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何故困る

スカーフ
 
いつか、こんなことがあったような気がした。
それとも。
いつか、こうなる気がしていたのかもしれない。
彼が私を見つめ、そして。
 
引き金を、引いた。
 
 
 
「フランソワーズ…フランソワーズ?」
 
思い切り両肩を揺さぶられ、彼女は静かに目を開いた。
心配そうに赤褐色の目が覗き込んでいる。
 
「ごめん…遅くなって…寒かった?」
「……」
 
無言のまま見つめ返す彼女に、彼はますますうろたえた。
 
「本当に…ごめん…ちゃんとした店で待ち合わせすればよかったよね…」
 
碧の目が慌ただしく瞬きする。
 
「やだ…居眠りしてたの?私…」
「フランソワーズ…?」
「ごめんなさい…行きましょう…あ。久しぶりね、ジョー…」
「う、うん…」
 
ベンチからさっと立上がり、そのまますたすた歩き出すフランソワーズを、ジョーは慌てて追いかけた。
 
 
 
包みを広げたフランソワーズは思わず息を呑んだ。
柔らかい絹のスカーフ。
 
「どう…して…?」
 
声が震える。
ジョーは照れくさそうにうつむいたまま言った。
 
「ナリタで、飛行機を待ってるときに見つけたんだ…きみに似合うんじゃないかと思って…」
 
…反応がない。
 
「…フランソワーズ?」
 
そっと顔を上げると…フランソワーズは放心したように膝の上のスカーフを見つめている。
頬は蒼白になっていた。
 
「どう…したんだ?」
 
思わず両肩をつかみ、強く揺さぶると、彼女はハッとジョーを見上げた。
 
 
わかった。
スカーフ…スカーフだったんだわ…!
 
「あの人」は、このスカーフをしていた。
私は…していなかった。
だから、「彼」は、それを見て…私を撃った。
 
 
「どうした…真っ青だよ、フランソワーズ…?気分が悪いのか?」
「…い、いいえ…」
 
ジョーはぼんやりと彼女の視線を追い…スカーフに目を落とし、僅かに表情を曇らせた。
 
「…少し、休んだ方が。」
 
さりげなく彼女の膝からスカーフを取り、サイドテーブルに置く。
…何か、失敗してしまったようだ。
ジョーは胸を締め付けられるような思いに責められていた。
 
そのスカーフは、ブランドに疎い彼でも聞いたことがある、フランスの老舗の品だった。
ごくオーソドックスで、どんな世代の女性にも愛される柄…という、店員の言葉を頼りにもとめた。
彼女の好みなんて、見当もつかなかったし…でも、よく似合うだろうと思った。
 
…だからこそ。
彼女の傷に触れてしまったのかもしれない。
もしかしたら、これと同じモノを、かつて彼女はこの街のどこかで…
 
それ以上考えることに耐えきれず、ジョーはそっとフランソワーズを抱きしめた。
 
「…ごめん」
 
ビクン、とフランソワーズが身を堅くした。
やっぱり…とジョーは唇を噛んだ。
 
でも、これから僕がいるから…ずっと側にいるから。
そう決めたんだ。
きみのそばにいる。もう離さない。
 
…だから、笑って。
 
言葉にはならなかった。
ジョーはやみくもに彼女を抱きしめ、体を重ねていった。
 
「…イヤっ!」
 
不意に、思い切り胸を押し戻された。
驚くジョーを、フランソワーズは怯えきった目で見つめた。
 
 
 
「二つの世界が、衝突する!」
 
誰かが叫んでいる。
絶望の叫び。
 
「早く…っ!」
 
彼が私を見ている。
なんて…苦しそうに。
 
いつか、こんなことがあったような気がした。
それとも。
いつか、こうなる気がしていたのかもしれない。
 
…そうよ。
こうなるってわかってた、私は…ずっと前から。
 
迷わないで、ジョー。
あなたは、あなたのしなければならないことをするのよ。
私は…それでいい。
…いいえ。
 
それが、それこそが私の望みなの!
 
 
「フランソワーズ!」
 
耳元に叫ぶような声がした。
はっと目を開いた。
 
「…ジョー…?」
「どうした…?ひどく、うなされていたよ…」
 
…夢?
 
