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困る記念品

ピアノ・本文
 
「いいのよ…気を遣わなくて」
 
呟くような声に、アルベルトは眉を寄せた。
 
「そんなつもりはないが」
 
フランソワーズは、それきり口を噤んだ。
…泣いているわけではない。
怒っている様子でもない。
 
彼女は、ベランダの手すりに頬杖をついて、暮れていく海岸を眺めていた。
 
「…あいつは…まだ、若すぎる。わかっていないだけだ」
「…何を?」
「オンナってものを」
「そうでしょうね…私にだってわからないんだもの」
「…何が?」
「オンナってもの…美紅さんたちと私と…どこが同じでどこが違うのか…わからない…でも、きっと…全然、違うのよね」
 
黙り込んだアルベルトの頬に、フランソワーズは柔らかいキスを贈った。
 
「ありがとう、アルベルト…大丈夫よ…」
 
 
 
ジョーは、律儀に夕食の時間には帰ってくる。
ほとんど毎日。
 
「夕ご飯、ご馳走してあげればよかったのに」
「う〜ん…でも、向こうも忙しかったみたいなんだ」
 
あ、シチューだ…と、鼻を動かすジョーに、フランソワーズは吹き出した。
 
「いやァね、ジョーったら…子供みたい…!」
「…だって」
 
ちょっと肩をすくめてから、ジョーは、あ、と顔を上げた。
 
「そうだ…!今度、連れてこようかな」
「…え?」
「美紅さん…ウチに来てみたいって言ってたから…君のケーキ、食べたいんだって」
 
フランソワーズは瞬きした。
 
「私の…ケーキ?」
「って言ってるのは、彼女だけじゃないんだけどね……ほら、この前君が焼いてくれたええと…」
「フィナンシェ?」
「うん…それが、すごくおいしかったんだって…」
 
…ってことは。
やっぱり自分じゃ食べなかったのね。
 
フランソワーズのココロの声が聞こえたかのように、ジョーはあわてて弁解した。
 
「あ、僕も…食べたよ、おいしかったよ…もちろん!…でも…その、彼女たちに見つかっちゃって…そしたら…その…わかるだろ?とても逆らえないっていうか…女の子の甘いモノへの執着って…スゴイよね」
 
…はいはい。
仕方ないわ。
ここは笑うところだもの。笑うしかない。
 
「…あんなのでよかったら、いつでも、喜んで…何人くらい来てくれそうなの?」
「う〜ん…3人…かな?」
「楽しみだわ…いい人たちなんでしょう?」
「そりゃあもう…!いつも楽しそうで…かわいい子たちなんだ。きっと、君も好きになるよ」
 
そうね。
あなたがそう言うのなら。
 
 
 
「えぇっ、ピアノ…弾かれるんですか?」
「僕は…ダメだよ…弾けるのは、アルベルトだよね?」
 
…俺に振るな。
 
何の屈託もない、少女たちの視線が集まる。
アルベルトは薄い笑みを浮かべ、立ち上がった。
 
「俺には荷が重いな…一緒に頼む、フラン」
「…え?」
 
ジョーが目を丸くした。
 
「…そんな、ダメよ…あれは…ただのお遊びで…」
「えぇっ、アルヌールさんも弾けるんですか?」
「お願いします…聞きたいです〜!」
 
少女たちに懇望され、フランソワーズは苦笑しながら立ち上がった。
 
「どれにするの…?アルベルト?」
「君が好きなのでいいが」
「そんなこと言ったって…私はそんなに…ブラームスでいい?」
 
楽譜の束から一冊を抜き取り、フランソワーズは首を傾げた。
 
譜面台に楽譜を広げ、フランソワーズが右に、アルベルトが左に座る。
一瞬顔を見合わせ、呼吸を合わせるようにしてから、4つの手が鍵盤の上を躍った。
 
 
 
