14      銀の鎖
 
 まばゆい光の後現れた、薄紫の肌と憂いを帯びた黒い瞳を持つ……美しい、しかし異形の女。自分はどこかでこの女に会ったことがあると、アルベルト・ハインリヒはふと思った。が、なぜそう思ったのかは、わからなかった。
「009!」
 女の喜びの声に、アルベルトは、はっと我に返った。自分がいつのまにか、引き寄せられるように女へと歩み寄っていたことに気づいたのだ。何事にも慎重を期すのが自分……サイボーグ004だったはず。それが戦闘中であれば、まして、敵か味方かもわからない者を前にしているときなら、なおのことだ。それなのに。
――なんだ、 この女は――?
 そして、全く警戒心を示さず、女へ微笑みかける009にひそかに舌打ちする。
「僕には、あの彼女の目が、嘘を言っているようには思えない。」
 彼女が突然ホログラフィで現れ、不可解なメッセージを残して消えたとき、何の迷いも見せず、009はそう言った。この状況で、証拠もなく、なぜ彼はそんなことを言い切れるのか、そして仲間達をそこへ……未知の危険へと導いていくことができるのか、アルベルトにはいつも想像がつかない。つかないのだが、結局のところ、009はいつも判断を誤らない。彼が「敵ではない」と直感で判断した女性が、本当に敵だったことは、いまだかつてなかったのだ。
 正確に言うなら、009が判断を誤らない、ということではないのかもしれない。要するに、彼には、自分の判断した通りに物事を……周囲の人間の気持ちを動かしてしまう力があるのだ。かつて、澄んだ瞳で嘘をつき、巧妙な手口でサイボーグたちを陥れようとした、あらゆる女スパイたちが、
「君はそんなことができるひとではない。」
と009に見つめられることで、実際に「そんなことはできない女」になってしまった。だからこそ、アルベルトは、009の「甘さ」を、口で言うほど深刻な問題だと思っていない。ここが宇宙の果てであり、女が異星人であるとしても、それは変わらないだろう。だが……
――違う。この女は何かが違う――。
 それは、直感にすぎなかった。が、自分の直感にもまた、誤りはまずないということを、アルベルトはよくわかっている。
  
 その女……女王タマラは、ほどなく…というより、サイボーグたちへの挨拶とほぼ同時に、うんざりするほど彼らには馴染みのある言動をとりはじめた。常に009を目で追い、彼の後を慕うようになったのだ。
「ったく、アイツのアレが、宇宙人にも通用するとは思わなかったぜ」
 おどける002に調子を合わせる気分に、なぜかなれない。自分が苛立っていることにアルベルトは気づき、そのことにやや驚いた。
「……ん?どうした?」
 たちまち、002は不審そうにアルベルトを覗く。彼に限らず、仲間たちはそれぞれのやり方で、お互いの心の動きに敏感だ。特に、アルベルトにとって、002はどういうわけかかわしにくい相手だった。しかたなく答える。
「わからん……だが、何か気に食わん。」
「あの女が……か?」
「ああ。オマエはどう思う?」
「どう、と言われてもな……俺には、いつものパターンのようにしか見えないぜ?だが、オマエが気になるというのなら、気になるな。009に話してみるか?」
「いや。……話す内容がまだない」
「それは、そうだろうが……たとえば、これじゃ003がまた気の毒なことになる、とか、そういうことではないんだよな?」
「違う。まあ、気の毒といえば気の毒だが……それは自己責任の領域だからな。」
「自己責任かよ……」
 思わず苦笑する002の表情から、アルベルトは、糸口を見つけた、と思った。自己責任、プライバシーの問題……と、自分が無意識のうちに片付けてしまっていたその方向から近づくのが、とりあえず手っ取り早いだろう、と気づいたのだ。
 009は、あの女に心を奪われてなどいないだろう、とアルベルトは思う。そして、003も、たしかに彼とタマラの親密な気配に、ひそかに心を痛めてはいる……のだろうが、彼女なりに気持ちの整理はしているだろう。それをわざわざかき回すような真似をするのは、正直、気が進まないが、今は手段を選んではいられない、急がなければならない、と無性に思う。
 なぜそんな気持ちになるのか、アルベルトにはやはりわからない。わからないが、本当に「何か」があるのなら、たしかに急ぐべきではあるのだ。女王タマラの協力で、イシュメールは順調に修理を進め、エネルギーも補給し、数日内にはこの星を飛び立つことになっていたのだから。
 アルベルトは注意深く機会をうかがった。タマラに詰め寄るためには、それなりの009との「現場」を押さえることが必要だ。しかし、一方で、009の前で彼女を問い詰めるのは不可能だ。必ず止められてしまうだろう。ということは、それなりの「現場」のあと、009が完全にタマラから注意をそらすような状況を作らなければチャンスはない。まったくもって気が進まないことだったが、それには003を「使う」のが一番よかった。
 009は、003を宮殿に近づけなかった。さすがの朴念仁も、タマラのあからさまな求愛には気づいていたのだろうし、ソレを恋人に見せることは避けたかったのだろう。003に隠し事をしているといえばたしかにそうだが、タマラと顔を合わせるのもあと数日で、その後はおそらく二度と会うこともない……というこの状況なら、むしろそれが最良の方策だろう。およそ009らしからぬ慎重で賢い対処の仕方だ、とアルベルトは思っていた……のだが。
 
――そうきたか!
 
「この星に残ってください、そして私たちの新しい子孫を!」と訴えつつ、009に身を投げ出す女王の気迫に、アルベルトはあっけにとられていた。正直やられた、と思う。彼女の行動は、想像のはるか上をいくものだった。自分がこの有様なのだから、実際彼女に見つめられ、訴えかけられ、すがりつかれている当事者の009に、どうにか切り抜けろ、うまく対処しろ、と要求するのは酷なことだろう。案の定、009はなすすべもなく彼女を抱きとめてしまっている。無理もない、ということは、もちろん彼をよく知る003にも十分理解できるだろう。が、理解できるかどうかということと、受け入れることができるかどうかということは、全く別の問題だ。
小さく息をのむ003の気配を背中に感じながら、アルベルトは自分の認識が甘かったことを痛感していた。朴念仁が柄にもなく、恋人に対してそれなりに慎重で賢い対処をする必要を感じていた、ということはつまり、彼をそこまで追い詰めるような、かつてない「現場」が存在していた、ということではないか。彼女をここに連れてくるべきではなかったのだ。
とはいえ、やってしまったことはどうしようもない。さて……とアルベルトが息をついたときだった。少しずつ後ずさるようにしていた003が、ついにたまりかね、踵を返した。それは、いつもの彼女らしい、羽が舞うような動きで、足音ひとつ立ててはいなかった……はずだが、009はいきなり顔を上げ、振り返るなり叫んだ。
「フランソワーズ!」
 たった今まで、うっとりと女を抱きしめているようにしか見えなかった009の、別人のような鬼気迫る声色に、アルベルトは思わずぎょっとする。が、それも一瞬のことだった。009はタマラをそっと離すと、穏やかに言った。
「タマラ。君の言うとおり、この星の復興に協力したい気持ちは、僕にも十分ある。でも、僕たちには、ゾアの野望を叩くという使命があるんだ。僕は、そのために仲間達とともにここまできた。君の願いに応えることができないのを、すまないと思う。しかし、ゾアを倒せば、この星が侵略されることは二度と無いだろう。僕はそういうやり方で、この星のために力を尽くしたい」
「……わかりました」
 タマラは静かにうなずいた。そんな彼女を励ますように微笑むと、009は003の駆け去った方向へゆっくりと歩いていった。
彼がどうするつもりなのか、見当もつかなかったが、悪いことにはならないだろうと思うことにして、アルベルトは、立ちすくむタマラをのぞいた。とりあえず、狙い通りにいった、ということかもしれない。話の糸口はできた。後は、009と003を想う仲間の立場から、タマラの真意を問いただしていけばいい。
 少しずつ遠ざかる009を、美しい瞳をうるませながら見送ったタマラは、静かに振り向くと、アルベルトの厳しい視線を受け止めた。まるで、彼の思惑は全てわかっている……というかのように。いや、実際わかっているのだろう。彼女はテレパスだったはずだ。それならそれでいい、話が早い、とアルベルトは思う。
「004。わたくしを……責めていらっしゃるのですか?」
「責める?……何をだ?」
「わたくしが009を愛していることを……彼をこの星に引き留めようとしたことを、です」
「そんなことを責める必要はない。それについては、むしろあんたを気の毒だと思っているさ。ヤツはあの通り、きっちりと先約済みだからな。」
「――わかっています。あのかたの心は、今も手に取るように感じておりますもの。003はあのかたの恋人というよりも……あのかた自身ですわ。彼女が望まないことを、あのかたはすることができないのです。そうしたいと思うことさえないでしょう。009がわたくしを愛することなど、決してありません」
「そこまでわかっているのか。いや、テレパスなら、当然のことなのかもしれないが。だが、それならなぜ009にあんなことを言った?……本当は何を企んでいるんだ、あんたは?」
「企みなどありません。自分が愚かであることを、わたくしはわかっています。このようなことは、地球ではありえないこと……なのでしょうか?」
「……いや」
 アルベルトはややたじろいだ。ありえないこと、ではない。相手の気持ちが自分にはないことが明白であったとしても、恋は止められない。テレパスであれば、タマラの言う通り、相手の気持ちがそれこそ手に取るようにわかるのだろうが、だから、よりたやすく諦めることができるということにはならないだろう。むしろ……。
無言のまま、そんなアルベルトを見つめていたタマラが、ふと柔らかな微笑を浮かべた。
「わたくしはあのかたにお会いできてよかったと思っています。わたくしは今、幸せです。ひとを愛する喜びを知ることができたのですから……」
 
