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五周目


  3   初恋(超銀)
 
 
変わらないひとだな、と思った。
あれから、何年たったのだろう。
本当に、変わっていない。
そう思ってぼんやりしていたら、彼女がふと僕を見て、笑った。
 
「ジョーは、少しも変わらないのね」
 
…え。
 
言葉が出てこない。
僕の代わりに、ジェットが笑いながら彼女をこづき、言った。
 
「そいつは失礼ってもんだぜ、フランソワーズ。天才レーサー島村ジョーといえば、国際的な有名人だ、あのころとは貫禄が違ってるだろうが?」
「あ、ごめんなさい…そういう意味じゃないの。ただ…」
「そうそう、私たち仲間ね!有名人になった、金持ちになった、なにも関係ないコトよ!」
「その通り。よくきたな、ジョー。待っていたぜ」
「…ああ」
 
ようやく落ち着いた気分になって、僕は差し出されたアルベルトの手を握った。
また、戦いが始まる。
 
予想していないことではなかった。
この途方もない現実……機械化された、僕たちの体。
未来戦のために作られた、新兵器としての僕たち…00ナンバーサイボーグ。
 
ブラック・ゴーストを倒し、一旦は解散した僕たちだが、これで終わりだ、と心から思っていた者はきっと誰もいないだろう。
いつか、この日がくる。
それはわかっていた。
 
僕に関して言えば、待ち望んでいた…と言えるのかもしれない。
 
 
 
日本に戻った僕は、やがてレーサーになった。
そして、張々湖大人の言葉で言うなら、金持ちになり、有名人になった……らしい。
 
でも、僕は、ただ、生きているという実感をレースの緊張感から得たかっただけだと思う。
欲しいのはそれだけだった。
 
収入のほとんどを寄付に回し、あらゆる取材を拒否し続けているうちに、マスコミも、僕を追うのを諦めてくれた。本当にとりつく島がなかった、ということだろう。
うるさくつきまとうファンも、次第に減っていった。
淋しい、とは思わなかった。
僕は、静かに暮らしたかったのだ。
 
そんな日々に慣れてきたころだった。
彼女が何の前触れもなく、不意に僕の前に現れたのは。
いや。
彼女には、現れるつもりなど…なかったのだろうけれど。
 
僕が、先に彼女に気付いた。
何を考える間もなく、思わず彼女の名を呼んでいた。
 
「フランソワーズ!」
 
驚いたように振り向く亜麻色の頭。
大きく見開かれた目は青く澄んでいて……
 
彼女には連れがいた。
そのことにはっとした瞬間、しかし、彼女は嬉しそうに顔をほころばせ、僕に向かって大きく手を振ったのだ。
 
「ジョー!…ジョーなの?」
 
どうしよう、と迷っている間に、彼女は駆け寄り、飛びつくように僕の首に両腕を投げかけた。
 
「フ、フラン……」
「ああ、本当にジョーだわ、夢みたい…!久しぶりね…元気だった…?あなたのレース、いつも見ているわ…この間の優勝、おめでとう…!」
 
何と答えたらいいかわからず、うろたえたままそうっと彼女の背中に腕を回した。
やわらかく、あたたかい感触に、僕はますますうろたえていた。
 
フランソワーズは、バレエの公演でその街を訪れていたのだという。
日本でもフランスでもない異国で、こうして偶然会えるなんて、不思議ねえ、と彼女は繰り返した。
たしかに、不思議だ。
 
「…友達かい?」
「ええ…あ、紹介するわ…こっちに」
 
腕を引かれ、僕はまたはっとした。
離れたところで怪訝そうに僕を見つめていた彼女の連れの中に、ひとり、すらりとした青年がいる。
僕は、ほとんど反射的に彼女の手を振り払っていた。
 
「…ジョー?」
「ご…めん。でも……」
 
彼女は、あ、と小さく息をのみ、そうね、ごめんなさい…とつぶやいた。
その意味を僕が悟るより早く、彼女は優しく笑って言ったのだ。
 
「会えて嬉しかったわ、ジョー……体に気を付けてね」
「…フランソワーズ」
 
そのまま小鳥のように身を翻し、駆け出してしまった彼女を、追いかけるすべが…そのときの僕にはなかった。
僕はでくのぼうみたいに、彼女の背中を見つめているだけだった。
 
