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  7   天敵
 
 
甲子園出場時のイシノモリ高校野球部の宿舎は、いつも決まっている。
バスが到着すると、玄関にはショートカットの美しい女性が立っていて、にこやかに部員たちを出迎えた。
 
「ようこそ、『伯林館』へ!…待ってたわよ、みんな!」
「ヒルダさん!また世話になるぜ!」
 
大きく両手を広げたジェットの両頬に軽くキスを送ると、ヒルダはハインリヒを振り返った。
 
「しばらくね、監督さん」
「…どういう、ことだ?」
「どういう…って?」
 
なんとなく辺りを見回すハインリヒに、ヒルダはくす、と笑った。
 
「ああ…ごめんなさいね。母はちょっと腰を痛めていて…今、病院なの。そんなわけで、この旅館も今年で代替わりよ…イシノモリ野球部と同じね」
「な!…なんだと、それじゃ、まさか君がこの宿を…」
「そういうこと。みなさん、よろしくお願いします」
「待て!聞いていないぞ、そんな話は!」
「お話する必要…あったかしら?」
「もちろんだ!…冗談じゃない、この大事なときに大事な選手達を君に任せろというのか?」
「……なによ、その言い方」
 
きり、と眉を上げたヒルダの表情に、ジェットは咄嗟に後ずさり、ピュンマもジョーも凍り付いたように立ちつくした。
が、ハインリヒはひるまなかった。
 
「俺が、今年もここに世話になると決めたのは、これまでの君のご母堂の手腕を信頼してのことだ!君を信頼してたわけじゃない!」
「そう…?なら、たった今から信頼していただくわ。それしかないものね」
「…なんだと?」
 
ジョーがこっそり、しかし素早くピュンマをつっつく。
ピュンマは、無言でうなずき、今にもヒルダにつかみかかろうという勢いのハインリヒにイキナリ話しかけた。
 
「監督、張々湖がどこに食材を運んだらいいかって聞いているんですが」
「…食材?」
「まあ、張大人!会いたかったわ…!」
「ヨッホー、ヒルダさん、相変わらず美人アルねえ!」
「それ、全部食べ物なの?さすがねえ……冷蔵庫に入れた方がいいのかしら?」
「これはその必要ないネ。冷蔵モノは明日届くアル」
「ふふっ、楽しみだわ…でも、今日の晩ご飯だけは私に任せてね」
「はいな!腕、上げたアルか〜?」
「もちろんよ…ああ、ごめんなさい、みんな…そんなところに立たせてしまって…さあ、入ってちょうだい…カギはコレよ、ピュンマくん、あとはよろしくね」
「はい、ありがとうございます」
「それから、監督さん、これがアナタの部屋の…」
「……」
 
無言でひったくるようにカギを受け取り、そのまま歩き出したハインリヒに、ヒルダはぎゅっと唇をかんだ。
 
「何よ!返事ぐらいしたらどうなの、監督さん!」
「俺は、君の監督じゃない」
「まあっ!」
 
ピュンマはすばやく部員たちにカギを配り、そそくさとその場から離脱した。
そのすぐ後をジョーとイワンが追いかけ、さらに張々湖が続く。
 
「…やれやれ」
「ホント……どうしていつもああなんだろう?」
「まあ、なんとかなるね!だいじょぶ、監督はん、機嫌は悪くても調子はよくなるアルからして…」
「ねえ、どういうこと?なんであの人、監督とケンカしてるの?」
 
怪訝そうなイワンに、ピュンマはただ肩をすくめてみせた。
イワンはそうっと振り返り、また首を傾げた。
 
「ヒルダさん…だっけ。すごくキレイで優しそうで素敵なお姉さんなのになあ……」
「イワン!」
「え?」
 
不意に厳しい声で遮られ、イワンは驚いてピュンマを見上げた。
 
「それ以上言うな」
「え…でも」
「うん、言わない方がいいと思うよ、イワン」
「ジョーまで。どうして?僕、ヒルダさんを褒めようとしただけなのに。いけないの?」
「いけない…ってわけじゃない…けど」
 
ジョーは口ごもった。うまく説明できない。
でも、とにかく、ハインリヒの前でむやみにヒルダさんの話をしてはいけないのだった。
 
それは、二年前、イシノモリ高校が初めてこの宿に世話になったとき…ハインリヒもヒルダも高校生だったときから、なんとなく部員の間で暗黙の了解となったことだった。
もっとも、ジェットだけはその辺の呼吸が感じ取れないらしく、たびたび失敗している。
今日のコレだって、考えてみたら引き金は彼だったのかもしれないわけで。
 
「でも、今までより難しいんじゃないか、ピュンマ?…ヒルダさんがここの若女将になって、監督は監督…なわけだから。ずーっと二人が口をきかないわけにはいかないだろうし…大丈夫かなあ?」
「大丈夫…だと思うよ。ってか、そうじゃないと困る」
 
ピュンマはなんとか笑おうとしてみせた。
 
 
※※※
 
夕食のメインはコロッケだった。
 
「たくさん食べてね、みんな…!」
 
ヒルダはお代わりを積み上げた大皿を抱え、機嫌よく部員たちの間を回っていた。
 
「うーん、うまい!そうそう、これが『伯林館』のコロッケだ…!」
「ありがとう、ピュンマくん…もう少しいかが?」
「はい、それじゃ、遠慮なく」
「ジョーくんは?」
「ありがとう、いただきます……これって、全部ヒルダさんが作ったんですか?」
「そうよ。今までも、コロッケは私が作っていたの」
「へえ、そうだったんだ…!」
 
部員たちと次々に談笑しながら、ヒルダはさりげなくハインリヒの皿の上にもコロッケを3つばかり転がしていった。
ハインリヒはぎゅっと口を引き結び……が、何も言わなかった。
 
「ホント、おいしかったアル…私もこの味だけは出せないねぇ、くやしいヨ…明日からは、私もじゃんじゃんおいしいもの作らないとね、負けてられないアル!」
「…おいおい、張大人、君はココに野球しにきたんだぜ?」
「あ、そうだったアル、忘れてたね!」
 
どっと笑い声が起きる。
そのときだった。
 
ただ一人、仏頂面のままだったハインリヒが、いきなり立ち上がった。
途端に、水を打ったように席が静まりかえる。
沈黙の中をハインリヒはずんずん歩き、部屋を出ようとしていたヒルダの前に立った。
 
「…アルベルト?」
 
ハインリヒは、きょとん、と見上げるヒルダの手から、大皿をひったくるように奪い、その上に2つだけ残されていたコロッケを立て続けにつまみ上げ、口に入れてしまった。
 
「食い物を無駄にするな」
「……」
「…ピュンマ!」
「は、はい!」
 
思わず立ち上がってしまったピュンマに、ハインリヒはニコリともせずに言った。
 
「9時からミーティングだ。時間厳守だ」


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