――なるほど。たしかに俺は、この女に……いや、こういう女に会ったことがある。
 
 アルベルトは思わず心で呻いた。タマラは、あの少女に似ていたのだ。それがずっと違和感となっていたのだろう。そして、すぐにそうと気づかなかったのは、気づくことを恐れていたからかもしれない。気づけば、鮮明に思い出すことになるからだ。
プワワーク人、と呼ばれた幸薄い種族。その宿命を背負った少女、ビーナ。儚い夢と思い知りつつ短い情熱を燃やした、あの地底に眠る少女の澄んだ黒い瞳を……かなしいほどまっすぐだったそのまなざしを、思い出すのは正直つらい。月日が流れた今でも、やはりつらい。
 未来を失い、闇をさまよっていたあの少女と比べれば、同じように虐げられた過去を持ち、重く過酷な運命を背負っているといっても、今のタマラの方が遙かに豊かな幸福を手にしているといえるだろう。それでも、ひとたび恋に落ちれば、まるでそれだけが生きる望みであるかのように、ひたむきに求めずにはいられない……ということなのか。その恋が自らに絶望しかもたらさないことを知りぬいていても。
「……どんな世界でも、女というのは、強いものだな」
 アルベルトのつぶやきに、タマラはただ微苦笑を浮かべた。
 
2 
 
 イシュメールに戻ると、009と003は何事もなかったかのように穏やかだった。
彼らはいつも、一定の距離を保ちつつ、それでいて一本の見えない糸でつながれているかのようにひとつのものとして動く。そのようにアルベルトには見える。たしかに、彼らは、タマラがそう表現したように、恋人というよりもむしろお互いそのものである……のかもしれない。
しかし、その関係は強固といえば強固だが、ひどく儚いものであるようにも思えた。おそらく、009にとって、003はごく特別な女だ。むしろ、女などではない、と言っても過言ではないほど特別な女であるのかもしれない。ちょうど、アルベルトにとって「彼女」がそうであるように。
アルベルトは、どこか落ち着かない思いで、結局のところいつもと同じ微笑を浮かべている003を見やった。オマエはそれでいいのか、とつい尋ねたくなる。「彼女」が、今の自分をどう思っているかについて、アルベルトは考えない。考えても意味がないからだ。しかし、009たちは違う。何よりも、003は「まだ生きている」のだから。
 009は003に何をどう語りかけ、彼女の傷ついた心を慰めたのだろう。それはつまり、自分なら「彼女」に何を言っただろうか、という問題でもある。そう思うと心許ない。言うべき言葉が見つからないのだ。
「彼女」と過ごした遠い日々をアルベルトはふと思う。「彼女」が、今の003のような悲しみに落ちたことはないはずだった。あの頃の自分は、「彼女」以外に女性が存在する、ということすら意識していなかったのだから。しかし、それは自分が009よりも誠実な男である、ということを意味するわけではない。おそらく、単にそうした機会がなかった、という状況の問題なのだろう。
「004。……ちょっと、いいかい?」
「……008?」
 アルベルトは我に返り、振り返った。妙だな、とちらりと思う。ミーティングはつい先ほど終わったばかりだ。そんなアルベルトの表情を敏感に悟り、008は苦笑した。
「すまない。どうしようかと思ったんだが……やっぱり気になって。君の意見を聞きたいことがあるんだ。」
「ミーティングにはのせられないことか?」
「そういうわけじゃない。ただ、あまりにも……なんだろう、漠然とした感じだし……それに、気にしないですむならすんでしまうことだからね。僕たちの当面の目的は001をはじめとするゾアに捕らわれた人々の救出だ。実際、彼らのすさまじい力を考えれば、僕たちはそこに集中するべきであって、余計なことを考えている暇はない。」
 たしかにその通りだ。アルベルトは無言のまま、先を続けるよう、目で008をうながした。
「気になっているのは……あの女王のことなんだ」
「……うむ?」
「今さら、なんだけどさ。彼女は、どうして囚われていたんだろう?なぜ、ゾアは彼女を殺さなかったんだ?他の王族はすべて皆殺しにされたというのに……」
 それは、アルベルトもちらりと考えた。そして、彼女を助けるという一事にのみひたすら心を傾けていた009をのぞき、全ての者がそのことについて一度は考えただろうと思うし、皆ほとんど同じ結論に到達したのではないかとも思う。
「それなら、気になる、というほどのことでもないように思うが。タマラは、ヤツらがファンタリオン星を支配したことのシンボルだったんだろう。ついでにいうと、彼女が持つファンタリオン王族の遺伝子を……つまり、データを保管する、という意味で生かしておいたのかもしれんな。」
「うん。僕もそう思ってはいる。基本的には……ね。警護に置かれていたあのロボットだって、かなり中途半端なものだった。ヤツらは、彼女の幽閉にさほど切実な必要性を感じていなかったんだろう。彼女はたしかに超能力者のようだが、001ほど圧倒的な力を持っているわけではない。利用価値などないから、連れ去る必要もなかった……ただ、さ。」
 008は視線を遠くにうつし、しばらく考え込んでいたが、やがてためらいがちに口を開いた。
「ダガス軍団と実際に戦ってみて……僕は感じたんだ。彼らは、無駄なことをしない」
「無駄なこと……?」
「ああ。ファンタリオン星支配のシンボルなんて、本当に必要だろうか?まして、王族の遺伝子を保存することなど……ヤツらが考えるだろうか?たとえば、地球でのことを思い出してみればわかる。ヤツらは、利用できる地球人……コズモ博士と001を攫い、あとはあっさり引き上げていった。地球にはそれしか利用価値がなかったということなんだろう。ヤツらはたしかに残忍な種族かもしれないが、根っからの戦争好きというわけではないような気がするよ。必要な時しか戦わない、ということならね。もっとも、かなり戦争好きな種族である僕ら人間だって、何の価値もない不毛の土地をめぐって争ったりはしないけれどさ」
「……なるほど。つまり、タマラを幽閉しておいたのは、彼女に、ヤツらが利用できる何らかの価値が……大した価値ではなかったにしろ、何かがあったからだろう、というわけだな」
「そうだ。でも、どんな価値なのかがわからない。それが気になる……それに」
 008は小さく息をついた。
「彼女は僕たちによって救出された。たとえ小さなことでも、彼女の幽閉に意味があったのなら、ダガズ軍団は、その意味をとりこぼしたりはしないだろう。ヤツらは、必ず……この星に来る。彼女を再び捕らえるために。おそらく、僕たちが飛び立った後に……ね」
「後に……?」
「ああ。後に、だ。あのスターゲートの戦いを終えて、僕たちを攻撃するためにはそれなりの戦力が必要だと、ヤツらはもうわかっているだろう。おそらくその規模は、タマラを捕らえ直すために必要な戦力とは比べものにならないはずだ。そして、僕たちは放っておいてもヤツらの本拠地に向かうんだぜ。だったら、ヤツらにとって、わざわざこの星まで大軍を送って僕らと戦うのは、まったく無駄なことだよ。」
「……なるほど」
「で、そう考えてみると、僕がどうしても気になるのは、タマラだって、そんなことはわかっていたはずだろう、ということなんだよ。覚えているかい、004?……彼女は、僕たちに助けてくれ、と言った。では、助けてくれ、とはどういう意味だったんだろう?僕たちは、本当に彼女を助けた、のだろうか?」
 アルベルトは注意深く008をのぞいた。この心優しい誠実な青年は、タマラに……というよりは自らに疑念を抱いているのだろう。しかし、彼の言うとおり、それは考えてもどうにもならないことだ。気休めだと知りつつ、アルベルトは淡々と言った。
「俺たちは、ゾアを倒すつもりでいる。タマラは、俺たちにならそれができる、と信じているのだろう。俺たちがヤツらの本拠地をつぶせば、ヤツらは永久にやってこないからな」
 図らずも、さっき009がタマラに告げたのと同じような言葉をアルベルトはなぞっていた。つまり、他に言いようがないのだ。008も迷いながらではあったが、うなずいた。 
「……やっぱり、そういうことなのかな。だとしたら、彼女は僕たちがゾアを倒す者たちだと信じ、僕たちに賭けて……イシュメールがどうしても必要としていたハイドロ・クリスタルを与えるために、危険を冒してくれた……ということになるね」
「ああ。そういうこと、だろう」
 アルベルトは重々しくうなずいてみせた……が。
 
――本当に、そうだろうか?
 
 責任、重大だなあ……と、ため息をつく008からつと目をそらし、アルベルトは思いに沈んだ。008は、タマラが009へ「告白」したことを知らない。もちろん、009自身をさしおいて、自分がそれを仲間に話そうとも思わない。
 気にする必要はないだろう、とアルベルトは何度も自らに言い聞かせた。タマラ自身がそう言っていたように、009はタマラの申し出を受け入れはしないのだから。
 
――俺たちは結局この星を飛び立ち、今後彼女に会うことは永遠にない。もし俺たちがゾアを倒せなければ、遅かれ早かれ彼女はまた囚われの身となり、おそらく、以前よりも酷い目に遭うことになるのだろう、この星もろとも。しかし、そのときは俺たちの命もとうにないのだ。
 
 が、そう思いこもうとすればするほど、彼女が009に向けた、すがるような眼差しが思い起こされてならないのだった。
 
――009、どうかこの星に残ってください!あなたが残ってくだされば、やがてこの星には、新しい未来が……私たちの新しい子孫が誕生することになるのです!
 
