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  8   イシノモリ・スタイル
 
 
「なんだ、フランソワーズさん、こんなところにいたんですか?」
 
片耳にイヤホンをつけたフランソワーズがびくっと振り向く。
グレート医師は思わず苦笑した。
 
「みんな、騒いでましたぜ…ジョーくん、大活躍じゃないですか。ご母堂はどこに行ったんだ…ってね」
「…あ」
 
うつむくフランソワーズの指先が微かに震えているのをグレート医師は見逃さなかった。さりげなくイヤホンを取り上げ、手を貸してベンチから立ち上がらせる。
 
「さあ、ロビーに行きましょうや。みんな、心を合わせてジョーくんを応援してる…あなたもこんな所にいるより、その方がきっと勇気が出るでしょう」
「あ…ありがとう…ございます」
 
フランソワーズは小さくうなずいた。
 
甲子園第二回戦。
イシノモリ高校は少々苦戦していた。
 
相手は初出場のモーゼ学院。
それほど強い県の代表ではなかったため、ほとんどノーマークだった。
が、どこがどう強い、というわけではないものの、選手たちの個性が際だつチームで、特にエースの獅子頭投手の全く読めない球筋に、ジョーたちは手を焼いていた。
それでもピュンマだけは毎回ヒットを飛ばしていたが、ホームランには至らず、得点ができていなかった。
 
一方、ジョーも初回から調子がよく、得点を許してはいない。
彼の仕上がりから、前半はイシノモリ楽勝、というムードだったのだが、そういうわけで双方点が全く入らない。
そして、その状態がずるずる続いた9回の表、ついにジョーはその日初めてのフォアボールを先頭打者に与えてしまったのだった。
続く打者は当然のようにきっちりとバントを決め、一死二塁。
 
グレートに引きずられるようにして、大きなテレビが備え付けてあるロビーに入ったフランソワーズは、鋭い打球音に小さく声を上げ、立ちすくんだ。
ロビーで息をつめて画面に見入っていた患者たちからも悲鳴のような声が一斉に上がった。
 
モーゼ学院の4番打者、アリゲーター選手が、ジョーの甘く入ったスライダーを鮮やかに打ち返したのだった。
 
 
※※※
 
 
「…しまった!」
 
ジョーはハッと振り返った。
投げた瞬間、マズイ、とわかっていた。
 
自分の精神状態が少しずつ揺らいでいるのを、ジョーはよく自覚していた。
ピュンマがそれを気遣ってくれている…のもわかった。
が、回を重ねるにつれ、決め手にかける試合展開に、どうしても苛立ちが募っていく。
 
神経戦のようになってしまった試合だったが、モーゼ学院はソレを狙っていたわけではなさそうで、要するに成り行きでそういうことになってしまった…としか言いようがない。
とすると、勝たなければならないのは言うまでもないが、今後の試合を考えると、こういう攻撃に自分たちが弱い、ということを見せるわけにもいかないのだった。
それもジョーの焦りにつながっていた。
 
ピュンマは繰り返し、
 
「何も考えず、ただ俺のミットをめがけて投げろ」
 
とジョーに告げた。
それはかなり有効なアドバイスだった…が、さすがに限界がある。
9回の表、ジョーはついに先頭打者を歩かせ、バントを決められ、続く4番打者にもファールで粘られた末、甘く入った球をジャストミートされてしまったのだった。
……が。
 
「…アウトォーーっ!!!!」
 
大歓声が球場を揺るがした。
 
振り返ったまま、あっけにとられているジョーの前で、セカンドの張々湖がぽんぽん、とゴムまりのようにはねまくっている。
彼のミットには、しっかりとボールが収まっていた。
 
アリゲーター選手が放った痛烈なライナーはジョーの頭上を越えたものの、跳び上がった張々湖にダイレクトキャッチされ、思わず飛び出してしまった二塁走者も、慌てて戻ろうとしたものの、続けてアウト。
ダブルプレーだった。
 
「信っじられません!こんなことがあるのでしょうか?!張々湖選手、なんというファインプレー!!!」
 
絶叫するアナウンサーの声がふと遠のく。
ふらっとバランスを崩しかけたフランソワーズを、グレート医師は慌てて支え、思わずつぶやいた。
 
「なんなんだ、アレ…!あんな丸っこいトロそうな体で、雑伎団みたいなプレーだな…」
「あ!島村くんのお母さんですよね…!」
「待っていたんですよ、いいところにいらっしゃった!」
「この勢いでサヨナラと行きましょう!ほら、ジョーくんが出てきましたよ!」
 
興奮気味に次々と寄せられる声援に、フランソワーズはほうっと息をつき、ゆっくりと頭を下げた。
9回の裏、先頭バッターはジョーだった。
 
 
※※※
 
 
「よっしゃー!よくやった、ジョー!」
 
セーフティバントを決めたジョーに、ジェットが吠え、勢いよくバットを振り回した。
 
「ジェット!…監督から伝言だ」
「…うん?」
 
怪訝そうに振り返った彼に、ピュンマはにっと笑った。
 
「思い切り振ってこい。ジョーを楽にホームインさせてやれ、だってさ」
「…ふふん。わかってきたじゃねえか、新米監督さんもよ」
 
ジェットはにやり、と笑うと更に勢いよくバットを振り、悠々とボックスへ向かった。
苦笑しながらその後ろ姿を見送り、ピュンマはちらっとベンチを振り返ってから、一塁のジョーに素早くサインを送った。
 
