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四が困る

源氏物語風・○年後の鬼退治
 
激しい息づかいがまだおさまらない…微かに上下する細い肩。
優しく抱きしめ、じょーは宥めるような口づけを繰り返した。
 
「…大丈夫…?」
ふらんそわーずが小さくうなずく。そっと髪を撫で、顔を見ようとすると、彼女はいやいやをするようにじょーの胸にしがみついた。
 
「ふらんそわーず…静かなところに行こう」
「…え…?」
「ここは…ちょっとうるさすぎるよ…」
ふらんそわーずは怪訝そうに顔を上げ、じょーをのぞいた。
耳を澄ませても、何も聞こえない。
じょーは寂しく笑った。
「君と…二人きりになりたい」
 
馬で出ると気づかれるから…と、じょーはふらんそわーずを抱いて、山道を歩いた。
「…どこに…行くの、じょー?」
何度尋ねても、彼は返事をしない。
 
怖い……
ふらんそわーずは、身を硬くし、じょーの胸に顔を埋めていた。
どこまでも深い闇の中にのみ込まれていくようで。
 
…いいえ、違う。
彼の腕に抱かれているなら、怖いものなど何もないはず…
私が…怖いのは…
 
そっと下ろされたのは、薄く埃が積もった床だった。
「…ここ…は…?」
荒れ果てた庭が広がる。板戸も簾もない。
廃屋だった。
 
押し倒されて、ふらんそわーずは怯えた声を上げた。
「い、いや…誰かに…見られたら…!」
外からの視線を遮るものは何もない。
「誰も…いないよ、こんなところ…」
じょーは強引にふらんそわーずを押さえつけ、帯を解いた。
 
…いるとしたら…鬼だけ…
心でつぶやく。
 
「愛してる…愛してるよ…」
熱にうかされたようにじょーが繰り返す。
「誰にも…渡さない……!」
ふっと目を開けたふらんそわーずをじょーは見つめた。
 
「…君は…?」
「え…?」
「君は、僕を愛してる…?」
「…じょー…?」
 
見つめ返す青い瞳に、涙がたまっていく。
「…愛してるって…言ってくれよ、ふらんそわーず…僕を…愛しているよね…?」
ふらんそわーずはうなずいた。大粒の涙が蒼白い頬を転がる。
「ちゃんと、言って…お願いだ、君の声で…聞かせて……!!」
 
「…愛してる…わ…」
じょーは烈しく首を振った。
「もっと…もっとだよ…!」
 
愛しくてたまらない。じょーは堅く目を閉じた。
瞼に、涙がにじんだ。
 
こんなに苦しいのに…僕は…君を手放せない、どうしても…!
 
 
 
眠ってはだめ…じょーがいるのに…
夢と現の境をさまよいながら、ふらんそわーずは懸命に自分に言い聞かせた。
眠ってはだめよ…眠らないで…
……怖い。
眠ったら…きっと、言ってしまう…呼んでしまうかもしれない…
 
「ふらんそわーず…」
囁きに、ハッと目を開いた。
埃の匂い。
 
薄闇の中で、じょーは粗末な脇息にもたれて半分体を起こし、愛しげに亜麻色の髪を弄んでいた。
やがて。
彼は、低く囁いた。
「ね、ふらんそわーず…もし…誰かが君を愛して…君を抱いたら……」
 
身を硬くしているふらんそわーずを片手で抱き寄せる。
「僕は、殺すよ…その男を」
たとえ鬼でも…
 
…仲間でも。
 
ふらんそわーずが震えている。
じょーは座り直し、彼女をそっと膝に抱き上げて、優しく見つめた。
茶色の瞳が、柔らかく潤む。
 
「でも、もし…君が誰かを愛したら…誰かに抱かれたいと思ったら、そのときは…」
「……」
「僕を……殺してくれ」
 
長い沈黙のあと、じょーはふっと微笑み、短刀を取り出した。
ふらんそわーずの手に握らせ、自分の左胸を指さす。
「…できたら、一気に刺してくれると…助かるな」
「……じょー…!」
 
刹那、氷のような冷たい光が澄んだ瞳の奥底に閃くのを…ふらんそわーずは見た。
 
あなたに…こんな目をさせるなんて………!
 