 彼女が夢見たという新しい未来。しかし、そこにゾアはまだ存在するだろう。この星に009を残し、残りのメンバーたちだけで戦ったところで、彼らを倒せるはずなどないからだ。そして、いつの日か、彼らがこの星に押し寄せてきたとき、009一人でタマラとこの星を守りきれるとも思えない。いくら新しい未来が訪れようと、彼らの新しい子孫が誕生しようと、そこで全ては終わってしまう。
タマラはそれを忘れていたのだろうか?恋しい者を一途に求める思いは、彼女の王族としての……女王としての使命感を遙かに凌駕する強さで彼女を押し流したというのだろうか?
 いや、そうではない、とアルベルトは思いなおした。009はタマラを拒絶したし、タマラ自身も、彼にはそれ以外の結論はないと知った上で訴えかけたのだ。つまり、彼女の「告白」は、受け入れられないことを前提に、ただ彼女自身が自分の恋に決着をつけるためだけになされた、ということ……なのだろう。
 
……しかし。
 
 タマラは本当に、全てを諦めた上で009に訴えたのだろうか?彼に何の期待も抱いてはいなかったのだろうか?たとえば、万一、009が彼女の訴えを受け入れていたら……そのときは「何か」が起きるはずだった、そういうことではなかったのだろうか? 
考えても意味のないことだとはわかっている。が、アルベルトには、まだ「何か」があるような気がしてならないのだった。
 
 
 その夜更けだった。あの神殿の奥を探ってみよう……とアルベルトが思いついたのは、比較的容易にソレができそうな状況を得たからだ。
 008の話は、アルベルトの心の奥底でくすぶり続けている何かの存在を浮かび上がらせた。タマラが気にかかるのは、彼女がビーナに似ていたからだ、というだけでは説明しきれない気がする。
こんなことはもう気にするまい、と何度打ち消しても、どうしても、もやもやとした、それでいて重苦しい疑問……のようなものが頭をもたげてしまう。これではどうにも眠れそうにない、と思い、アルベルトはとりあえずコックピットに向かった。眠れないなら、そのぶん、少しでもイシュメールの点検作業を進めておこうとしたのだ。
が、誰もいないだろうと思っていたソコに、先客がいた。
 咄嗟に身を引いたのは、二人の邪魔をしないためだった……が、そういう気遣いは無用だったようだ。二人は、ただ一心にお互いを見つめ、他のものなど一切目に入らない様子だった……というほど甘い雰囲気でもなかったのだが、それが彼ららしいと言えば、彼ららしい。
 
「あなたが、本当はこの星に残りたいのなら……私、あなたにそうしてほしいの」
「じゃあ、僕なしで、ゾアと戦えると、君は言うんだね?」
「だから……!そういう理由であなたが何かを諦めるのを、私は何度も見てきたわ。もう……つらいの。使命のことなんて、忘れてほしい。あなたは、十分戦ったわ……十分すぎるほど苦しんできたじゃない。これ以上……」
「フランソワーズ。だったら、君はどうなんだ?君だって、今までたくさんのことを諦めてきた。僕だけじゃない。そうだろう?」
「それは、違うわ!……私は諦めたわけじゃない、選んだのよ。自分でそうしたいと思ったから、今、ここにいるの。私はいつも自由よ。あなたが……みんなが、それを守ってくれる。」
「それは、僕も同じだ。僕だって……何も諦めたりしてはいない。今もね。」
「……ジョー。」
「僕は、たしかにタマラの力になりたいと思った。でも、だからといってこの星に残ろうとは考えない。なぜなら、僕の一番の願いは……どこまでも君たちと共に生きるということだからだ。それが、今はゾアと刺し違えることと等しいのだとしても」
 
 そもそも、「君」ではなく「君たち」などと言うから、話がややこしくなるんだろうが……と、ひそかに嘆息しながら、それでも二人がためらいつつも寄り添いあう気配に、アルベルトは微笑した。この分だと、これからしばらく、彼らは「別世界」に入ってしまうだろう。と、いうことは。
 神殿をひそかに探るなら今だ、とアルベルトは決心した。タマラの方も、今夜は平常心を保ってはいないだろう。チャンスだ。
 
 アルベルトは、慎重に神殿の奥を目指していた。ほとんど廃墟のようになっているそこに、衛兵のようなものはいない。おそらく、必要もないのだろう。注意深く足音を殺して進む。
 ほどなく、タマラがいつも自分たちを迎える広間に入った。が、当然、彼女の姿はそこにない。王族の居室がどこにあるのか、そういえば誰も知らされていなかった。おそらく、009でさえも。
 フツウに考えるなら、それは地下にあるのだろう。少なくとも、地上にそれらしいスペースはまったくない。では、入口はどうなっているのか。彼女が、三次元投影を自在に操る異星人であることを思うと、フツウに「隠し扉」のようなものを探しても意味がないような気もする……が、かといってほかに方法があるというわけでもない。アルベルトは迷いを断ち切り、ごくフツウに「隠し扉」を探すことにした。
 といっても、あちこちが崩れ落ち、天井さえもなくなっているところが目立つその場所に、そんなものがあるとは思えない。壁自体がほとんどないようなものなのだ。とすると……
「……柱か床…ってトコロだろうが……」
 アルベルトはつぶやき、目立って太く立派な柱のもとに立った。しかし、もしこれが入口なのだとしたら、そこから「内側」へ入るのはフツウの……アルベルトが知る次元の方法では不可能なことだ。だったら、むしろ「床下」を狙ったほうが効率的だろう。
 そうは思うのだが、なぜかその柱が気になってならない。ナンセンスだ、と自嘲しながらもアルベルトは柱に額を当てるようにして目を閉じ、耳を澄ました。以前、005が大木の「声」を聞くのだといって、こんな格好をしていたのをふと思い出す。そのときは、戯れに彼の真似をしてみたが、何もそれらしい「声」など聞こえはしなかった……が。
 
――アルベルト……!
 
 不意に、細い少女の声が聞こえた……気がした。ハッと目を開けた瞬間、大きく視界が歪み、アルベルトは思わず呻いた。そして。
「004!…どうやって、ここにいらしたのですか?」
 顔を上げると、驚きを隠せない表情のタマラが立ちつくしていた。
「それは、こっちが聞きたいぐらいだぜ……第一、『ここ』ってのはどこなんだ?」
「……ここは、祈りの間です。ここに入ることができるのは、王族だけ……のはず」
 それはないだろう、と咄嗟に思った。第一、そんな部屋があるのなら、タマラも、そのほかの王族たちも、そもそもダガス軍団の手に落ちるはずがない。
「わたくしはまだごく幼かったので、当時の事情はよく存じません。が、王族である以上、星の危機を見過ごすわけにいかなかったのでしょう。仮にここに逃げ込み、生き延びたとしても、星が滅びてしまっては意味がありませんから。」
 穏やかな、しかし毅然とした声音。また心を読まれたか、と気づいたが、不快感はなかった。
「そう……か。もしかしたら……ゾアがあんたを殺さなかったのは、この部屋の存在を探るため……だった、のか?」
 ふと思いついた。そうかもしれない。王族にしか入れないという、異次元空間。それは、ボルテックスとやらに近づく通路のひとつになるかもしれないではないか。少なくとも、その研究のヒントぐらいにはなるかもしれない。
「はい、おそらくは。ゾアはこの部屋に入る方法を知りたがりました。が、わたくしたちがそれを彼に教えることはできませんでした。隠したのではなく、ただ不可能だったのです。ゾアは、捕らえた王族を次々と恐ろしい機械にかけ、秘密を探ろうとしたと聞いています。が、全ての王族の命が失われても、それを解き明かすことはできませんでした……ですから、最後に残されたわたくしは、クリスタルの中に閉じこめられたのです。おそらく、彼らの研究材料として……」
 それが、つまり彼女の「価値」だったというわけか。謎がひとつ解けた、とアルベルトは思う。が、いずれにしても自分がここに入ることができた理由はわからない。とはいえ、タマラにもわからず、かつてゾアが王族たちの命を次々に犠牲にして探ろうとしてもかなわかったことであるなら、考えても無駄なことかもしれない。
「まあ、どうやって入ったのか、なんてことは、俺にとってはどうでもいいことだ。それより、出ることができるかどうかの方が問題だが……」
「そのご心配はいりませんわ。わたくしがおりますもの。わたくしと心をひとつにして願ってくだされば、出ることができます」
 タマラは悪戯っぽく笑った。どこかあどけないその微笑に、ふとこの女は地球人でいうと、何歳ぐらいになるのだろうと、アルベルトは思った。
「なんだ、あんたが一緒なら出入りができるというのなら、別に何も苦労して入る方法なんぞを探る必要は……ああ、いや、そうか。ゾアにそれは無理なことだな」
 タマラはまた可笑しそうに微笑しながらうなずいた。
「そのとおりですわ。もしゾアがわたくしとともにこの部屋に入ることができたとしたら、そのとき、彼は最早ゾアとは言えない者となっていることでしょう」
「……俺も、ヤツとそう違うとは思えんのだがな」 
「まさか、そんなことは……!たしかに、あなたは009と比べれば、少しだけ怖そうな方に見えますわ。でも……」
「正直すぎる言い方だが、悪くはない。さて、それじゃ、お願いしましょうか、女王サマ」
「わかりました……それでは、手を」
 すっとのばされた細い手を取り、その柔らかさにアルベルトははっとした。009が思わずこの女を抱きしめてしまった気持ちがわかるような気がする。
「……どなたかを、思い出されたのですか?」
「うん?……まあ、そんなところだ」
 気遣わしげに見上げる黒い瞳に、004は自分でも意外なほど柔らかく笑んでいた。
 