体が微かに震えている。
なんでもないわ、と言おうとするのに、声が出ない。
そんな彼女をじっと見つめていたジョーが、声を絞り出すようにして言った。
 
「…一緒に、暮らそう」
 
フランソワーズはぼんやりジョーを見た。
まだ、夢の続きなのかもしれない。
 
「帰っておいで…日本に。いや、僕がフランスで暮らしてもいい…もう、これ以上きみと離れていたくない」
「ジョー…」
 
無言のまま瞼を落としかけたフランソワーズを、ジョーは慌てて揺さぶった。
 
「フランソワーズ…聞いてくれ、僕は…」
「ダメ…眠らせて…明日…聞くから…」
「フランソワーズ…!」
 
すうすう寝息を立て始めた恋人に、ジョーは深いため息をついた。
 
 
 
まるで、捨てられた子犬みたい。
そんな目をしないで、ジョー。
 
「私…あなたのこと、好きよ、ジョー…一緒に暮らしていたとき、本当に幸せだった。あなたの言うとおりに…そうできたら…素敵だと思う。でも…」
「…でも?」
「私たち…あまり近くにいない方がいいのよ。」
「どうして?」
 
フランソワーズは黙って首を振った。
 
「…フランソワーズ、僕は…」
「ありがとう…嬉しいわ…本当に嬉しいの…ね、見て…」
 
差し出された白い手が細かく震えている。
 
「おかしいでしょう…?さっきから…こんなに震えて…止まらないの。あなたに…そんな風に言ってもらえるなんて…思ってもみなかった。夢みたい。」
「夢なんかじゃない…!一緒に暮らそう、フランソワーズ…僕は、もう…」
「ジョー…誰か…好きなヒトはいないの…?」
「…え?」
 
ジョーはぼんやりフランソワーズを見返した。
 
「好きなヒト…って…だから、僕は…」
「私の他に……いるでしょう?」
「フランソワーズ?!何言ってるんだよ?…僕の言ったこと、わかってる?」
「わかってる…わ」
「嘘だ…いいよ、それならハッキリ言う…何度でも言うから。きみが好きだ…愛してる、誰よりも…もう、離れていたくない!」
 
フランソワーズはうつむいたまま沈黙している。
ジョーは、体中の血が冷たくなるような感覚に襲われていた。
 
「それなら…せめて教えてくれ、フランソワーズ…どうしてなんだ…?どうして…」
「…ジョー」
 
フランソワーズは途方にくれて、ジョーを見つめた。
どうしてこんなことになってしまったのか…わからない。
やっと、心を決めたのに…
 
1人でパリに帰ってからひたすら考え続けた。
考えて、考えて…出した結論だった。
 
彼も、きっと同意するだろうと思っていた。
 
「…僕たちが、サイボーグだから…?」
 
苦しげな声。
フランソワーズは小さく首を振った。
 
そんな顔をしないで、ジョー。
 
理由は…言えない。
言えば、もっともっとあなたを苦しめてしまう。
 
「私たちはサイボーグで…どんなに離れていても、この世に9人しかいない仲間同士…それだけで、もう十分な絆じゃないかしら…?」
「…フランソワーズ」
「私は…いつも、あなたとつながっているわ…この心は…どんなときも、どこにいても」
「わかってる…わかってるよ、でも…それだけじゃ足りない…もっときみを感じたい…もっと近くにいたい」
 
そんなふうにして。
愛した分だけ苦しみは増えていくんだわ。
いつかあなたはそれを1人で背負わなければならないのに…
 
フランソワーズの脳裏に、あの夢がよぎった。
苦悩に歪んだ彼の表情。
銃口が閃き…そして。
 
「私ね、ジョー…好きな人がいるの」
「…え?」
 
フランソワーズは立上がり、彼に背を向けた。
 
「無駄だって…わかってる…だって、私は…サイボーグだし…ホントはおばあちゃんだし…だから、どうにもならないし…どうするつもりもないわ。でも…でもね」
 
呆然としている彼を振り返り、フランソワーズは静かに言った。
 
「…思い続けるだけなら…私にもできる…それでも…愛したことになると…思うの」
 
 
 
彼に初めてついた嘘。
その代償は大きかったのか、小さかったのか。
 
ジョーからの連絡は完全に途絶えた。
やがて、彼が研究所を出たという報せが入った。
行き先は、ギルモアにもわからないという。
 
わかったところで、連絡する気はなかった。
 
それでも、事が起これば、彼は研究所に戻るだろう。
もちろん、そのときは自分も。
 
それで十分だと、フランソワーズは自分に言い聞かせた。
 
 
「よく似合ってる」
「…え?」
 
彼の青い目が人なつこく瞬いた。
 
「そのスカーフ…君にぴったりだよ…買ったの?」
「いいえ…前に貰ったものなの…ずっとしまっておいたのだけど…」
「前にって…フフ、恋人にかい?」
「…どうだったかしら?…少なくとも、あなたに貰った覚えはないわね、ポール」
 