「ふらんそわーず…?!」
じょーはハッと息を呑んだ
素早く、力任せにふらんそわーずの手首を捕まえ、押さえつける。
鈍く光る刃は、彼女の喉すれすれのところで止まった。
 
「…君…は…」
短刀が音を立てて落ちる。
泣き崩れるふらんそわーずを背中から抱きしめ、じょーは呻いた。
「ご…めん…ごめんよ、ふらんそわーず……!!」
「いいえ…私は…私…!!」
叫びかけたふらんそわーずの口を、じょーは強く塞いだ。
 
「言わないで!…聞いたら…本当に殺してしまうかもしれない…!」
 
違うわ、そんなことない…と言いたかった。
言えば…あなたの心はほんの少し、楽になるのかもしれない…でも。
あなたに…嘘はつけない。
 
私は、あなただけのもの。
今はもう…わかっている。はっきりと。
…たぶん、あの人も。
 
でも、あのとき…
私は、あの人を拒まなかった。
 
 
 
鬼を追って旅立ったじょーから、まもなく戻ると、便りのあった日。
その夜更け、あるべるとは、ふらんそわーずの部屋を訪ねた。
 
「…よかったな」
ふらんそわーずが弾き終わると、あるべるとはぽつりと言った。
「…え?」
「じょーのことさ……安心したんだろう?…昨日までと、音が違う」
ふらんそわーずは頬を染めた。
 
「…おかしいわね…じょーは絶対に負けない…って…誰よりも強いんだって、信じ
ているのに…不安になるなんて…」
「おかしいことなんかない。それが当たり前だ」
「…そう…かしら…でも、心配していた、なんて言ったら、叱られてしまいそう…」
あるべるとは微笑んだ。
「今回はちょっと手間取ったようだからな…心配するのも無理はない…文句があるなら、もっとさっさと片づけてくればいいのさ…そう言ってやれ」
ふらんそわーずはくすっと笑った。
 
一心に琴をかき鳴らすふらんそわーずの頬に、尼のように切りそろえた髪がはらはらとかかる。
彼女は、どうしても髪を伸ばそうとしない。
そのことに触れると、じょーはいつも、似合ってるんだからいいじゃないか、と不思議そうに首を傾げる。
 
それに…ふらんそわーずは戦わなくちゃいけないんだから…
彼は必ずそう付け足した。
 
それが…納得いかなかった。どうしても。
この、心優しく美しい彼女が、なぜ…弓をとらねばならないのか。
俺なら…もし、俺なら、こんなむごい戦いに愛する女をさらしはしない。
 
突然、音が途絶えた。
ふらんそわーずが、片手をおさえて、唇を噛む。
弦が…切れた。
 
そっと手を取ろうとするあるべるとの気配に、彼女はびくっと身を硬くした。
痛む指を手の中に握り、素早く引っ込める。
…やはり、そうか…!
あるべるとは、心で叫んだ。
覚えず、体が熱くなる。
 
それは、微妙な変化だった。だが、ずっと感じていた。
俺は…避けられている。
 
お前は、やはり…あいつに抱かれたのか?
いつ…?!
 
「…もう、他の男には…触れられたくないか?」
「ある…べると…?」
反射的に立ち上がろうとしたふらんそわーずを、あるべるとは抱きすくめた。
 
貪るような口づけのあと、そっと唇を離し、あるべるとは震えるふらんそわーずに囁いた。
 
「…怖がらないでくれ…お前が…嫌がることは決してしない」
 
彼の唇が優しく首筋から胸へと降りていく。
着物を解かれ、ふらんそわーずは押し殺した声を上げた。
 
物語の姫君のように。
大事に、大事に抱きしめられる。
もう…忘れたはずだった。
全て、捨て去ったはずなのに。
 
忘れなくていい…お前は…美しい。
 
あるべるとの指が、唇が、絶え間なく囁き続ける。
愛している…
もう苦しむことはない。
お前は、この腕の中で…いつも微笑んでいてくれ。
その笑顔で、俺を温めてくれ。
俺が、お前を守る。
 
…いけない…それは、違う…!
 