 心をひとつにする、というのはつまりどういうことだったのか、実際タマラと手を取り合い、再び瞬時にして「部屋」の外に出てみても、アルベルトにはもうひとつ合点がいかなかった。少なくとも、自分がそこから出たいと思う気持ちに偽りはなかったし、タマラにしても、王族でもない異星人など、早くそこから出さなければならないと思っただろう。それには違いない。
「やれやれ……助かったぜ、女王サマ。邪魔をして悪かったな」
「いいえ。お邪魔をしたのはわたくしのほうだったでしょう。あなたがたはこの星を旅立たれる準備でお忙しいのに……」
 ふとうつむくのは、009を想ってのことなのだろう……と漠然と思った。が、やはりどこかに違和感を感じる。考えるより前に、言葉が口をついて出ていた。
「ところで、何を祈っていたんだ、あんたは?」
「え……?」
 僅かにたじろぐタマラの表情に、違和感がいっそう強まる。そうだ。たしかに、彼女は「祈りの間」と言っていた。王族と、また彼らと心をひとつに出来る者だけが入れるというその部屋で、彼女は一人何を祈っていたのか。
「たとえば、だが。009の気持ちを変えようと……この星に残らせようと、怪しいまじないをしていた、というわけでは……」
 ありえないだろう、と思ったが、敢えてそう揺さぶってみる。挑発のつもりだった。同時に、とっておきの皮肉屋の視線を無遠慮に投げかけると、案の定、タマラはさっと顔色を変えた。
「何ということをおっしゃるのですか……!あの部屋で、そのようなことを願うなど、決してありません。もしわたくしがそのような想いを抱いていたのなら、そもそもあの部屋に入ることもかなわないでしょう」
「……ほう?」
「わたくしが祈っていたのは、あなたがたがご無事であるように、ということです。あなたがたは、まもなくこの星を去っていかれます。どうか、ゾアの手にかかることなく、あなたがたの使命を果たされますように……」
「そして俺たちが去った後、この星がヤツらの攻撃を浴び、今度こそ滅ぼされることになっても、か?」
「それは、わたくしたちとダガス軍との間のこと……あなたがたとは関係のないことです」
「たしかに、そのとおりだ。だが、俺はともかく、009はなかなかそういう割り切り方のできない男でね。正直、いつも困っているんだが……」
「その心配もありません。あのかたがそのような想いにとらわれることはないでしょう。それも、わたくしの『祈り』の一部です。わたくしに、生涯消えることのない喜びを与えてくださったあのかたに、わたくしができることは、ただそれだけですから」
 タマラは包み込むような微笑とともに、静かにそう言った。
 
 
 それから、ファンタリオン星出発までの数日間、アルベルトはタマラの謎のような言葉の意味を少しずつ理解していった。009をはじめ、アルベルトに疑問を投げかけた008さえも、自分たちが出発した後この星がどうなるだろうか、ということを考えもしない様子なのだった。
 これが、あの女の「祈り」の効果だというのなら……それは、恐ろしいまでの強力な洗脳とはいえないだろうか。たとえ、その動機がごく純粋な愛……切ないまでの自己犠牲を伴う愛からだとしても。
そして、自分にだけは、なぜかその力が及ばないようなのだった。相変わらず理屈はわからないが、おそらく、あの「祈りの間」に入ることができた、ということと無関係ではないだろう。一方で、仲間たちにこの話をするつもりも、アルベルトには毛頭なかった。気にならないといえば嘘になるが、自分たちの目的を考えると、一刻も無駄にはできないのだから。
 が、その思いとは別のトコロで、アルベルトは考え続けていた。ファンタリオン星にダガス軍団が攻めてきたとして……自分たちは、それをどのような方法でなら粉砕できるだろうか。と。それは、タマラやこの星の人々を思う気持ちからというよりは、戦士としての本能のようなものから生じたのかもしれない。
 もちろん、その軍勢を一掃したところで、ゾアを叩かないことには同じことの繰り返しになるだろう。しかし、仮に、襲来した軍勢を全て完膚無きまでに叩きのめすことができれば、時間稼ぎには十分なる。彼らは、思いの外の抵抗に驚き、サイボーグたちの力に脅威を覚えるはずだ。そうなれば、ゾアの当面の関心は、一筋にサイボーグたちに向かう。わざわざ軍勢を一から作り直してまで、ファンタリオン星を再び攻撃しようなどとは当座考えないだろう。
 とすれば、戦うことは無意味ではないのだ、と、アルベルトは考え続けた。しかし、そうするためにはどうしてもイシュメールの力が必要であり、仲間たちの気持ちをまとめる必要がある。タマラの洗脳に支配されている現状ではまず無理なことだ。さらに、イシュメールを使ったとしても、マトモに当たったらおそらく歯が立たない。何より、自分たちはこの星を守るためだけに全てを失うわけにはいかないのだ。かなりの余裕を残して勝利できるようでなければ、ゾアを追うこともできなくなり、結局はタマラの想いを無にするだけの結果になってしまう。 
 どう考えても、よい方法が見つからない。そのうちに、出発の日となってしまった。
 
その日、サイボーグたちを、群衆とともに見送りに出たタマラの立ち姿は、あくまで凛としていた。澄んだ瞳を僅かに潤ませ、別れを告げる。
「どうか、ご無事で……」
「ありがとう、タマラ。君たちのことは、決して忘れない。僕たちは必ずゾアを倒してみせる」
 力強く、しかし優しい微笑で、003とともにうなずく009を、アルベルトは複雑な思いで見守った。これから、彼女にどれほど残酷な運命が降りかかることになるのか、彼はまだ理解していない。というか、理解しないようにされてしまっている。タマラの力がどこまで届くものかはわからないが、その力が及ばなくなったとき、おそらく彼はそのことに気づき、苦しむだろう。もちろん、彼だけではない。003も、008も……だ。
 ふと、タマラがアルベルトを振り向き、微かに首を振り、微笑した。その黒い瞳の奥に、清澄な光が瞬くのを、アルベルトは確かにみとめた。
 
――ありがとう、アルベルト。
 
 少女の澄んだ声が耳元に聞こえたような気がした。体が小刻みに震える。少女はただ微笑み、何度もアルベルトにうなずいていた。
 
――かならず!かならず、助けに行くからな!
――かならず、君を向こう側に連れ出してみせる!
 
 誓いが一瞬の後に破れると知りながら、少女は幸福そうな微笑でうなずいた。
 誓いが破れてもいいと覚悟を心に秘め、「彼女」は美しい微笑でうなずいた。
 
――ありがとう、アルベルト。
――さようなら。
 
 結局、自分はどのようにしてタマラたちに別れを告げ、イシュメールに乗り込んだのか……アルベルトはよく覚えていない。彼がふと我に返ったとき、イシュメールはもう既にふわりと舞い上がっていた。
たちまち小さくなっていく、復興しつつある街や、緑豊かな森。それらが炎に包まれるのは、もうほんの数日後であるのかもしれないのに。
 突然席を蹴るように立ち上がり、無言のままコックピットから足早に出て行ったアルベルトを、009はけげんそうに見送った。彼とほぼ同時に振り返った003が、そんな009を安心させるように微笑すると、さりげなくアルベルトの後を追っていく。彼女がそうやって仲間たちの苛立ちを和らげようと心を配るのは、サイボーグたちにとってごくありふれたことだったから、それを特に気に留める者はいなかった。
 やがて、イシュメールはファンタリオン星の重力圏から抜け出した。ほっとした空気が流れるのと同時に、あれ?と008が首を傾げた。
「遅い……?」
 003のことを言っているのだと、すぐに悟った002がふん、と笑う。
「何が気に入らないのかしらねえが、あのオッサンがヘソを曲げちまったのなら、なかなか面倒だろうからな。おいジョー、助け船を出しにいってやれよ」
「いや……でも」
「おかしい、シャトルが!」
 005が珍しく慌てた声を上げる。009は鋭く振り返った。
「どうしたんだ?」
「シャトルが、発進したぞ!」
「なんだって…?」
「こちらイシュメール!シャトル、応答せよ!ああもう、一体、誰が乗っているんだ?」
「いや……誰って」
 008の叫びに、007が困惑しきった表情でぐるっとコックピットを見回した。そこにいないのは、もちろん004と003……なのだが。
「フランソワーズ!」
 驚きと怒りの混じった009の声に、スクリーンを見上げたサイボーグたちは、思わずげ、と後ずさりした。そこには、ぐったりと目を閉じている003を抱えた004が映し出されていたのだった。
「な、何の冗談アルかね、004!」
「えー……と。まさか、人質、のつもり……とか?」
「人質って。何で?」
「アルベルト!どういうつもりだ!フランソワーズに何をした!」
 
