1
「作戦は、継続する」
009の落ち着き払った声に、007が目をむいた。
「何、言うんだよ009!…そんなことしたら、003がっ!」
世界各国から集まった仲間たちも、探るように009を見つめていた。
誰も、口を開こうとしない。
「ヤツらは、僕たちサイボーグの力を恐れている。だから003を人質にしたんだ、他に方法がないからね……とすると、彼女こそがヤツらの切り札だ。僕たちがヤツらに迫れば迫るほど、彼女を傷つけるわけにはいかなくなる。まして、殺すなんて愚かなことだ。あり得ない」
「しかし、009…どちらにしろ、俺たちは彼女を盾にされたら動けまい?ここで動けなくなるのも、敵地で動けなくなるのも、早いか遅いかの違いにすぎない。作戦を変更し、まずは彼女を奪還することを優先した方が……」
「君の言うことはわかる、008。でもそれでは、この国の人々を救うことができないんだ。それに、003の行方を捜す必要などない。作戦を継続し、ヤツらを追い詰めれば、君の言うとおり、必ず彼女は盾にされ、僕たちの前に突き出されるだろう。僕たちはそれを罠ではなく、チャンスにするんだ」
反論できる者はいなかった。
長い内戦が続いていたその小国に、ようやく平和が訪れようとしていた。
停戦が成立し、新しい国作りの第一歩として、初めて国民全員による選挙が行われることになった。
そして、009たちは、ギルモアの友人であるその国の要人に依頼され、選挙を妨害しようとする武装勢力と戦い続けていたのだった。
力は圧倒的に009たちが上だった。
テロがことごとく阻止される中で、疲弊した国民も、少しずつ自分たちの未来に自信と希望を抱くようになっていった。
そんな中、003が彼らに捕らえられたのは、ほとんど不運だったとしかいいようがない。
その場にいた009と007も、彼女ともどもさらわれようとしていたたくさんの子供たちをなんとか奪回し、守るので精一杯だった。
「私に、かまわないで!」
最後に聞いた、張り詰めた声。
彼女を乗せた小型機が飛び去るのを、009は静かに、007は悔し涙を流しながらにらみつけた。
当然のように、その日のうちに通信が入った。
003を返して欲しければ、サイボーグたちは一人残らず、24時間以内にこの国から立ち去れ……と。
そして、24時間後。
彼らの元に、薄汚れた包みが届けられた。
中には夥しい量の長い髪と、血に染まったカチューシャが入っていた。
それきり、彼らの連絡は途絶えた。
ギルモアが調べた結果、髪は間違いなく003のものだが、カチューシャについていた血液は別人のもの……とわかった。
その報告を受けた009は、予定通り作戦を遂行する、と決断したのだった。
2
作戦は順調に進んだ。
しかけられた罠も巧妙な戦略も、009はことごとく見破り、完全に敵の裏をかいていった。
一方で、003についての手がかりはふっつりと途絶えたまま。
それでも、サイボーグたちは009の指揮の下、冷静に戦いを進めていった。
「いよいよ、明日は選挙だね」
「そうね…明日ですべて終わるアルよ」
「…003も、見つかる?」
「もちろんネ!…そのときが勝負、正念場。009が言ったとおりアル」
「…うん」
007はぎゅっと拳を握りしめ、涙をこらえた。
006が静かに言う。
「私たちには大きな使命があるネ…だから、自分のことはあと。どんなに大切なことでも……それ、人並み以上の力を持つ私たちがこの世界で生きていくため、決して忘れていけないことアル」
「…うん」
「009は最強の戦士アルから、なおさらネ…彼はそれをよくしってるのヨ」
「わかってる…わかってるけど。でも、つい考えちゃうんだよ……もし、003が…」
「ストップ!そういうことは口にしない!」
「…だって!」
「不吉なことは、心にしまうヨ…心の一番奥深く。そうやって、封じるネ。心強く持つ、そういうことアルよ、007」
…でも。
叫び出しそうになるのを懸命にこらえ、007は唇を噛んだ。
明日で終わるんだ。
こんな思いも、みんな終わる。
チクショウ……!
