15      超銀妄想抄
 
その1 炎の料理人 
 
 もともと、相性がいいとは思えなかった。張々湖にとって、ソレはかなり無縁の世界にいるモノに見えたからだ。金持ちの飼う生き物は、美しいが気難しい。
 考えてみれば、自分も相当な金持ちなのかもしれないが、どんなに店を大きくしたところで、そういう実感のわいたことのない張々湖だった。
 生き物は好きなほうだと思う。店の客に、高価な猫や犬を飼うことを勧められたこともある。なんといっても、愛らしくなつくペットは、忙しさに追われる心をいやしてくれるものだ、と。
が、ちょっとその気になって、ある華やかな高級ペットショップを訪れたときだった。扉を開けたとたん、四方八方から一斉に、すさまじいまでの吠え声を浴びせられてしまった。張々湖は、這々の体で退散するはめになった。
だから、地球から遠く離れた未知の惑星で、これまた未知の美しい生き物を目にしたときも、張々湖は直感していた。どうせ、ワイは嫌われるアルやろうなあ……と。
 そして、その直感は当たり、だったのだ。
 
初めてピララを見たとき。
張々湖は、そのあまりの愛らしさに、思わず「こい、こい」と猫なで声で呼んでしまった。で、速攻で逃げられた……わけだが、そのときはまあ仕方がないアルね、と思っていた。なんとなく馴染みのある経験だったし、何より異星人の自分にいきなり手を伸ばされたのだから、賢く繊細そうなこの生き物が警戒するのも無理はない。
……が。
 
ピララは、たしかに賢い生き物だった。
ほどなく、サイボーグたちが、かけがえのない「味方」であることを悟り、彼らに対しては、タマラに対してと同じような敬意と愛情をはらう動きを見せるようになったのだ。
009や003はもちろん、004の鋼鉄の腕にさえも、ピララは臆することなく愛らしく飛び込んだ。なのに、張々湖だけはどうにもならない。彼がちょっと近づいただけで、ピララはぴくり、と大きな耳を動かし、さっと逃げてしまうのだった。
そのことに気づいた007は、張々湖をしきりにからかった。きっとピララは、オマエに食われちまうと思っているんだろう……と。
 
「何言うアルか!」
 
と怒ってはみたものの、ちょっと、そうかも。と思ってしまう張々湖だった。
たしかに、初めてピララを見たとき、彼の頭に浮かんだのは、
 
――なんて柔らかそうな生き物アルやろ……
 
だったのだから。
 
もちろん、だからウマそうだ、食べたい、と思ったわけではない。断じてない。が、テレパシー能力があるというピララのことだから、張々湖自身も気づかない、彼の心の奥底にある欲望を察知してしまったのかもしれない。
 
――柔らかそうな生き物。
 
自分がそう思ったとき、やっぱりうごめく欲望は食欲、なのだろう。コレが002だったら、うごめく欲望は微妙に違うかもしれない。で、009だとまた更に微妙に違うかもしれないのだが、それはとりあえずどうでもいい。
 
いずれにしても、ピララは、002も009も受け入れている……のだから、彼らの奥底に何がうごめいていようと、それは不快感とならないのだろう。
 
「やっぱり、食べられてしまうのは怖いアルよねえ……」
張々湖は遠目にピララを眺めながら、しみじみと思う。当然のことだ、とも思う。
料理人として、毎日のように生き物の命を奪ってきた。そのどれもが、生きたいと願いつつ、死んでいったにちがいない。だからこそ、張々湖はその願いと命に少しでも報いたいと思う。そうやって、彼は料理を続けている。この星にきても、それは変わらない。
ピララにその思いが伝わっているかどうかはわからなかった。が、ピララは、張々湖を嫌ってはいても、彼の作る料理は好きなようだった。タマラからそれを聞かされたとき、張々湖は胸に溢れるような喜びを感じた。
 
「ああ、ソレはありがたいことアル……ピララ、わかってくれたか。いい子アルね」
 
タマラの胸に抱かれたピララを思わず撫でてやりたくなって手を伸ばすと、やはりピララはぴょん、とタマラから飛び降り、逃げ去ってしまう。
 
「ピララ!」
「ああ、構わないアル……ワタシの料理を気に入ってもらえること、ワタシ自身になついてもらうより、ずっとずっと嬉しいことアルからね」
「……そう、なのですか?」
 
