1
耳慣れた機関銃の音が響き渡った。
誰も、身動きできなかった。
何が起きたのか、わからなかった。
全身を撃ち抜かれ、彼女が声もなく倒れる。
そして。
右手の銃口から硝煙を漂わせたまま、彼は倒れた彼女を気遣うかのように駆け寄り、その傍らに跪いた。
高く上げた左手が、鈍く光った。
「なにをする、004?!」
008の絶叫に、サイボーグたちは我に返った。
次の瞬間、004は倒れた003の背中を切り裂き、その体内から何かをもぎ取っていた。
「アルベルト…?!」
「003のエネルギー変換装置…これで、十分…」
「オマエ、まさか…!」
すさまじい形相で詰め寄ろうとした002の足下に、マシンガンが撃ち込まれた。
駆け去る004をなおも追いかけようとする002を、005が引き留めた。
「待て…!それより、003だ…!」
低い声に、002はハッと踏みとどまった。
蒼白になった003を009がそっと抱き起こしている。
そのまま凍り付いたように動かない彼を、007が怒鳴りつけた。
「009!しっかりしろ!」
009は、弾かれたように顔を上げた。
008がうめくように言った。
「とにかく、ドルフィンへ…!考えるのは、その後だ」
2
サイボーグたちは苦しい戦いを強いられていた。
009の能力を遙かに超えるサイボーグが、刺客として現れたのだった。
研究所はあっけなく破壊された。
どこへ逃げても、執拗な追跡が続いた。
それでも、001が目覚めている間は、なんとか攻撃をしのぐことができたのだが…。
彼が夜の時間に入った日、まるでそれを見透かしているかのように、最後通牒が送られてきた。
裏切りサイボーグ諸君。
次に逢うときが、君たちの最期だ。
しかし…002、004、009。
君たちはとりわけ優秀な戦闘サイボーグだ。
破壊するのは惜しいという意見も、上層部に根強くある。
もし、我々に忠誠を誓うなら、この3名にはチャンスをやろう。
なんでもいい、我々を納得させるに十分な忠誠のしるしを見せたまえ。
楽しみにしている。
もちろん、それをマトモに取り上げる者などいなかった。
いなかったはず…だ。
「まさか…004は、アイツらのところへ…?」
「他には考えられない。辛いけれど…彼は、003のエネルギー変換装置を『忠誠のしるし』にしたんだろう」
「信じられないアル…!それに、どうして、よりにもよって女の子傷つけていくアルか?!」
「一番、簡単だったから…か…?」
座り込んでいた002は思い切り床を殴りつけた。
「ふざけやがって…っ!」
ギルモアが不眠不休で治療にあたり、003はかろうじて命をとりとめていた。
が、研究所を失ったばかりである今、新しい完全な変換装置は手元にない。
あくまで応急処置…だった。
もし、今攻撃されたら……
「来た…!」
008が鋭く言った。
レーダーに無数の機影が映し出されている。
「おかしい。発見されるのが早すぎる…もしかしたら」
「004…が情報を?」
「ああ。ってことは、どうやら…彼は奴らに信用してもらえたようだね」
008の横顔に激しい怒りがよぎった。
3
敵の中に、004の影はなかった。
攻撃そのものも、偵察が目的であるかのような、中途半端なものだった。
「004が寝返った以上…もう、俺たちは奴らの敵じゃない…ってことなのかもな」
「弱気なこと言うの、よくないアル…!私ら、どんなときだって、いつも何とかしてきたアルね!」
「ああ、そうだ。だが…それはいつも9人で、だった。違うか、張々湖?」
007の沈んだ声に、006がぐっと詰まったとき。
005がコックピットに入ってきた。
「003、今、意識、戻った」
「そうか…!よかった…」
「…009」
「…え?」
顔を上げた009に、005は微かな笑みを見せた。
「オマエに会わせてくれと…言ってる。003が」
「…あ」
009はぼんやり立ち上がった。
ひやかす者はさすがにいなかったが、それでもほんのわずか空気がゆるむのを、仲間たちは感じていた。
「早く、行ってやれ」
「…うん」
009の背中を見送り、007はふと目を閉じた。
ねがわくば、この佳き若者たちに、最後の安らぎを…