おどけるフランソワーズの額を、彼は軽く舌打ちしながら小突いた。
 
「痛ァい…!」
「まったく…可愛げがないよなぁ…!行こうか、ちょっとノンビリしすぎたね…午後のレッスンに遅れたら大変だ」
 
さりげなく差し出された腕にさりげなくつかまって、フランソワーズはふと青く高い空を見上げた。
…そのとき。
 
「危ない…!」
 
鋭い声に、ハッと振り返った。
咄嗟に彼を突き飛ばし、地面に転がる。
脇腹をかすめて、一条の光線が枯葉を焦がし、次の瞬間、視界が大きく歪んだ。
 
「フランソワーズ…っ!」
 
…あの声は。
 
振り向くより早く、何かに押さえつけられるような感覚が全身を襲った。
息ができなくなり、視界が大きく歪む。
フランソワーズは懸命にもがいた。
 
「…ジョー…?!」
 
我を忘れて叫ぶのと同時に、ふっと身が軽くなった。
途端に足元がぐらつき、地面に叩き付けられる。
呻きながら身を起こし、顔を上げると…
 
ジョーが、立っていた。
途方に暮れたように呆然と…銃を掴んで。
 
「…ジョー?」
 
すぐ後ろに異様な気配があった。
さっと振り返ると…
 
「…っ!」
 
大きく見開かれた碧の瞳が震えている。
フランソワーズは呆然と、もう1人の自分を見つめた。
 
これ…は…これは、あのときの…夢?
 
 
 
「急げ…!二つの世界が、衝突する…っ!」
 
血を吐くような叫びが降った。
ジョーは弾かれたように顔を上げ、二人のフランソワーズを見つめ…銃を構えた。
 
「…ジョー?」
 
震える声。
自分の声なのか、彼女の声なのか…わからない。
 
…そうよ。
こうなることを、私は知っていた。
 
フランソワーズはまっすぐ顔を上げ、ジョーを見つめた。
 
大丈夫…わかっているから。
迷わないで、ジョー。
 
あなたはこの世界を守らなければならない。
あなたの力を必要とする人達を守らなければならない。
 
私の心は…いつもあなたと同じなのよ。
だから、ジョー。
迷わないで。
 
あなたが命を惜しまないように…私も、惜しみはしない。
私を、信じて…!
 
いつか、こんなことがあったような気がした。
それとも。
いつか、こうなる気がしていたのかもしれない。
彼が私を見つめ、そして。
…引き金を、引いた。
 
かしゃん、と地面に何かが落ちる音がした。
 
ジョーが、銃を取り落とし、立ちつくしている。
もう1人の自分は…消えていた。
 
「…ジョー…!」
 
夢中で駆け寄り、彼の肩を抱いた。
彼は蒼白になり、激しく震えていた。
 
「…フランソワーズ…」
 
氷のように冷たくなった手で彼女を抱きしめ、ジョーは呻いた。
 
 
 
スカーフの柄が違ったから…と、ジョーは説明した。
 
あの出来事の後、すぐ日本に渡った。
始まったのは、未来人との時空を超えた戦い…だが、悲壮な覚悟をもって臨んだ割に、それはあっさりと決着した。
長年にわたり、あらゆる辛酸を嘗め尽くした彼らはサイボーグたち以上に戦いに倦んでいた。
戦わずにすむ方法が見つかるや、そのリスクを省みることなく、彼らは去った。
 
フランソワーズが狙われたのは、彼女が彼らにとって何らかの鍵を握る人物の祖先だったから…なのだという。
首を傾げる彼女に、ジョーは「詳しいことはわからない。でも、彼らはきみを狙っているし、僕はきみを守ろうと思っている」と言うだけだった。
 
あのもうひとりの彼女は、並行世界の自分だったのだという。
ジョーの構えていた銃は、彼女を本来の世界に戻すためのもので…
 
「それじゃ…あの人は…あなたが撃ったもう一人の私は、元の世界に無事に戻れたの…?」
 
たぶん、とジョーは答えた。
理論上ではそういうことになるらしい。
 
「もし…間違えていたら?」
「…どうなったかは…わからない。もちろん、きみは助からないし…その間違いがきっかけで、この世界が崩壊したかもしれない…ってサンジェルマンは言ってたけど。実際はそんなこと、誰もやってみたことがないから、わからない…ってことらしいな」
「そんな…」
 
そんなことをあなたは…選ばなければならなかったのね。
どうして…いつもあなただけがそんなに苦しまなければならないの?
 