〈イシュメールを、月の裏側に着陸させろ。そこで待っている。〉
 
 そちらからの質問や反論は一切拒否する、というように通信はぷつりと切れ、その後はどんなに呼びかけてもシャトルからの応答はなかった。
「しかたがない。とにかく月の裏側に向かうぞ」
「……了解」
 まったく表情のない009の声に思わず肩をすぼめながら、008は素早くイシュメールの進路を変更した。知らないぞー。知らないぞー。と心で連呼しながら。
といっても、本当に知らん顔を決め込むわけにもいかない。重大な戦いの前に、仲間割れで流血状態になるのだけは避けなければ……思わずちらっと視線を流すと、いつになく緊張した面持ちの002と目が合った。他のメンバーも多かれ少なかれ同じような顔をしているんだろうな、と008はこっそり溜息をつく。
が、その心配は必要なかった。異様なまでの猛スピードでイシュメールがファンタリオン星の月の裏側に到着すると、シャトルは影も形もなかったのだ。
「どういうことだ?…004!」
 009にの叫びに応えるように、いきなり通信が開いた。スクリーンに大きく映し出されたのは、今度はしっかりと視線をこちらに向けている003だった。
〈みんな……ジョー、勝手なことをしてごめんなさい〉
「フランソワーズ!無事だったか……君が謝ることは何もない。004はどうした?」
〈004は、もう神殿に向かっているわ。私たち、ファンタリオン星に戻っているの〉
「なんだって?一体……」
「まあ待てよ、009。003、004は何を考えているんだ?」
 スクリーンにかみつかんばかりの009を押さえ、008が尋ねる。
〈説明するのは……難しいわ。004は、タマラの力だ、としか言わなかったけれど……でも、みんなも、月の裏側にいるならわかるはずよ。私たち、ただこの星を飛び立ってしまってはいけなかったのだと思わない?タマラが救出されたと知ったら、ダガス軍は必ずこの星に戻ってくるわ。何も抵抗する術を持たない、この星に……そんなことになる前に、ゾアを倒せればいいのだけれど、そうできるとは限らないわ。たしかに、だからといって、私たちがずっとこの星に残るわけにいかないけれど……でも、せめて、離れるときには、もっと警戒するべきだったのではないかしら。私たち、どうして誰もそう思いつかなかったのかしら〉
「……え」
 一瞬、きょとん、としたサイボーグたちは、すぐにはっと顔を見合わせた。
「たしかに……それは、そうだよな」
 002が唸り、008は深い溜息をついた。
「その通りだ……いや、僕は前からそう思っていた……はずだったのに。……忘れていた?」
〈私も、シャトルが月の裏側に着いて、004に話を聞いて……初めてそのことに気づいたの。でもおかしいわ。こんな、わかりきっていることに、なぜ気づかなかったのか……それが、タマラの力だ、と004は言うの。彼女は、私たちを安全に逃がすために、私たちの心を操ったのだと……月の裏側では、その彼女の精神波が届かない、ということね〉
「心を操る……だって?精神波?そんなことができるのか?」
〈信じられないけれど……でも、信じるしかないと思ったわ。それで、004からの伝言よ。みんなは、そこに待機していてほしいの。タマラが超能力まで使ったのは、時間がなかったから……ダガス軍団が迫っているのを感じたからだろう、と彼は考えているわ。まもなくファンタリオン星への攻撃が始まるかもしれない。もし、そうなったときには、みんな、イシュメールで敵の背後から奇襲をかけてちょうだい〉
「しかし……!それでは、君たちが」
〈私たちは大丈夫。みんなが来るまでの間ぐらいなら、迎撃は004ができるし、どこに逃げれば一番安全かも、もう私が探ってあるの。004は、タマラにそれを伝えに行ったのよ〉
「……なるほど、な」
 サイボーグたちは思わず息をつきながら、それとなく009の様子をうかがった。彼は、厳しい表情で口を噤んだままだ。茶色の瞳の奥に、怒りと微かな屈辱とが交錯しているのが、はっきりうかがえる。が、それもごく僅かな時間だった。やがて、おもむろに口を開いた009は、いつもの強く澄んだ眼差しを取り戻していた。
「……わかった。君たちに、いろいろ言いたいことはあるが……事情は理解した。こちらも004の作戦に従って行動する。くれぐれも気を付けてくれ、003」
〈ええ。ありがとう、ジョー!……みんなも、気を付けて〉
 通信が切れるのと同時に、素早くレーダーをチェックし始めた008が、はっと息をのんだ。
「本当だ、もう来やがったぞ!すごいスピードでファンタリオン星に向かっている!」
「たしかに、これはダガス軍団です!で、でも、それほど大きな船団ではありません。004の作戦通り、背後からイシュメールで急襲すれば、勝利できると思います」
 緊張の面持ちで、しかしきっぱりとサバが言う。009はうなずき、仲間達を見回した。
「008、ダガス軍団の航跡を追い、僕たちの追撃コースを決めてくれ。005はノヴァ・ミサイルの発射準備を。後の者はそれぞれ戦闘配置につけ。これから、僕たちはダガス軍団の背後に回り、一気に攻撃・殲滅する!」
「了解!」
 サイボーグたちがばらばらと駆け出すうちにも、レーダー上の光点はぐんぐんファンタリオン星に近づいていく。
「……004……003」
 不安げにその光点を見つめ、つぶやくサバの肩を、009はそっと叩いた。
「大丈夫だ、サバ。僕の仲間達を信じてくれ」
「……はい!」
 
 
003は復興作業にいそしむファンタリオン星人たちのもとに駆けつけ、ダガス軍団がまもなく襲来すること、作業をやめて避難してほしいということを、繰り返し懸命に訴え続けていた。が、その訴えに耳を貸す者は全くいなかった。聞こえていない、というわけではないようなのに、彼女の訴えは小鳥のさえずり程度のモノにしか認識されないらしく、振り向く者さえいないのだった。
「お願い、誰か聞いてください!ダガス軍団がもうそこまで来ています!急いで避難しないと……」
 不意に小さな子供が003に振り返り、にっこりと笑いかけた。その無邪気な笑顔に全身の力を吸い取られるような気がして、003は咄嗟に子供から目をそらし、空を見上げた。よく晴れて澄み切った青空がまぶしい。この空が、あのおぞましい戦闘機で覆い尽くされてしまう、そのときがすぐそこまで迫っているというのに……!
 
――本当に……?
 
 ふと、003の胸を、小さな声がよぎった。
 
――この美しい空の下で……優しいそよ風と光の中で……私は、何をこんなに怯えているのかしら?
 
 おかしい、と心の隅で警戒音が鳴っている。が、温かく穏やかな思念のようなものが、少しずつ自分を包んでいくのを、003は感じていた。
「おねえちゃん?どこか、痛いの?」
「……いいえ」
 心配そうに見上げる無垢な瞳。その瞳が不安の色を帯びるのが可哀相で、003は微笑してみせた。
「なんでも……ないのよ」
「お水、もってくる!」
 駆け去る子供をぼんやり見つめ、003は大きく息を吐きながら、額をおさえ、頭を振った。
 
――もしかしたら、これが……タマラの……力?
 
 そう思う端から意識が甘く混濁していく。いけない、と思っても、心が押し流されていくようだった。003はついさっきシャトルのレーダーで確認した、ダガス軍団を表す光点を思い起こそうと試みた。もう、一時間も残されていないかもしれない。009たちの攻撃が始まるまで、ほとんど抵抗のできないこの市民達を、一刻も早く安全な場所へ……完全にとは言えないまでも、少しでも安全な場所へ移さなければならないのに!
 子供がコップのようなものを抱えて、笑顔で走ってくる。あの子を見てはいけない。あの水を飲んではいけない、私にはしなければならないことがあるのだから……!
 
――タマラ、お願い、もうやめて!……私たちを信じて!
 
