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五周目


  5   戯言(平ゼロ)
 
 
静かに、立ち上がる気配。
必死で目を開けるなり、009は夢中で叫んだ。
 
「行くな!」
「…009」
 
歩き出そうとしていた003は驚いて振り返り、再び膝をつくと、倒れた009の前髪をそうっと指で梳いた。
その指を懸命につかみ、009は震える声で繰り返した。
 
「行くな。行っちゃ、だめだ003……ここにいてくれ!」
「…ジョーったら」
 
宝玉のように澄み通る碧の瞳が、ふと柔らかく笑んだ。
 
「そう言ってもらえるのはとても嬉しいけど、こんなトコロでじゃ……困るわ。続きは後で聞かせてね」
「な…!なに、言ってるんだよ…!」
「いい?約束よ……続きは、後で…ね。だから、待っていて。ここで」
 
003は009の手をしずかにほどいた。
今の彼には、それに抵抗する力すら残っていない……と思ったとおり、009はもどかしそうに切なげな視線を向けるだけだった。
 
「このままあなたと心中するのも悪くないかな、とも思ったんだけど……でも、申し訳ないものね、こんなおばあちゃんとじゃ」
「…フランソワーズ」
「なによ、その顔…ここは笑うところよ?…ホントにわかってないんだから」
「フランソワーズ!」
 
彼女はもう振り返らなかった。
起き上がってその姿を確かめようにも、もう身動きすらできない。
009は、遠ざかる足音に、ただ唇を噛んでいた。
 
 
 
うっすら開いた目に、まぶしい光がしみる。
はっと起き上がろうとすると、全身に激痛が走った。
 
「まだ動くな、009」
 
穏やかな声。008だ。
…と、いうことは。
 
「ここ、は…?」
「ドルフィンのメディカルルームさ…ゆっくり目を開けてごらん」
「……」
「…わかるかい?」
 
黙ってうなずく009の様子に、008は満足そうに微笑した。
 
「動くな…といても、動けるはずないんだけどね。ただ、動こうと考えるだけで、神経に負荷がかかる。とにかくおとなしくしていてくれ」
「…003は?」
「本当は、しゃべるのもあまりよくないんだよな…ってか、ちょっと目ざめるのが早すぎたみたいだ。もう一度…」
「003は?…彼女は、無事なのか?」
「おとなしくしていろっていうのがわからないのかな、君は?」
「003は?!」
 
ぎり、と歯を食いしばりながら起き上がろうとする009に、008は少し慌てた。
素早くおさえつけ、鎮静剤を注射する。
ギルモアが懸念したとおりになってしまった。
 
「…やれやれ。とにかくもうちょっと眠れよ」
「003は、どうしたんだ…!」
「捜索中だ。心配いらない」
「…捜、索……」
 
008は淡々と語った。
 
「埋まってる場所はわかっているから大丈夫。今、005と006が作業中だ。生命反応も確かめているしね」
「……」
「ちょっとしくじったんだろうな、彼女…でもまあ、よくやった方さ…残っていたシールドを彼女が破壊してくれたおかげで、君の位置もすぐわかって、こうやって救出できた」
「……」
「さあ、気がすんだかい?…目が覚めたら、ちゃんと彼女に礼を言うんだぜ、009」
「しくじったって。いったい、何が」
「詳しいことはわからないな…彼女に聞いてみないと」
 
薬が効いてきたらしい。
009の瞼が少しずつ下がっていくのを慎重に確かめながら、008は囁くように続けた。
 
「そんな体になってまで彼女を守ろうとした君なら……彼女の気持ちもよくわかるはずだ。そうだろう、ジョー?」
 
009は返事をしなかった。
やがて、ぴったり閉じた瞼から流れ落ちる涙をそっとぬぐってやりながら、008は思わず息をついていた。
 
 
 
