5      中国人とフランス人
 
レポート課題: バレンタインデーを演出せよ
 
 
 
「どうアルか?」
 
心配そうに覗き込む張々湖に、ジョーは大きくうなずいた。
「すごくおいしいよ…!ね、博士?」
「そうじゃの…実に深いいい香りじゃ…」
「よかったアル〜!フランソワーズ、謝謝…!悪いアルけど、まだちょっと安心できないトコロあるからして、明日、店で、も一度教えてほしいアルよ」
「お店で…?」
フランソワーズは眼を丸くした。
 
「張大人…これ…お店のメニューにするつもりだったの?」
「もちろんアル!…う〜ん、そうね、名前は工夫がいるアルかも…ショコラ・ムースだのスフレだのじゃ…中華っぽくないねえ…」
「…そもそも中華じゃあるまいに…うまく料理に合うかのう?」
張々湖は笑った。
「あんまり合わないアル…でも、このごろ、若い女の子のお客さんもくるからして…こういう甘いモノ、もっとイロイロおきたいと思ってたアルよ」
「でも…でも、メニューに入れるのは…どうかしら…?たしかに、これ…とってもおいしくできたけど…採算がとれないかもしれないわよ」
考えながら言うフランソワーズを、張々湖は怪訝そうに見やった。
「高い材料なんて使ってないアル…?卵とチョコレートと、牛乳と…」
「そのチョコレートが問題よ、大人…あれ…とっても高級なチョコレートじゃない?たしか、ベルギーのお店の…」
「高級…?ベルギー…アルか?」
「…知らなかったの?」
張々湖は大きく首を振った。
 
「知らないアル…あのチョコレート、もらい物やったし…」
 
張々湖がゴミ箱から引っ張り出した箱に、ギルモアは眼をみはった。
「これはまた…立派な箱じゃのう…」
「ねぇ、これさ…お菓子の材料っていうより…そのまま食べた方がよかったんじゃ…?」
「…私も…そう言ったんだけど…」
フランソワーズはちらっと張々湖を見てから、ジョーに微笑んだ。
 
張々湖は断固としてかぶりをふった。
「それ、ダメね…!これ、お得意さんがワテに、新しい、いい料理作ってほしいキモチこめてくれたものアルからして…!」
「お得意さん…って店のお客さんがくれたのかい?」
「そうアル!」
「……いつ?」
 
張々湖は一瞬考えてから、答えた。
 
「…先週の…木曜日…アル…かな?」
「……」
 
ジョーは瞬きを繰り返した。
 
「大人…そのお得意さんってさ…もしかしたら、女の人?」
「そうアル?」
 
考え込むジョーに、フランソワーズは首をかしげた。
「どうしたの、ジョー?」
「い、いや…その…もしかしたら…なんだけど、これ…僕たちが食べたら…いけなかったのかもしれない…と思って」
「なんでアルか?エンリョは無用よ!第一、試食もまだのメニュー、お客さんには出せないアル」
「そう…じゃなくて…ええと、せっかくもらったんだから、そのチョコレート、そのまま大人が全部食べてあげた方が…」
「それは無理よ、ジョー…ね?大人?」
張々湖は大きくうなずいた。
「あんなにたくさん、一人ではとても食べきれないアルね…!」
 
……それはそうなんだけど。
 
 
 
 
 
沈黙の中。
張々湖は腕組みしたまま、せかせかと部屋中を歩き回っていた。
「う〜ん、困ったアル…フツウの安いチョコレートでも、できるやろか…?」
「どれくらいの味を追求するか…によると思うわ」
「…せっかくのお客さんのキモチ…大事にしたいアル…期待を裏切ったら申し訳ないアルよ…フランソワーズ、高級って…幾らぐらいするものアルか?…メニューには廉価版入れるにしても、彼女にはホンモノ食べて欲しいね」
 
フランソワーズが考え考え告げた金額に、張々湖は飛び上がった。
「ま、まさか〜っ?!」
「…と思うわ…だって…」
「信じられないアル、たかがお菓子にそんなネダンつけるアルのか…?」
「でも、ホントよ…そのお客さん…お金持ちなのかしら?」
「お金持ちがワイの店にくるはずないね…中学生アル」
「まあ…!」
「いや…もしかしたら、親御さんからだったアルかも…ほとんど毎晩、一人で来て、ウチで晩ご飯食べてく子アルから…」
ギルモアが大きくうなずいた。
「なるほど…!たしかに、日本には、そういう気の回し方をする親が多いと聞いたことがあるような…どうかね、ジョー?」
「は…はあ…」
 
たぶん、そうじゃないと思うんだけど…。
でも。
 
「仕方ないね…同じチョコレート買って、あの子にこのメニュー、披露するアル…店の正式メニューの方はまた考えるにしても…それにしても、もったいない話アル…あの子もどうかしてるアル、こんな贅沢するなんて…」
「…叱ったら可哀想じゃぞ…きっと、その子は無理に両親にねだったんじゃろう…いつもおいしいゴハンを作ってくれる大人にどうにかして感謝の気持ちを表そうと…」
「そうアルやろか…?」
 
「きっとそうよ…でも」
フランソワーズの微笑みが僅かに曇った。
「でも…ね、大人…これ…手に入れるの、ちょっと面倒だと思うわ…普通のお店では売ってないんじゃないかしら…?たぶん、特別に注文して…空輸してもらったんじゃ…」
「空輸、アルか〜?そ、それじゃ間に合わないアルかも…!」
「間に合わない…?」
 
