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  6   遠く近い明日(2008)
 
寝台の下にはきなれた靴があってね
それでまた起き上る気になったのさ今朝
全く時間てのは時計にそっくりだね
飽きもせずよく動いてくれるもんだよ
 
話題を変えよう
 
雑草の上を風が吹いてゆくよ
見尽した風景をぼくはふたたび見ている
 
話題って変わりにくいな
 
谷川俊太郎「10 チャーリー・ブラウンに倣って」(『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』より)
 
 
 
荷物が届いている、と連絡を受け、ピュンマは首を傾げた。
 
日本から帰ったのが一昨日。
今度のミッションはそう長引かず、とりあえず出しておいた休暇届の日数にうまく収まったので、彼はいたって気楽な気分で職場に戻った。
 
とはいえ、もちろん、それなりに不在中の仕事は溜まっている。
昨日はてんてこまいの1日を過ごし、山のような郵便物の整理もこなしていたのだ。
 
どうせなら昨日までに届いてくれていたらよかったのになあ…などと思いながら受け取りにいったソレは、日本から発送されていて…差出人は。
 
「…フランソワーズ?」
 
ピュンマは眉を寄せた。
どういうことだろう、と慌てて携帯電話を取り出したところで日本との時差を思い出した。
 
何慌ててるんだ、僕は…落ち着いて考えろよ。
ホラ見ろ、これは船便じゃないか…ということは、発送されたのは数週間前で。
 
思わずカレンダーを振り返ると、ちょうど出勤してきた事務員の女性と目があった。
彼女は、軽くウィンクしながら笑顔で言った。
 
「おはようございます……誕生日おめでとう、ピュンマ!」
「…え?」
 
 
 
パトロールの途中で、なんとなくジープを降りた。
日は暮れかけている。
静かな平原をゆっくり歩きながら、ここは変わらないなあ…と、不意に思う。
空も、風も、風景も。
 
いや、変わっているはずだ。
ミッションをくぐり抜けるといつも実感する。全てのモノは変わる…と。
ヒトの手が加われば、なおさらにその速度を速めて。
 
変わらないものなんかない。
ここでは、ただその速度が遅いだけだ。おそらくは、ヒトから遠い地であるがゆえに。
もし、僕が百年前にここを見ていたら…その記憶があれば、ああ、変わったなあ…と思ったりするのかもしれない。
…いや。
僕達はタイムマシンでもない限り、1日1日を重ねて生きていくしかない。
それなら。
 
昨日の次の今日が重なって、その末の百年であるのなら、その遠い未来でやっぱり僕は思うのかもしれない。
何も、変わらないなあ…と。
 
フランソワーズから送られてきた「バースデープレゼント」は、スイス製のアーミーナイフだった。
仕事柄、ピュンマは同じようなモノをいくつも持っている。彼女がそれをしらないはずもない。
が、よく見るとソレは、彼が持っているそれらと比べると飛び抜けて上等なモノだということがすぐわかった。相当使いでがありそうだ。ありがたい。
 
…でも。
 
でも、と、やはり考えてしまう。
彼女がいつも仲間に贈るモノというと、もっと…なんというか。
女の子っぽい、というか。
 
一番多いのは衣類。
それから、ちょっとしたアクセサリーとか。
 
アーミーナイフは武器ではないが、彼女の選択としては珍しい。
「日常」の「仕事」で使用するようなモノについて、彼女が手なり口なりを出してくることはほとんどなかった…と思う。
それはピュンマに対してだけでなく、仲間全員に…もちろん、ジョーに対してもだ。
 
数週間前。
おそらくは、今回のミッションの気配すらまだ無かった頃。
彼女は何を思い、なぜこれを僕のために選んだのか。
 
「虫の知らせ…というヤツだったのかな」
 
思わずつぶやいてしまってから、ピュンマはハッとした。
誰にも聞かれていないことを急いで確かめ…周囲に人はいないとわかっていても…大きな音で手を数回打ち鳴らした。
 
不吉なことを考え、口にしてしまったとき、それが現実にならないように…という、彼がコドモの頃教えられたまじないだった。
 
 
 
誕生日おめでとう、と、ジョーはあまり明瞭といえない電話越しの声でも、それとわかるほど照れくさそうに告げ、ついでのように、さっきフランソワーズが目を覚ました…と付け加えた。
 
「そうか…よかった。その知らせが何よりのプレゼントだよ。彼女にそう伝えておいてくれ」
「うん。あのさ。…フランソワーズ、贈り物が君のところにちゃんと届いかどうか、すごく心配していたけど…」
「はは、大丈夫。今日受け取ったよ…とても気に入った、ありがとう…って、それもちゃんと伝えてくれよな」
「わかった。……ありがとう、ピュンマ」
「こっちこそ。それじゃ、フランソワーズによろしく」
 
受話器を置き、思わず長い息をつく。
 
よかった。
 
全ては変わってゆく。
でも、それはきっととてもゆっくりで。
結局何も変わらないように見えることに、僕は時に苛立ちを覚えたりもする。
 
それでも、変わらないからやりすごせることだってある。
僕達は今、また、ひとつやりすごしたんだ。
 
だから、ジョー……早く忘れてしまおう。
彼女はそこにいる。
何も変わらない。
変わらないのは素晴らしいことだ。
 
…そうだろう?
 