「…とに、素敵だったわ…」
「え?…ああ、うん…いや…気に入ってくれたなら…よかったけど」
 
少女たちを家の近くまで次々に送り届け。
助手席には美紅だけが残った。
 
「やだ…やっぱり聞いてなかったんですね!あのお二人が素敵だった…って言ったのに」
「…あの…二人?」
「アルヌールさんと、ハインリヒさん…うっとりしちゃいました」
「ああ…さっきの…連弾のこと?」
「ええ…いつもああして弾かれてるんですか?」
「…なのかな…?僕は初めて聞いたけど…彼女も弾けるって知らなかったからちょっとびっくりしたなあ」
「本当に…素敵…なんでもできるんですね、アルヌールさんって…あんなに…優しくて、綺麗で…」
「…うん」
「うらやましいな…シマムラさんが」
 
美紅は、夕焼けを眩しそうに眺めながら、つぶやくように言い…それきり口を噤んだ。
 
 
「…で、あの子たちはつまり、何なんだ?」
「ジョーの熱心なファンなんですって」
「ファンをいちいちココに招待していたら、キリがないだろうに」
「…あの美紅さんっていう人が…ジョーのいた施設の出身…らしいわ」
「幼なじみか?」
「まさか…あ、もちろん、彼女は何も知らないの…だって、ジョーがその施設にいたのは…彼女が生まれるよりずっと前になる…から」
 
…なるほど。
 
「ありがとう、アルベルト…あなたが弾いてくれて、よかったわ…なんだか、家庭って感じがしなかった?一緒に弾いていたとき」
「…家庭、ね…居心地のいい居間、手作りケーキ…おいしいお茶に、仲良し兄妹の連弾…か、なるほど」
「そういう言い方しないで…せっかくありがとう…って言ってるのに」
「俺は何もしちゃいない…ココに少しでも家庭らしいトコロがあるのだとしたら…それはお前のおかげだからな。」
 
何か言いかけて口を噤み、うつむいたフランソワーズに、アルベルトは静かに言った。
 
「もう一曲…つきあってもらおうか」
 
 
 
もう日は暮れている。
ガレージに車を入れ、玄関に向かいかけたとき。
ジョーの耳はその音色を捉えた。
 
…ピアノだ。
 
身体が動かない。
凍り付いたように。
 
やめ…ろ…!
 
さっき言えなかった言葉が…また喉にはりつく。
ジョーは唇を噛み、両手で耳を塞いだ。
何が心を波立てているのか、わからない。
でも…
 
やめろ…やめてくれ、フランソワーズ…頼むから…!
それ以上弾かないで…僕に、聞かせないで…見せないでくれ…!
 
…何を?
 
冷ややかな声が脳裏をよぎる。
同時に、音が…途絶えた。
 
「………っ!」
 
何も考えられなかった。
ジョーは、加速装置のスイッチを噛んだ。
 
 
 
…怖い。
目を開けたくない。
 
目を開けたら…恐ろしいものが見えるような気がする。
たとえば。
 
僕がこの手で殺めた、君の白い…
 
「…っ!」
 
ハッと目を開ける。
 
海岸にいた。
…一人だった。
赤い防護服に身を包んで。
 
 
美紅のコトバが蘇る。
 
「うらやましいな…シマムラさんが」
 
わかるよ、美紅。君の気持ち。
僕もずっとそうだったから。
 
 
そして…僕にはわかってる。
君がそれを手に入れることは、永遠にかなわないってことも。
だって。
それはこの世に一つしかなくて。
 
しかも、僕だけのモノなんだ。
 
 
 
「ずいぶん…上達したな」
「そう…?初めてね、褒めてくれたの」
「そうか?」
 
アルベルトは首を傾げた。
 
「今日は…緊張してたの、ホントは…わかってた?」
「少しは…な」
「でも、よかった…美紅さん、優しそうでかわいいヒトだったわね…安心したわ」
「…安心?」
「ジョー、あまり…傷つかないですめばいいな…って思っていたから」
 
呟くように言いながら、フランソワーズは目を伏せた。
 
「ごめんなさい…イヤミに聞こえる?」
「…いや。だが…」
 
あの娘と何があろうと、あいつは傷ついたりするまいに。
 
「私、自分をごまかしているだけなのかもしれない…傷ついているのは…きっと私なのよね」
「…だろうな」
「そう…思うんだけど…でも…ジョーがつらそうにしていると、私がつらいのか、ジョーがつらいのか…だんだんわからなくなってきて……」
「あいつは…つらい思いなんかしてないさ…少なくとも、今までは」
「アルベルトは、知らないから…!」
「知らないのは、オマエだ…あいつは、いつもちょっとばかり寂しい気分を味わっているだけさ…本当にツライ思いなんぞ、しちゃいない」
 