「おいら、絶対負けないよ、006!おいらが003を助ける!」
「…その意気アル。さあ、もう休むヨロシ」
006はそっと007の頭に手をおき、キャンプの方に向けた。
小さい背中がとぼとぼ歩き出すのを見送ってから、こっそり振り返る。
009が、森のはずれに立っていた。
空を見上げ、身じろぎもしない。
まるで、木のひとつに化身したかのように。
「大丈夫。あの子は大丈夫、007……009。ちゃんと戻ってくるネ。私にはわかるヨ」
「…何?何か…言ったかい、006?」
けげんそうに振り向く007に微笑し、006はうなずいた。
「私の国に伝わる、とっておきの呪文、唱えたのヨ」
3
「非常に残念だが、我々の負けだ、サイボーグ諸君」
あちこちで鈍い爆発音が上がっている。
発見した敵の本拠地は、地下にあった。
その本部に一人残った司令官は、ぐるりと向けられた銃口にもひるむ様子がなかった。
「自爆スイッチを入れたのか?」
「その通り。我々が苦労して集めた武器や資金を、新政府のヤツらに奪われるのはゴメンだからな…我々にできることは、もはや…ささやかな復讐のみ、だ」
「復讐……だと?」
「そうだとも、009……時に、君は私に聞きたいことがあるだろう?」
「……」
「彼女は立派な戦士だった。うら若い女性の身で、あれほどの者なのだ……諸君の強さにもうなずける」
「そう思うなら、すぐに彼女を引き渡せ。003は、どこだ?」
「言っただろう、009。我々にできることは、最早ささやかな復讐のみだ…と」
「何…だと?」
司令官は不敵な笑みを浮かべると、背後に置いてあった粗末な箱をサイボーグたちに投げつけた。
思わず身構える彼らの前に、見慣れた防護服とスカーフ、ブーツが散らばった。
「…どう、いう」
「引き渡せるのは、それだけだ……諸君」
「どういうことだっ?!」
「…野郎っ!」
002が飛び出し、司令官を殴り倒す。
007も夢中で駆け寄った。
「フザけるなぁっ!003を返せ!……003は、どこなんだっ?」
「落ち着け、007!」
厳しい声に、007は弾かれたように振り返った。
「落ち着けだって?…どうして落ち着いていられるんだよぉ、アニキ!…ひとでなし!」
「落ち着くんだ!様子がおかしい。思ったより時間がないようだ…このままだと爆発に巻き込まれるぞ!…これ以上ソイツに構うな!すぐ脱出する!」
「……くっ」
司令官は倒れたまま唇をゆがめ、009を見つめた。
「よく気付いたな、009……見事だ。そして、たしかにひとでなしのようだよ、オマエは」
「何とでも言え。僕たちの心を利用して、卑劣な罠にはめようとしても無駄だ。そんなやり方は、絶対に成功しない。僕たちには通じない!」
「…な…るほど…そうだったのかもしれないな」
彼は薄く笑い、目を閉じた。
4
すさまじい勢いで立ち上る黒煙を、サイボーグたちは黙って見つめていた。
やがて、007の慟哭が、重苦しい沈黙を破った。
「チクショウ!…チクショウ、チクショウ…っ!」
「…007」
「何もできなかったじゃないか!…おいら、何もできやしなかった…003…003!」
「これから、するんだ。泣いているヒマはないぞ、007」
「なん、だって…?」
009は厳しい表情で仲間達を見回した。
「003を捜す。火がおさまったら、まずさっきの基地に戻って手がかりを見つけよう」
「捜す…?捜す、だって?…何を捜すんだよ!」
「…007!」
「何だよ!離せ!…こんなヤツ、もうオイラたちの仲間じゃない!」
「黙らっしゃい、子供が何言うか!」
009に飛びかかろうとする007を、006が慌てて羽交い締めにする。
もがきながら、なお燃えるような憎悪をみなぎらせ、007は009をまっすぐ見つめた。
「オマエなんか、リーダーじゃないぞ!何が正義だ、何が平和だ!003を殺したのは、オマエだからな、009!オイラ、絶対に許さない…死んでも許すもんかっ!」
「…セブン」
不意に穏やかに呼びかけられ、夢中でわめいていた007は思わず息をのんだ。
009は微笑していた。
「オマエは、いいヤツだな……それで、いいんだよ」
「…ナイン?」
「006、007を連れて先に戻っていてくれ。他のみんなは僕と一緒に……」
「待て、009!アレを!」
002の鋭い声に、サイボーグたちははっと振り向いた。
全て倒したと思っていた敵の兵士が一人、はいずるように近づいてくる。
004がゆっくり銃を構えた。
「待て!撃つな!」
009の悲痛な叫びに、思わず全員の足が止まった。
彼のそんな声を聞いたことがある者は、誰もいなかった。
やがて、凍るような沈黙の中、009がゆっくりと歩き始める。
うつぶせに倒れて動かなくなったその兵士の傍らに静かに跪き、そっと抱き起こすと、無言のまま胸に抱え込んだ。
「009…ソイツは?…ああっ!」
「…003…003かっ!」
サイボーグたちは、一斉に叫んだ。
5
「足手まといになるのはイヤだったの」
数日後、ベッドに起き上がった003は、009にそう言うと、微笑んだ。
