結局、ネット通販で注文し、完結篇を読んだのだった!
でもって。
なにはともあれ、
小野寺さん、ありがとうございますー(涙)
…なのだった。
そして、読み終わったとき、そうか石森さんはもう本当にいないんだ…ということが初めて腑に落ちた気がしたのだった(しみじみ)
さらに、やっぱり石森さんが作ったから「009」があるんだよなーと、今更しみじみ思ったりもしたのだった。怪しい感想かも(汗)
内容がいいとかよくないとか、ということではなく、これを読むことによって、
石森章太郎=サイボーグ009
をじんわり感じることができた、というのは得難い読書体験だと思うのだった(しみじみ)長生きしてよかったですー(涙)
そんなわけで、むやみに感動しているのだった!
でもって、やっぱりこれができたのは小野寺さんだけだったんだろう、と改めて思うのだった。
現代に生きる私たちは、なんでも「評価」することができる、と錯覚している。
文章だって、優れた文章とそうでないのがあると錯覚している。
「009」のファンではない人が、いきなりコレを読んだら、何らかの「評価」もできちゃうんだろうなー、とは思う。
高く評価する人もいれば、そうでない人もいる、と思う。
でも、すべての言語表現というものは、それを発する人と、受け取る人がいて、初めて成立する。
この本は、石森章太郎の遺志を継いだ小野寺丈さんが発し、「サイボーグ009」をこそこそ読み続けてきた私が受け取る、というトコロに、何にも代え難い意味があり、そして、そういう意味の存在を許してくれる作品になっている、と思うのだった。
読み返しているうちに、小野寺さん(と石森さん)が私のためにコレを書いて、送ってくれたのだ…というような気持ちになってくる…というかなんというか(しみじみ)
売ることを目的に出版している以上、そんなことを言っている場合ではないのかもしれないけど、「サイボーグ009」を、石森さん亡きあと、こんな風に受け取ることができたことを、やはり幸せだと思うのだった。
…ってことで!
小野寺さんありがとうございます!五段活用!粗相のないように!(威嚇!)<?
原作:にこにこしています。泣いたら負けっ!>自分(汗)
旧ゼロ:敬礼!するんですよねーこのひとって(しみじみ)
平ゼロ:お辞儀をします。ひどく緊張しています(汗)な、なるほど(しみじみじみ)<?
超銀:ちょっと動揺しているようですがそつなくお礼を言います。ざまーみやがれ♪(踊)<ネタばれかも(汗)<はい?(悩)
新ゼロ:なかなかお礼を言いません。拗ねてるのかもしれません(悩)完全にネタばれかもです(大汗)<???
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