息をつめて見つめる009に、003は弱々しく微笑んだ。
彼女の体には無数の管がとりつけられ、美しい顔も半分は包帯に覆われている。
 
「009、面会時間は5分…いいね?」
 
008の声が遠く聞こえる。
009はぐ、と拳を握りしめていた。
 
「こんな、に……」
「よかった、元気そうね。メンテナンスの結果、何も問題ないって博士はおっしゃってたけど……でも、本当に調子の悪いところはないの、009?…少しのことだからって、我慢してはいけないのよ…アナタはいつも……」
「こんなに、なるなんて!…いったい、何が…!」
「それほどのことじゃないわ。ちょっと大げさなのよね、コレ……」
「だから、行くなって言ったんだ…!君一人の力で、あそこから出てシールドを破壊するなんて無理だった…なのに、どうして君は!」
「どうして…って、言われても……」
 
ぎゅっと唇を噛み、うつむく009の肩が震えている。
003は優しく言った。
 
「そういう訓練もね…何度も受けていたのよ、私たち…ずっと昔になるけど。あなたが知らなかっただけ。それほど無謀なことをしたわけじゃないわ」
「…フランソワーズ」
「でも、久しぶりだったから、ちょっと失敗しちゃった……やっぱり、年のせいかしら」
「やめてくれよ!」
 
烈しい怒気を含んだ声に、003は口を噤んだ。
重い沈黙が落ちる。
 
「…どうして、僕の言うことを聞いてくれないんだ、君は…!僕は、君を助けたくて戦ったのに…どうして、わかってくれないんだよ…!」
「…ジョー」
「あのまま待っていれば、みんなが助けにきてくれるのはわかりきってた。なのに、どうして…」
「でも、あのまま待っていたら、あなたは助からなかった……そうでしょう?」
「そんなこと…!」
「そうなのよ。博士もその点、賛成してくれたわ…もう少し発見が遅かったら、手遅れになっていた…って」
「でも…そうだとしても!」
「…5分たったよ、009」
 
はっと振り返ると、腕組みをした008が、厳しい目で睨んでいる。
やがて、無言のままつかつかと部屋を出て行く009に肩をすくめ、008は003に向き直って苦笑した。
 
「あんな顔するんだなあ……あのおとなしい009が」
「あら。私にはしょっちゅうよ」
「…へえ?」
「もう009はしばらく面会停止にしてほしいわ……疲れちゃった」
「はは、手厳しいな…彼には君のその姿、刺激が強すぎたんだろう。大目に見てやれよ」
「続き……聞けるかもしれないと思ったのにな」
「続き?なんだい、それ?」
「何でもないわ。本当に疲れたみたい……少し眠ってもいいかしら、008?」
「いいも何も…今、君に一番必要なものは休息だろう?009は当分近づけないから、安心していいよ」
 
ふふ、と003は小さく笑い、目を閉じた。
 
 
 
心地よい海風に、003は思わず目を細めた。
何度繰り返しても、負傷したあと、包帯を取るときの不安は変わらない。
 
治っていないのではないかという不安と。
跡形もなく治ってしまっているだろうことへの不安と。
 
そして、もちろん、何度となく繰り返しているように、包帯の下からは、美しく滑らかな皮膚が現れるのだった。
文字通り、生まれたばかり…作られたばかりの人工皮膚。
 
それでも……
 
003は、す、と海に向かって片手を伸ばした。
 
それでも、この風を感じる。
子供の頃と同じように。
だから、もういい。私は、生きている。
 
生きていても、いいんだわ。
…そうでしょう?
 
返事がないのはわかっている。
だから、伸ばした片手を振り上げ、体をすうっと引き上げて、くるりと回転してみた。
動き始めると、止まらなくなる。それもわかっていた。
 
ひとしきり踊ってから、弾む息を整え、003は朗らかに言った。
 
「出ていらっしゃい……話したいことがあるんでしょう?」
「…003」
「見てのとおりよ。今日は私、とても気分がいいの。あなたの退屈なお説教も素直に聞けそうだわ」
「……」
 
木の陰からのろのろ出てきた009は、しばらくの間、そのままただうつむいていた。
辛抱強く待っていると、ようやく、うめくように言う。
 
「…ごめん」
「…ジョー?」
「君に、お礼を言っていなかった。一番始めに言わなければいけなかったのに…僕は、自分の気持ちばかり……」
「お礼…?」
「助けてくれて……ありがとう」
 