「…ジョーは、もつと思うか?」
 
ベンチに戻ると、ハインリヒが低い声で尋ねる。
ピュンマはしっかりとうなずいた。
 
「あいつは、こういうときほど強くなるヤツですから。でも、この回で決めましょう」
「ジェットはんが予定どおり豪快に三振してくれれば、ジョーはんがその間に盗塁しはって、ワイがフォアボールをとって…」
「そして、僕がサヨナラヒット?…ふふっ、悪いね、ピュンマ」
「まあ、そうだな…思い切りやってこいよ、イワン。駄目なら俺が決めるからさ」
 
軽口をたたき合う選手たちを横目でちらっと眺め、ハインリヒは僅かに唇をゆがめた。
そううまくいくはずはない。
実際、ここまでそうはいっていないわけで……
 
「やった!いいぞ、ジョー!」
 
ピュンマが叫んだ。
大歓声の中、二塁へ飛び込んだジョーがゆっくり立ち上がる。
盗塁成功だ。
…で。
 
もちろん、ジェットは豪快に空振りしていた。
ワンストライク、ノーボール。
 
「初球から盗塁とは、何焦ってるんだ、ジョーのヤツ。そんな小細工しなくとも、俺様のホームランで歩いて戻ってこれるものを…」
 
ジェットは小さく舌打ちした。
 
「ジョーっ!目障りなんだよ、ちょろちょろするんじゃねえっ!」
 
バットで鋭く二塁を指しながら、ジェットは叫んだ。
思わず二塁を振り返り、ちらっとジョーをとらえると、獅子頭投手は軽く頭を振ってセットポジションをとった。
わけがわからないが、ジェット・リンクについては考えすぎない方がいい、というのがデータからわかっている。
 
ジェット・リンクはわけのわからない選手として恐れられていた。
運動能力はずばぬけて高い。
が、呆れるほど不器用な所もある。
 
ファーストの守備については、無難な選手だったが、問題は打撃だった。
すさまじいスイングをもつ彼は、バットにボールが当たりさえすれば、9割以上の確率でホームランにしてしまう。
が、いつそのバットにボールが当たるのかが、誰にもわからない。
 
三振か、ホームラン。
それがジェット・リンクだった。
 
そして、彼は、信じられないが、いわゆるど真ん中の絶好球を打つことができないらしい。
少なくとも、そういう球を彼が打った、ということは一度もない。
彼がホームランにするのは、きまってボール球、それも結構極端な…普通ならバットに当てるのも難しいだろう、という球ばかりなのだった。
とにかく、統計ではそういうことになっている。
 
そういうわけで、ジェット・リンクにボール球を投げてはいけない。
彼と勝負するならど真ん中の絶好球のみ。
それは、全国の高校に知れ渡っていた。
 
モーションに入った獅子頭投手は、背後でジョーが風のように動く気配を察した。
が、振り返って牽制球を投げるには遅い。
やられた、と思った。
 
二球目を空振りし、勢い余って倒れ込んだジェット・リンクは、大歓声の中で起き上がり、思わず歯ぎしりした。
ジョーが三塁にいる。
 
「てめーっ!ジョー、ふざけやがってーーーっ!」
 
 
※※※
 
 
「やったアル!…これで次のワイがスクイズ決めて終わりアルよ!」
 
はねている張々湖を振り返り、ジェットは怒鳴った。
 
「スクイズ、だとぉーっ?そんなチンタラした真似で勝つつもりなのかよっ!」
「いいから、あんさんはおとなしく三振するヨロシ!」
「なんだと、この…っ!」
 
そのときだった。
タイムがかかった。
 
ピュンマが走り寄り、ジェットを呼ぶと、短く耳打ちをする。
一瞬目をむいたジェットは、ちらっと張々湖を見、獅子頭投手を睨み、ジョーを振り返り……そして、うなずくと、バッターボックスに戻った。
次の瞬間。
 
甲子園は、低くどよめいた。
ジェット・リンクが、バントの構えをとったのだった。
 
「す、スクイズ……っ?ジェット・リンクが…か?」
 
獅子頭投手は思わずプレートを外し、味方ベンチをちらっとうかがった。
が、ベンチもあっけにとられた様子だ。
捕手のアリゲーターがすかさずマウンドに駆け寄ってくる。
 
「…おい、どういうことだ?」
「わからん…が、気にするな。アイツにバントができるもんか」
「…だよな」
「とにかく、あと一球だ。ど真ん中に決めろ。まず確実にアウト一つ。本当の勝負はこの後だぜ」
「あ、ああ」
 