ふらんそわーずは、遠く誰かの叫びを聞いた。
が、それはすぐにかき消され、代りに、息もつけない甘美な感覚が彼女を襲った。
どこまでも優しい愛撫…肌を灼く熱い吐息…
少しずつ…何かが溶かされていく。
やがて…こらえきれず、甘い喘ぎを漏らし…彼女は全身の力を抜いた。
 
いいの…間違っていてもいい…
 
いつも夢見ていたわ……かなわない夢。
子供の頃から…探していた。
私を優しく抱いて、守ってくれる強い腕…温かな胸…
 
苦しみも悲しみも届かない…ただ愛だけに包まれた場所。
いつまでも、こうしていたい…ここで…
 
ここ…で…?
この人に…抱かれて…?
 
ふらんそわーずはハッと目を開いた。
咄嗟にあるべるとの胸を押し戻そうとした瞬間。
 
いや…!助けて、じょー…!!
 
叫びは、声にならなかった。
あるべるとはふらんそわーずを強く抱き寄せ、一気に貫いた。
 
モウ、遅イ…!
コレデ、オマエハ……
 
嘲るような声が遠く聞こえる。
 
…鬼……?
 
体の芯が燃えるように熱い。拒めない。
烈しく求める彼に身を任せ、その背中を堅く抱きしめながら、ふらんそわーずは切ない声を上げ続けた。
涙が、堰を切ってあふれる。
どうして…私…こんな…!
 
 
 
まるで…夢を見ていたようだった。
あるべるとは顔を覆って泣くふらんそわーずの髪を優しくなで続けた。
 
「…すまない」
ふらんそわーずは小さく首を振った。
 
わかっている。
彼女は…幸せを望んでじょーを選んだのではない。
彼女は、ただ、彼を選んだのだ。
 
わかっていても…止められなかった。
そして、それを痛いほど思い知った今も…後悔はしていない。
 
あるべるとは、ふらんそわーずの華奢な体をそっと胸に抱き寄せ、囁いた。
「お前が苦しむことはない…罪は……全て俺に…」
ふらんそわーずは震えながらあるべるとを見上げた。
「いいえ…あなたは、愛している…と…言ってくれたから」
「ふらんそわーず…?」
「愛することは…罪ではないはずだもの……」
青い瞳にまた涙がわき上がり、零れた。
 
「あなたは…私の夢を…かなえてくれたの…ありがとう…あるべると」
 
見てはならなかった夢。
幼い頃から、憧れていた…そして、私には永遠に閉ざされている…美しい世界。
恋の…甘く優しい夢。
 
夜明けが近づいた頃。
ふらんそわーずは注意深く、あるべるとの腕から身を起こした。
彼は穏やかな表情で眠っている。
 
「…許して、あるべると…」
 
囁き、静かに立ち上がった。
 
 
もう空は白み始めている。
川のほとりに立ち、ふらんそわーずは白く渦巻く流れを魅入られたように見つめた。
この流れの遙か先に…じょーがいる。
 
まもなく戻ると、便りがきたのは昨日のことなのに。
喜びに胸を弾ませていた自分が…他人のように思える。
 
まして、あの夜…
彼に抱かれ、愛されたことなど。
…まるで前世の記憶。
 
ふらんそわーずはそっと流れに足を踏み入れた。
冷たい。
このまま進めば…この水底に沈めば、あの夜に戻れるかもしれない。
どうか…私を洗い清めて。
私を…せめて私の魂を、彼のもとに戻して…!
 
