お見舞い

   新ゼロ
 
「あれ?ジョーは……っと」
 
アルベルトの鋭い目配せにはっとしたときは遅かった。グレートがもごもごと語尾をぼかしていると、フランソワーズが応えた。
 
「病院に行っているわ…夕ご飯はいらないそうよ」
「やれやれ、またかい?こういうのって…先方にもいいかげん迷惑じゃないのかなあ…優しいのはいいが、アイツはどうも手加減ってことをわかってないような気がするよ」
 
ピュンマがめずらしく苛々した様子で辛辣なことを言う。
ジェットが苦笑した。
 
「ま、それがヤツのいいところでもある…ってことだろう?少なくとも、俺たちには真似できねえよ」
「まあ…それはそうなんだけどね」
「はいはい、ゴハンできたアルよ〜!ジョーにも私の特製弁当持たせてやったから、大丈夫!何も心配はいらないネ!」
「そ、そうなのかー?」
 
グレートは思わず叫び、さすがにそれは甘やかしすぎなんじゃないの?と口の中でつぶやいた。
 
 
 
その少女の病室は、フランソワーズも一度だけのぞいたことがある。
ごくフツウの、こぢんまりした個室だった。テレビもなく、冷蔵庫と小さい棚と狭いテーブルと折りたたみ式の椅子。それしかない。
そして、彼女自身もごくフツウの少女だった。
 
街でサイボーグたちに追われていたNBGの戦闘員が、たまたま通りかかった彼女を羽交い締めにし、人質にしようと試みたのだった。
もちろん、それはほんの数分間のことで、まもなく駆けつけたジョーが、難なく救出した…のだが、その際、彼女にケガを負わせてしまったのだ。
 
ケガを負わせた…といっても、ジョーはもちろん、厳密にいうと、彼女を捕らえたNBG戦闘員にさえ責任はなかった…のかもしれない。
解放された直後、半ばパニックに陥っていた彼女が、うっかり道の段差に足をとられ、転んでしまった…だけのことだったのだから。
ただ、運悪く、それがひと月ほどの入院を要するようなケガになってしまった。
 
そういうわけで、責任を感じたジョーが、事件が解決し、時間がとれるようになると、彼女の入院する病院へとこまめに通うようになったのだ。
 
はじめに病室を訪れたのは、女性同士の方がなにかといいだろう、ということで、フランソワーズだった。
が、少女は、自分を助けてくれたジョーに直接お礼が言いたい、と訴え……
そして、こういうことになっている。
 
「それにしても、ジョーは、自分の素性をどう彼女に説明しているんだろうな…まさか、サイボーグですって言うわけにもいかないだろう?」
「私立探偵…ってことになっているのよ。状況を考えたら、刑事の方が自然じゃないかと思ったのだけど、ジョー、警察は嫌いなんですって」
 
フランソワーズがおかしそうに言うと、ジェットもなるほどな…と笑った。
 
「ふーん。それじゃ、フランソワーズは、探偵さんの奥さんってことアルか?」
 
さりげなくのんびりと張々湖が言う。
フランソワーズは目を丸くして首を振った。
 
「まさか…!いやね、張大人ったら。そういう冗談は嫌いよ」
「あらあら、それはすまなかったアル。悪気はなかったアルね」
「いっそ、そういうことにしておけばよかったんじゃないか?そうすればジョーだって少しは節度を考えて…」
「ピュンマまで。ジョーはちゃんと節度をわかっているじゃない……私たちの誰よりも」
 
ふとうつむくフランソワーズに、ピュンマはああ、そうだったんだ…と不意に気がついた。
自分がこの件で何となく苛立っていたのは、フツウの少女と関わりをもつことで、ジョーがまた、自分がサイボーグであることを痛感し、傷つくことになる…のを漠然と予感したからだったのだ。
 
 
 
「ジョーに頼まれのたか?」
 
アルベルトの穏やかな声に、フランソワーズは顔を上げ、微笑した。
 
「彼女のリクエストなんですって。初めに持っていったのを気に入ってくれたみたい。よかったわ。お花が嫌いな女の子はいないと思うけれど」
「それは気に入るだろうさ…お前さんのセンスはちょっとしたもんだ。花屋でそういうブーケは手に入らん」
 
彼にしてはめずらしいごく素直な口調の讃辞に、フランソワーズは無言の微笑で応え、また丁寧にハサミを動かし始めた。
 
「今日で退院なんだ…と言ってたな」
「…ええ」
「大丈夫…だとは思うが」
「ええ。でも、ジョーが本当に大丈夫かどうかなんて…私たちにはきっとわからないでしょう」
「…そう…だな」
「できたわ…リボンは水色がいいかしら」
「…ああ」
 
そっと亜麻色の頭に右手を置くと、フランソワーズは驚いたようにアルベルトを見上げた。
 
「心配はいらん」
「…アルベルト」
「アイツは、俺たちと共にここに在ることを望んでいる。心から…な」
 
フランソワーズはしばらく固まったようにアルベルトを見つめていた。
やがて小さく、そうね、とつぶやく声を、彼は微かな胸の痛みと共に受け止めた。
 
庭で彼女が育てた草花で作られたブーケはふんわりと夢見るように愛らしい。
フランソワーズがリボンを探しに部屋を出てからも、アルベルトはしばらくぼんやりとそれを眺めていた。
 
 
 
こんなところに、花などあるはずない。
そう思いながらも、ジョーはがれきの中をむやみに歩き続けた。
逃げるのか、と鋭く投げつけられたジェットの言葉は、心に深く刺さったままだ。
 