獅子頭投手は軽く深呼吸し、構え直した。
ジェットはバントの構えのままだ。
コレでど真ん中に投げるのはひどく勇気がいる…が、ジェット・リンクを確実に討ち取るならコレしかない。統計上は。
だが、もちろん、ジェット・リンクのバントなど、統計にはどこにも…
 
迷いを振り切り、モーションに入った瞬間、獅子頭は驚愕した。
ジョーが勢いよく三塁を蹴り、ダッシュしたのだった。
ジェットはまさにど真ん中にバットを寝かせ、構えている。
 
「うわああああああっ!!!!!」
 
それは投手の反射神経だった。
はっと気づいたとき、既にボールは手を離れていた。
 
「ウエストっ?…ばか、獅子頭…っ!」
 
素早く立ち上がりながら思わず呻いたアリゲーターの声は、勝ち誇ったジェットの雄叫びにかき消された。
 
「絶好球〜〜っ!もらったああああああっ!!!!」
 
ジェットは飛び上がり、空中で、音速とも言われる鋭いスイングをボールに叩き付けた。
ボールが弾丸のように跳び去った次の瞬間、ジョーがすさまじい砂埃とともに、ホームにヘッドスライディングで飛び込んだ。
 
「ほ…ホームスチール……?いえ、違います、え、ええと…ホームラン!…ジェット・リンク、サヨナラホームランですっ!!!!」
 
スタンドに消えたボールを見送り、ジェットは悠然と足元のジョーを見下ろした。
 
「…ジェット…ありがとう!」
「…ったく。何ぜーぜー走ってやがるんだ、可愛げのないヤツだぜ…まあ、そこでゆっくり休んでろって」
 
ジェットがゆったりと一塁に向かって走り出すと、同時にベンチからピュンマたちが飛び出してきた。
泥だらけになったジョーを抱えるように起こし、背中をたたき合って歓喜する仲間達を、ジェットは微笑しつつ見守った。
 
「二試合目の最後でようやく一本たぁ……俺もヤキが回ったぜ」
 
 
※※※
 
 
「ねえねえ、あれってどういうことだったのよ、監督さん?」
「どうもこうも…見てたのならわかるだろう、アイツらのわけのわからなさはな」
「…もう!そうやって取材陣はだませても、私はだませなくてよ…ねえ、ジェットくんにスクイズの構えをさせて、ジョーくんをぎりぎり戻れるところまで走らせて、ウエストを誘い、ジェットくんにホームランを打たせる……全部、作戦だったんでしょ、あなたの…それともピュンマくんの?」
 
ハインリヒはわざとらしく溜息をつき、ヒルダを見上げた。
 
「それより、メシはまだなのか?」
「ちゃんと用意してます…もちろんコロッケも」
「……」
 
たしかに、厨房からはいい匂いがしている。
張々湖も帰ってシャワーを浴びるなり、厨房に駆け込んでいたようだったし。
 
「相変わらずスゴイ子たちよねえ…ぞくぞくしたわ」
「そんなややこしい真似なんぞしなくとも、フツウにやっていれば、とりあえず勝てたはずなんだがな…」
「ふふ、そうかもしれないわね…でも、そうならないのがイシノモリ・スタイルの面白い所…なんでしょ、監督さん?」
「…あのな。ちょっと静かにしていてくれないか?」
「だって監督さん、ヒマそうなんですもん」
「そのヒマが欲しいんだ」
「…はぁーい」
 
ヒルダは肩をすくめると、新聞をがさがさ広げるハインリヒの後ろ姿に小さく顔をしかめてみせた。
 
 
※※※
 
 
短いやりとりのあと、携帯を閉じ、ふと幸福そうに微笑すると、ジョーはジェットを振り返った。
 
「ジェット。君に、よくお礼を言ってくれ…って言われたよ、母さんに」
「…ふん。ま、いつもどおりにやっただけだがな、俺は」
「ジョー、肘の調子はどうだ?」
「うん…悪くない。でも、少し休めるのはありがたいな…延長にならなかったのも」
「ああ。まあ、ゆっくり休んでおけよ…悪かったな、今日は…お前を楽にしてやれなかった、最後の最後まで」
「楽に勝とうなんて、僕は思ったことないよ、ピュンマ」
「そうか……そうだな」
 
ピュンマは静かにうなずいた。
明日はヨミ高校の試合がある。前評判では、ヨミの楽勝と言われている。
 
抽選の結果、イシノモリ高校とヨミ高校は決勝戦で対決することとなっている。
とにかく、そこまで進まなければ話にならない。しかし……
 
「…アポロン、か」
 
ベランダに出て、ピュンマは一人つぶやいた。
彼と対峙するその日まで、ジョーの体力が…そして、右腕がどこまでもつか。
自分たちがしなければならないのは、ただ勝つことだけではない。どれだけジョーを消耗させずに決勝戦にもっていくかも重要な課題だった。
ジョー自身はそんなことを考えるはずもない。だからこそ、それはピュンマが考えなければならないことだった。
 
アポロン。宿命のライバル。
彼と戦うとき、ジョーを万全のコンディションにしておきたい。
それが、俺の仕事だ、とピュンマは繰り返し自分に言い聞かせていた。


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