 叫びは声にならなかった。子供の柔らかい手の感触と、喉を潤していく冷たい水の心地よさに包まれ、003は意識を手放した。
 
「今の、声は?」
 ハッと息をのみ、立ち上がったタマラは素早く振り返った。
「よお、頑張ってるじゃないか、女王サマ」
「……004!」
「だが、ちょいと予定を変更してもらえないか?安楽死を選ぶのはあんたの勝手だが、ついでに集団自殺までしちまおうってのはいただけないな。王族の責任ってものがあるだろうが」
「どうして、戻られたのですか!この星はまもなく滅びます。あなたには、ここにいてはいけないかたです。果たさなければならない重大な使命がありますのに!」
「使命だと?ふん、009はそんなことを言っていたかもしれないが……俺は生憎、ヤツとは違う。俺には使命なんてものはないのさ。ただ……死に場所を探しているだけだ」
「……」
「諦めるな。あんたが諦めたら、星は本当に滅びる」
「あなたは、ダガス軍団の恐ろしさをご存じないのです!……彼らに抵抗しても無駄なことだと、わたくしたちは身にしみてわかっています。わたくしが王族としてできることは、せめて民たちが苦しまずに……穏やかな思いで最期を迎えることができるようにつとめること。わたくしをゾアの手から解放し、それを可能にしてくださったみなさんに、本当に感謝しています」
「嘘をつくな!……だったら、アレは何だったんだ?……あんたは、009にこの星に残ってくれと言ったじゃないか。この星で、新しい子孫を迎え、未来を築きたいと……」
「確かに申しました。それがかなわないことだと解っていたからですわ。……それでも、最後にひとつだけ、わたくしは美しい夢を見ることができたのです。けっして許されることのない夢を……」
「かなわなくとも、許されなくとも……あんたは夢を見た。夢を見るのは、生きたいからだ。あんただけじゃない、この星の民全てがそうだろう!」
「……」
「俺たちを信じろ。イシュメールがヤツらを背後から襲い、殲滅する。それまでもてばいい。003が住民達の当座の避難場所を見つけている。そこに逃げ込めば、どうにかなる!」
「003?……003までもが、来ているのですか?」
 大きく目を見開き、震えるタマラに、004はにやりと笑った。
「なるほど、彼女はあんたにも『人質』として効果あり、だったのか……ああそうとも、003はこの星にいる。俺が無理矢理連れ出してきた。そういうわけだから、イシュメールは……009は必ず来る。彼女を無事取り戻すために、血相変えて、な。あんたが超能力で何をどう操ろうが、それは変えられないさ」
「なんと、いうことを!……003にもしものことがあったら、あのかたの心も死んでしまいます!それを利用しようとなさるなんて!あなたは、それでもあのかたの仲間なのですか?」
「誰が死なせると言った?……死なせはしないさ。あんたが俺に協力さえすればな。どうせ集団自殺の覚悟だったんだろう?何を恐れることがある?」
「……あなたと、いうかたは……」
 震えながらも強い視線で見つめるタマラに、アルベルトは冷たい微笑を投げた。
「そう、俺はそういう男だ。ちなみに、敵からも仲間からも『死神』と呼ばれている。よかったら、あんたも覚えておいてくれ」
 
6 
 
 祈るタマラを、アルベルトは黙って見つめていた。とりあえず、003に従って逃げろ、と住民に訴える方針に切り替えてくれたらしい。一旦途切れていた003からの通信が復旧し、それがわかった。
 ダガス軍団の攻撃を受けたとき、この空間が崩壊するのか持ちこたえるのか……よくわからなかったが、少なくとも自分がいつまでも彼女と一緒にここにいるわけにはいかない。地上からの迎撃はないものと思いこんでいるヤツらに、ミサイルを効果的に撃ち込み、指揮系統を混乱させ、少しでも被害を食い止めなければならなかった。
「じゃあな、女王サマ。俺は地上に戻る。そろそろヤツらが来るころだ」
「……!」
「もしここが安全なら、あんたはここにいた方がいい。その方が民衆もパニックにならないだろうからな」
「……004」
 考えてみたら、ひとりでここから「出た」ことはない。が、「入る」ときと同じ方法なのだろう、とアルベルトは目を閉じた。ほどなく、「出た」という感じがする。ゆっくり目を開けた瞬間だった。凄まじい轟音が全身を襲った。
 
――チクショウ、もう始めやがったか!
 
 舌打ちし、駆け出そうとしたときだった。いきなり背後に気配がした。アルベルトはぎょっと振り向いた。タマラが呆然と立っている。
「――っ!なぜあんたまで出てきた!戻れ!」
 崩れゆく神殿のただ中で、降り注ぐがれきからタマラを懸命に庇いつつ、アルベルトは思わず怒鳴った。タマラは微かに体を震わせ、あえぐように言った。
「わかりません……出ようと願ったわけでは……ないのです」
「……なに?」
 わけがわからない。が、ぐずぐずしてはいられなかった。走りながら、アルベルトは何度もタマラに戻るよう促し、タマラもそれに従おうとしているようだったが、かなわない。必死に神殿から転がり出ると、辺りは既に修羅場の様相を呈していた。人々の怯えた悲鳴が遠く響いている。もしかしたら、タマラのコントロールを失った住民たちが、パニックを起こしかけているのかもしれない。彼らを誘導しているはずの003の身が案じられた。が、今それを考えてもどうにもならない。そのとき、通信が入った。
 
〈004!……どうしたの?どうして、タマラがそこに?危ないわ!〉
〈003、無事か!……いや、ちょっとわけがわからん。そっちはどうだ?〉
〈避難は終わっているわ。今、逃げ遅れた人がいないか、見にいくところよ〉
〈おい、無理をするな。オマエに何かあったら、009に絞め殺されるハメになる〉
〈もう、何言ってるの……それより、急いで!そこから太陽に向かって二時の方向に少し行くと、土手の下に横穴のようなものがあるわ。タマラをそこに避難させて!〉
〈わかった。助かったぜ〉
 
 003の誘導に従い、ほどなくその横穴を見つけると、アルベルトはタマラを無理矢理そこに押し込んだ。
「ちょっと窮屈だろうが……我慢していてくれ、女王サマ。003が安全だと言う場所なら、絶対大丈夫だからな。だが、できれば、あんたはあの部屋に戻って、祈っていてくれた方がいいんだが……」
「……戻れない、のかもしれません」
「……なに?」
 タマラは力なく首を振った。
「わたくしは……わたくしは、死を恐れました。ダガス軍団が来た、と知った瞬間、逃げたいと……再び彼らの手に落ちるのも、死ぬのも恐ろしいと……そう思いました」
 それがどうした、というようなアルベルトの視線を弱々しく受け止め、タマラはうつむいた。
「自分のために祈ろうとするものは、あの部屋に入れないと言われています。わたくしは、おそらくその禁忌を犯したのです」
「……なんだ、ソレは」
 自分のために祈るということの中には、ただ生きたいと願うことさえも含まれるというのか。呆気にとられていたアルベルトは凄まじい地響きに我に返った。
「とにかく、どうにかしてあそこに戻れ。戻れるように努力するんだ。それでも戻れないなら、ココを動くな!いいな?」
 言い残すなり、アルベルトは弾丸の雨の下へと駆け出していった。タマラを隠した場所から十分離れた、と思ったトコロで、003に通信を送る。
〈003!俺の位置がわかるか?そろそろ、ヤツらにブチかましてもいい頃だろう〉
〈ええ!……誘導するわ!〉
〈頼む、できるだけ効果的にな〉
 効果的に、ということは、つまり一発のミサイルでできるだけ多くを破壊し、死傷させることを意味する。003にとってそれがどんなに酷なことであるか、アルベルトは知り抜いていた。しかし、それでもやらなければならない。
「食らえ!」
 003の指示に従い、放った一発目は、凄まじい爆発音とともに、やや大きい戦艦の下部に命中した。揺らぎ、流れた機体は次々に小さな戦闘機を巻き込み、紅蓮の炎を上げて墜落していく。それと同時に、それまで一糸乱れず統制された動きを見せていた戦闘機の群れが、突然大きく動いた。鳥につっこまれた羽虫の群れのように慌てふためいた態で乱れ、衝突するものさえある。一機、また一機と炎を上げ、戦闘機は落ちていった。
「ようし……とりあえず成功だ……っと!」
 すさまじい機銃の狙い撃ちを受け、アルベルトは走った。もちろん、こういうことになるのは計算済みだ。003に通信を飛ばし、次の発射ポイントへと急ぐ。
 そうして、彼がとうとう全てのミサイルを撃ちつくしたときだった。辺りに凄まじい閃光が走り、ややあって衝撃波と轟音が大地を揺るがした。
「……ノヴァ・ミサイルか!」
 アルベルトはにやりと笑い、空を見上げた。黒煙の向こうに、微かに美しい機体が見える。
〈004、聞こえるか!母艦および戦闘機はすべて撃墜した。そっちの被害は?〉
〈さて、よくわかってはいないが……少なくとも、女王サマと003は無事だぜ……なあ、003?〉
〈……ああっ!〉
〈ん?……003?……どうした?〉
〈004、009!……大変よ!生き残ったダガス兵が、地上に!〉
「な……んだって?」
〈たくさんいるわ。みんな、武装して……銃を乱射しながら、住民を捜している!まるで、すべての人々を手当たり次第に殺すつもりでいるみたいに……!〉
「どういうことだ?何のために、そんな……」
〈わからない……でも、危険だわ。もうすぐ、避難場所が見つかってしまうかもしれない。どうにか、食い止めてみるけど……〉
「待て、003!オマエは隠れていろ、すぐ行く!いいな!……003?……おい、003!」
〈僕たちも上陸する!場所を示してくれ、004!〉
 009の声は思いの外冷静だった……が、長年共に戦ってきたアルベルトは、その声音の奥に潜む激しいモノを確かに聞き取っていた。
「キレやがったか……まあ、無理もない」
 ということは、009たちが上陸してくれればそっちはどうにかなるだろう、という気がする。彼の加速能力と、イシュメールの着陸位置、003がいる場所とを素早く計算し、003の許に駆けつけるのは009の方が圧倒的に速いだろうとはじき出したアルベルトは、迷わずタマラを隠した横穴へと駆け戻っていった。 
 