さらに足を進めようとしたとき。
いきなり、後ろから抱きしめられた。
 
「ふらんそわーず…!!」
 
旅装のじょーはじっとふらんそわーずを見つめ…やがて、微笑んだ。
「…迎えに…来てくれたんだね」
「……」
黙って震えるふらんそわーずの手をそっと引き、岸に上がる。
「…無茶だな、君は…流れが速い…こんなところ、渡れないよ…」
「…じょー」
 
「ただいま、ふらんそわーず…会いたかった」
言い終わるより早く、じょーは彼女を抱きしめ、唇を重ねた。
烈しく…深く。
ふらんそわーずの瞼から、涙がにじんだ。
 
 
「…あ」
ぼんやり身を起こした。
すっかり明るくなっている。
ひざしが、荒れ果てた建物を露わに照らし…
 
じょーの姿が、ない。
 
「…じょー…?」
 
震える声で呼ぶと、せわしい足音が近付いた。
果物を両手に持ったじょーが微笑む。
 
「よく眠れた?」
裏山から、もいできたんだ…と、ふらんそわーずに柿を手渡した。
 
「ここは…どこなの…?」
「…ひみつさ……寺には、夜になったら戻ろう」
「…え?でも…」
 
そろそろ、寺では二人がいないことに気づくだろう。
 
「…みんなが…心配するわ」
じょーは笑った。
「僕と一緒なんだ…心配する必要なんかない…かまわないよ」
「…そんな」
「そうだな…みんな…何をしてるんだろうって思うかもしれないね……僕たちが」
「じょー…」
 
じょーはふらんそわーずを抱き寄せた。
「な、何するの…離して……いや、こんなに…明るいのに…やめて……!」
「…大丈夫、見ているのは…僕だけだから」
小さく悲鳴を上げるふらんそわーずの着物を、力任せに開き、肩から引き下ろし…
首筋を強く吸う。
 
 
…忘れたい。
いや、忘れることなんてできないから。
だから、もっともっと…君を見たい。君の声が聞きたい。
 
…僕は何もできなかった。
 
少しでも早く、君に会いたくて。
眠る君をいきなり抱きしめて、脅かそうと思って…
僕は夜通し山道を駆けて…そして、見た。
 
それは…僕だけの秘密。
 
君を奪うやつは…みんな殺してやる…そう思っていたのに。
僕は何もできなかった。
君は…泣いていた。それでも。
 
…助けを求めてはいなかったから。
 
あのまま…川に沈んでしまえば。
そのほうが君は幸せだったのかもしれない。
誰よりも強い君が、どんな痛みにも苦しみにも耐えた君が、命を絶とうとしたのなら。
 
でも、僕は…君を連れ戻した。
助けたんじゃない。
ただ、僕のために…無理矢理連れ戻した。
 
 
真昼の光を浴びたふらんそわーずが、腕の中で悶える。
切ない喘ぎを聞くたび、全身が熱く燃えたぎった。
夢中で柔らかな乳房を揉みしだき、亜麻色の髪をつかみ、唇を求め…
輝く真珠のような裸身を何度も貫きながら、じょーはふと、少女を貪るという鬼の話を想った。
 
もし、今誰かが、僕たちを見たら…僕を鬼だと思うだろう。
 
きっと、そうに違いない。
僕は…鬼だ。
君に焦がれ…君の命の最後の一滴まですすらずにいられない。
残忍な化け物。
 
だから。
誰かが君を救いにくるまで。
僕を殺し、君を奪うまで。
…その日が来るまで、君は僕のものだ。
 
でも、ふらんそわーず…僕は…誰にも負けないよ。
僕を殺せるのは、君の刃だけ。
 
いつまでも、離さない。
君が泣いても。
誰を愛しても。
どんなに、この腕の中で血を流しても。
 
僕は、君を離さない。
この命が…尽きるときまで。
 
 
更新日時:
2002.07.08 Mon.
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Last updated: 2013/8/15