フランソワーズは寂しく笑った。
 
「みんなが…あなたみたいに強いわけじゃないのに」
 
 
 
彼女のピアノを初めて聞いたのは…半年前。
 
誰にも聞かれていないと思っていた、と彼女はうろたえ…やがて開き直った。
ちゃんと教えてくれ、と俺に頼み込んだ。
引き受けたのは…あまりに寂しそうだったからだ。
その、音色が。
 
ジョーは、海外遠征中だった。
 
教えてみると、筋がいい。
考えてみたら、彼女は…バレリーナだ。
カラダそのものが音楽でできているようなモノで。
 
彼女は、練習しながら…ジョーが帰ってきたら、驚かすのだと笑っていた。
その約束の日は、クリスマス・イブ。
…あいつにしては、なかなか上出来だ。
 
その日。
ギルモア博士は笑いながらコズミ博士の家へ泊まりにいった。イワンも連れて。
頬を染め、彼女は空港に向かった。
あいつを出迎え、俺を送り出すために。
 
だが。
あいつは、来なかった。
そして。
俺は、旅立たなかった。
 
俺たちは初めて…二人でひとつのピアノを弾いた。
 
 
 
最後の音が消えて。
私は…待っていた。いつものように。
 
鍵盤においたままの左手に、彼の手が重なる。
 
ごめんなさい。寂しいの。
こんなこと、いけないことなのに。
でも…もう。
 
振り向こうとした私の頬を、柔らかい革の手袋が包み…引き寄せられる。
いつものように。
 
ごめんなさい…いけないことなのに。
どうして…こんなに優しくしてくれるの?
どうして…
 
あなたが私を抱き寄せるのは…
私が寂しいと思っているときだけ。
 
「音を聞けばわかる」
 
あなたは、いつもそう言う。
笑いながら。
…だから。
弾いてはいけない…いけないの。
 
弾けば、全部わかってしまう…あなたには。
だから…
…いけないのに…
 
 
優しく口づけを繰り返しながら、アルベルトはフランソワーズを椅子からそっと抱き上げ…絨毯の上に横たえた。
胸のボタンをはずし、手を滑り込ませようとしたとき。
ふとその手を掴まれた。
 
フランソワーズは小さく首をふり、アルベルトの革手袋をそっと引き抜いた。
 
「…フラン…?」
「…このまま、触って」
「…冷たいぞ」
「そんなこと…ない…お願い…」
 
あなたの…指は優しいわ。
わかってるから…だから…
 
鋼鉄の指が、柔らかな膨らみを、その頂点を執拗に愛撫し。
やがてなめらかな肌を滑り降り…深くもぐりこむ。
 
細く甘い悲鳴。
 
「…いい声だ」
「いや…!」
 
 
アルベルトはふと目を上げた。
磨き抜かれたピアノの中でもつれ合う男と女。
 
男…というより、ロボットだ。
鋼鉄の化け物が、少女を組み敷き、犯している。
 
「見ないで…!」
 
悲痛な声に、アルベルトは腕の中の少女を見た。
青い瞳に涙が浮かんでいた。
 
「…そんなこと…考えない…で…私…私…は…!」
 
息も絶え絶えになりながら、少女は懸命に訴える。
 
…なぜ、わかった…?
 
突然、燃えるような愛しさが全身を灼いた。
アルベルトは、フランソワーズを物狂おしく抱き寄せ、貫いた。
 
渡さない…誰にも渡さない。
アイツを見つめ続けるなら…それでいい。
アイツを見つめるお前の背中を、俺は抱きしめる。
 
見つめ続けるがいい。
いつまでも。
愛し続けるがいい。
この腕の中で。
 
俺に抱かれて、お前は歌う。
この世で一番哀しい旋律を。
 
どこまでも美しく、透明な愛の旋律を。
 
「あ…あぁ…っ…!」
 
泣き叫ぶような声を上げかけたフランソワーズの口を、咄嗟に塞いだ。
鋼鉄の手の中で、柔らかい唇が震える。
喉からほとばしるその名を、アルベルトは塞ぎ続けた。
 
ジョー…ジョー、ジョー…!!!
 
