2      新発売「00ナンバーなりきりスーツ」の教育効果を語る
 
レポート課題: 『009』グッズの企画
 
 
 先日、全国で一斉に「00ナンバーなりきりスーツ」が発売された。故石ノ森氏が「009」で訴えた平和への祈りと、21世紀を担う子どもたちの心を正しく育もうという願いがこめられた商品として、既に各方面から絶賛の声があがっている。
 筆者もまた、微力ながら教育に携わる「009」ファンとして、この玩具を特に新学習指導要領の観点から、強く推奨したい。
 
 モノは要するに、00ナンバーサイボーグの子供用戦闘服。
 ほぼ原作どおりの、シンプルかつ上品なデザインである。さらに、目に付きやすいハッキリした色調が、子どもたちを事故や犯罪から守ってくれるだろう。
 洗濯がきき、しかも色落ちしない、という点を、優れた特性として強調しよう。もともと、泥だらけになって外で遊ぶためのスーツであるから、当然ともいえるが、何と言ってもあの色である。開発者の苦労が偲ばれる。
 
 玩具にとって、安全性の確保は基本であり、宿命である。この点、「00ナンバーなりきりスーツ」には、各所に開発者の細やかな配慮が溢れている。
 
 マフラーは極力短い、スカーフ大のものである。ファンとして、マフラーが短いのは画竜点睛を欠いたという思いも否めないが、この場合やむを得ない。
 運動性を妨げると予想されるロングブーツも、ズボンのひざ下を黒に切り替え、ブーツに見せるやりかたで表現されている。黒い運動靴を履けばより雰囲気が出るはずだ。
 胸のボタン(?)は、ピンクッション状の布製。安全である。
 
 このようないわゆる変身スーツは、これまでにも多く発売されてきた。が、筆者が強調したいのは、「00ナンバーなりきりスーツ」が、それらとは明らかに一線を画し、高い教育効果を期待できる玩具だということなのである。
 
 まず、これを用いれば、最高9人まで仲間として「009ごっこ」を楽しむことができる。より多い人数で、しかも個性をフルに生かして遊べるということを、重視したい。
 さらに、戦闘服のデザインは全メンバー共通であるから、子どもたちが遊びの最中に即興的に役割を入れ替えることが可能になるのである。
 たとえば、今まで005だった子が、次の瞬間003に代わることもできる。こうしたことは、想像力と社会性を育む上で有効である。
 
 それだけではない。
「009ごっこ」は、意外に難しい遊びなのである。たとえば、「009」には必殺技がない。
 ウルトラマンごっこなどは簡単だ。「シュワッチ」と「スペシウム光線」さえ覚えておけばいい。(仮面ライダーなら「ライダーキック」である。)子どもたちは定められたクライマックスに向かって進む。余計なことを考える必要などない。
 
 「009」の場合、決してそうはならない。
 主人公らしき009が持つ、一番の能力でさえ「加速装置」なのだ。たしかに、新ゼロで定着した「加速装置!」の叫びのおかげで、少しはわかりやすいワザとなった。だが、一体これのどこが「必殺技」なのか。加速して、どうするのか?
 
 スペシウム光線(或いはライダーキック)の明快さしか知らない子どもは、そこで戸惑う。くどいが、加速して一体どうするのだろう?
 それは、彼自身が考えて答えを出さねばならない。「009ごっこ」は、自ら考え、自発的に行動する子どもを育てるのである。
 
 もう一つ、重要なことだが、009たちは「変身」するのではなく、本来の自分のままで戦う。日常モードから戦闘モードへの切り替えは、彼らの内面で行われるのである。この内面的切り替えができなければ、「009ごっこ」の本当の楽しさは味わえない。
 「009ごっこ」に真摯に取り組む子どもたちは、自然に自分の内面を見つめ、自分とは何か、について深く考えることになる。その経験は、真の意味で自分を大切にする心を育てるだろう。
 
 これこそ、文部省(現:文部科学省)が提唱した、「生きる力」を養う教育である。「生きる力」を養うとは、こーゆーことなのだ。
 
 所詮外見の切り替えでしかない「00ナンバーなりきりスーツ」など、理想の「009ごっこ」において不要である、という意見が出るかもしれない。
 しかし、言うまでもなく、昨日までできなかったことをできるようにするのが教育の意義である。今のままでは「009ごっこ」ができない子どもを手助けするためにこそ、この「00ナンバーなりきりスーツ」は存在するのである。
 楽しく遊びながら、高度な創造性・社会性を身に付け、さらに、自ら考え、自発的に行動することを学び、「生きる力」を養う。「00ナンバーなりきりスーツ」という玩具は、まさに新学習指導要領の精神そのものである。
 
 さて、こういう商品には、別売りの「付属品」がつきものである。
 だが、00ナンバーサイボーグには、各キャラクター特有の持ち物がほとんどない。したがって、付属品も銃と他2つ、合計3種類しか発売されていない。「009」という作品が、図らずも玩具メーカーにボロ儲けをさせない構造を持っているということに、あらためて畏敬の念を抱かずにはおれない。
 
 付属品の「銃」。非常に地味で、殺伐としたモノである。印象ははっきり言って、暗い。
 しかし、これでいいのだ。
 銃を構えながら、「こんなものを持つのはイヤだ!」と心で叫ぶのが、正しい009である。この「銃」はそういう陰鬱な気分を盛り上げてくれるに違いない。そして、子どもたちは命の尊さ、戦いのむなしさを体感し、他人を思いやる心を知るのである。
 
