仮設キカイダー

誓い(下)
 
ジローがまた姿を消した。
今度は黙って。
 
不安にならないと言えば嘘だったが、彼がどこで何をしていようと、自分にはどうすることもできないのだ…とミツコは知っていた。
それに、信じてもいた。
彼に「ジェミニィ」があるかぎり、何があろうとも彼が「悪」をなすはずはない、と。
 
彼が必ず帰ってくることも、ミツコにはわかっていた。
それがいつになるかは…わからないとしても。
 
念のため、マサルに電話をしておくことにした。
ジローはその気になれば、マサルの所へ行くこともできるはずだから。
 
弟と話すのは久しぶりだった。
誰にも言えない不安は、思いの外、心を圧迫していたのかもしれない。
ミツコは、やや饒舌になっていた。
ついでのように、ジローが「うなされる」ことがある…ということをもらすと、マサルはふっと沈黙した。
 
「…マサル?どうしたの?」
「姉さん。ジローは…夢を見ているのかな。何か…辛い夢を」
「わからないわ…手がかりも見つからない…それに、ジローはそのときのことを覚えていないって…」
「覚えていない…って言ってるのか。」
「…え?」
 
マサルが静かに言う。
 
「ねえ、姉さん…今のジローは、『嘘』がつけるんじゃなかったかい?」
「嘘…?」
「覚えていないって…きっと嘘だよ。ジローは、夢を見ているんだ。たぶん…悲しい夢を。あんまり悲しいから、話したくないから…いや、違うな。きっと、姉さんを悲しませたくなくて、ジローは嘘をつくんだ」
 
まさか…でも。
 
「でも…そうだとしたら…そうだとしても、どうすれば…いいの?ジローが夢を見ているのだとして…それをどうやって」
「…うん。そうだね」
 
受話器に溜息が伝わってくる。
マサルは消え入るように言った。
 
「僕たちは…あのころと同じだ。そうじゃないか、姉さん?僕たちは、ジローに、何もしてあげられないんだ」
 
 
 
「ミツコ…さん?」
 
驚いて振り向いたジローを、ミツコは厳しいまなざしで見つめた。
 
「びっくりした…どうして」
「それは、私が聞きたいことよ」
「…ミツコさん」
 
ジローはうつむいた。
 
「どうして、僕がここに…いると、わかった?」
「あなたは…何も言わなかったから」
「…え?」
 
ミツコはわずかに表情を和らげ、静かに言った。
 
「何も言わずに出ていったのは…そこにいることを、私に知られたくないから。あなたがそう思う場所はたくさんあるんでしょうけれど…私が知っているのはココだけなの」
「……」
 
ミツコはジローに替わって、小さな石の前にしゃがみこんだ。
花を手向け、線香をたき、手を合わせる。
 
木菟寺は、風天和尚の死後、荒れ果てていた。
和尚自身の墓も、粗末なものだった。
 
「あなた、ずっとここにいたのね…和尚さまとお話…していたの?」
 
ジローはまたうつむくと、小さく首を振った。
 
「死んでしまったヒトと、話はできない…」
 
 
木菟寺の本堂は、掃き清められていた。
壊れた場所も、素人らしいやり方ではあったが、修繕されている。
 
「きれいにしたのね…あなたが?」
「うん…でも、僕はあんまり…器用じゃなくて」
「あなたは…ここで、イチローと出会ったのね」
「……」
「父が作った…あなたの兄さん」
「ちょっと乱暴なところもあって、困ったけど…いい兄さんだった」
「…そう」
「僕たち、ケンカをしたこともあったんだよ」
 
ジローはわずかに目を細めるようにした。
 
「リエコさんが僕たちのどっちを好きなのか、なんて…兄さん、ムキになってた」
「彼女も…ロボットだったのよ…ね」
「…うん」
 
ミツコはしばらく唇を噛むようにしていた…が、ぱっと顔を上げ、素早く言った。
 
「私も…ロボットを作ろうかしら」
「…え?」
「父のようには無理だし…いつになるかもわからないけれど、作れたらいい。あなたのような…優しいロボット。戦うためではなくて…そう、風天和尚さまがおっしゃっていた…力に見合う「心」をもったロボットを」
「ミツコさん…?」
 
ジローはじっとミツコを見つめた。
 
「どうして、そんなことを?」
「……」
「ミツコさん、もしかしたら、僕の…ため?」
「……」
「だったら、その必要はない」
「ジロー?」
 
ジローは微笑した。
 
「ロボットも…いつかは壊れる。人間と、同じだよ…ミツコさん」
 
 
 
ジローは、研究所に戻らなかった。
「友達」との約束があるから、と駅でミツコと別れた。
必ずまた帰る、と言って。
 
ひとり地下に降り、ジローのいた部屋の電子ロックを解除し、ライトをつける。
 
今度は…いつ、帰ってくるのかしら。
必ず…って、いつ?
 
