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  9   アクセルボード
 
 
「伯林館」の前につけたバスから降り、玄関に入るまでのわずかの間に、全員がずぶぬれにな っていた。
雨は、それほど激しくなっている。
 
「お疲れさま!…まあ、タイヘン…!冷えてしまうといけないわ、お風呂をわかしてあるから お入りなさい」
「ありがとうございます、ヒルダさん……監督?」
 
堅く唇を結んだまま、ハインリヒはピュンマの問いかけに目だけで応えた。
 
「みんな、用意のできた者から風呂にいってくれ。順番は気にするな」
「おう!」
「了解アル〜!」
「…ジョー。オマエはちょっと急げよ」
「わかってる。ありがとう、ピュンマ」
 
イシノモリ高校は、順調に勝ち進み、今日は準決勝第2試合を戦うはずだった。
が、台風接近で天候が急速に悪化し、試合は順延となった。
一方、ヨミ高校は、少しずつ烈しさを増す風雨の中で第一試合を戦い終え、圧倒的な強さで決 勝進出を決めていた。
 
この順延。
運がいいのか、悪いのか…。
 
ピュンマは風呂場へとゆっくり歩きながら、考え続けた。
 
ジョーの調子は悪くない。3回戦も準々決勝も危なげなく戦い終えた。
が、やはり連投の疲れは否めない。
そう思えば、1日休めるのはありがたいのだが…
決勝のことまで考えると、逆にアポロンをこれで1日休ませることになってしまうのだ。
 
「…ん?」
 
脱衣場に入るなり、ピュンマは首を傾げた。
外にスリッパが3人分。
中にいるのが3人。
数は合っているのだが……
 
「どうかしましたか、ピュンマ先輩?」
「…いや。ジョーは?」
「見てないです…けど」
 
イワンは首を傾げ、しばらく目を閉じ…やがて、大きく目を見開くと、言った。
 
「ふふ…脱走、したんじゃないかな?」
「…イワン?」
「ジョー先輩、得意でしょ、そういうの」
「どこへ?!」
「たぶん、室内練習場。今日は空いてるから。……でも、ただのカンですよ、ピュンマ先輩」
「…上等だ!」
 
ピュンマは玄関へと駆け出した。ジョーの靴がないのを確かめ、傘をつかんで飛び出す。
「室内練習場」とは、伯林館から歩いて5分ほどの私立小学校だった。
イシノモリ高校は、その体育館を夜間のトレーニングに使わせてもらっている。
もちろん普段の昼間は小学生が使っているが、今日は……
 
「あ、あの…すみません、イシノモリ高校の者ですが…」
「やあ、ご苦労さん。君もかい?」
「…っ!は、はい。体育館を…」
「熱心だねえ…いいけど、あまり無理をするなよ」
「はい。ありがとうございます!」
 
すっかり顔なじみになった守衛の、人の良さそうな笑顔に、ピュンマはイワンの「カン」が正しかったことを確信した。
 
 
 
「ジョーっ!」
 
怒気を帯びた声に、ジョーは驚いて振り返り、苦笑した。
 
「ピュンマ…早いなあ」
「何を考えているんだ、オマエ?…誰が練習しろ、と言った?」
「言わなかった…かな?」
「…戻るぞ」
「だからさ。つまり…体を温めればいいんだろう?」
「ジョー」
「だったら…風呂なんかより、こっちの方が手っ取り早いし、有意義だ」
「そう判断するのは、オマエじゃないんだが?」
「うん、そうだったね。たしかに僕じゃない……君、だ」
「……」
「で?……判断しろよ、ピュンマ」
「…ったく!」
 
ピュンマは大きく深呼吸すると、放り出すように置いてあったジョーのバッグから、キャッチャーミットを取り出した。
 
「ずいぶんと用意がいいじゃないか」
「とりあえず、君が怒鳴り込みにくるんだろうと思ったからね…この嵐の中、取りに帰すのも悪いし」
「それは、親切なことで…だが、シューズがないぜ?」
「必要ないさ。僕さえちゃんと投げれば、君の場合、座ったままほんの少しも動かなくていいんだから」
「…言ってろよ!」
 
ピュンマはミットをはめ、静かに膝をつき、キャッチングの構えをとった。
 
「軽く、だ…わかってるな?」
「わかってるよ…この足場だしね」
 
ぱん、と軽い音を立ててボールがミットに吸い込まれる。
無言のまま投げ返す。
そう繰り返しているうちに、ハインリヒ言うところの「手に負えない頑固者」が少しずつその姿を消していくのを、ピュンマは確かめていた。
 
