソワーズ!…きみさ、ココを…こうやってるだろ?これじゃちゃんと重ならないんだ」
「そうなの…?でも、どうすれば……」
「だから、こうやって…」
「こう?」
「違う違う…いいかい、それを…そう、そっちじゃなくて…こう」
言葉で説明するのがじれったくなり、ジョーは白い手に自分の手を重ねた。
そのまま、折ってみせる。
「…わかったかい?今度は自分でやってごらん」
「…こう?」
「そうだよ!」
「ああ、そういうことだったの!…それじゃ、こっちも…」
「そう、そうすればいいんだ、フランソワーズ…!」
「…できたわ!見て、ジョー!」
フランソワーズは頬を上気させ、うす紅色の折り鶴を広げてみせた。
ほっそりした長い尾に、繊細な嘴。
美しい鶴だった。
そうっと受け取り、しげしげと眺めると、ジョーは覚えず溜息をついていた。
「きれいだなあ…よくできたね」
「…本当?」
「うん…すごいよ、僕にはこんなにできないと思う、きっと」
「そんなことないわ…あなたが先生だもの」
「…え?」
フランソワーズは恥ずかしそうに微笑した。
「教えてくれてありがとう、ジョー」
「…う、うん」
「あの…」
「なんだい…?」
「それ…記念にもらってくれる?私が初めてちゃんと折れた鶴よ」
「え……」
ジョーは戸惑い、手の中の折り鶴を見つめた。
「で、でも…僕なんかが」
「だって、あなたに教わったんですもの」
「…いいのかい、こんな……大切なものなのに」
「大切だから、あなたにもらってほしいの」
思わず息をのみ、フランソワーズを見つめる…が、彼女の青い瞳はぱっと睫の奥に隠れてしまった。
早くなる鼓動を懸命に押さえ、ジョーは自分に言い聞かせた。
落ち着け…何、変な勘違いしてるんだ、僕は!
深呼吸を素早く繰り返してから、つまり、それは彼女らしい律儀さなのだ…と、ジョーは思い直した。
改めてそうっと折り鶴を目の高さまで持ち上げ、静かに言う。
「ありがとう…フランソワーズ。大切にするよ」
6
そういえば、まだ彼女に謝っていなかった……。
すっかり色あせたうす紅の折り鶴をそっとドレッサーの上に置き、ジョーは苦笑した。
明日、彼女がこの部屋に戻ってくるのだ。
本当に久しぶりに。
嬉しいと思ってはいけない。
また、戦いの日々が始まるだけのことなのだから。
また、彼女を故郷から引き離し、その夢を断ち切り、暗い宿命に連れ戻すだけのことなのだから。
笑って彼女を迎えることなどできない。
まして、抱きしめることなど、決して許されない…僕には。
でも…
でも、僕はやっぱり嬉しいよ、フランソワーズ。
ずっと…会いたかったんだ。
この気持ちをどんな言葉で伝えたらいいかわからない。
わからないのだから、言わない方がいい。
今度も、言わないつもりだ、今までと同じように。
きみはまだ、この折り方を覚えてる?
あのときの笑顔を、また僕にくれるだろうか。
きみがこれを覚えていてくれて、笑ってくれたら、言おうと思ってる。
あのとき、僕がきみに何を教えるつもりだったかを。
そして、僕がきみに何を教わったのかを。
こんな、儚いもの。
こんな、他愛もないもの。
代わりなんか、いくらでもある。いくらでも作れる。
こんなもの、とるにたらないものだ。
少しも大切じゃない。
きみだって、簡単に作れるようになればわかるはず。
そう教えるつもりで、きみの手をとったのに。
結局教えられたのは僕の方だった。
きみはいつでも、僕に教えてくれるね。
本当に大切なものを。
この気持ちをどんな言葉で伝えたらいいかわからない。
でも、もうこのままではいられない。
きみに伝えたい。
言葉にはならないから、これを置いておくことにするよ。
フランソワーズ。
ごめん。
やっぱり早く会いたい。
きみがこれを手にとって、あのときのように笑ってくれれば…僕は戦える。
なんでもできる。
そんな気がする。
あのときのように笑ってくれ、フランソワーズ。
この世で一番儚くて、美しいもの。
守らなければいけないもの…守りたいものを、僕にはっきりと思い出させて。
僕らが、風吹きすさぶ荒野に立つ前に。
早くおいで、フランソワーズ。
僕の…003。
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