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何故困る

熱闘・甲子園?
 
プロローグ  
 
プレハブの「事務所」はとにかく暑い。一応冷房も入っているはずだが、休憩の作業員たちはすぐに窓を開け放ってしまう。外ももちろん暑いが、閉めているよりはマシだ。
 
「あれ?なんだ、もう甲子園か?」
「いや、コレは県大会の決勝」
「決勝…?こないだ、イシノモリ高校に決まったんじゃ」
「あれは準決勝だって」
「ああ、そうか…ま。どうせ今年もイシノモリだろうが」
「いや、それが……」
 
いつも無口な大柄の現場監督が、隅でコンビニ弁当をかきこんでいる少年をちらっと見やった。同時に、誰がボリュームを上げたのか、ラジオの音がひときわ高くなった。
 
「イシノモリ高校、守備のタイムです!ここまでほとんど一人でマウンドを守ってきた一年生投手、ウィスキーの周りにナインが集まります。ツーアウト二塁三塁、ダガス高校のバッターは4番、ゾア!…ああ、ファーストのリンクが何か大声でウィスキーに言っています、がんばれ、ということでしょうか」
「そうですね、いざというときは俺がいる、リラックスしろ…というような感じで話しかけているのではないでしょうか…あ、ウィスキー、笑っていますね。こういうところが、常勝イシノモリの強さでしょう」
 
「強さって言ってもなあ…たしかにヤバイよな、コレ。もう9回だし、これ以上やられたら…いよいよイシノモリ時代も終わった…かな?」
「いや、ここを押さえて、次の回、ピュンマに回ればわからないぜ?」
「裏は9番からかー。誰かが塁に出ないとな」
 
隅に座っていた少年はがさがさと弁当の空き箱を片づけ、ぬるくなったお茶を一気に飲み干した。
 
『さあ、試合再開です。9回の表、ダガス高校の攻撃は4番センター、ゾア!ツーアウト、カウントはツースリー、得点は4対2、ダガス高校がリードしています。もう絶対に点はやれない常勝・イシノモリ高校!ピッチャー・ウィスキー、セットポジションからラストボール!……空振り三振、バッターアウト!しのぎました、イシノモリ高校!…いよいよ9回裏の攻撃に入ります!』
『ど真ん中でしたね、意表をつかれました…ああ〜、ゾア君が悔しがっています!』
『力のあるボールでしたが、まさか真ん中とは…今のはやはりピュンマ君のリードでしょうか?』
『そうでしょう、ゾア君は考えすぎましたねえ…いや、それにしてもすごい度胸、さすがピュンマ君です』
 
がた、と立ち上がり、くずかごに空き箱の入った袋を捨て、ちゃわんを流しへと運ぶと、少年は黙って出て行こうとした。
 
「待て、ジョー」
「…はい?」
 
静かに振り返った少年に、現場監督は短く言った。
 
「最後まで、聴かなくていいのか」
「……」
「…まだ休憩時間は残っている」
 
少年は僅かにためらってから、首をふった。
 
「ありがとうございます、ジェロニモさん…でも、いいんです」
「…ジョー」
「この試合、イシノモリが、勝ちます……僕には、わかる」
「……」
 
そのまま戸口を出ようとしたとき、ラジオから大歓声が響き、作業員たちがどよめいた。先頭バッターのウィスキーがセーフティバントに成功したのだった。
 
少年は立ち止まり、ぐっと拳を握りしめ、微笑した。
 
「いいぞ、イワン…みんな、ピュンマにつなぐんだ。そうすれば、必ず…!」
 
1  母と子
 
ジョーが病室に入ると、ちょうど医師が出ていこうとしているところだった。
 
「やあ、ジョー君…バイトは終わったのかい?」
「はい」
「あまり根をつめるなよ、母上にかえって心配をかけるからな」
「…大丈夫です…あの」
「あぁ、検査の結果、何も問題なし…それじゃ、フランソワーズさん、明日、予定通り手術ということで…今夜はゆっくりお休みください」
「はい…よろしくお願いします、グレート先生」
「心配はいりませんぞ。この名医、グレート・ブリテンが執刀するわけですからな」
「ええ、わかっていますわ……ジョー?」
「…え」
「明日の手術、午前中になるんですって…お昼に、病院からジェロニモさんに経過を連絡していただくわね」
「……うん」
 