 
 
金持ちになり、有名人になった島村ジョーに、サイボーグであるというヒミツを共有する自分が近づいてはいけなかったのだ…と、賢明な彼女はすぐに悟り、それゆえ、それきり彼女からの連絡は途絶えてしまった。
それまで届いていたクリスマスカードさえ、来なくなった。
 
あのとき、そうではないのだと言えなかった僕に、なすすべもなく。
あったとしても何もしようとは思わなかっただろうけれど。
それぐらい、彼女はまぶしかった。
 
普通の幸せを手にしようとしている、普通の女の子。
金持ちになり、有名人になった島村ジョーなんかより、誰からも愛され、子供の頃からの夢を追いかけるフランソワーズ・アルヌールの方が、ずっと輝いている。
 
君がサイボーグであることを理由に、僕に近づいてはいけないと思うのなら、僕はその何倍も強い、同じ気持ちで、君に近づくわけにいかない。
 
僕は、そう思っていた。
 
残念なことに、フランソワーズ・アルヌールについての情報は、それほど多くない。
島村ジョーの次のレースを知ることはそんなに難しくないのに、フランソワーズ・アルヌールが出演するバレエ公演を見つけるのは至難の業だ。
でも、それだけに、見つけたときのヨロコビは桁違いで。
僕は、ヒマがあると、熱心にバレエ関係の雑誌や書籍を立ち読みするようになった。
買うのはなんとなく気がひけたから。
 
細かい記事を丹念に追っていくと、時たま、彼女の息づかいを微かに感じることができる。
そして、ついに、その記事を見つけた。
 
次のレースが開催される街の近くで、彼女の所属するバレエ団が公演をするのだ。
彼女が出演するのかどうかまではわからない。
でも、僕の胸はどうしようもなく高鳴った。
 
その日。
僕は会場の一番隅の席に、隠れるように座った。
ほとんど息をころして、慎重にプログラムをめくる。
指が震えていた。
 
…あった!
 
フランソワーズ・アルヌール。
 
第2幕に出番がある。
一人で踊るのではないらしい。同じトコロに他に5人の名前があった。
 
そして。
その6人のバレリーナのうち、誰が彼女なのか…舞台を見ても、結局僕にはわからなかったのだ。
でも、僕は幸福だった。
 
いつもそんな幸運に恵まれていたわけではない。
せっかく彼女が出演する…それもソロで!…という公演が、僕のいる場所と地続きでわずか500キロほどしか離れていないホールで行われているのに、どうしても行くことができない…なんてこともあった。
それも、どうにもくだらない…スポンサーの知り合いが企画したパーティに出席…みたいな仕事が重なったから…だったりするのだ。
 
どうしようもない。
パーティの席上で、僕は、何度となく溜息をついていたらしい。
その様子がまた週刊誌の記事に書き立てられたりもして。
 
僕が某王室の女性とかなわぬ恋に落ちている…とかなんとか。
だから、前回のレースも集中しきれなかった…とかなんとか。
 
さすがに腹が立った。
 
こいつらを黙らせるには、勝つしかない、と思い、次のレースに臨んだ。
優勝したらしたで、恋の成就か?とか書かれてしまうに決まっているのだけど、あまりに腹が立ったからそのことには思い至らなかった。
 
とにかく、そんな風に僕は暮らしていたのだ。
 
 
 
ギルモア博士に呼び集められた僕たちは、再び戦場に赴いた。
それは、ブラックゴーストとの戦いに比べたら、確かに規模の小さい…それほど骨の折れる戦いではなかった。
それでも、戦場は戦場だ。
 
003は、不思議なほど変わっていなかった。
あれほど僕の胸を騒がせた、新進バレリーナ・フランソワーズ・アルヌールを、僕は本当に無造作に抱き寄せ、庇い、戦い続けた。
 
…いや。
 
彼女がフランソワーズ・アルヌールだということを、僕は忘れていたのだと思う。
あの、舞台で舞う妖精のような少女と、今腕の中にいる硝煙で頬を汚した003とが同じ人だとは、どうしても思えない。
考えるのさえヒドイ…むごい話だ。
 