まったく…オマエってやつは。
 
 
 
2人は、黙々と投球練習を続けた。
ジョーの調子は少しずつ上がっている。が、それをピークまでもっていくと、無駄に疲れさせてしまうだろう。もうそろそろだな…とピュンマは判断し、立ち上がった。
 
「ジョー!」
 
返事の代わりに、前髪の間から視線を僅かにのぞかせたジョーに、ピュンマは右手を大きく開いてみせた。
 
「あと五球だ!それで、上がるぞ」
「…もう?」
「俺の言うことがきけないなら、監督に話してもらうけど、いいのかい?…今日は時間がたっぷりあるんだぜ」
「うわ。…わかったよ」
 
ジョーは小さく肩をすくめ、柔らかく笑った。
投げ返されたボールを握り直し、ふーっと息を吐く。
 
「俺の構えたトコロにきっちり投げろ。球種は任せる」
「…了解」
 
1球目は、外角低めの直球。
2球目は、内角低めの直球。
3球目は、外にゆるく曲がるカーブ。
4球目は、外から食い込むシュート。
 
ボールはまるで磁石で引き付けられているかのように、ピュンマのミットに吸い込まれた。
始めにジョーが言ったとおり、ミットを動かす必要などなかったし、動かす気もない。
…そして。
 
4球目を返し、悠然と座り直しながら、ピュンマはミットをど真ん中に据えた。
その目が笑っているのに気づき、ジョーも声を立てずに笑った。
グローブの中で静かにボールを持ち替え、深呼吸する。
 
これが、最後の一球。
 
「…っ?!」
 
鈍い音を立てて、ボールはミットに吸い込まれた。
が、そのまま固まったように動かないピュンマに、ジョーはまた苦笑した。
 
「…終わったよ、ピュンマ」
「……」
「帰るんだろ?…風呂、だっけ」
「…ジョー」
「ヒルダさんにバレちゃったかな。僕たちが脱走…」
「ジョー!」
「……」
「…なんだ、今の球は」
「ど真ん中さ。きれいに入ったろ?」
「そうじゃない!」
「なんだよ。…球種は任せるって、言ったよね」
「球種?球種だと?!…フザけるな!」
「それはこっちのセリフだよ、ピュンマ。君、なぜ…あんなトコロに構えたんだい?」
「…何?」
 
ジョーはピュンマからキャッチャーミットを取り上げ、バッグにしまいながら低く言った。
 
「相手は、ヨミのヤツらだ」
「……」
「君があそこに投げろというのなら、ああするしかない。勝つためには」
「ジョー、オマエ…!」
「さ、帰ろう…ヒルダさん、忙しくしてるだろうから…僕たちもご飯の用意、手伝った方がいいかな…あ、張大人が張り切ってれば必要ないか」
 
ジョーが傘を広げたのに気づき、ピュンマは慌てて彼の後を追った。
雨風は来たときよりもその勢いを増していた…はずだったが、何も感じられない。
ピュンマは、今受け止めたジョーの最後の球…その軌跡を何度もたどり続けていた。
 
封印したんじゃなかったのか。
ジョー、オマエは……俺に誓ったはずだ!
 
叫びは声にならない。
ピュンマは、ただジョーの背中を睨み続けた。
 
いや。
そうじゃない。
俺は…本当は、わかっていたんじゃないのか?
 
あんな誓いに、意味などないということを。
わかっていて…俺は何食わぬ顔で、オマエをここまで連れてきた。
そういう、こと…なのか。
 
「すまない…ジョー」
 
つぶやきは雨音に消え、彼の背中には届かない。
それでいいのだとピュンマは思う。
 
彼は、謝られることを、決して望まないから。
 
 
 
「私に面会…ですか?」
「ええ。でも、見たことのない女の子で…もし、ただのジョーくんのファンだったりしたら、ご迷惑でしょうから…どうしますか?」
「…ヘレン…と名乗られたんですね」
「ええ…」
「それなら…心当たりがあります。大丈夫です」
「そう、ですか…?」
 