怪訝そうに首を傾げていたタマラは、やがてにっこりと微笑み、言った。
あなたのお料理が、なぜあんなにおいしいのか、今、解った気がします……と。
 
そんな言葉を彼女と交わしたのは、ほんの数日前のことだったのに。
今、硝煙の立ちこめる中……がれきの間に、ピララは力なく横たわっていた。
そして、その傍らでは、石の下敷きになったタマラを009たちが必死で助けだそうとしている。張々湖はそうっとピララのもとに跪き、手を伸ばした。
 
「かわいそうに……苦しかったアルやろな。なんで、おまえまでこんな目に……」
そのときだった。もう死んでいる、と思われた白い体が、ぴくり、と動いた。張々湖は思わず手を引っ込めた。
が、ピララは薄く目を開くと、張々湖を見つめ……微かに、甘えるように口を開いた。はっと、引っ込めかけた手をおずおず差し出すと、ピララは小さな舌を出して、その手をゆっくり舐めた。
 
そして、それが最期だった。
 
張々湖は、震える手でその白く小さい体をそうっと抱き上げた。
初めて抱きしめたピララの体はまだほんのりと温かく……そして、思ったとおり、とても柔らかい。
そのままうずくまる張々湖の耳に、009の悲痛な叫びが飛び込んだ。タマラが息を引き取ったのだ……とぼんやり悟る。
 
「おまえは、ほんとにいい子アル……ご主人さまをちゃーんと待って、一緒にいったアルな」
 
張々湖は優しくつぶやいた。
 
タマラの亡骸の傍らに、ピララは静かに横たえられた。
その傍らに、張々湖は小さな宇宙中華風練り菓子を……ピララが気に入ったのだという、彼の最高の自信作をこっそり置いた。
 
そして張々湖は、大きく深呼吸をしてから目を閉じ……灼熱の炎を吐いた。
万感の、想いをこめて。
 
 
 
 その2 イワン・ウイスキーに眠っている暇はない
 
「くそおっ!……なんという赤ん坊だ!」
「焦るな。少しずつだが、反応は弱まっている。根気強く続けるんだ!」
 
 科学者たちの切羽詰まった会話が頭の上を飛び交う。
 切羽詰まるのも無理はないだろう、と、イワン・ウイスキーは思った。反応が弱まっている、と言われればそうかもしれないが、自分を決定的に衰弱させるためには、この攻撃をかーなーり、根気強く……少なく見積もっても、数百年は続けなければならないはずだ。
さらに、どうも、ダガス軍の上官連中は短気のようだ。そろそろ、科学者のうちの誰かが処刑される頃かもしれない、という気がする。どこでも、圧政的な組織というのはそういうものなのかな、と、イワン・ウイスキーはかつてのBGを思い出してみたりした。
 ブレーン・タップと彼らが呼び、繰り返しイワン・ウイスキーに対して加えられる攻撃は、たしかに少々ウザいものだった。頭が痛むし、気分は悪くなるし、当然、おそろしく不愉快になる。だから、ここに運ばれてからというもの、彼がいつものクールな判断力を少々失いかけていたのも、無理はなかったかもしれない。
 
 フランソワーズ、まだかなあ……
 
 イワン・ウイスキーはちょっと切なくなる。
 ダガス軍団は、BGよりも確実に間抜けなヤツらだった。自分を誘拐するのなら、003も一緒に連れ去るべきだろう。どうしてその程度の計算ができないのか。超能力研究を進めるのなら、その主体であるエスパーのメンタル・ケアについても考えておかないと、すこぶる効率を落とすことになる。
イワン・ウイスキーは、抑えきれない苛立ちをとりあえず科学者たちにたたきつけておこうと思いつき、今、修復したばかりの電子回路の、一番ややこしそうなトコロを狙ってぶち切ってやった。科学者たちの悲痛な叫びと、こちらに向けられる怒りを、心地よく受け取りつつ、イワン・ウイスキーはひそかに溜息をついた。
 BGにいたときは、どんな不愉快な実験を加えられても、その後003に優しく抱きしめられ、ミルクをもらうことができれば、とりあえず平常心に戻ることができた。彼女が連れてこられてから、001のたたき出す実験データが飛躍的に上がったことに科学者達は敏感に気づいた。そして、以来、003は001の世話係と決められたのだった。
 