うつむくジョーの肩を励ますように叩くと、グレート医師は病室を出て行った。
同時に、ジョーはもどかしげにベッドへ駆け寄った。
 
「大丈夫よ…ごめんね、あなたには心配ばかりかけて…」
「そんなことない…!僕の方こそ…今までずっと自分のことばかりで、母さんに…甘えて…」
「…ジョー」
「でも、これからは違う…このまま真面目にバイトを続けたら…卒業してから、ちゃんとした正社員にしてくれるかもしれないんだ…ジェロニモさんはとてもいい人だろ?できたらそうしたいと思ってるんだ。俺、うんと働いて、母さんの病気を必ず……」
「ジョー…さっき、ピュンマ君に電話をしたのよ」
「……母さん?」
 
フランソワーズはそっと息子の髪に片手を押し当てた。
 
「イシノモリ高校が、勝ったわ…知っていた?」
「……うん」
「ピュンマくんも、あなたに是非戻ってほしいと…」
「母さん」
 
ジョーはぴしゃっと母親の言葉を遮った。
優しく、しかしきっぱりとした強い意志をもってその細い手を取り、握りしめる。
 
「僕は、もうやめたんだ」
「ジョー」
「どうせ、こんな体格じゃ、プロで通用するはずもないし……それに、イシノモリ高校にはもうイワンがいる。僕がいなくたって、みんな、ちゃんと闘える」
 
フランソワーズは憂わしげに息子の澄んだ目をじっと見つめ……囁くように言った。
 
「ジョー。母さん…知っているのよ」
「……何…を?」
「あなたが、野球をやめた……本当の理由」
「……」
「この間、グレート先生にうかがったの……ごめんね…つらかったでしょう」
「母…さん…?」
 
フランソワーズはジョーの大きな手を優しく握りしめた。
 
「私の病気……ガンだったのね」
「…母さん!何を、馬鹿な!」
「だから、あなたは……残り少ない時間を、少しでも私と一緒にすごしてくれようとして…」
 
 
ジョーは思い切り母親の手をふりほどき、高い笑い声を上げた。
 
「やめてくれよ…!まいったな、そんな、安物の映画みたいな話……」
「野球部に戻りなさい、ジョー」
「…母さん!」
 
澄んだ厳しい光を帯びた青い目が、ジョーにまっすぐ向けられた。
 
「私は、死なない。約束します」
「…だから…それは!」
「あなたはあなたの闘いに戻りなさい。あなたを待っている仲間の信頼に応えなさい」
「……だって」
「私も、病気と闘うわ…あなたの姿を見ながら、あなたと一緒に。絶対に、負けないから」
「…でも!」
 
ジョーはいきなり母親の胸に抱きつくようにすがった。ぎゅっと唇をかみしめ、涙をこらえようとしたが、無駄だった。
 
「もし……もし、転移していたら…?いやだ、いやだよ…!野球なんてどうでもいい、僕は、母さんがいなくなったら、一人になってしまうんだ…甲子園で優勝して、それが何になるんだよ?…誰も、本当に喜んでくれる人が…母さんがいなくなってしまったら、僕は……!」
「……ジョー」
 
フランソワーズは声を殺して泣く息子を堅く抱きしめた。
この心優しい頑固な少年が、これまで誰にも打ちあけられず押し隠してきた苦しみを思うと、あまりにいじらしかった。
 
この子が、こうして私の胸で最後に泣いたのは……いつだったのだろう。
 
ジョーは父親の顔を知らない。母一人子一人で寄り添い合うようにして生きてきたのだった。
いつの間にかたくましく成長し、すっかり大人びた息子が、急に小さい子供にかえったような錯覚を覚えて、フランソワーズはいっそう優しく泣きじゃくるジョーの背をなでてやった。
 
「……野球部に、戻りなさい」
「…母さん」
「ピュンマ君が、迎えにきてくれるわ……明日」
「……」
「支度もできています…いい?」
「……わかったよ、母さん……でも」
 
涙を押し拭い、ジョーはまっすぐフランソワーズを見つめた。
 
「もし……もし、明日の手術で、病気がよくないってことがわかったら…そのときは」
「……」
 
フランソワーズは黙ってうなずき、涙に濡れた茶色い前髪をそっと指で梳いてやった。
 
「わかったわ……大丈夫よ、ジョー。母さんを信じて」
 
2  エース、復活。
 
ミーティング後、ハインリヒはピュンマを呼び止め、小声で尋ねた。
 
「…イワンの様子は?」
「消耗しきっています…決勝で、本当に限界まで力を使い果たしました」
「…そうか」
「今後のことを考えれば、2週間は休養が必要です。甲子園で投げるのは…とても」
「そうか。やっぱり……な」
 