まあ、と小さくつぶやき、003は目を丸くして009を見つめた。
 
「お礼なんて、いいのよ…お互いさまじゃない」
「……」
「そもそも、あなたがあんなひどい傷を負ったのは、私を助けるためだったでしょう?感謝したり、謝ったりしなければいけないのは私の方よ」
「違う。それは、僕の……009の役目だ。君が003として役目を果たしてくれているように」
「そう…かもしれないけど。でも、私、いつも感謝してる…あなたに」
「…フランソワーズ」
「だから、私も、できるときにはあなたを助けてあげたいのよ……ふふ、でもあなたの方がずうっと強いから…そんなこと、なかなかないんだけど…だから、滅多にないチャンスだったのよ、アレは」
「…そんな!」
 
不意に009がぱっと顔を上げた。
赤褐色の澄んだ瞳に、強い光がよぎる。
そのまままっすぐ見つめられ、003は思わず息をのんだ。
 
「でも、僕はあんなこと、もうイヤだ!」
「私だってイヤよ…でも、仕方ないじゃない…?」
「イヤなんだ…!君が…君が、行ってしまうのに、動けないなんて……ただ君の背中を見送るしかできないなんて、そんなの、僕は!」
「それ……この間の続き、かしら?」
「…え」
 
003は微笑しながら片手を伸ばし、009の頬に軽く触れた。
 
「そんなに心配しないで…私は、どこへも行かないわ」
「…003」
「甘えんぼね。ちょっと離れただけじゃない。ほら…こうして戻ってきたでしょう?」
 
じっとのぞき込むと、009の瞳が微かに揺れたような気がした。
それがあまりに無防備で、頼りなくて……
 
気付いたとき、003は彼の頬に優しく唇を寄せていた。
泣いている小さい子供を慰めるように。
 
「……っ!」
「私は、どこへも行かない……ずっとあなたの傍にいるわ」
「ふ、フランソワーズ……っ」
 
009は思わず強く003の体を押しやりながら、叫んでいた。
 
「冗談はやめてくれよ!…僕は、真剣に言ってるのに!」
「…ジョー」
「君は、いつもそうやって…姉さんぶって、僕をからかって……!僕の気持ちなんて、何もわかってないんだ!」
 
すっかり混乱していた。
自分が何を言っているのかわからない。
また003がそっと手をさしのべようとするのを反射的にはねのけ、つき飛ばすようにして、009は夢中で駆け出した。
 
 
 
「私も、真剣に言ったのにな……」
 
ひとり取り残され、003はぽつりとつぶやいた。
おかしいような、淋しいような、奇妙な気分がさざ波のように寄せてくる。
 
何もわかっていないのはあなたよ、ジョー。
ほんとうにわかってないんだから……私の気持ち。
 
「私の……気持ち?」
 
思わず瞬きして、空を見上げた。
美しい青空がどこまでも広がっている。
 
私の気持ち……ですって。
そんなものが、まだ残っていたなんて。
 
003はしばらくそうやって空を見上げていた。
少しずつ、心に暖かいものがわき上がってくるのを感じながら。
 
あなたは不思議な人ね、009。
やっぱり、私はあなたを守りたい。
だって、あなたを守ることは、私の心を守ることと同じなの。
 
やがて、ゆっくりと家に向かって歩き出したときだった。
003の耳はごく控えめな足音を拾っていた。
009が戻ってきたのだ。
 
力ない足音だった。
きっと、彼は彼女を強く突き飛ばしてしまったことを後悔して…大丈夫だったかとひどく心配して。
 
懸命に笑いをかみ殺しながら、003はどうしようかしら、と考え始めた。
 
冗談を言ったら、また怒らせてしまうかもしれないわ。
でも、マジメな顔でマジメに話したら、ますます落ち込んでしまいそうだし。
難しい人。
 
どうしたら…どんなことを言えば、笑ってくれるのかしら。
いっそ、素直に言ってみようかな。
 
あなたの笑顔が好きよ、ジョー。
だから、少しでも私を想ってくれるなら……笑って。
いつも笑っていてほしいの。
私のために。
 
 
…ダメよね。
また冗談だと思われちゃうわ、きっと。


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