 どれほどの時間が流れたのか、よくわからない。眠ってしまいたい気がするのだが、眠れない。たぶん、ブレーン・タップのせいなのだろうと思う。
馬鹿なヤツらだ、眠らせてしまえば、少なくとも、僕を殺すことぐらいならできるのに……とイワン・ウイスキーはまたうんざりする。
 サバの父親だというコルビン博士は、既に命を落としていた。コズモ博士もとっくにそうなっていておかしくはないのだが、どうやら科学者たちは、イワン・ウイスキーの抵抗を、地球人の特性と思いこみ、赤ん坊でコレなのだから、オトナはどんなことになるのかわからない、とびびっているらしい。だから、まずはこの赤ん坊を片付け、そのデータをもとに、慎重にコズミ博士を……とかいうことらしい。
 僕のデータを応用できる地球人なんていないのになあ……。と、中途半端なあくびをしながら、イワン・ウイスキーは、科学者たちの徒労にやや同情していた。といっても、やはり実験はウザいし、彼らの愚鈍さには苛々する。ふと気づけば、いつのまにか、科学者たちのメンバーは微妙に変わっていたし、彼らの怯え方もより深刻なものになっていた。おそらく、処刑者が出始めているのだろうが、それを気の毒に、と思えるほど、イワン・ウイスキーの同情心は厚くない。愚かな者は滅びる運命にあるのだ。どうしようもない。
 フランソワーズなら、そうではないわ、と首を振るかもしれない。そんなことを考えては駄目よ、とたしなめるかもしれない。彼女は、やさしい。やさしいとはどういうことか、彼女の腕からイワン・ウイスキーは学習した。その彼女は、今どこにいるのか。ちゃんと近づいてきてくれているのか。
ところが、苛々と待ちわびるイワン・ウイスキーのもとに順調に近づいている……と思っていた仲間達の気配が、あるとき、不意に止まってしまった。要するに宇宙船の修理か補給のためにどこかの星に立ち寄ったらしい。
 それなら仕方がない……と、諦めかけたイワン・ウイスキーだったが、ほどなくまた猛烈に苛立つことになった。なんとなーく覚えのある切ない思念を感じとったのだ。それは微かなモノだったが、紛れもなくフランソワーズの思念だった。間違いない。
 
――またやってるのか、009!
 
 イワン・ウイスキーは怒りに震えた。フランソワーズが、もといサイボーグたちが或る地点で動かないのは、どーやらその星に住む美女と009とが、微妙な間柄になっているから……のようだと悟ったのだ。
いくらなんでも、遙か離れた星の上で起きているだろうそんなことまで、はっきり感じ取れるはずはなかったが、イワン・ウイスキーが受け取ったフランソワーズの微弱な思念は、これまで何度も何度も何度もあった、そーゆーときに発せられていたモノと同じだった。とにかく、何度も何度も何度も経験していたことだから、間違いない。どうせそーゆーことにちがいないと、イワン・ウイスキーは確信したのだった。
 
どうなっているんだろう、あの男は?と、イワン・ウイスキーは苛立つ。
009のソレは、しばしば仲間達が言うように、女性に甘い、とかいうレベルの問題ではないということを、彼はよく知っている。おそらく気づいているのは自分だけなのだろうが、009はたいていの女性を惹きつけてしまうようなのだった。若かろうが年寄りだろうが子供だろうが、関係ない。人種だって軽々と越えてしまう。ついでにいうと、犬や猫や小鳥や金魚だって、雌であれば同じコトだったりする。
 
――宇宙人も、かよ。さすがだね、009。でも、今はソレどころじゃないはずだ!
  
 イワンは怒りのテレキネシスを爆発させた。科学者たちの悲鳴がとどろく。
 
――いいからさっさとフランソワーズを連れてこい、島村ジョー!
 