張々湖は肩を落とした。
「あの子、来週…引っ越す…言ってたアル…そしたら、もう店には…」
「まあ…それじゃ…これは…お別れの…?」
「そうアル…」
 
重い沈黙が流れる。
一人で毎晩、店にやってくる少女。
両親は健在。
 
…だから、どうだ、と決めつけることはできないが…
 
フランソワーズはふと涙ぐんだ。
ジョーも深い息をつく。
 
「その子…大人の料理が…とっても好きだったんだね…きっと、大人のことも」
「…そうね」
 
「ジェットに…頼んでみようよ」
「…ジョー?」
「ちょっと大げさ…ってカンジもするけどさ、きっと彼だったら引き受けてくれるよ…その、ベルギーまで飛んでもらって、チョコレートを…」
「そう…ね、そうだわ…!ジェットなら、明後日には届けてくれるわよ、きっと…」
「で、でも…それは…さすがに申し訳ないアルよ…」
「…そうじゃ!」
 
不意にギルモアが膝を打ち、ジョーを振り返った。
 
「オマエさんのところにあるチョコレート…あの中に、使えそうなモノが混ざっとらんかね?」
「え…ええ…っ?」
「ジョーのところに……?」
 
フランソワーズが眼を丸くした。
 
 
 
 
 
だから、さっさと棄てればよかったんだけど。
でも、やっぱり棄てるのはよくない気がしたし…
食べ物だし。
博士…いったい、いつ気づいたんだ?
 
ジョーはチョコレートがいっぱい入った段ボールを部屋の隅から持ち上げた。
ホワイトデーにお返しをしなくちゃいけないから、とにかくラッピングを外して中を確認して、カードも抜いて整理しておいた。よかった。
要するに、食べきれないでいる中身…チョコレートだけだから…なんとか…なるかなあ…?
 
でも…できれば危険は冒したくない。
どうにかしてごまかせないだろうか。
 
「ジョー…?見つかった?」
「……フランソワーズ…!」
 
フランソワーズが後を追って来ている。
部屋の外から、心配そうな声。
もちろん。彼女が心配してるのは、大人が使えるチョコレートが見つかるかどうか…ってことなんだけど。
 
しかたない。もたもたしていたら…
一緒に探して上げるって言われそうだ。
余計なモノまで見つかったら…余計まずい。
 
ジョーは大きく息をついた。
 
「まあ…!すごい…これ、みんなチョコレート?」
「う、うん…」
「どうして、こんなに…」
「その…ええと、僕がこういうの好きだって…思われてるみたいで…」
「そうなの…相変わらず、熱心なファンが多いのね!」
 
フランソワーズがちょっと不機嫌そうに眉をひそめる。
 
まずい。ホントのことがバレたら。
これが、全部「愛の告白」で…しかも、僕がそれをちゃんととっておいてる、なんて。
ギリだのホンメイだの、説明するのはややこしすぎるし。
 
怒らせてしまったら、そうでなくても微々たる僕の言語能力でいったい何ができるだろう。
とにかく…これ以上、彼女を刺激してはいけない。
 
ジョーは箱を抱えて、黙々と居間へ急いだ。
 
 
 
 
 
二人は無言だった。
てきぱきとチョコレートを取り出し、検分する。
 
トップレーサー島村ジョーの好みは…家庭的な女性。
…との定評があるのを、ジョー自身はしらない。
 
それを言いふらして歩いているのがジェット・リンクであることも、もちろん知らない。
 
とにかく。
これでもか、と次々に手作りチョコレートが現れる。
丁寧に丸めたトリュフ。
文字の躍るハート型。
マジパンの花が添えてあったり。
 
張々湖は真剣そのものだった。
そして、フランソワーズは。
 
さっきから、ニコリともしていない。
 
やがて。
彼女は最後の一つ…ピンクに彩られたハートのトリュフを取り上げ、しげしげ眺め、箱にもどし…
大きくためいきをついた。
 
澄み切った青い瞳が、ひたとジョーに据えられる。
身動き一つできず、固まっている彼の耳が捉えた声は…氷の感触。
 
「ジョー。急いでニューヨークに…」
 
次の瞬間、彼は…消えた。
 
「あら…?」
首をかしげるフランソワーズに、張々湖も眼を丸くした。
「あいや、ジョー…加速装置ですっとんでったアルか?」
言い終わらないうちに、ストレンジャーが崖下から飛び出す音。
轟音はぐんぐん遠ざかる。
 
「…みたいね…電話すればいいのに…」
「フフ…あの子らしいじゃないか…一生懸命じゃの」
「本当…ジョーったら」
 
それにしても…と、フランソワーズは呆れたようにチョコレートの山を見つめ、張々湖に肩をすくめて見せた。
「せっかくたくさんあるのに…こんなに加工してあったら、全然ダメね…使えないわ」
「本当アル!それも、結構上等そうな材料アル…もったいないアルねえ…」
あの子の方が、よっぽど気がきいてるアル…!
うんざりした様子で、張々湖は息をついた。
 
「そうね…その子なら、きっと大人のお嫁さんにもなれるわ…可愛い『おかみさん』になるんじゃない?」
 
…破顔一笑。
張々湖は満足そうに突き出た腹をたたいた。
「それ、いいアルねえ…!あと10年して、あの子の気が変らなかったら、是非是非そうしたいものアルよ!」
 
くすくす笑いながら、フランソワーズは窓辺により、そっとカーテンを開いた。
「…どうした?フランソワーズ?」
「ジョー…ホントにニューヨークに行ったのかしら?」
「慌て者じゃからのう、あの子は…まっすぐベルギーに行って、自分で買った方が早い…と、どこで気づくやら…」
ギルモアが楽しそうに笑った。
 
 

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Last updated: 2011/8/3