ハインリヒは息をついた。
 
「そうすると、ピッチャーは……その、あまり考えたくないが」
「ジェットしかいません。ワンポイントで張々湖を使えるかもしれませんが」
「お前のリードだけが頼り…ってことか」
「…いえ」
 
ピュンマは微笑した。
 
「ジェットをリードするのは不可能です…いや、リードは不要、といった方がいいかもしれない」
「ったく。こんなときによく笑えるな、お前ってやつは……!」
 
苦笑するハインリヒの目をまっすぐに見上げ、ピュンマは短く言った。
 
「監督。明日の夜、俺に外出許可をください。ジョーを迎えにいきます」
「…な…に?」
「必ず……連れて帰ります」
 
ハインリヒはじっとピュンマを見つめ返した。
長い沈黙の後、彼はふと笑った。
 
「……そうか。頼む」
 
病院の門の前で、二人はじっと見つめ合っていた。
やがて、ジョーがつぶやくように言った。
 
「…すまなかった、ピュンマ」
 
ピュンマは微笑し、ジョーの両肩を抱きながら、小声で尋ねた。
 
「お袋さんの具合は……?」
「うん。今日、手術だったんだけど……転移はしていなかった。腫瘍は全部取り除くことができたって…」
「そうか、よかった…!さすが、グレート先生だ!」
「ありがとう、ピュンマ…君の親父さんがこの病院を紹介してくれなかったら…」
「礼なんていいさ…あの変わり者の親父がお前の役に立てたんなら、こんな嬉しいことはない…本当によかったな!」
「…ああ」
「それじゃ、今度は……お前の番だな…あと10日しかない」
「…覚悟はしているよ」
「バイトは、どうしたんだ?」
「今日限りでやめてきた…みんな、いい人だったから名残惜しかったよ」
「…そうか」
 
歩きだそうとしたピュンマは、いきなり立ちふさがった大男に思わず声を上げそうになった。
 
「…ジェロニモさん……!」
「しっかり、やってこい…俺たちみんな、応援する」
 
赤銅色の大きな右手を差し出し、ジェロニモは笑った。
ジョーはその手をしっかりと握り返し、うなずいた。
 
「これは…記念だ。俺たちみんなで用意した」
 
ジェロニモはバッグを探り、真新しいスパイクを取り出すと、押しつけるようにジョーに渡し、くるっと背を向けた。
 
「…ジェロニモさん…あ、ありがとう…!」
 
振り向かずに軽く片手を上げ、遠ざかるジェロニモを、二人は黙って見送った。
やがて、ピュンマがぽつり、と言った。
 
「本当に…いい人だな、ジョー」
「…うん。俺は…幸せだと…思う」
 
ジョーもつぶやくように言った。
 
「……ピュンマっ?」
「ダメだ、もう十球!」
「…わかったよ…!」
 
バシッ!と直球がピュンマのミットに吸い込まれる。
 
「おお、いい球アル〜!さすがジョーね!」
「けっ、4月から練習してないヤツにいい球が投げられるかってんだ」
「…アンタよりはマシと思うアルけど」
「…ンだと?」
「まだだ、ジョー!真面目に投げろ!」
 
厳しい声に、張々湖は思わず首をすくめ、ジェットはふん、と鼻で笑った。
 
「ほーら見ろ、さすが名捕手ピュンマ君…いいピッチャーとそうでないピッチャーをちゃーんと見分けられるのさ…」
「…だから、ジェット先輩の投球練習は必要ない…ってことになるわけだよね」
「イワン?…もういいアルのか、練習して?」
「まさか15日間寝てるわけにもいかないだろ?ピッチャーは無理だけど、内野でいけるんじゃないかって、ハインリヒ監督が……」
「なるほどね〜!ファーストなんてどうアルか?」
「な、なんだとぉーーっ???このジェットさまがいるのを忘れたか、ボケがっ!」
 
イワンはくすくす笑った。
 
「そうだよ、もちろんジェット先輩がファーストにつくのが一番さ、張々湖先輩」
「…そうアルか?」
「まぁ、本来はピッチャーの俺さまだが、チームのことを考えれば、コイツやジョー坊やにも、ちっとは経験積ませてやらにゃならんし……」
「うん、だってファーストはさ、一番ボールを投げないですむポジションでしょ?悪送球の危険を最小限にできるんだ」
「あ、なるほどアル〜!さっすがイワン!」
「おお、わかってるじゃねえか……って、ん?何だと、今何言いやがった、この一年坊主!」
 