 とりあえず、その宇宙人とよろしくやりたいならやっていればいいのだ。仲間たちも、だらしがない。ぐずぐずしている009など置いて飛び立ってしまえばいい。彼がいなくても、自分がいる。なぜそう思えないのか。僕はアノ男より信用がないというのか、そうなのか、フランソワーズ!
 
……そういう、ことなのかも。ねえ、そうなの?フランソワーズ?
 
 イワン・ウイスキーは自分の出した結論に少々落ち込んだ。たぶんそれは正しい。なんといっても最強の電子頭脳である自分がたどり着いた結論なのだ。
 
――もう、頭がおかしくなりそうだ!早く来てよ、フランソワーズ!
 
 イワン・ウイスキーは心で叫んだ。
 幸い、その叫びに呼応するように、ほどなくサイボーグたちは動いた。同時に、基地内にこっそり張り巡らせていた精神の触手が、ダガス軍がファンタリオン星を攻撃したことを探り当てる。やれやれ……と安堵した。邪魔者が根こそぎにされたらしいことに、イワン・ウイスキーは大いに満足していた。
 
 それから、しばらくして。
 なんとなく基地内が慌ただしく感じられた。ゾアの超能力が発動しているらしい。
 
――いよいよ、サイボーグたちがここに近づいてきているようだ!
――ゾアさまの超能力が、それを感じとられたというのか?
 
 何を今さら、と、イワン・ウイスキーはうんざりする。
 仮にも宇宙に君臨しようとするレベルの超能力者が、やーーーっと彼らの気配に気づいた、というのだろうか?まさか、だ。笑わせてくれる。もしそうなら、ずいぶん昔の話になるが、かつてマグマ島で対峙した、名も知らない年増女エスパーの方が、はるかに強い力をもっているのではないか。
 なんだか、本格的に嫌になっちゃったなあ……と、イワン・ウイスキーは嘆息した。こんな基地など、さっさと破壊して地球に帰りたい。ゾアだって、適当に始末してしまえばいい。が、悲しいかな、地球はちょっと遠い。帰って帰れないことはないかもしれないが、疲れるだろうなーと思う。何より、フランソワーズも一緒に帰ってくれなければ意味はないのだ。
 こんなことなら、ホントにフランソワーズを地球に置いてきてくれればよかったのだ、009は。そうすれば心おきなくゾアを倒し、帰ることができた。君は地球に残ってほしい、とか言ってたくせに、要するに口先だけなんだからな、あの男は……と、イワン・ウイスキーは苦々しく思う。
 しかし、それは無理のないことなのだった。フランソワーズが、あの男を愛していることも、彼とともに生きたいと思っていることも、よくわかっている。誰よりもよくわかっている。だから、大いに不本意ではあるが、イワン・ウイスキーは島村ジョーといさかいをするわけにはいかない。もちろん、ストレスのかかることではあるのだが、そんな小さなストレスは、フランソワーズに抱かれれば雲散霧消するのだ!
 
――私が行きます!ジョー、私を連れて行って!
 
 突然、泣きたくなるほど懐かしい、強い思念が、イワン・ウイスキーを貫いた。
 フランソワーズだ!
 
 仲間たちは、すぐそこまで来ていた。しかも、フランソワーズは、危険を承知で、この基地に乗り込もうとしてくれている。素晴らしい!
イワン・ウイスキーは興奮した。
是非、彼女に来てもらいたい。もう一刻も待てない。彼女の腕に抱かれさえすれば、自分は無敵になれる。危険など、ありはしない。早くきてくれ、フランソワーズ!
……しかし。
 
――しかし、君はパルスに同調できる心臓を持っていない。
 
 やかましいっ!
 イワン・ウイスキーは身もだえした。いつもはぼーっとしているくせに、なんなんだこの男は。心臓がなんだというのだ。君はほとんど生身の体だ、とか言いながら彼女を抱いて最大加速するのは平気なくせに。自分の体内の原子炉が彼女の健康を損ねたりしないんだろうかとか、そういうことは思いつかないくせに。
 いいか、島村ジョー。今さら細かいコトを気にするんじゃない。異星人と子孫を作ることに、何ら生物学的な疑問を抱くこともないよーな雑なヤツが、心臓がどーのとか、言うな!そんなモノはどうにでもなるのだ。問題は、一刻も早く、僕のもとに彼女をよこすことなのだ!いいか、心臓なんてものは……
 
――俺の調整器をアタッチメントすれば、大丈夫だぜ!
 
