レポート課題: 学校行事(校内)を描写せよ
1
逃げられた。
だめだわ。足がふらふらになってる。
もう年なのかなあ…?
へれへれ教室に戻ると、アルベルトが仏頂面で机をキチンと並べているところだった。
「逃げましたか?」
「うん」
他の生徒はもういない。
一応きれいに掃除したみたい…ね。
結局、教室掃除サボったのはジェットだけ。
いや。
彼を追っかけてた私もサボったようなものか。
ジェット。明日…どうしてくれよう。
アルベルトがきっちり揃えた窓側の机を基準にして、私もぼんやり机の整頓を始めた。
私の言うことがきけないんだったら、あの子が言うこときく気になる先生を連れてくるまでだわ。
どの先生の言うこともきけないんだったら、あの子のすることに、学校で責任なんてもてない。
ってことは、そんな子、危なくてこれ以上学校においとけない…ってことになるわけで。
…って、何深刻になってるのよ。
たかが掃除当番じゃない。
馬鹿みたい。
…って、アイツも思ってるにきまってるのよ〜っ!
ちっくしょうっ、ナメくさってからに〜〜っ!!
「追っかけるから逃げるんじゃないんですか?」
ぼそっとアルベルトが言う。
学年主任と同じこと言いやがったわね。
むっとして顔を上げると。
アルベルトは、今私が整頓した机を、ため息をつきながらもう一度並べ直している。
慎重に。
1pの狂いもなく。
私は開きかけた口を噤んだ。
…もう、いいもん。明日で終わりだもん。
次にこの班が教室掃除になるまで、一月以上ある。
明日ガマンすれば、ジェットの顔もアルベルトの顔も、しばらく見なくてすむわ。
ええと、来週の掃除当番は…げ。
島村ジョーがまざってる。
2
教室掃除は毎日する。
なにがなんでも毎日。
短縮授業のときや、それほど汚れてないとき…もあるんだけど、一度「今日は汚れてないからいいわ」と言ってしまうと、面倒なことになる。
当番の生徒達が、毎日めいめい自分で、「今日は掃除をするべきかしなくてよいか」を考えるようになってしまう。
いや。
自分で考えるのは…いいことよね。たしかに。
でも。
教室が綺麗かどうか…なんて、多分に主観的な判断なのだ。
生徒一人一人で、その感覚は天地の差があって。
一方、教室掃除は一人ずつでやるわけにはいかない。
どーしたって、人手がいる。
ってことは。
「今日は掃除をするべきかしなくてよいか」なんて考えてるとモメるばっかりだし。
第一、始めてしまえは、10分そこそこで終る掃除なのだ。
毎日やってれば、そんなに汚れないから、ますます簡単になるし。
だったら何も考えず始めてしまう習慣をつけた方が楽だろう。
高校生には、他にもっともっと山のような考え事だのやっかい事だのがあるに違いないんだからさ。
終業のあいさつと一緒に、生徒たちは自分の机を後ろに寄せる。
掃除当番以外の子を素早く教室の外に追い出し、私はバケツに雑巾を放り込んで流しへ行く。
雑巾ゆすぎは私がやってしまう。
生徒が一番嫌がる仕事で、一番先にやらなければならない仕事でもある。
ここでジャンケンだのなんだの、もたつくのがガマンできないので。
しばらくそうしていると、手伝いにくる生徒も現れる。
フランソワーズ・アルヌールとか。
「ありがとう、助かるわ」はもちろん言う。
ホントに助かるし、嬉しいし。
でも、だからってこの子が良い子で、逃げるジェットみたいなのが悪い子だ…ってことにしてはいけないような気がする。
誰でも、少しでも人の役に立てる方がいいと思う。
でも、人にはそれぞれそのやり方…ってのがある。
みんながみんな、フランソワーズのようにできるわけないし。
できなくてもいい。
できた方がいいんだけど。
1Aは付属中学から上がってきた生徒ばかりのクラスなので…
掃除のやり方は仕込まれてるし、指導も楽な方だ。
フランソワーズのように、雑巾ゆすぎを買って出る生徒もいるし。
ジェットだのジョーだのにつきっきりでツッコんでいられるのも、楽してる証拠といえば証拠なのよね。
3
島村ジョーは掃除をしない。
でも、ジェットのように、逃げるわけではない。
箒を握って、教室の隅にただ立っている。
他の生徒としゃべったりふざけたりするわけでもなく。
ゴミを指さして、「このゴミ、掃いてちょうだい」と言えば、黙ってひと掃きする。
それで終わり。
「向こうのゴミを掃いてきて」と言えば、向こうへ歩いていく。が。
歩いていくだけ。
掃かせようと思ったら、ちゃんと後ろにくっついていって、
「これ」「それ」「あれも」といちいちゴミを指差さなければいけない。
…何やってるんだろう、私?