「足手まといか…本当にそう思ったのかい?」
「ええ」
「007に聞けばわかると思うけどね、僕は作戦を変更しなかった…君は足手まといなんかじゃなかったんだよ、003」
「ええ。でも…ね」
「……」
「髪を切られちゃったでしょう?変装するチャンスだと思ったの…こっそり抜け出して、あの人たちの服を捜して、着替えて……ふふっ、あの人たち、捕虜は女の子だって思いこんでいたから、簡単に脱出できたわ」
「脱出したって、すぐ追っ手が来るし、市街地で作戦中だった僕たちと合流できるはずもない…やっぱり無茶だよ、君は」
「あら…2日逃げ切ればいいと思ったの。選挙が終われば、私が捜しにいかなくても、あなたたちは間違いなくあの基地に来るでしょう?」
「…やれやれ…困ったお転婆だな」
呆れた顔をしてみせる009を、003はふと真剣なまなざしでのぞいた。
咄嗟に目をそらそうとする彼の頬を両手で挟み、じっと見つめる。
「…ホントはとても心配したでしょう…ジョー?」
「したとも…でも、君は003だからね…信じていた」
「うそ」
「…フランソワーズ」
「うそをついてはダメ…私には、本当のことを言って」
「うそじゃない。悪いけど、僕は君を普通の女の子だと思っていない」
「まあ、ひどい」
「ひどくて結構。007に何度もひとでなしって言われたっけ」
「…ジョー」
「でも、それが僕たちの宿命だ」
「わかってるわ。でも……ね、心配したでしょう?」
「…フランソワーズ。しつこいぞ!」
声を荒げる009の手をぎゅっと両手で握り、003は微笑した。
「私が殺されてる、と思った?」
「…やめろよ」
「司令官は冷静でも、私の周りにたまたま気の短い兵士や、作戦を邪魔された恨みを晴らそうとする人がいたら…」
「やめろ」
「髪を切ったのだって、そういう人たちだったかもしれないし、今度はもしかしたら髪だけじゃなくて…」
「やめろ!やめろと言っているのがわからないのかっ?」
「やめないわ」
「フランソワーズ!」
「武装した敵の中にいて、命が保証されるはずなんてないでしょう?引き金をひく兵士はたった一人でも、命を奪うにはそれで十分…」
「やめろ!やめろ、やめろ、やめろーっ!」
「…ジョー」
夢中で003の手を振り払い、009は叫んだ。
何度も心に浮かびかけ、懸命に沈めた幻影。
血に染まった愛しい少女。
二度とひらかない瞼。
そして……
「何が言いたいんだ、君は……僕にどうしろというんだっ?」
「隠さないで、009…もう、いいのよ…あなたの体は機械でも、心は人間なの」
「…003」
「007に聞いたわ…うそつきね。あなたは、優しい人。仲間を見殺しになんて、絶対できないのに…」
「…違う、僕は」
「ごめんなさい…つらい思いをさせて…許してね、009」
「違う…違う、違う!」
ただ首を振ることしかできなかった。
それが最早、何の意味もないことだとわかっていても。
009は夢中で003に手を差し伸べ、すがるように抱きしめた。
愛しい、誰よりも愛しい少女。
正義も、平和もいらない。
もし世界が彼女を僕から奪うというのなら……僕は。
僕は…本当は、そんな世界など…!
歯を食いしばり、心の奥からほとばしる激流に懸命に耐える。
ダメだ。
考えるな。それは、僕じゃない。
009じゃない…!
「…大丈夫よ、ジョー」
優しい声が遠く聞こえる。
そうっと涙に濡れた顔を上げると、少女が微笑んでいる。
抱きしめていたはずなのに、いつの間にか抱きしめられていた。
「あなたは一人じゃないんだもの」
「…フランソワーズ?」
「考えてはいけないこと…望んではいけないこと。でも、あなたは一人でがんばらなくてもいいの。一緒に…耐えましょう」
「……」
「いいのよ…私には何も隠さないで」
何かが心で弾けるのを感じた。
もう何も考えられない。
009はうめき声を上げると、003を再び深く抱きしめ直した。
6
今だけ。
今だけだ。
むさぼるように抱きしめる。力の加減ができない。
今、彼女がどんな表情をしているのか…それさえ考えられない。
そんなことはどうでもいい。
許されるとか許されないとかじゃない。
こうしていないと、おかしくなりそうなんだ。
ああ、でも、すぐ、戻る。
いつもの僕に戻るから……今だけ。
今だけ、僕の腕の中にいてくれ。
僕を抱いていて。
君をちゃんと思い出すまで。
僕をちゃんと思い出すまで。
こうしていないと、のみこまれそうなんだ。
何度も見た、あの夢。
僕の心を殺す、あの影。
誰にも言えない。
言う必要などない。
永遠に封印する。
僕の心の一番奥深くに。
君が力を貸してくれるなら、きっとできる。
どんなことでも、耐えられる。
003。
世界でただ一人、僕の秘密を知る君。
君には何も隠さない。隠せない。
だから、君もここから離れられない。
僕の秘密を知る君。
君を離さない、絶対に。
僕が、009であるかぎり。
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