 いいぞ、002、そのとおりだ!アタッチメントしろ!
 どうやるのか、なんて気にするなよ。僕がどーにかする。アタッチメントだな?ふん、おやすいご用だ。アタッチメント、上等じゃないか、さっさとやろうぜ、相棒!
 
 数分後。
イワン・ウイスキーは上機嫌だった。まもなくフランソワーズがやってくる。
 彼女のあたたかい腕。やさしい胸の感触。なんて久しぶりなんだろう。わくわくする心を抑えることができない。
 
「うわあーーっ!……まただ!……チクショウ!」
 
 ちょっとはしゃぎすぎた。いけない。もうすぐフランソワーズが来るのに……
 イワン・ウイスキーは、気持ちを落ち着け、クールでいようと、小さく深呼吸した。もちろん、それは、即座に処刑された科学者を悼んでのことではなかった。どのみち、ほどなく彼らは全滅するのだ。どのようにかというと、ええと……え。原爆?
なんか、無駄に派手だなあ……それに、009じゃないのか。イマイチだな。
でも、まあ、いいか。フランソワーズが泣くのは、嫌だからね。
 
 
その3 少年の夜
 
 スターゲートを抜けた。大きく溜息をつき、サバはゆっくりとシートベルトを外した。もう、ここは地球からは遙か離れた……異空間といってもいい宇宙だ。
 立ち上がり、大きく伸びをする。ついでに深呼吸した。自分を確かめるように。そして、長い廊下を歩き、ある扉の前に立った。そのひとが、短い時間を過ごした部屋。
 
――フランソワーズ。
 
 声にならないつぶやきが、吐息に変わる。
サバは、扉をしばらく見つめ、小さく首を振った。
今は、まだ駄目だ。いつか、もっと……そう、もっと、大人になったら。
 
003は、美しい女性だった……らしい。
コマダー星人である自分には、正直もうひとつピンとこないモノがあったが、サイボーグたちの態度から、それと感じることができた。
だから、ファンタリオン星の女王に出会い、しかも彼女が009に想いを寄せていると知ったときは、かなり心配になった。女王タマラは、サバの美意識をもってしても、このうえなく美しい女性に思えたからだ。
003が009と恋人同士であることは、何となく感じ取っていた。003が、彼を深く愛しているということも。それなのに、もし009が彼女よりタマラを選んでしまったら……彼女はどうなってしまうのだろう?
 
コマダー星がまだ平和だった頃。ごく幼かったサバは、よく美しい従姉に遊んでもらっていた。サバの母は、父の研究の助手であり、秘書でもあり、忙しい日々を送っていた。息子への愛情が薄いというわけでは決してなかったが、いつもサバと一緒に過ごすわけにはいかない生活をしていたのだ。従姉は、そんなサバの母の手助けをするために、家に来てくれていたのだと思う。家事の得意な、優しい少女だった。
ところが、ある日突然、彼女はふっつりと訪れなくなった。
不思議に思ったサバがどうしたのかと尋ねても、両親は口を噤んだまま、答えない。彼女が、自ら若い命を絶ったのだとサバが知ったのは、ゾアの攻撃が始まるわずか数ヶ月前のことだった。
 
彼女が、どうしてそんなことをしたのか、サバは知らない。大人たちも、何も言わなかった。が、サバにはひそかに思い当たることがあった。
あるとき、街で彼女を見かけた。気軽に声をかけようとしたサバは、あ、と咄嗟に声を呑み込んでいた。彼女の傍らに、見知らぬ青年が立っていたのだった。親しげに彼を見上げ、微笑む彼女は、サバが見たことのない美しい……どこか切ない表情をしていた。別人のように、思えた。
その青年が、彼女とどういう関係にあったのか。彼女の死と彼と、何か関係があったのか、なかったのか……サバにはわからない。そして、やがて、コマダー星を襲った災厄は、そんなことを考える間もなく、サバを押し流していったのだ。
 