 
 
研究所のソレよりはかなり寝心地の悪いベッドに寝ころんだ。
狭い部屋だから、そのまま手を伸ばせば、デスクに届く。
例のナイフを探り当て、目の前で開いてみる。
 
窓から差し込む月の光を受けた刃は、つめたく美しい。
が、じっと見つめているうちに、いつのまにか、この缶切り使いやすそうだな、などとぼんやり考えていた自分に気づき、ピュンマは苦く笑った。
 
そういう、ことなのかい、フランソワーズ?
たしかに僕達は戦士だけど…ゴハンも食べれば風呂にも入る。
というか、そうやってる時間の方が圧倒的に長いよね。
 
目が覚めたのなら…それをジョーにも話してやるといい。
大した慰めにはならないかもしれないけれど。
でも、結局あのヒドイ顔のまま、彼は張大人の料理をちゃんと食べていたし、ジェロニモに引きずられて君から離され、ベッドに放り込まれたときにはちゃんと眠ったんだ。
やっぱり、ヒドイ寝顔だったけどね。
 
きっとそんなものなんだろう。
僕達は、呆れるほどしたたかで。
 
そして、彼が言ったこともまた本当だ。
僕達は、呆れるほど儚い。
 
フランソワーズ。
ジョーはまだ、あのヒドイ顔のままでいるかな。
今回、君が負った傷は、それほど重くはなかった。僕達にしてはね。
でも…どうしてだろう、今回に限って、彼は気づいてしまった…みたいなんだ。
 
あの思いに。
遠い昔…家族の亡骸を前にしたとき、僕が思い知った、アレに。
 
 
 
「こんなに…簡単、に…っ…!」
 
ギルモアの処置を受け、眠り続けるフランソワーズの傍らで、ジョーは堅く拳を握りしめ、烈しく体を震わせていた。
重い傷ではない、大丈夫だと仲間達が何度説明しても、その震えは止まらない。
彼は、熱に浮かされたようにただ繰り返した。
 
こんなに簡単に…こんなに……と。
 
何百回死力を尽くして守り通したとしても、一度…ただ一度の失敗で全ては失われる。
が、それは戦いの中で、彼らが既に何度も思い知ったことだ。
それに気づいていないリーダーではないはずだった。
 
ついでに言うなら、今回の003の負傷は「失敗」というほどのこともない。
ミッションは実に速やかに…予定通り、滞りなく遂行されたのだ。
めったにないほど、順調に。
 
たしかに、全員が完全に無傷ですむならそれに超したことはないが、それは過ぎた願いになるのだろう。
そういうわけで、今回は彼女がちょっとした貧乏くじを引く羽目になった。
それだけのことだ。
 
それなのに…いや、それだからこそ、ジョーは震え続けていたのかもしれない。
 
別れは突然に来る。
前触れがあるとは限らない。
どんなに完璧に戦ったとしても。どんなにたやすいミッションの中であっても。
…いや。
 
実は、戦いなどなかったとしても、別れは来るのだ。
それは突然に…あっけないほど、たやすく訪れる。
どんな強い力も、強い思いも、それを妨げることはできない。
 
恐ろしい。
恐ろしいよな、ジョー。
…でも。
 
君は恐怖に震えながら、それでも食事をし、眠ったんだ。
そのことも忘れてはいけないよ。
それもまた、本当のことなのだから。
 
 
 
数日後。
そろそろいいだろう…と研究所に電話をかけると、思った通り、フランソワーズの明るい声に迎えられた。
プレゼントの礼を言い、もう大丈夫かと問うと、これもまた思った通り、彼女は幸福そうな笑い声で応えた。
 
「コレが、君の形見にならなくてよかったよ」
 
ピュンマは胸の奥によどんでいた不吉な思いをさりげなく吐き…それが、綺麗に彼女の笑いの中に紛れ消えていくのを感じ取りながら、満足していた。
 
これで、僕はしばらく忘れていられる。
たぶん、今、ジョーがそうであるように。
 
君がくれた日常の中に、僕はゆっくりと帰っていく。
永遠に変わらないように思える、うんざりするほど退屈な…毎日の中に。
 
時は進み、そのときはよどみなく近づき続ける。
逃げることなどできない。
それでも、僕たちは幸福でいられる。
 
「そうだわ…遅くなってしまってごめんなさい。お誕生日おめでとう、ピュンマ」
「…ありがとう」
 
ありがとう。
どうにも変わりようのない、一年に一度のおきまりの祝辞。
でも、やっぱり嬉しいよ、フランソワーズ。
 
僕はそうやって生きて行けたらいいと思ってる。
毎日同じ草を食み、水を飲み、歩きつづけるあの動物たちのように。
変わらない日々を繰り返し、変わらないことに安堵し、退屈したりもして。
いつかくる「終わり」について考えることなどなく。
 
 
受話器を静かに置くと、ピュンマは手の中でもてあそんでいたナイフをポケットに入れ、帽子をかぶった。
いつものパトロールの時間が近づいていた。


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