こんな戦い、一刻も早く終わらせなければならないと、僕は強く思った。
早く、彼女をあの美しい少女に戻さなければ。
それが、僕の使命なんだ。
 
そして、僕自身も……003をこの腕に抱きしめるより、フランソワーズ・アルヌールの舞台を遠くから見つめている方がずっと幸せなのだ。
心からそう思った。
 
僕たちは戦い続けた。
夢中で戦ううちに、少しずつ出口も見えてくる。
 
もう少し。
もう少しだけガマンしてくれ……フランソワーズ。
 
 
 
最後の……おそらく、最後の作戦をなんとか終え、僕は仲間達の救援を待っていた。
僕の腕には、意識を失った003がいる。
 
庇いきれなかった。
幸い、命に関わる傷ではなかったけれど…彼女を、こんな目に遭わせてしまった。
でも……これで、最後だから。
許してくれ、フランソワーズ。
 
僕は、なんとか動く左手だけで、そうっと彼女を抱き直した。
 
彼女のこの傷が癒えるまで、どれくらいかかるだろう。
その間は、ギルモア研究所にとどまることになるはずだ。
そしておそらく、僕も。
 
そう思ったとき、胸が微かに騒いだ。
僕は、少し慌てた。
 
「…003?」
 
気持ちを落ち着かせるために、彼女を呼んでみる。
名前ではなく、ナンバーで。
彼女が、薄く目を開けた。
 
「…大丈夫よ…009…ごめんなさい」
「君は悪くない…僕が、もっと…」
「…いいえ」
 
青い目が優しく揺れる。
わけもなく胸が痛む。
 
「でも…終わったのね……これで」
「…うん」
 
うん。
そうだよ。
終わったんだ……これで、全て。
 
「また、レースができるわね……」
「…うん」
 
君も、また踊れるね、と言おうと思ったのに、胸が詰まって言えなかった。
どうしても言えない。
 
妖精のように、小鳥のように舞う少女。
きれいなフランソワーズ。
 
僕が君を見ていることなんて、君は知らない方がいい。
そんなこと、気付かない方が、いいんだ。
 
僕が黙っているから、彼女はまた目を閉じた。
彼女がすっかり眠ったのを確かめ、僕はそうっと彼女にかがみ込んだ。
煤けた…でも、柔らかい頬に。
そうっと。
 
少しだけ…のつもりだった。
それなのに、唇が離れない。
体中の血が逆流する。
 
003…フランソワーズ…003…フランソワーズ……003。
 
動く左手は、彼女を抱きしめていなければならなかったから。
僕は、僕の頬を流れていく滴をぬぐうことができなかった。
 
003。
 
心でつぶやいた。
戦きながら。
 
これで、終わりだから…すべてが終わるから。
君を汚した硝煙と一緒に、すべてを洗い流してくれれば、それですむ。
だから……
僕を許して。
 
003……僕の、フランソワーズ。
 
 
 
そして、それからまた何年が過ぎたのだろう。
君は、やはり変わらない。
変わったのは……
 
時々、夢を見ているのではないかと思う。
腕の中に君がいる。
君の優しい肌を独り占めする僕がいる。
 
夢であってくれた方がいいのかもしれない。
いや、本当に夢なのかもしれない。
 
戦いは終わらない。
地上で…地底で…海底で……そして、宇宙で。
僕たちの戦いは、永遠に終わらない。
 
そのことに気付いた時、僕は君を奪った。
 
終わらない夢。
その中でなら、僕は君を抱きしめることができる。
 
僕はもう、君の公演を密かに探さなくてもいい。
君は、君の全てを僕に教えてくれる。
惜しみなく与えてくれる。
…でも。
 
今でも少し大きな本屋を見かけると、僕は必ず中に入ってみる。
彼女を、捜すために。
 
フランソワーズ・アルヌール。
妖精のような、美しい少女。
ほんとうの、君。
 
それは、僕にできるただひとつのこと。
君を奪い、踏みにじった僕が…君を本当に消してしまわないために。
 
僕は、彼女を捜し続ける。
彼女がいることを信じているから。
僕だけは、いつまでも信じているから。
 
君は消えない。
僕が信じている限り。
僕が捜し続けている限り。
 
フランソワーズ・アルヌール。
僕が初めて恋した、永遠の少女。
 
 


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