003は、大丈夫だろうか――。
 
ファンタリオンの王宮に行ったきり、なかなか戻らない009を待つともなく待っている003が、わけもなく従姉の面影と重なって、サバは無性に不安になった。
それでも、その不安を誰かに訴えるわけにはいかなかったし、そもそも、009が003をうち捨てるとも思えない。彼がそうすることは、すなわちサバとの約束も破ることになる。009がそんなことをするはずはなかった。
 
その夜も、003は009を待っていた……のだと思う。よほど疲れていたのか、彼女はシートに沈み込むようにして眠っていた。
「003……003、風邪を引きますよ。部屋で休んでください」
 サバがそっと肩をゆすると、003はうっすらと目を開き、微かに唇を震わせた。その唇が、ジョー、と動いたことに、サバは気づいた。
「大丈夫です……彼は、すぐ戻りますから。さあ、003……」
 しかし、003は再び目を閉じた。その閉じた瞼から、涙がひとすじ流れる。サバは、思わず息をのんだ。言葉にならない切なさに胸がしめつけられ、サバは小さくあえぐように深呼吸した。
どうしたらいいだろう……と、しばし迷う。誰かサイボーグを呼びにいけばいいのだが、その間彼女をここに一人にしておくのかと思うと、心許ない気になってくる。
「しかたない……ロボットを使おう」
 サバはほっと息をついた。サイボーグたちと旅するようになってから、その必要がなくなったため、久しく動かしていなかったが、イシュメールには各種の作業ロボットが充実している。003を起こさないようにそうっと部屋に運び、寝かせることも、それらを使えばたやすいことだった。
 
 眠っている003に静かに毛布をかけてやり、部屋を出たサバは、いきなり009と鉢合わせになった。思わず声を上げそうになる。009も相当驚いた様子だったが、サバの背後で眠る003に気づき、素早く口を噤んだ。
「……君が、彼女を運んでくれたのかい?」
 並んでコックピットに向かって歩きながら、009が長い沈黙を破った。
「はい。ロボットを使って……」
「ああ、そうだったのか」
「僕はみなさんのように力持ちではありませんから」
「それは、そうだね……誰かを呼べばよかったのに」
「起こしてしまったら可哀相だと思ったので。003は、このごろずいぶん疲れているようですから」
 思いきって言った……が、009は表情を動かさなかった。
 
 そのとき、しておかなければならなかったコックピットでの作業は、それほど多くなかった。あとは僕がやるから、君も休んだほうがいい、と009に促され、サバは自室に戻った。ベッドに横たわり、目を閉じる……が、なんとなく寝付くことができない。003は大丈夫だろうか、と、またふと気になった。
 初めて入った彼女の部屋は、何だかひどくひんやりとしていた。あの暗い部屋で、もし不意に目ざめたら、彼女は驚いてしまうかもしれない。怯えてしまうかもしれない。いや、そんなことはないだろう。あのひとは強いひとだ。強くて、優しくて……
 従姉もそういうひとだった、と思い出し、サバは大きく目を見開いた。心がどうにもざわついて、落ち着かない。ちょっと様子を見に行くだけだ……と、言い訳のように自分に言い聞かせ、サバは起き上がった。
 
 そこで何が起きているのか、サバは咄嗟にわからなかった。
 003の部屋の、開いた扉の前に呆然と立ちつくしながら、ようやく、それが地球人流の……いわゆる、愛の営みであるらしい、ということに思い至ったときだった。009が不意に顔を上げ、振り向いた。まともに目があう。その強い視線をそらすことも、身じろぐこともできずにいたサバは、女性の声にはっと我に返った。
「……ジョー?」
 かすれた細い声は、たしかに003のものだ……が、それは、サバが知るどんな彼女の声とも違っていた。
「何でもないよ、フランソワーズ。サバが……君を心配して、来てくれただけだ」
「……っ!」
 息をのみ、飛び起きようとする003を悠々と組み敷き、その自由を奪いながら、009はサバにあざけるような微笑を投げた。
「ほら……そんなに暴れると、サバが心配する。まるで、僕が君を苛めているように思われるじゃないか」
「や……めて、ジョー!……サバ、見ないで、お願い……!」
 悲痛な叫びに、サバははっと我に返り、踵を返した。心臓が飛び出しそうに高鳴っている。
「……どう……して……?」
 冷たい壁にもたれ、サバは呻いた。その問いは009に向けたものなのか、003に向けたものなのか……自分でもわからない。ただ、どうして……と、繰り返した。
 サバにも、恋人……とは言えないまでも、好意を抱き合う少女はいた。もう既に、ダガス軍の攻撃によって、この世のひとではなくなっていたけれど。彼女と、身体で愛を確かめ合ったことはまだなかった。が、どうすればそうできるのか、ということは知っている。もちろん、知識として知っているというだけにすぎなかったが、少なくとも、それは、今、009が003にしていたような、あからさまに野蛮な……残酷な行為でない。それだけはたしかだ。
 