この子が何を考えて箒をもって立っているんだか、私にはさっぱりわからない。
わからないけど…わからないんだから仕方がない。
聞いても、何も話さないし。観察してても、何がなんだか。
で、今のところ、島村ジョーは、ゴミを指差せばそのゴミを掃く…って、わかったから。
ただそれをしているだけで。
ほかにも何か方法はあるのかもしれないけど…今はわからない。
…と、私がぼやくと、学年主任は声を上げて笑った。
「いや、もお…これで決まりですね。島村は卒業まで先生のクラス」
「イヤです」
「ぉおっと?」
「ずぇったいにイヤですっ!!!」
「あ、ひどい。それ聞いたら島村、泣きますよ〜」
馬鹿馬鹿しいっ!
ため息をついたとき。
アタマの上から声がした。
「誰です、その島村って…先生のクラス?…ナメたヤツですね、そんなヤツいましたっけ?」
…シカト。
高3の担任で、生物の先生。
ウチの授業も持っている。
このヒト、めんどくさいから嫌い。
が、彼は身を乗り出してきた。
「写真、見せてください」
しぶしぶデータを渡す。
やな予感がするんだけど。
「ああ〜、こいつか!そういえば、この前授業で寝てたの見たなぁ」
そりゃそうでしょう。
私の授業なんて、この子、起きてたことないわ。
「けしからんと思ったですよ…私の授業で寝るたぁ、いい度胸だ!…なんてね」
そうなんですか。
「なんなら、私が何とかしましょうか、先生?」
「掃除をですか?」
大まじめに聞いてやる。
彼は、融通のきかない女だな〜って顔で私をしげしげ眺め…苦笑した。
「いや…でもまあ、ちょっと気をつけておきますよ…島村ジョーですね」
はいはいはいはいはいはいはい。
気をつけておくってさ、ジョー。
あんたもせいぜい気をつけなさいね。
4
騒動は翌日に起きた。
ほんっと、この先生…単純というかなんというか。
島村ジョーが授業中、行方不明になった。
泣きそうな顔で、職員室に入ってきたフランソワーズが、事情を説明する。
生物の時間、ジョーが先生に無礼な態度をとったそうで。
で、先生が「出て行け」と言ったので、ジョーは出て行った。
しばらくして、先生が廊下をのぞいたら、ジョーはいなかった。
…当たり前じゃない。
あの子がおとなしく廊下で立ってるわけないってば。
「…で?アナタは何しに来たの?授業中でしょう?」
「先生が…『委員長、担任に言いにいけ』って…」
はいはいはいはいはいはいはいはい。
よっこいしょ、と腰を上げる。
私をちらっと見て、学年主任も立ち上がった。
「じゃ、先生、一応…下駄箱チェックして、ついでにぐるっと外を見てきてください。私は階段とトイレを」
「はい…すみません」
「…あの!」
振り返った。
なんて顔してるんだ、フランソワーズ?
「島村君…どうなるんですか?」
「どうって…」
どうもしたくないなあ…こっちも忙しいし。
「きっと、島村君、次の時間には戻ってきます…だから」
「そりゃそうだろうけど…でも、探さなくちゃね」
「…先生」
「こないだ…よその学校だけど、授業中いなくなって、屋上から飛び降りた子がいたのよね…」
大きく目を見開いたフランソワーズの背中をご苦労さま、とたたいて、教室に戻した。
「先生、スゴイこと言いますねえ…いや、これで授業どころじゃないでしょう、彼女…」
学年主任が首を振り振り、フランソワーズの背中を見送った。
5
ジョーを見つけたのは、学年主任だった。
屋上の近くにいたらしい。
「飛び降りるつもりじゃなかったらしいですよ」
「…じゃ、タバコですか?」
「しーっ、しーっ、しーーっ!」
学年主任はなんだか嬉しそうに口の前に指を立てた。
…ちょっと!
「と、冗談はさておいて…」
もちろん冗談ですとも。
この上タバコじゃ、やってられないわ!
「どうしましょうかね〜?教室に戻す前に、先生から何か言ってやった方がいいでしょう」
「でも、先生がもう話してくださったんですよね?」
「いや、先生が担任ですから、やっぱり」
ああっ、もうっ!!!
うんざりしながら廊下に出ると、ジョーが所在なさげに立っている。
「心配かけてすみませんでした」
ジョーは私を見るなり、ぼそっと言ってアタマを下げた。
…え?