逃げる…か。
きっと、そうなんだろう。
僕は、意気地なしだ。
 
烈しい戦闘は、サイボーグたちの辛勝で終わった。
その中で、庇いきれず、深手を負わせてしまったフランソワーズが、ようやく意識を取り戻した…と聞かされたとき、ジョーは、ほとんど反射的に立ち上がった。
花を探しに行こう、と思った。
 
花の嫌いな女の子はいない、と、教えてくれたのは、フランソワーズだった。
それなら、せめて一輪でもいい。
 
きれい、と囁くように言いながら、幸せそうにブーケに頬を寄せた少女。
日だまりのような微笑。
 
…わかっている。
 
花なんか持って行かなくても、彼女は、あの子と同じように…いや、もっと温かくて優しい笑顔を僕にくれるだろう。
なのに、僕は。
 
何度目かの脳波通信に打たれて、ジョーは立ち止まり、溜息をついた。
出発の時刻が迫っている。
 
見渡す限りの焼け跡には、まだ硝煙の気配が立ちこめ、遠く何かが爆発するような音まで聞こえてくる。
生きているものの気配など全くない。
 
仲間たちに促されるまでもない。
この廃墟に何があるというのか。
本当に彼女を思うなら、意識を取り戻した彼女を何をおいても見舞い、素直に詫びればいいだけのことだ。
それができないのは……
 
うつむいたときだった。
ジョーは、思わず息をのんだ。
一輪の花が、がれきの間で風に震えている。
 
ごく小さな、水色の花だった。
泥水でもかぶったのか、花びらは色あせ、茎も弱々しく、今にもしおれそうではあったけれど。
 
ジョーはのろのろと膝をつき、しばらくその花を見つめていた。
やがて、彼は花へとゆっくり手を伸ばしていった。
 
 
 
ドルフィンに戻ったジョーに非難の視線を向けながらも、仲間達は何も言わなかった。
ジョーも無言のままシートにつき、発進のためのチェックを始めた。
 
「…熱が下がってきた。今はよく眠っている」
 
アルベルトの低い声に、前をむいたままうなずき、ジョーは操縦桿をぐっと握りしめた。
 
ドルフィンが安定飛行に入ったのを確かめてから、ジョーは治療室に入り、眠るフランソワーズの傍らに腰を下ろした。
 
亜麻色の髪はまだ泥に汚れ、もつれたままだった。
白い肌はますます透き通り、むしろ青白く見える。
 
僕のせいだ、とジョーは低くつぶやき、唇を噛みしめた。
 
目ざめれば君はそうではない、と言うだろう。
あの、日だまりのような笑顔で僕を包んでしまうだろう。
僕は、それに逆らえない。
 
ごめんね、フランソワーズ。
花を持ってこられなかった。
見つけたんだけど…やっぱり、僕には摘めなかった。
 
小さいけれど、きれいな花だった。
生きているものなんて何もないように見えた焼け野原で、ひとりで咲いていた。
 
君のような、花だったよ。
 
そうして、誰にも見つけられずに、ひっそり萎れていくのなら、ここに…君の元に持ってこようかって…ずいぶん思ったんだけど。
でも、僕には摘めなかったんだ。
 
ごめんよ、フランソワーズ。
僕のせいだ。
みんな、僕のせいなんだ。
 
それなのに、ここを離れられない。
ここで、君の温かい笑顔に包まれたい…君にすべてを許してもらいたい、なんて思っている。
 
僕は…卑怯者だ。
 
 
 
「…ったく。面倒なヤツだぜ。一晩中ついてたくせに、彼女が目を覚ますころを見計らって治療室を出て行きやがった」
 
不機嫌そうに吐き捨てるジェットを、アルベルトは面白そうに振り返った。
 
「…ジョーか?」
「ああ。なんでアイツはいつもああなんだ?…どうでもいい、見舞う必要なんかない女の見舞いには花束もって通い詰めるくせに……」
「どうでもいい見舞う必要なんかない女だから、平気で見舞えるのさ…それに、花束だってフランソワーズが作ったヤツだったろうが」
「…さっぱり、わからねえ、俺には」
「まあ…そうだろうな」
 
むっとしたように顔を上げ、睨んでくるジェットに、アルベルトは苦笑し、大儀そうに手をふって見せた。
 
「もちろん、俺にも何かがわかってる…ってわけじゃあないんだぜ?」
「どうでもいいさ。とにかく、あの調子じゃ、いつか、誰かにかっさらわれて、ほえヅラかく羽目になるだろうよ」
「ふん、誰かにかっさらわれて……か。で、たとえば誰に、なんだ?」
 
笑いを含んだ問いかけに、ジェットはますます不機嫌そうに眉を寄せた。
 
「少なくとも、俺じゃねえな。面倒はゴメンだ。ましてアイツが相手なんてよ……冗談じゃないぜ」
「…同感だ」
 
まもなく日本の領空に入る。
研究所についたら、ジェットをそそのかして、二人で花束でも買ってこようか、とアルベルトはふと思った。
 
アイツに出来なくとも、俺たちならできるだろう。
なぜなら……
 
「なあ。向こうについたら、ちょっと街に出て、でっかい花束でも買ってこようぜ。真っ赤なパラなんかいいんじゃないか?」
「…そうだな」
 
アルベルトは思わず吹き出しそうになるのをこらえながらうなずき、何気なく付け加えた。
 
「俺たちは、気楽な身分だからな」
 
ジェットは返事をしない。
 
二人は無言のまま、レーダーパネルにようやく現れたギルモア研究所のポイントを、ただ見つめていた。

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