 
 駆け込んでききたアルベルトをみとめると、タマラはあからさまにほっと安堵した様子を見せた。が、彼が手早く今の状況……ダガス兵の上陸……を説明すると、彼女は大きく瞳を見開いた。
「それは、危険です!ダガス兵は、死を恐れません。いいえ、死を前提として、生き残る僅かな可能性をつかみとろうとするのです。いくら009たちでも、たやすい相手では……!」
「どういうことだ?」
「ゾアは失敗した者を許しません。母船を失ったのであれば、彼らに帰る場所はないのです。彼らに残された道は、この星に上陸し、住民を皆殺しにして、自分たちが住み着くことだけ……です。それも、ゾアの追っ手がかかるまでのことでしかありませんが……」
「……なるほど。それはやっかいだな」
 アルベルトは眉を寄せた。たしかに、ダガス軍相手の白兵戦は初めてだった。勝手がわからない相手であるだけではない、どう考えても、彼らがひ弱な戦闘員であろうとは思えない。苦戦することになるかもしれなかった。
 もちろん、苦戦しようが何であろうが、彼らごときを殲滅できないようでは、サイボーグたちの本来の目的を果たすことなどできないだろう。しかし、自分たちはそれでいいとして、戦闘に多くの市民が巻き込まれるかもしれないと思うと……。
「……そうだ!」
 アルベルトは不意に声を上げ、タマラの両肩を強くつかんだ。
「女王サマ、あんたの力でどうにかなるはずだ!」
「……え?」
「船を失ったダガス軍のヤツらを全て、敵としてではなく、ファンタリオン星の新しい住人として受け入れろ。ヤツらの気持ちと、この星の住民たちの気持ちを、あんたの力でひとつにするんだ。あの部屋で!」
「……それは。でも、わたくしには……」
 タマラの表情が苦しみに歪む。アルベルトは彼女を気遣わしげにのぞいた。
「神殿は崩れ落ちた。つまり、入口はもうない……ということか?」
「いいえ。あの部屋に入口などありません。わたくしが願えば、どこからでも入ることができます。ただ、わたくしには……」
「……できない……のか?」
 タマラは悲しげにうなずいた。
「わたくしは王族として生まれましたが、本当は、ただの愚かな女にすぎなかったのです。自らの欲望を全て捨て、民のために……この星のために生きることなど、できるはずもありませんでした。いいえ、わたくしだけではありません。この星で王族を名乗った全ての者が、きっとわたくしと同じであったに違いありません。だからこそ、彼らはみな、祈りの間から追い出され……やがて、この星はゾアの手に落ちたのです」
「しかし、それは……」
「お願いです、004。みなさんと一緒に、この星を離れてください!……このままでは、みなさんにまで恐ろしい危険が……!あっ!」
「危ねえ!」
 004はタマラを抱いて素早く地面に転がり、銃撃から逃れると、立ち上がりざまマシンガンを放った。やれやれ、と僅かに息をついた瞬間、こんどは背後にすさまじい殺気を感じた。
「しまった!タマラ、伏せろ!」
 懸命に起き上がろうとしているタマラに、機関銃の照準が合わせられている。アルベルトは咄嗟に彼女を突き飛ばし、自分の体で弾丸を受け止めようと、彼女の前に立ちはだかった。未知の弾丸は、彼の鋼鉄の体に弾かれるのか、それとも貫くのか、受けてみないことにはわからない。とりあえず来るべき衝撃に備え、受け身をとった。
ところが、覚悟していた衝撃は来なかった。タマラの悲痛な叫びと同時に風が舞い、馴染んだ気配が身近で止まる。
「……009、か」
「大丈夫か、タマラ……004!」
「ジョー!」
 加速を解いた009は辺りに注意をはらいながら、倒れたダガス兵から銃を奪った。
「ここは危険だ。……というか、しばらく、安全な場所などなさそうだよ。004、タマラを頼む。003が誘導してくれるはずだ」
「003が……ああ、彼女は無事なのですね?」
 必死で問いかけるタマラに、009はただ微笑で応えるだけだった。不吉な予感が走り、004は鋭く009を見やった。
「うん。003は……大丈夫。まだ、生きているよ」
「……おい」
「動けなくなっているが、意識はしっかりしている。索敵もできる状態だ。005が彼女を守ってくれている」
「そんな……009、まさか!」
「いいかいタマラ、僕たちを信じてくれ。住民からは、まだ一人の犠牲者も出していない。これからも出さないと誓う。君は、住民たちのところに戻って、彼らを勇気づけてほしい」
「いいえ!……いいえ、もう十分です、009!どうか、今すぐ003をイシュメールに運んでください!一刻も早く治療をしてください……このままでは!」
「彼女は大丈夫だ、タマラ。004、僕は、湖に不時着した敵を倒してくる」
「わかった。気を付けろ」
「君も……無茶はしないでくれよな。万一でも、君に死なれては僕が困るんだ。いろいろと……ね」
「もちろんだ。オマエに殴られる準備はできているからな」
 009の目に、微かな笑いのような光がよぎる。が、それはすぐに前髪の奥に隠され、見えなくなった。
「わかっているなら、それでいい」
「009!……ジョー!」
 タマラが叫ぶより早く、009は姿を消した。ほどなく、銃声が断続的にとどろき、小さい爆発が繰り返し起きる。004は無言でタマラに肩をかし、立ち上がらせた。
「……004」
「さて、行くぞ、女王サマ」
「……いいえ」
「こうなっちまってはどうにもならないことだ。009は昔っからああいうヤツでね。面倒だが、カンベンしてやってくれ。それに、そもそもあんたには何の責任もないことだ。コイツを勝手に始めたのは、俺だからな。とにかく、行くぞ」
「いいえ、わたくしは……民のところには参りません」
「……あのな。悪いが、あんたと議論している時間はないんだ」
「わかっています。一刻を争う事態であるということ。003も……」
 タマラは目を閉じ、しばらくうつむいていたが、やがて静かに首を振った。
「009は、わたくしに嘘をつきました。003は意識を失いかけています。あのかたは、そんな彼女に索敵を命じ、置き去りにして、戦っておられるのですね……この星のために」
「だから。そういうヤツなんだと言っただろう!」
「ええ……そうですわね。そして、004……あなたも」
「……何?」
 タマラはぱっと顔を上げ、004を見つめた。
「004。どうか、わたくしを導いてください。わたくしを、あの祈りの間へ!」
「……導く?あんたを?……俺が、か?」
 何を馬鹿な……と吐き捨てるようにつぶやく004から、タマラはしかし、目をそらさなかった。
「あなたは死を少しも恐れていらっしゃらない……いいえ、それだけではありません。あなたは、ご自分のためには何も……本当に何も望むことなく戦っておられますわ。あなたなら、今がまさに、ご自分の命の極みであろうとも、他の人々のためだけに祈りの間に入ることができるでしょう。お願いします、どうかわたくしを導いてください……!今は、それしか方法がありません……004、わたくしは王族としてのつとめを果たしたいのです。そして、あのかたをお救いしたい……ああ、わたくしは、あのかたを、光そのものであるようなあのかたを、闇へと落としたくないのです。それもまた、所詮わたくし自身のための望みにすぎないのでしょうか?いいえ、わたくしはそうとは思いません。004、お願いします!」
 タマラは苦しげに瞳をうるませ、訴え続けた。
  
――それは、自分勝手な願いかしら?いいえ、私はそうとは思わないわ!
 
「……ヒル……ダ?」
 
――私は、私のつとめを果たしたいの。なすべきことが、そこにあるとわかっていても、この国では、それがかなわない。もう、こんな思いをするのはいや。私は、自由になりたい!
 
「あなたがたは、わたくしをゾアの鎖から解き放ってくださいました。どうか……どうか、もう一度だけわたくしに力を貸してください。わたくしを……わたくしのあるべき場所へ導いてください!」
 
――鎖はあなたがほどいてくれた。だから、あとは走り出すだけ。
 
 しかし、俺の手をとり、走り出すか出さないかというときに、オマエの望みは全て砕け散った。オマエは、俺の手をとるべきではなかった。
 
――いいえ、アルベルト。私の望みは消えなかったわ。私は、あの壁を越えたんですもの。
 
 壁を越え、望む世界に入り、そしてオマエは命を落とした。俺が導かなければ、オマエは生き続けることができただろう。生きて、あの笑顔を、今でも……
 
――いいえ、アルベルト。
 
 だから、望むな。俺の手を取るな。俺は、死神だ。あの頃は気づかなかった。気づいていたら、オマエの手を取りはしなかった。
 
――いいえ、アルベルト。
 
「あなたは、ご自分を死神、とおっしゃいました」
「……タマラ?」
「きっとそのとおりなのでしょう。あなたの思念は、不思議なほど死へとまっすぐ向かっています。でも、だからこそ……今、わたくしが生きるために、あなたの力が必要なのです。死は、あらゆる再生につながる扉なのですから……」
 
――私は、自由よ、アルベルト。あなたが私を解き放ってくれたからよ。
 
「どうか、わたくしの手をとってください!」
 
――手を離さないで。アルベルト、私を……連れて行って……!
 