ミツコは重い息をついた。
 
そして、それまで…あなたはひとりで夢にうなされて…苦しむんだわ。
決して忘れることのできない悲しみ。
 
いいえ。
それは、ここにいても同じ。
私は、あなたに何もしてあげられない…今も。
 
違う。
それだけじゃないわ。
次にあなたが帰ってくるとき。
 
明日?来月?来年?それとも…
 
私は…どんな姿であなたを迎えるのかしら?
ううん、迎えられるのなら…まだ。
 
目を閉じると、ジローの微笑がよみがえった。
 
「心配しないで、ミツコさん」
 
嘘をついて、ごめん。
本当は、僕は夢をみていた。
 
兄さんの夢。
零の夢。
リエコさんや、ミエコさん…みんなと暮らした、短かかったあのころ。
 
僕がピリオドを打った。
僕が…みんなをだまして、殺した。
 
とても、苦しい。
とても、悲しい…でも。
 
ミツコさん、僕は、忘れたくない。
 
兄さんのこと。
零のこと。
リエコさんや、ミエコさんのこと。
僕は、ずっと覚えていたい。
 
…ミツコさんのことも。
 
「…でも!ジロー!!」
 
ミツコは冷たいコンクリートの床に座り込んだ。
叫びが、壁に跳ね返される。
 
「私は、あなたを覚えていられない!私は、消えてしまうのよ、あなたよりずっと早く!」
 
思い切り両拳を床にたたき付ける。
何度も、何度も。
 
「私は、何もできないの…?あなたに…また新しい悲しみを教えて…それで、終わらなければならないの?」
 
ジロー。
私は。
 
「あなたを…愛している…のに」
 
涙がこぼれた。
 
 
 
マサルは、久しぶりに逢った姉に、以前と違う生気が宿っているのを不審に思った。
 
「元気そうだね、姉さん」
「ええ」
「姉さんのこと、聞かれたよ。あの論文、ずいぶん評判よかったんだね…これからの研究を楽しみにしているって、いろんな人に言われた…けど」
 
ミツコは黙ってただ微笑を返した。
それは、まるで。
 
なんとなく胸が騒ぎ、マサルは用心深く姉を見つめた。
 
「学会を全部退会したって…本当なの?」
「…ええ」
「どうして?」
「忙しくて…」
 
あ、とマサルは声をあげそうになった。
そうだ。
この表情。
 
ずっと昔、僕がまだ子供だったころ。
母さんが死んで、父さんは研究にかかりきりで…
僕は、いつも姉さんと一緒だった。
 
あのころの…姉さんの顔だ。
 
「忙しい…って…何が、そんなに…」
「研究所にね…いろいろ、手を加えているの」
「研究所…?」
 
ミツコはまた微笑した。
 
「ジローが、いつかひとりで…あそこで暮らせるように」
 
やらなければならないことは、いくらでもある。
メンテナンス用機器の整備・改良。
膨大な資料の整理。
 
「ジローもかなりの解析能力を持っているけど…でも、元になるシステムを自分で作ることはできないわ」
「……」
「今、一番困っているのは…耐久性の問題ね」
「耐久性…?」
「ジローが自分で研究してくれればいいのだけど…たぶん、彼はそうしないでしょう…自分のためには、何も」
「…姉さん」
「半永久的に機能することができる研究所…それを、作り上げなければいけないの」
 
そうよ、ジロー。
人は…いつか死ぬ。
ロボットも…いつかは壊れる。
…でも。
 
あなたが覚えているかぎり、苦しんでいるかぎり、あなたの兄弟は消えない。
私も、マサルも…消えることはない。
 
そして、ジロー。
私が消えた後も、あなたの中に私が生きるというのなら。
私は、私の愛を宿らせるわ。
この、研究所に。
 
あなたが、機械の体に心を宿しているのなら。
私にも、きっとできる。
 
あなたが、私たちのために永遠に苦しみ続けるというのなら。
私は、その苦しみを終わらせないために。
永遠に終わらせないために。
 
「姉さん、でも、ジローは…今、どこに…」
 
言いかけて、マサルは口をつぐんだ。
ミツコには、きっとわかっているのだと思った。
 
 
だから、あなたは帰ってくる。
だから、私はあなたを迎える。
 
いつまでも…いつまでも。
 

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Last updated: 2006/8/7