イワンにつかみかかろうとしたジェットは、突然響き渡った鋭い怒気を帯びたジョーの声に一瞬ひるんだ。3人は目を丸くして投球練習をしているジョーとピュンマを振り返った。
 
「俺は、真面目に投げてる!どこが悪いっていうんだ!」
「自分で考えろ!教えたんじゃ意味がない!」
「…くっそぉ!」
 
力任せに投げつけたボールは、煙をあげそうな勢いでピュンマのミットに飛び込んだ。
そのすさまじい音に、張々湖は思わず首をすくめた……が。
 
「まだだっ!」
「…ピュンマ、いいかげんに…!」
「あと十球!思い出せ、ジョー!」
「ああ、わかったよ!お前の気がすむまで投げてやる…!」
 
イワンがほうっと溜息をついた。
張々湖も首を傾げた。
 
「いい球だと思うけどなあ…」
「でもピュンマは嘘ついたり無駄なことしたりはしないアル…何か足りないんやろなあ…」
「だ、か、ら…!無理なんだよ始めから…!」
 
負けず嫌いは相変わらずだ…と、ピュンマはマスクの下でひっそり笑った。
これだけ理由も言わずにただダメだと言い続ければ、どんな根気強い投手でも腹を立てるだろう。実際、ジョーも腹を立てている。
それでも、彼は何度でも全力で向かってくるのだ。決してふてくされたり投げやりになったりしない。
 
「やっぱりお前しかいないんだ…ジョー」
 
しかし。
やはり、この数ヶ月練習から遠ざかっていたのは痛い。
幸い、バイトが厳しい肉体労働だったので、筋肉が落ちている様子はない。
が、投球のテクニックとなると話は別だった。
 
ジョーは…もともと、豪腕ピッチャーではない。
イワンほど繊細ではないけれど、基本的にはコントロールの良さを活かして、打たせて取る投球がその持ち味だった。
だからこそ、微妙なフォームの乱れが怖い。
 
「楽をしようとするな、ジョー!」
「…だから!俺は、全力で投げてる!」
「いや、まだだ!」
 
ジョーは既に肩で息をしている。
このまま練習を続けさせると、むやみに疲労させることになりかねない…が、このまま終わらせてしまったら、彼の闘志がそがれることにもなりそうだった。
 
どうしようか…と唇を噛んだときだった。
突然、ジェットの大声が耳に飛び込んできた。
どうやら、ラジオのニュースを聞いていたらしい。
 
「おお!やっぱりヨミ高校がきやがったぜ!」
「…アポロンたち、勝ち抜いたアルか〜!」
 
ピュンマはハッとジョーを振り返り、叫んだ。
 
「何してる、ジョー!来いっ!」
 
ジョーはキッと唇を結び、大きく深呼吸すると、高々と足を上げた。
思わずピュンマが息をのんだ次の瞬間、鋭い直球がミットに吸い込まれた。
 
「……」
「…ピュンマ…?」
 
ピュンマはマスクを投げ捨て、立ち上がった。
…破顔一笑。
 
「よし!…今のを忘れるな、ジョー!」
「…え?」
 
あっけにとられているジョーに駆け寄り、力強く肩を叩くと、ピュンマはさっさと引き上げていった。
 
「…どういうこと…だろう?今のと、さっきので…何が違うんだ?」
 
ぽかん、としているジョーを、ジェットが笑った。
 
「馬鹿だな…!ピュンマは、お前を励まして練習を終わるために適当なことを言ったんだよ…まあ、気楽にやれや、ジョー。いざとなったら俺さまにまかせればいいんだからな!」
 
ジョーはジェットを見上げ、ふと懐かしそうに微笑した。
 
「うん……本当にそうだね、ジェット…ありがとう」
 
黙々とグラウンド整備をしながら、ピュンマは胸を熱くしていた。
ジョーの最後の一球。
あの、闘志がそのまま形をとったような、彼本来の美しい投球フォーム。
 
「…すごいヤツだ、やっぱり」
 
宿敵、ヨミ高校。
その不動のエース、アポロン。
 
ジョーがこの一年、一時も忘れたことのないはずの、ライバル。
その名を聞いた瞬間、彼の投球はいきなり変貌を遂げたのだ。
まるで、魔法のようだった。
 
「お前は、本当に……生まれながらの闘士だな、ジョー」
 
いける。
また、闘える。
 
すっかり日が落ちたグラウンドを振り返り、ピュンマは目を閉じた。
また、始まるのだ。あの、厳しい闘いの日々が。
 
でも……俺たちは、誰にも負けない。
更新日時:
2005.08.31 Wed.
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Last updated: 2013/8/15