…そう、おそらく、最後の。
4
「ジョー…!」
彼が一歩部屋に入ったとたん、003はもどかしそうに叫び、懸命に体を動かそうとした。
慌てて駆け寄る。
「フランソワーズ…!動いたら駄目だ…」
「…ジョー…ああ、ジョー…!」
「どうしたんだ…?落ち着いて、フランソワーズ…」
「アルベルト…は…?」
009は思わず息をのんだ。
「アルベルトは…?行ってしまったの…?」
「フランソワーズ」
「そうなのね…行ってしまったのね?」
必死で起きあがろうとする003を抑え、009は無言で首を振った。
「駄目…そんなの…駄目よ…!」
「そのことは考えるな。あきらめるしかないんだ」
「駄目よ…!」
「フランソワーズ、彼は、もう…」
003は009の腕を握りしめた。
思いがけない強い力に一瞬たじろぐ009に、彼女は叩きつけるように言った。
「アルベルトは、裏切ったんじゃないわ…!」
「フランソワーズ!落ち着いて…」
「彼は、一人で戦おうとしているのよ、私たちのために…でも、いけない…!そんなこと、させては駄目…!」
「フランソワーズ!」
つい、声を荒げそうになるのをこらえた。
009は大きく深呼吸を繰り返し、低く言った。
「君の気持ちはわかる…でも、受け入れなければならないんだ…!君に、こんな…ことを」
激しい怒りが胸の奥底からこみ上げてくる。
009はぐっと唇をかみしめ、うめくように続けた。
「こんなことをできる奴が…僕たちの仲間であるはずない」
「違うわ、ジョー…!アルベルトは、敵をだまそうとして…」
「ボクだって、そう考えようとした!何度も!」
ついに感情を抑えきれなくなり、009は叫んだ。
「でも、無理だ!仮に君の言うとおりだとしても…敵の中に侵入したとしても、それで何ができる?!僕たちみんながかかっても手も
足もでなかった敵なんだ…!彼一人で、何ができる?!アルベルトは、ちゃんとそういう計算のできる奴だ…君の命と引き替えにしてまで、そんなことをするはず…!」
「できるわ…!できるのよ、アルベルトは…!」
003も叫んだ。
青い目がまっすぐに009をとらえる。
「一人なら、できるわ…!アルベルトは、どんな敵だって倒せる…一人でなら…!!」
「フランソワーズ!君は、どうしてそんなに彼を……え?」
なん…だって…?
009は真っ青になった003をぼんやり見返した。
003の目に涙が浮かんだ。
「そう…でしょう…?あのひとには、できるわ…あのひとしか、できない…でも…そんな…そんなこと、いけない…!」
「…フランソワーズ」
009は思わず003を抱き寄せた。
体の奥底から、冷たいものが這い上がってくる。
…まさか。
「まさ…か、君は…」
「…ジョー」
「アルベルトが……原爆、を…?」
震えながらうなずく003の頬を、大粒の涙が伝わった。
その涙をそっと指で受け、009はしばらくそのまま彼女を抱きしめていた。
…やがて。
彼は、静かに003を離し、注意深く寝かせると、立ち上がった。
「…ジョー」
「さっき、ピュンマが偵察用イルカに発信器をつけたんだ。敵の基地がわかるかもしれない。もしかしたら、アルベルトも、そこに」
「ジョー、私…」
「すまない、フランソワーズ…僕は、僕たちが何のために戦っているのか…忘れてしまうところだった」
009はふっと微笑んだ。
「もう、忘れないから…大丈夫。君は、ここで待っていて」
「…ジョー」
「僕が…僕が、アルベルトと戻ってくることを…祈ってくれるね…?」
「ジョー!」
彼は、振り向かなかった。
遠ざかる足音を聞きながら、003は堅く目を閉じた。
5
008は、張りつめた表情の009に驚きながらも、求められるまま、発信器のデータを示した。
「比較的うまくいったようだよ…ここまで、追うことができた。さっき、消えてしまったんだが…そうだな、30分近く停止した後、急に消えたから…気付かれたんだね」
「停止していた…ってことは、基地まで追えた、ということかい?」
「…たぶん」
「よし、すぐ出発しよう。みんなをココに集めるんだ」
「009?」
「004を…救出する?!」
「何言い出すアルか、009?!」