ぼんやり考え始めた彼女の表情に気づき、ジョーは素早く言った。
 
「でも、間違いないと思った。きみが…きみだと、僕は思った」
「…ジョー?」
「スカーフを見たから」
「…スカーフ…?」
 
あ、とフランソワーズは小さく声を上げた。
あのとき、彼に贈られたスカーフを首に巻いていた。たしかに。
 
「もうひとりの君もスカーフをしていたけど…柄が違ったんだ」
「…それだけ…?」
「え…?」
「それだけで…選んだの?」
 
ジョーはぎゅっと口を結び、うつむいた。
 
…それだけ、だったらしい。
 
短い沈黙の後、ジョーはつぶやくように言った。
 
「フランスへ…いつ、帰る?」
「…そう…ね。これで終ったのなら…来週ぐらい…かしら?イワンの目が覚めるのを待っていたい気もするし」
「目が覚めたって…すぐにさよならじゃ、イワンが可哀想だよ」
「そう…かしら」
「あの人が…きみの好きな人?」
「え?」
 
唐突な問いに、フランソワーズは思わずジョーをまじまじと見つめた。
赤褐色の目が、射るように見つめている。
 
…あの人。
 
襲われたとき、一緒にいたのは…バレエ仲間の一人だった。
彼が自分に好意を持ってくれているのは知っている。
でも…
 
「…答えられないわ」
「どうして?」
「だって…そんな怖い顔するんですもの」
 
フランソワーズは微笑んだ。
 
 
 
見たことのある風景。
黄色く染まる木々。
パリの散歩道。
 
彼女と彼女と……彼。
僕のしらない青年。
 
二人のきみのうち、どっちがきみなのか…本当に、僕にはわからなかった。
でも、きみは…あのスカーフをしていた。
だから…だから、僕はきみを選んだ。
 
他の道はなかった。
 
僕を忘れて、僕の知らない愛を纏って、僕の知らない人と抱き合うきみ。
それが、この世界だというのか。
僕が受け入れなければならない唯一の世界だというのか。
 
…それなら。
 
僕は決断し、引き金を引いた。
そして。
 
世界は、壊れなかった。
きみが…残った。
あのスカーフを纏ったきみが。
 
 
「…009」
 
暗がりから覚えのある声がする。
ジョーはゆっくり振り返った。
 
「…もう、会うことはないと思っていたけれど…まさか、何か…」
「いや…今のところ順調だ。きみと会うのも、これが最後だろう、009」
 
サンジェルマンは皮肉な笑みを投げた。
 
「最後に…見届けておきたかったのさ…私たちの、未来を」
「…未来は変る。そう信じたのはあなた達じゃなかったのかい?あなたの知っている未来は…もう、この世界の未来ではないのに」
「そうかもしれないな…だが」
 
部屋の隅に転がしてある、荷造りのすんだスーツケースをちらっと見やり、サンジェルマンはまた笑い…ふと表情をひきしめた。
 
「…行くのか」
「ああ」
「そうか。それは、よかった」
「…どうかな?僕は、あなたたちの未来をぶちこわしに…とどめを刺しに行くのかもしれない」
「そうだとしても、立ち止まって動けずいるよりはマシだろう…安心したよ、009……003に、よろしく」
 
忍び笑いの気配が少しずつ薄れていき…消えた。
ジョーは小さく息をつき、静かに窓を開けた。
青白く丸い月。
 
フランソワーズ。
明日、僕はこの空を行く。きみのもとへ。
 
きみの嘘を終らせるため。
僕の嘘も。
 
世界は壊れなかった。
きみが残った。
だから…
 
もう一度、僕は賭ける。
あの…はかない薄い布きれ一枚に。
同じくらいはかない、僕の想いに。
 
どんなにはかなくても、信じられるのはそれだけだから。
他には何もないのだから。
 
きみの嘘を終らせよう。
僕の嘘も。
 
どんなにはかなくても、もう怖れない。
信じられるものはそれしかないから、僕は信じる。
だから…きみも信じて。
怖れないで。
 
もうすぐだ。
次に月を見るときは、きみと一緒だ。
僕が選んだ世界の月を、僕が選んだきみと見上げよう。
 
フランソワーズ。
もう、きみを逃がさない。
 
 
更新日時:
2003.11.09 Sun.
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Last updated: 2013/8/15