そうだ…叫べ、力の限り。
ここでしか…こうすることでしか、叫べぬ名だというのなら。
 
いつか、アイツが俺の息の根を止め、お前を奪うまで。
 
 
10
 
目を開けると、心配そうな茶色の瞳が覗き込んでいた。
 
「…フランソワーズ…?」
 
エンジン音…風を切る微かな音。
 
ドルフィン号…?
飛んでいる…のね。
…それじゃ。
 
「研究所…は?」
 
ジョーは寂しく首を振った。
 
「いつものこと…だよ…君が無事で、よかった…本当に」
「…燃えてしまったの…?」
「…うん。みんなで見送ったよ。こんなことがしたくて、久しぶりに集まったわけじゃなかったのにね…いや、集まったりしたのがいけなかったのかな…」
 
また…戦いが始まる。
それは、いつも突然で。
容赦なくて。
 
でも…これで、しばらく…何も考えなくてすむ。
このヒトのこと…それから。
 
「どうして、あんな無茶をしたんだ?」
「…あんな…?」
 
ぼんやり記憶をたどる。
そうだわ。
 
「君は、何を…取りに行きたかったの?」
「…そうじゃ…ないの…取りに行ったんじゃ…ないわ…ただ」
 
…ただ。
爆撃が始まって…逃げようとしたときに、それが吹き飛ばされてきた。
私の前をひらひら飛んでいく一枚の儚い紙切れ。
アルベルトが、レッスンのとき細かい書き込みをしてくれた、楽譜の切れ端。
 
「取りに行こうとしたんじゃないの…ただ…つい、追いかけてしまって」
 
…そう。
炎の中へ、それが舞うように飛び込んで…
あの人の書いた文字が、みるみる燃えていくのを見て。
つい、手を伸ばしてしまった。追いかけてしまった。
何も、考えてはいなかった。
 
次の瞬間、凄まじい音と光に包まれて…
私は意識を失った。
 
いけない、と思いながら…でも、助けられたのはわかっていた。
最後の瞬間、強い腕を…感じたから。
 
 
「どこか…痛む?」
「え…う、ううん…なんでもない…わ…」
「……」
 
ジョーは優しくフランソワーズを抱き寄せた。
 
「え…?」
 
そっと顎を持ち上げられる。
呆然としているうちに、唇が重ねられた。
 
…ジョー…?!
 
やがて。
そっと唇を離し…ジョーはふっと苦笑した。
 
「ごめん…驚いた?」
「……」
「…泣かないで」
 
そう言われ、また抱き寄せられて…フランソワーズは自分が涙を浮かべていたことに気付いた。
 
「泣かないで…きっと、君を守るから…それで、戦いが終ったら…また、新しい家を作ろう…一緒に暮すんだ」
「…ジョー」
「君の好きなもの…みんな取り戻そう…ピアノも」
「…え?」
 
ジョーは微笑んで、繰り返した。
 
「ピアノ…弾いてくれるだろう…?」
 
フランソワーズはハッと我に返った。
烈しく鳴り始めた胸を押えながら、ドルフィン号の隅々を透視し、音を捉える。
 
張々湖とグレートが、キッチンで働いている。
ピュンマとジェロニモは博士と司令室に…イワンは眠っている。
…ジェットは。
 
ジェットは、身じろぎもせず、窓の外を見つめていた。
外は…どこまでも続く、漆黒の闇。
 
フランソワーズは大きく目を見開き、ジョーを見上げた。
茶色の瞳が限りない優しさをこめ、見つめ返している。
 
どうして、そんな顔をするの?
いや…教えて、ジョー…!
 
アルベルト…は?
 
…声が、出ない。
震えるフランソワーズをジョーは再び強く抱きしめ、その耳に囁いた。
 
「弾いて…くれるよね…?」
 
彼も、そう望んでる、きっと。
…いや。
望んでいないかもしれないけど。
 
何か言いかけたフランソワーズの唇を、もう一度優しいキスで塞ぐ。
何も言わなくていいんだ…君は。
何も。
 
ただ、弾いてくれればいい。
今度は、僕のために。
 
僕だけの…ために。
 
更新日時:
2003.01.23 Thu.
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Last updated: 2013/8/18