002と006は思わず叫んだ。
他の仲間たちも、鋭く009を見つめた。
が、彼の表情は静かだった。
「004は、あのサイボーグを倒すために、僕たちを裏切ったふりをして基地に侵入した。彼は…原爆を使うつもりで」
「…!」
重苦しい沈黙をやぶったのは、008だった。
「フランソワーズだね…?彼女が、そう言った」
「…ピュンマ」
「俺は、反対する。彼女の気持ちはよくわかるよ。でも」
「…そうだ」
「ワイも反対アル!003は優しい子アルね…敵のことも信じようとするアルよ!…004が裏切るなんて、絶対認めないアル!」
「あぁ。アイツなら、どんなとんでもねぇ理由をこじつけたって、そうじゃない、と言うだろうさ…だが」
「…僕も」
009は仲間たちをまっすぐに見つめ返した。
「僕も、始めはそう思った。でも、冷静になって考えると…彼女の意見にはうなずけるところも多い。たとえば…彼は、彼女を殺さなかった。彼女は体中を撃ち抜かれていたけれど、急所には一発も当てられていない」
「…そりゃ…なんていうか…いくらアイツだって、情の少しは…」
「いや。アルベルトがそれだけの決意をして何かをするとき、無駄なことをするとは思えない」
「009…?」
「僕たちと戦わずに奴らのもとに向かい…しかも、僕たちに彼が裏切ったと信じ込ませる。003に深手を負わせれば、それができる。実際、僕は傷ついた彼女を置いて彼と戦うことなんてできなかった。それに、003なら戦闘力が低いから、抵抗されることもほとんどない。余裕がある分、微妙な手加減がしやすい」
「し、しかし…」
「ギルモア博士…彼女がエネルギー変換装置を取られたときの傷は、深い割に『キレイ』だったと…おっしゃっていましたよね?」
ギルモアはためらいながらも、うなずいた。
「その通りじゃ…もちろん、彼は電磁ナイフを使ったわけじゃから、当然と言えば当然じゃが…エネルギー変換装置は実にキレイにもぎ取られておった。よけいな傷もなく…そうでなければ、とても助けることはできなかったじゃろう…だが、009…」
「本当を言うと、僕も…彼女の言葉が正しいと言い切ることはできない。でも、どうせ大した望みのない戦いなら…最後まで、仲間を信じて戦うのが、僕たち00ナンバーらしいやり方だと思う」
「だから、004を信じる…と?」
冷ややかな007のまなざしを受け止め、009は静かに首を振った。
「違う。僕が信じているのは、003だ」
再び沈黙が落ちた。
「…なるほど」
007が薄く笑った。
「心清きわれらが姫君のために命を捨てる…まぁ、悪くはない…な」
「そう…だね」
008もうなずき、009に笑いかけた。
「ありがとう、007、008……みんなは?」
「…ったく、しょうがねえな…!」
「たしかに、どうせ死ぬなら、仲間信じて死んだ方がいいアルね」
「…ああ」
ギルモアも微笑し、腕の中でぐっすり眠っている赤ん坊をのぞき込んだ。
「この子は何か言いたがるかもしれんが…なに、ママの言うことには逆らえんじゃろうて」
「そうと決まったら急がなくては…!発信器に気付かれたのなら、一刻の猶予もないからね」
「O.K!」
008の言葉に、サイボーグたちは素早くシートについた。
操縦桿を握り、009は祈るように目を閉じ、深呼吸した。
「ドルフィン号、発進!」
6
小さな舌打ちを、彼は聞き逃さなかった。
鋭く004を見やった。
003のエネルギー変換装置を手に現れた004を、彼はもとより信用などしていなかった。
むしろ、003…あのおよそ戦士とは思えない少女…しかも仲間である彼女の華奢な体から、それをえぐり取ることのできた「死神」に対して、彼は本能的な嫌悪を感じていた。
上層部の指示がなかったら、その場で殺していた、と思う。
幹部たちは慎重だった。
懐に飛び込んできた004を絶対に傷つけるな、とことん利用しろ、と彼に厳命した。
自分の戦闘力があれば、小細工などしなくても、00ナンバーごとき、いつでも殲滅できると自負していた彼には、実に不本意な命令だった。
醜悪だ、何もかも。
薄汚い裏切りサイボーグ。
こざかしい作戦の数々。
それに唯々諾々と従うより他にない自分。