 「004の手袋」も、同じような発想で作られたものだろう。
 原作にしばしば登場する、黒の皮手袋ではない。(戦闘服姿のとき、あれはむしろ外すものだ。)
 「004の手袋」は右手だけ。銀色を基調としており、どこか暗い光沢を持っている。右手をマシンガンに見せるための、怖いほどリアルな手袋である。
 なんというか、これを子どもにはめさせようと考えたヤツの顔が見たい、と思わず言いたくなる、凄みのある代物ではある。
 もし004がこれを見たら、立腹、または傷心するであろうか?
 する、と筆者は確信する。だが、誰よりも強く優しい彼はよくそれに耐え、静かに言うだろう。
 
 「サイボーグになってはいけない。今の自分を大切にするんだ。」と。
 
 「004の手袋」をはめるたび、子どもたちは悲しみと祈りがこもった彼の声を聞く。それが彼らの心をどれだけ成長させることになるか。最早説明の必要はない。
 
 「003のカチューシャ」は、玩具の素朴な楽しさを感じさせてくれる付属品である。
 考えてみると、003の外見には、一目でわかる顕著な特徴というものがない。(天才・石ノ森氏は魂でキャラクターを描き分ける)そんな003の唯一のシンボルはカチューシャである。
 003の外見に特徴がないことが、この場合幸いする。どんな女の子でも、このカチューシャさえつければ、かなりホンキで理想の少女・003になれるに違いない。
 
 ところで、あのカチューシャ。不思議である。あの両端の丸いモノは一体何だろう?
 「003のカチューシャ」はその点、問答無用だ。プラスティック製で、絵に見えるとおりの形状。それをヘッドホンのようにつける。何となくすっきりしないが、ここはあきらめよう。
 
 以上が、現在発売されている「00ナンバーなりきりスーツ」の付属品である。
 「009」ファンとしては、もう少し他にあってもいいのに、と思わないでもない。しかし、そうもいかないようだ。
 
 一見簡単にできそうな「001のおしゃぶり」。が、それを使って001になって遊びたいと思う子どもがいなければ、つまり需要がなければ、商品として成立しない。
 
 「変身!007セット」などもありそうだが、007は、何であれ、定まった特性を全て拒否したところにその特性があるという、特異なキャラクターである。
 したがって、007をやりたい、やってみせるという子どもは、それ相応の才能と気概を持っているはずだ。そういう子どもにこうしたセットは不要である。
 
 もちろん、問題は需要だけではない。言うまでもなく、子どもに害をなすようなものは、「00ナンバーなりきりスーツ」の付属品として、ふさわしくない。
 
 たとえば、「006の中華ナベ」。危険だ。
 
 「真の料理人である006は決してナベで人をなぐったりしない。ナベは戦闘中でも最高の料理を作り続けようとする、料理人006の魂の象徴であり、それ以外の使い方など、断じてしてはならない」
 
 と、親が子どもに言い聞かせることは、確かに尊い。
 
 しかし、気分が高揚したとき、ナベを片手にしているにもかかわらず、それを武器とすることなく、「みんな、おいしいチャーハンあがったアル!腹が減ってはイクサできないアルからねえ!!」なんて言いながら、戦闘ごっこ真っ最中の仲間の間を飄々と歩いたりする。そんなことが、子どもにできるものだろうか?心もとない。
 
 意味は少し違うが、009のアレが作られないのも、残念ながら同じ理由だろう。
 
 つまるところ、茶髪は校則で否定される運命にある。とすれば、愛と勇気をモットーとする正しい子どもたちに、「茶髪こそ正義のシンボル」と思いこむような体験を持たせては酷である。将来、彼らを指導する教員だって、かーなーり困る。
 
 安易に「009の前髪」を作らなかったメーカーの配慮に、筆者は敬意を表そう。
 
 こうしてみると、「00ナンバーなりきりスーツ」は、その付属品に至るまで、実に良心的に、熟考を重ねた上で作られているのである。無駄なものはない。足りないものもない。
 
 しかし。しかしである。
 多分ムリだったのだ。それは分かる。しかし、最後に「009」ファンとして願わずにいられない。
 
 「002の鼻」を開発してほしい。
 
 もちろん、原作イメージどおりのカッコいい「鼻」である。
 002は凄くカッコいい。それに異議を唱えるファンはいないはずだ。需要は十分ある。「003のカチューシャ」で女の子が味わう楽しさを、男の子にも是非与えたい。何とかならないか。
 
 「鼻」なら校則にひっかかることもないし。
 
 たしかに難しい。たとえば「009ごっこの子どもの目に、鼻。大怪我。」なんて、わけのわからないことは、絶対に避けなければならないのだ。安全性の確保は玩具の基本、宿命である。
 それでも、メーカーには、あらゆる難関を乗り越え、安全でカッコいい「002の鼻」を実現すべく努力してほしいものである。
 
 「新学力観」のもと、これまでにない「新しい教育」が、文部省(現:文部科学省)を中心として、さまざまな形で提唱されてきた。
 そんな中で、新教育課程の実施もいよいよ近づいている。2002年度から、公立学校での完全週5日制が始まる。子どもたちの余暇の利用法が一層盛んに議論されよう。
 
 ここで、授業時間が減った分、「009ごっこ」をすれば真の学力が養えるのだ、などといったら、さすがに、何か違っているという気がしてならないが、筆者はふと思うのである。「新しい教育」を受けた子どもたちは、もしかしたら、戦闘ごっこ遊びなどしないのかもしれない。
 彼らは、我々が思いもつかないようなやりかたで、この「00ナンバーなりきりスーツ」を用い、彼らの余暇を有効に活用するのではないか。
 
 たとえば、「00ナンバーごっこ…地域と一体のボランティア篇」とか。
 結構、ホンモノの00ナンバーも、戦闘よりそういうことをやってる方が多いような気がする。
 
 

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Last updated: 2011/8/3