 数日後、ファンタリオン星は再度ゾアの攻撃を受け、あの美しい女王も儚くこときれた。彼女を抱いて涙する009の姿はこのうえなく愛情深く、それゆえにサバの胸はまた痛んだ。
 
――あなたは、やはり、そのひとを愛していたのですか?003よりも……?
 
 こっそり003をのぞくと、彼女はただうつむいている。祈っているようにも、何かに耐えているようにも見えた。
 
 イシュメールがファンタリオン星を離れると、009は自室にこもってしまった。憔悴しきった様子の彼を、サイボーグたちは静かに見送り、誰も何も言わなかった。もちろん、003も。
 その日、サバは003の部屋の前に立った。ためらいがちに、入っていいかと乞うと、ほどなく扉が開いた。
「どうぞ、お入りなさい……何か、あったの?」
 優しく問いかけられ、サバはうつむいた。どうしてこのひとは、こんな表情ができるんだろう……と思う。きっと、つらくてたまらないはずなのに。
 無言のままでいるサバの気持ちを、003は誤解したようだった。彼女はためらいがちにサバに歩み寄り、彼の頬を柔らかい手でそっと包んだ。
「この間は……ごめんなさいね。驚いたでしょう……?」
「え……」
 思わず頬が熱くなる。しどろもどろになったサバに、003は微笑した。
「でも、お願い。私を嫌いにならないで……009のことも……」
「そんな、嫌いだなんて!」
 驚いて叫び、勢いよく顔を上げると、深く澄んだ青い目にぶつかった。あ、と思った次の瞬間、サバは温かく柔らかい胸に抱きしめられていた。
「地球では……ああして愛し合うの。あなたの星では、きっと違うのでしょうね」
「……は、はい」
 頭の芯が、熱くなり、ぼうっとかすむような気がした。次の瞬間、サバは夢中で003を強く抱きしめ返していた。
「僕たちは……コマダー星では、こうするんです……003……いいえ、フランソワーズ!ああ、僕は……僕は……!」
「……サバ?」
 突然のサバの烈しい動きに、003は一瞬怯えるように身を堅くした。が、一瞬のことだった。ふっと柔らかくなった感触に、サバは、彼女が自分を受け入れてくれたのだと直感した。後は、何も考えられなかった。
 その行為が、地球人である彼女にどういう印象を与えたのか、サバには知るよしもない。が、彼が想いの極みに上り詰め、全てを解き放ったとき、003はぞくぞくするような甘い声で小さく啼いた。それはあの夜、009に蹂躙されていた彼女が放ったのと同じ声だった。
 
 003とそういう夜を過ごしたのは、それが最初で最後だ。それでよかったのだと、戦いの中で、いつか、サバはそう思うようになっていった。009はたしかに、彼女を愛している。もしかしたら、彼女が彼を愛するよりもずっと深く。それが、はっきりと感じ取れるようになったからだ。
 
 別れの日、003は優しくサバを抱き寄せ、ありがとう、と囁いた。ああ、このひととはもう二度と会えないのだと、改めて切なく実感しながらも、サバはそれでも、もしかしたら……と思わずにはいられなかった。
 いつか、僕が本当の大人になったときに、もう一度あなたに会えたら。そうしたら、僕は言えるだろうか。あなたを愛しているのだと。そして、あなたは応えてくれるだろうか。あの夜は夢ではなかったと……そう優しくうなずいてくれるだろうか。
その日まで、お別れします。僕が初めて愛したひと。星の彼方にいるひと。
僕の……フランソワーズ。
 
 

PAST INDEX FUTURE



Last updated: 2011/8/3