最強のサイボーグとしての誇りを傷つけられた苛立ちを、彼はとっさに004へと向けた。
「どうした、何が気に入らない、004!?」
004は物憂げに顔を上げ、何の表情もない目で彼を見返した。
「間抜けなヤツだ」
吐き捨てるように言う。
「あいつらと中途半端に戦い、発信器をつけられておめおめ戻ってくるとは」
「…何だと?」
その間抜けな偵察用イルカが帰還して、すでに30分はたっている。
「今度は、俺に行かせろ」
「…なんだと?」
「俺一人でいい。潜水艇をよこせ」
「……」
「なるほど、まだ俺を信じられない…か?それなら、非武装の船でもかまわないが」
「……いや」
彼は鋭い視線をはずさず、首を振った。
「お前がどう思っていようと、00ナンバーどもはお前を殺そうと血眼になっているだろう。せいぜい戦って『手柄』を立ててくるがいい」
わかってるじゃねえか、と004は唇をゆがめて笑った。
7
銃を構えた5人のサイボーグ兵士に取り囲まれ、004は地下のドックへ降りていった。
兵士たちはいずれも極端に緊張していた。
もし004がここで突然攻撃を始めたら…
いずれ「彼」の圧倒的な力で抑え込むことができるとしても、今、これだけ至近距離にいる自分たちは確実に命を落とすだろう。
不意に004が足を止めた。
異様な緊張が走る。
「この基地のドックは、ここだけか?」
氷のような声に、兵士たちの思考は一瞬混乱した。
「答えろ」
「そ…そうだ」
「…ふん」
馬鹿にしたように微笑し、示された潜水艇にむかって歩き始めた004に、兵士たちはほっと肩の力をぬいた。
次の瞬間。
すさまじい爆風に、兵士たちはあっという間に吹き飛ばされた。
彼らが薄れかけた意識で最後にとらえたのは、炎を背に、肘と膝からミサイルを連射する戦闘サイボーグ004の姿だった。
鳴り響くサイレンに駆けつけた彼は、炎の中でなおも破壊を続ける004に、間髪をいれずレーザーを撃ち込んだ。
たちまち膝を折った004に駆け寄り、その頭に銃口を当て、怒鳴る。
「貴様…狂ったか?何のつもりだ!」
004はもう動けない。
更に確実にしとめるなら、そのまま引き金を引けばいいのだ…と思いながらも、彼は底知れぬ不安を感じていた。
既にドックは火の海だった。
しかし、もちろん、この基地全体を脅かすようなダメージではない。
ドックが使えないということは、これからやってくるかもしれない00ナンバーたちを迎え撃つための潜水艇を全て失った…ということであるが、そんなものがなくとも、最強のサイボーグである自分が単身出ていけば何も問題はない。
そもそも、この基地は戦闘用の要塞ではなく、補給基地のようなものなのだ。
こんな攻撃は無意味だ。
それを計算できない004ではない…はずだった。
コイツはきっと何かを企んでいる。
そう直感したものの、それが何であるか、見当がつかなかった。
やがて、004はぽつりとつぶやくように言った。
「狂ったと言えば狂ったようなものか」
「…004?」
「もう少しマシな基地を壊してやりたかったが…時間がなくなっちまった。アイツらにこっちに来られちゃ、元も子もない。残念だが、コレで勘弁してもらうぜ」
いや。
俺の命の相場としては、これが分相応だったのかもしれない。
お前の傷には…小さすぎる戦果だが。
すまなかった、003。
ふっと灰青色の目から光が消えた。
どさり、と仰向けに倒れ、目を閉じ…動かなくなった004を呆然と見つめていた彼は、不意に大きく目を見開いた。
004の腹部から、異様な熱を感じ始めたのだった。
「…っ!」
00ナンバーの膨大なデータが電子頭脳を一瞬のうちに通り抜け、彼は声にならない声を上げた。
原爆…か…!?
時限装置が作動している、残り時間は…!?
すさまじい爆風が全身を打つ。
潜水艇がまたひとつ爆発炎上した。
水の中で、加速装置はその威力を失う。
逃げ切れない。
潜水艇は本当に全滅したのか…!?
慌ただしく辺りを見回そうとした彼を再び烈しい爆風と炎が襲った。
吹き飛ばされ、心臓の辺りに熱い痛みを感じながら、彼は呆然としていた。
おかしい。
なぜ…立っていられない…?
