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  4   ピュンマさま003と遊ぶ
 
 
全身の感覚を研ぎ澄まして、潮の動きをとらえる。
波に逆らわず、密やかに泳いだ。
 
「……っ!」
「捕まえた」
「008……」
「なあ、何度やっても同じさ、フランソワーズ……わかっただろう?もう、いい加減に帰らないか?」
「……」
「弱ったな……それじゃ、せめて水面に出よう。ほら、ここまで月あかりが届いている。今日は見事な満月だ」
「……イヤ」
「酸素ボンベを無駄遣いするのはよくないな。いざというとき、もたなくなるぜ」
「もう、戦いは終わったもの」
「それはそうだが」
「つきあってくれるって、言ったじゃない」
「やれやれ……わかったよ。でも、あと1回だけだ。君は疲れているはずなんだからね」
「……ごめんなさい」
 
――でも、まだ帰りたくないの。
 
そう、聞こえたような気がした。
 
 
ピュンマが、ドルフィン号の停泊する夜の海で静かに泳ぐフランソワーズを見つけたのは、月があまりに美しかったから……だった。
そうでなければ、海を眺めてみようと外に出てみることなどなく、他の仲間と同様、キャビンでぐっすり眠り込んでいただろう。
ようやくミッションが終了し、息をつくことができた夜だったのだから。
そして、彼女が防護服を着ていなければ、追いかけることもなかったはずだ。
 
まさか、何かを探知したのか?と焦った。
が、すぐ思い直した。それなら、1人でこっそり動いたりするはずはない。
 
彼女がどれだけ周囲に警戒を払っていたのかはわからない。
が、こと海中であれば、ホンキになった自分を探知することは、たとえ003であってもできないだろうと、ピュンマは自負していた。
思ったとおり、後ろから軽く肩をたたくと、フランソワーズは仰天し、うろたえ、パニックに陥りかけた。
 
それが悔しかったのかもしれない。
相手がピュンマであることを認め、すぐさま落ち着きをとりもどすと、彼女はいきなり「かくれんぼ」をしよう、と言い出したのだ。
一旦距離をおいてから、相手を探しつつ、自分の場所は隠しつつ、近づいていく。
気づかれる前に相手に触れることができれば、勝ち。
 
なんだか疲れそうな遊びだなあ…と思ったものの、イヤだ、ということはできなかった。
フランソワーズがひどく真剣で、ひどく脆く見えたからだ。
 
ちょっと考えると、003が圧倒的に有利なように思える遊びだが、実際はそうでもない。
水中では彼女の耳はほとんど使えないし、体に伝わるわずかな水圧の変化、波の動きを感じ取るのはピュンマの方がはるかに長けている。さらに移動能力を言えば、比較にならない。
そんなわけで、何度試みても、ピュンマの勝利で終わるのだった。
 
結局、最後の1回もピュンマの勝利で終わった。
別に急いで帰らなくてもいいから、とにかくかくれんぼはもうよそうじゃないか、と提案すると、案外素直にフランソワーズはうなずいた。
もしかしたら、本当に酸素ボンベが限界に近づいていたのかもしれない。
さりげなく手を貸してやりながら、ゆっくり浮かび上がり、海面に出ると、眩しいまでの月の光を浴びた。
 
「……明るいわ」
 
ふと、フランソワーズがつぶやく。
ピュンマはうなずいた。
本当に、見事な満月だ。
 
「ずいぶん……遠くまできてしまったのね」
「そうだな。でも、ドルフィンの位置がわからないほどじゃないだろう?」
「ええ……なんだか、くたびれちゃった」
「おいおい、だから言ったのに……」
「……きれい」
 
フランソワーズはまるで草原に寝ころんでいるかのように波に身を任せ、空を見つめていた。
ピュンマもそれを真似た。
 
「不思議……空にうかんでいるみたい……ううん、どこにいるのかわからなくなってしまいそう」
「……ああ」
「あなたは……よくこうすることがあるの?」
 
ピュンマは空を見上げたまま、笑って首を振った。
 
「それは無理だよ、フランソワーズ」
「どうして?」
「ひとりで、こんなことはできない……怖いよ」
「……」
 
長い沈黙の後、フランソワーズはそうね、と小さく言った。
溜息のような声だった。
 
「かくれんぼだって、探してくれる人がいると信じているからできるんだ」
「……」
「だから、ひとりで、こんな夜、こんな海に出て行ってはいけない」
「……」
「いいかい、フランソワーズ?」
 
返事はない。
が、波がわずかに揺れ、彼女がうなずいたのだということをピュンマは知った。
何があったのか、わからない……けれど、何かがあったのだ。
このミッションの中で、それとも……
 
「つきあわせてしまってごめんなさい、008……帰らなくちゃ、いけないわね」
「……いや」
「え…?」
 
ピュンマは笑って、こめかみを指さしてみせた。
 
「君……今、回線切ってるだろ?」
「……」
「ああ、入れなくていいよ……うるさいからね」
「……」
「ついさっきから緊急シグナルが入りっぱなしだ……009だな。ちょっと『見て』ごらん」
 
素早く遠くを見るまなざしになったフランソワーズの頬がみるみる染まった。
ピュンマはのんびりと言った。
 
「エライ見幕だろ?……今戻ったら絶対殴られる。たぶん、僕だけだろうけど」
「あ……」
「まあ、もう少しのんびりしていようよ……あと10分もしたら、怒りはおさまって心配になってくるだろう。で、15分後には君の無事な姿を見ただけで何も言えなくなるはずだから、その辺を見計らって戻る。ただし、それ以上放置しておくと今度は探しに来るだろう……って、もう来やがった!」
 
思わず舌打ちするピュンマに僅かに身を寄せ、フランソワーズは不安そうに彼を見上げた。
ピュンマは一瞬迷い……それから、不敵に笑った。
 
「酸素、まだ少しはもつだろ、フランソワーズ?」
「え?…どうするの、008?」
「もう一勝負、かくれんぼだ。……君にも協力してもらう」
「……008!」
 
ピュンマはフランソワーズを抱きかかえると、静かに、素早く潜水を始めた。
海の中なら、009が相手でも負ける気はしない。
 
悪いな、ジョー。
だが、もう少し彼女に時間をやってくれ。
君ならすぐ気づいてしまうだろうから。
ぬれた彼女の髪に、睫毛に、頬に……海のものではない、あたたかな飛沫が混ざっていることに。
そう、ただ抱きしめることだけが守ることではないと、僕は思う。
 
彼女だってひとりなんだ。
僕たちが……君が、そうであるように。
 


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