 ヒルダ、と唇が動く。が、声にはならなかった。
 アルベルトは、差し伸べられた彼女の手を、震えがとまらない指で無造作にたぐりよせ、強く握りしめていた。瞬間、すっと意識が遠のいた……ような、気がした。
 そして、我に返ったとき、二人は堅く手を取り合ったまま、あの「祈りの間」に立っていたのだった。
 
 
 外がどうなっているのか、まるでわからない。が、少なくとも、先ほどのように「追い出される」ことはないようだった。アルベルトは、祈るタマラの美しくはりつめた横顔を見つめていた。
 導いてくれ、と彼女は言ったが、おそらく、今この部屋の扉を開いたのは自分の力などではなく、彼女自身の王族としての決意と真摯な想いだったのだろう……と、アルベルトは思う。理屈ではなく、こうして彼女の姿を見ていると、そうとしか思えないのだった。
 やがて、タマラは静かに顔を上げ、アルベルトに微笑みかけた。
「わたくしの祈りは届きました。もう、地上に争いはありません……003も、009にイシュメールへと運ばれて、治療を受けています。コマダー星の医術は優れたものだと聞いておりますから……きっと、大丈夫ですわ」
「――そうか」
「009の心にも、いつもの日差しがもどっています。あたたかく、まぶしい光が……どんなに遠く離れようと、あの光を見失わないかぎり、わたくしはあのかたを感じ、あのかたと共に歩むことができるでしょう」
 夢見るように、幸福そうにタマラはつぶやいた。
「遠く離れようと……か。あんたは、それで満足できるのか?」
「はい。わたくしの心から、あのかたが消えることは永遠にないのですから。……あなたにとって、彼女が……ヒルダ、という方が、そうであるように」
 アルベルトは返事をしなかった。長い沈黙が落ち、やがて、タマラは、ふと思い出したように言った。
「みなさんがあなたのことを心配しておられます。地上にお戻りください」
「……そう、だな」
 ぼんやり答えながら無意識にのばしたアルベルトの手に、タマラは微笑して首を振った。
「わたくしは……参れません。お見送りすることができなくて、申し訳ありませんと……みなさんに本当に感謝していますと……お伝えください」
 
――そういう、ことか。
 
 アルベルトは、言葉を失った。
思えば当然だ。今地上にもたらされたという平穏が、彼女の祈りによるものだというのなら、彼女がその祈りを止めることはできない。ここを離れることなどできない。
地上に戻れば、009たちはまた彼女のことを「忘れて」いるのだろうか。おそらくそうに違いない。だからこそ、009は何を措いても傷ついた003の傍にいるのだろう。そうでなければ……いつもの彼ならば、まず、ファンタリオン星の人々や、タマラの安全を確認しようとするはずだ。
 無言のまま動かないアルベルトに、タマラはまた微笑した。
「気遣ってくださるのですね……ありがとうございます。でも、わたくしは不幸ではありません。わたくしは、あのロダックのペンダントの中に閉じこめられていたときのように、縛られているのではありませんもの。心からこうしたいと願ったから、ここにいるのです。わたくしは今、誰よりも自由ですわ」
「……自由」
「ええ。あのかたが幸福でおられることが、わたくしの願いの全てです。あのかたのために祈ることは、わたくし自身のために祈ることと同じなのです。そして、わたくしは、それと同じようにして、この星の人々のために祈ることができます」
 それが、つまり……愛、ということだというのか。アルベルトの心の声に、タマラは微かにうなずいた。
「それをわたくしに教えてくださった……見せてくださったのはあなたですわ、004。あなたの心に触れて、わたくしは信じることができたのです。愛することの強さと……喜びを。あなたは、ただ死に場所を探しているだけだ、とおっしゃいました。ご自分のために望むことなど何もないと、おっしゃいました。それは、何も望む必要がないからですわ。あなたには、彼女への愛があります。それがあなたの望みの全てであり、世界の全てでもあるのです」
「……ずいぶんと、買いかぶられたものだな。俺は、そんなたいそうな人間ではない。そもそも、アイツへの愛とやらも……あんたが言うような崇高なモノではなかった」
「まあ。それでは、そういうことにしておいてもよろしいですわ……でも、これだけはたしかなことです。あなたはこれからも『死神』であり続けるでしょう。そして、それこそが、あなたの愛の証となるでしょう」
「よくわからんが、どうやら、ありがたいご神託を賜ったようだな」
「わたくしは、神などではありませんわ」
「死神がいるなら、女神だっているはずだ。少なくとも、この宇宙のどこかには、いたっていいだろう。そう信じているのも悪くはないさ」
「……。どうぞ、ご無事で。わたくしは、あなたを忘れないでしょう。さようなら、アルベルト・ハインリヒ」
  
――さようなら、アルベルト。
 
 さようなら、か。今はそれでもいいだろう。
 おまえが行けというのなら、どこであろうと、俺は行くだけだ。
その場所に……俺の、死に場所に。
 
アルベルトは、最後に瞼に焼き付けておこうとするかのように、祈り続けるタマラを強く見つめ、やがてゆっくりと目を閉じた。
 
「……また、遭おう」
 
低くつぶやいた。
なぜか、その日は遠くないはずだと……そう思えた。  
 
     9
 
 003の傷は、タマラが言ったとおり、深かった。が、これもまたタマラが言ったとおり、コマダー星の医療カプセルで十分に治療することができた。004がイシュメールに戻ると、彼女の容態は既に落ち着いており、完全に回復してカプセルから出ることのできる日時も算出済みだった。
彼女は、004がタマラに対して咄嗟にそうしたように、逃げ遅れたファンタリオン星人を身をもって庇い、銃弾を受けてしまったのだ。正直、あのときはもう助からないかもしれないと思った……と、009は、003が昏々と眠り続けているカプセルを震える手で撫でながら、004にそう言った。
「それなのに、僕は彼女に索敵を続けるように命じたんだ……酷いよな。僕は、怖かったんだ。現実から目をそらし、このぐらい何でもないと、彼女の傷は軽いのだと無理に思いこもうとしていたのかもしれない。でも、コマダー星の医療はこんなに優れていたんだ。こうして治療することができたのに、僕は彼女を戦わせようとした。自分の弱さのために、彼女を失うかもしれなかった……それが何より怖い」
 そうではないだろう、と004は思う。どんなに愛していようと、彼女は003であり、彼は009なのだ。それは変えられない。むしろ、だからこそ二人はお互いに愛し合っているのだ。ならば、その宿命に逆らうことはできないし、その必要もない。彼らは戦い続けなければならない。愛すればこそ、運命をも愛さなければならない。それだけのことだ。
が、004は沈黙を守った。それは009にとって、既に自明のことであるだろうし、第三者の自分が彼らに対して口にするには、ひどく残酷な言葉でもあったからだ。
イシュメールがファンタリオン星を離れて数日後、カプセルは003の治療が完了したことを示した。彼女を覚醒させ、カプセルを開いたのはもちろん、009だった。だから、そこで彼が彼女に何を語り、彼女がどう答えたのかを知る者はいない。
 
004の前で009がタマラ、という名を口にしたのは、そのすぐ後……彼が003を抱きかかえ、彼女の部屋へ移そうとしている途中、004と出くわしたときのことだった。
「004!タマラは?無事だったの……?」
 003は004をみとめるなり、009の腕の中から懸命に尋ねた。そうだった、彼女はタマラの「祈り」が再開する前に意識を失っており、そこから時間が動いていなかったのだ……と気づき、どう説明したものかと、004がやや逡巡しているうちに、009がつぶやいた。
「……タマラ?」
 次の瞬間、うんざりするほど無邪気に澄んだ青と茶色の瞳に見つめられ、004は思わず息をついていた。こうなってはどうしようもない。
「心配するな。彼女は無事だ。ファンタリオン星もな……タマラは、女王として祈りの間に戻ることができたんだよ」
「……祈りの、間に……?」 
 ふっと003の表情が曇る。マズイ、と004が思ったときは遅かった。青い目が震え、みるみる涙がたまっていく。
「それじゃ、彼女は今も祈り続けているのね?星を守るために……私たちを助けるために……たった一人で……今も」
 あ、と009が息をのむ気配がする。ファンタリオン星からの距離を考えれば、タマラのコントロールはとっくに解けていたはずだったが、003を気遣うあまりに、そこにはまだ思い至っていなかったのだろう。
「タマラが……そうか、そういう、ことだったのか……だからダガス兵は武器を捨て、僕たちも彼らを信じていいと思うことができたんだね。そして、それが彼女の祈りの力であるなどと、誰も気づきはしない。僕たちも、気づかなかった……」
「ジョー……」
「……泣いているのかい?駄目だよ、フランソワーズ。今の君は、心も体も……まだ安静にしていなければいけない」
「でも……!」
「それに、悲しむことはないんだ。タマラは一人ぼっちなんかじゃない。星のために犠牲になっているわけでもない。今はそう見えるかもしれないけれど……でも、ファンタリオン星が、あの星の人々が、きっと彼女を助けてくれる」
「ジョー……?」
「平和は……愛は、一人の人間の力で支えることなどできないはずだ。タマラの祈りが星を変えたというなら……それは、彼女の想いに応える人があの星にいる、ということを意味しているのだと、僕は思う。そういう人たちが、きっとタマラを救い出してくれる。もう、一人で祈らなくてもいいと、一緒に生きていこうと、彼女に語りかけてくれる。そんな日が、必ず来る。だから、僕たちはゾアを倒さなければいけないんだ。その日を、守るために」
 淡々と語る009の声は、静かだが力強かった。004は再び息をついた。これだから、コイツにはかなわない、と素直に思う。
 
――感じているか、女王サマ……?あんたの光が、ここにある。
 
 この光を消しはしない、と004は、遠く祈り続けているだろう彼女に密かに語りかけた。たぶん、あんたのために俺ができることといえば、ただそれだけなのだろうから。それだけしかできないが、それだけならできる。死神と呼ばれる俺でも、いや、そう呼ばれる俺だからこそできるのだ。
俺は、あんたの祈りを守る。祈ることはむなしいことではないのだと、子供のように無邪気に、強く、まっすぐに、あんたを信じる愚かなヤツらを、その胸の光を守り抜こう。いつか、そのために死ねればいい。死ぬとは生きることだからだ。
 
宇宙のどこかにいる女神たちのために。
そういうモノたちがいるのだと、信じてみるのも悪くない。
 
 

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Last updated: 2011/8/3