俺ともあろうものが、こんな爆風ごとき…で
落ち着け。
まだ、終わっ…たわ…けでは…ない…落ち…
目の前がふっと暗くなった。
彼の意識は、そこでとぎれた。
8
「004…っ!」
炎の中から飛び出した009は、「彼」の心臓部を撃ち抜き、倒したのを確かめると、加速を解いた。
倒れた「彼」には一瞥も与えず、004に駆け寄る。
「もう、時限装置が動いているのか…!くそ…っ!」
「009…!」
続けて炎をくぐり抜けてきた008は、振り返った009のまなざしに表情を堅くし…しかし、すぐに微笑した。
「心配するな…ってか、してもしょうがないよ、009。こうなったら時限装置を止めるしかない」
008は無駄のない動きで004の防護服を引き裂き、持ってきた電磁メスを取り出した。
「コイツを押さえててくれないか、009…麻酔が効くのを待ってる時間はちょっとなさそうだしね。全力で頼むよ」
すさまじい痛みに、004は思わず叫び声を上げた。
動けない。
カッと目を見開いた。
茶色の澄んだ目が燃えるような光を放って見下ろしている。
「0…09…?」
次の瞬間、全てを理解した004は、声を振り絞り、怒鳴った。
「何をしている…!行け…!」
憤怒が体の奥底から噴き上がる。
全身がバラバラになるような痛みを半ば忘れ、004はもがこうとした。
…が、動けない。
009に押さえつけられ、身動きひとつできなかった。
「早く行け!どうして、なぜお前たち…!」
「…って言われてもね…もう遅いんだよなあ…」
のんびりした口調とは裏腹に、008の黒い額には玉のような汗が浮かんでいた。
「馬鹿野郎っ!お前たちを巻き込んだら、何のために、俺は…!」
「少し黙っててくれないか、004…008の気が散る」
009は004をぴったり押さえつけたまま、静かに言った。
「そうそう、黙ってた方がいい、004…言っておくけど、僕はこんなに機嫌の悪い009を見たことがないよ、無理もないけど。だってさ、君を取り戻すまで帰ってくるなーって、003に言われちゃったんだぜ?」
004は大きく目を見開いた。
声が、震える。
「…生きて…いるんだ、な…?」
009の手に、更に力がこもった。
「当たり前だ」
そうで…なかったら。
今、ここでオマエを。
「…やった、止まったぞ!」
008がふーっと息をつき、額の汗を拭った。
「あと3秒だった!ほら、004…見るかい?」
「……」
答えない004を黙って抱きかかえ、009はゆっくり立ち上がった。
9
月の光が、少女の穏やかな寝顔を優しく照らしている。
乱れかかっている亜麻色の髪をそっとかき上げ、陶器のような額に短い口づけを落としてから、004は粗末なスーツケースを持ち上げた。
足音をたてずに廊下を歩き、玄関を出て…門を開けたところで、004は立ち止まった。
009が道をふさぐように立っていた。
「…どこへ?」
「さあ…な」
「まだ…戦いは終わっていないよ、004」
「もちろんだ。ミッションには参加する」
「この仮研究所…そんなに居心地が悪いかな」
それには答えず、通り過ぎようとする004の肩を、009はつかんだ。
「…離せ」
「行かれると、困る」
「無理するな。八つ裂きにしたいところだろうが」
「うん。でも、しない」
フランソワーズと約束したから…と、009は憂鬱そうにつぶやいた。
「それに、逃げるなんて、卑怯だよ…ちゃんと、彼女に謝ってくれ」
「もちろん、次にミッションで逢ったときには謝る。だが、謝ってすむことではない。これは、ケジメってやつだ」
「ケジメ…?過ちだと認めているなら、二度としない…ってことでいいだろう?」
「二度としない…だと?コドモの約束とは違う。それに、お前にはわかっているだろう…俺は、こういう男だ。もしかしたら、また…」
「二度としない…さ、もちろん」
009は薄く笑った。
「何を怖がっているんだろう、君は?そんな必要ないのに」
「…009」
「フランソワーズは、君を許すよ…いや、彼女は君が裏切ったなんて思っていないし、元から」
「……」
「それに、君がどういう男だとしても、もう二度とこんなことはしない、絶対に…いや。できると、思ってるのかい?」
それきり口を噤み、微笑する009に、004は長い息をついた。
「…わかった。戻ろう」
「ありがとう。手荒な真似をしないですんで嬉しい」
009は004のスーツケースを取った。
「これ以上、フランソワーズに叱られるのは勘弁だからね」
これは、甘えだろうか…?
それとも……
009を追って、ゆっくりと玄関へ向かいながら、004はふと目を閉じて深呼吸した。
そうだ。
俺は二度とこんな真似をしない。
できはしない。
俺がソレを思いついただけでも…
その瞬間に、この少年は俺の命を絶つだろう。
今度は、必ず。
10
004と彼のスーツケースをその寝室に押し込むと、009は003が眠る部屋に向かった。
足音を忍ばせて入り、ベッドの傍らに立ち、優しい寝息に耳を傾ける。
大丈夫。
僕たちは、大丈夫だ。
そうだろう、フランソワーズ?
君がいてくれる。
約束どおり、戻ってきたよ。
アルベルトと一緒に。
早く目覚めてくれ。
君が目覚めてくれれば…
笑ってくれれば、僕たちは…僕は。
人間に、戻れる。
憎しみも消える。
だから。
早く目覚めてくれ。
そして、祈ってくれ。
僕たちを許して。
僕たちの罪の、すべてを。
明日もまた、戦うために。
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