にっこりうなずくフランソワーズに、看護婦もつられて微笑し、病室を出て行った。
やがて、ドアがノックされ…ほっそりとした少女が、おずおずと中をのぞくようにする。
 
「どうぞ…ヘレンさん、ですね…ジョーがよく話していたお嬢さん…かしら」
「…あ」
 
少女は弾かれたように顔を上げ、フランソワーズを見つめ…深く一礼した。
 
「はじめ…まして。私、ヘレンといいます…あの…ヨミ高校のボグートの、妹…です」
「はじめまして。フランソワーズです…いつも息子と仲良くしてくださってありがとう…ちょっと難しい子でしょう…?申し訳ありません」
「そ…そんな!…そんな…こと」
「ヨミ高校の…なら、ずいぶん遠い所をいらしてくださったのね…甲子園へ応援にはいらっしゃらないの?」
「…はい。私…あの、謝り…たくて」
「え…?」
「どうしても…謝りたくて。去年の…ことです」
「ヘレンさん?」
「きっと、ご存じでしょう…?私は、ジョーを、苦しめました」
「……」
「私のせいで、ジョーは…!苦しんで…もう少しで野球を失いそうになるまで苦しんで…!私が、私さえいなければ…彼に、会わなければ!」
「…いいえ」
「え…?」
「あの子は、そうは言っていなかったわ…ヘレンさん」
 
大きく見開かれた黒い瞳から、涙がとめどなくこぼれる。
手を伸ばして、それをそうっとぬぐってやりながら、フランソワーズは微笑した。
 
「あなたに会えて、あの子はとても幸せだったの…それでね、あなたが苦しんでいるのではないかと…いつも心配していたのよ」
 
 
 
「アクセルボード、だと?」
 
ハインリヒは鋭くピュンマを見つめた。
ピュンマは唇を噛み、うなずいた。
 
「…なるほど、な…まあ、投げ方を忘れたりは…しないだろうからな」
「申し訳ありません、監督…俺が…彼を追い詰めたんだと思います」
「そんなことはないだろう。まあ…アイツは、そういうヤツだからな。自分を責めるな、ピュンマ。追い詰めたというのなら…俺だって同じだ」
「…監督」
「投げたのは、一球だけか?」
「はい」
「…ったく。この一年、さんざん苦労しただろうに…相変わらず、手に負えない頑固者…だったというわけだ」
「…申し訳ありません」
「オマエが謝ることじゃないと言ってるだろうが」
 
ハインリヒは大きく息をつき、うつむいたままのピュンマの肩を軽くたたくと、窓を見やった。
台風のピークは過ぎつつあるということだったが、雨はまだ降り止まない。
 
「それにしても、なんで『アクセルボード』なんだろうな?」
「ボールが…まるで加速したように見えるからじゃ、ないでしょうか」
「ふむ。…いや、俺が言いたいのは…そう見える、とわかるのはバッターボックスに立ったヤツだけだろうに…ってことなのさ…まあ、どうでもいいがな」
「…ヨミ高校の連中が…そんな名前つけるとは思えませんよね…じゃ、ウチの誰かが…」
 
真剣に考え込み始めたピュンマに、ハインリヒは微笑した。
 
「ま、考えてみろ…誰が言い始めたのかわかったら、俺に教えろ」
「へ?…監督?」
「バカ。頭を冷やせ…ってことだ」
「…あ!」
 
ピュンマはハッと顔を上げ、大きく深呼吸した。
すっと体の力が抜け…こんなに緊張していたのか、と我ながら驚く。
 
「いいか、うろたえるな。ジョーだって馬鹿じゃない。いや、かなり馬鹿ではあるが…あの球をむやみに使ったらどうなるか、わからないヤツではないだろう…現に、ここまで、どんなに苦しい場面でも、アイツはあの球を使わなかった」
「…はい。でも、それは…」
「そうか。どうだ、明日の試合…負けておくか?」
「…は?」
 
ハインリヒはにやり、と笑った。
 
「ヨミと戦うときだけだろうからな。アイツが封印を解く時が来るとしたら」
「…監督!」
「とにかく、考えすぎるな。あの球のことは忘れていろ」
「…わかりました。ありがとうございます」
 
一礼し、部屋を出て行こうとして、ピュンマはふと振り返った。
 
「やっぱり、『アクセルボード』と言い出したのは、ウチのヤツらじゃないと思いますよ、監督。センスが違いすぎます」
「…うん?」
「だって、ウチは『秘打・青椒牛肉絲』って芸風ですからね!」
 
ばたん、とドアが閉まる。
ハインリヒは思わず肩をすくめた。
 
「そうだった…な」
 
そういうことだ、ジョー。
1人で背負おうとするな。
悲劇のヒーローになる必要などない。
 
いや、なれはしないさ。
お前には、いつもあの奇妙な…素晴らしいヤツらがついているんだからな。
ヤツらほど悲劇から遠い連中など、この世にはいないだろう。
 
そして、それこそが、イシノモリであり…俺たちの最後の強さなのだ。
忘れるなよ、ジョー。
それさえ忘れなければ、俺たちはどんな敵にも必ず勝てるのだから。
 
必ず…必ず、だ。


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