「…私に謝られても」
つい言ってしまった。
ジョーは顔を上げ、私を見た。
「心配してたのは、委員長よ…あれは、心配していた」
「……」
「あと…誰が心配するのかなあ…?アルベルト?ジェット?」
「…あいつらは…別に」
「…そっか。そんなもんか」
…あ。
なんか、会話になってるかも。
どーでもいい会話だけど。
「う〜んと…とにかく、授業中に行方不明になられると、私たち、探さなくちゃいけないわけ…見つかるまで」
「…そうなんですか?」
「そうです…知らなかったの?」
黙ってうなずく。
うん、会話になってるぞ。
「私たちは、大事な君たちを預かってるわけだから…責任があるんだな。だから、探す。君がその辺でひっくり返って死んでたりするかもしれないのに…」
「…そんなはず」
「そりゃ、そんなはずないんだけど…まあいいか、これは私たちの仕事の話なんだから、君には関係ない…君が考えなくちゃいけないのは、この落とし前で」
「落とし前?」
「そう…落とし前」
「委員長に…謝るとか…?」
「そうねえ…落とし前ったって、とりあえず謝るしか能がないもんねえ、君たちは…」
「……」
あ。と思った。
コイツは、ゴミをいちいち指差さないと掃かないヤツだった。
ってことは。
「教室に戻ったら、まず先生に謝りなさいよ」
「……」
「…だから、ご心配かけて申し訳ありませんでしたとかなんとか…」
「どうして?」
「…え?」
ジョーはつぶやくように言った。
「あいつが出て行けと言ったから出て行っただけなのに」
…ちょっと待て。
思わず天井を見上げたとき、チャイムが鳴った。
えーとえーとえーと…
考えているうちに、慌ただしい足音。
ジェットがすっ飛んできて、ジョーの腕を掴み、ひきずりながらまたすっ飛んでいった。
「ま、待ちなさい〜〜っ!!!」
…遅かった。
6
やな予感は的中。
件の生物教師は怒りまくっていた。
「なんなんだ、あの島村ってのはっ!…根性が腐ってますよ!」
そうかも。
「あんなの、野放しにしておいたら、しめしがつかないですからね…私はびしっとやりますよ、びしっと!」
やってください。
そうよね。
そーゆーオトナに出逢うのも経験のうち…ってことで。
私はあの子とわたりあうのなんてまっぴらですが。
「…だから、もう私は1Aの授業には行きません。アイツが謝ってこなければ」
がんばってくださいね〜。
とりあえず明後日です、うちの授業。
「先生、アイツにしっかり言っておいてください」
…へ?
「だから!…ほっといても、謝りに来るような奴じゃないですよ、アイツは!」
もちろんですとも。
…で?だから何よ?
「とにかく、私は1Aの授業には出ません。連中にも、そう言ってきましたから。授業受けたければ、島村に謝らせろ…ってね」
勝手にあの気むずかし屋のしっぽを踏みつけたのはアナタでしょっ?!
自分でやってよ自分で〜!
たしかに。
この人のことだから、ホントに授業に行かないだろう。
1度や2度ならともかく…そのうち、苦情が出て。
でも…たぶん、学年主任や教科主任や校長が何を言おうと、この人は自分の意見を曲げないはず。
たしかに…悪かったのはジョーだもんな。
ノートも教科書も出さず、机に突っ伏していて。
注意されても顔も上げず。
腕を掴まれたら振り払い。
この上もなく、いやな目つきでにらみ返したのだという。
謝れ、というのは…そりゃもう…当然。
でもね。
アナタも一応教師なんだからさ。
謝れと言ってもマトモに謝らない子をどーにかして謝らせるのがその、手腕というか。
「まあ…アイツがどう出るかわかりませんけどね。こんなことが通用すると思ったら大間違いだってことをわからせてやらなくちゃ」
その言葉、アナタにそのまま返してやりたいわ。
返さないけど。
叱ってもらえるのは生徒のうちだけ。
ってことで。
この人を指導するか。
島村ジョーを指導するか。
…島村ジョーだな。
それが私の仕事だし。
7
まず、外堀から…で。
アルベルトに話を聞いてみると。
彼は慎重に言葉を選びつつも、教師の注意の仕方がいかにも不自然だったことを匂わせた。
ジェットはもっと単純だった。
「言いがかりだぜ…!あんな急にキレやがって…だってよ、俺も教科書なんて出してたことないぜ、あの授業!」
とりあえず一発はたいておく。
「それに、ジョーは一応謝ったんだぜ…『すいません』って。そしたら、そんな口先だけの謝り方、馬鹿にするのもいいかげんにしろ、とかなんとか…ジョーのやつ、5回も続けて『すいません』って言い直してさ…」
5回もすらすら言い直すヤツがあるかっつーの。
ホントに要領の悪い子だなあ…
フランソワーズは…心配そうにため息をついて首を振った。
「島村君が…悪かったと思います。でも…ホントに先生…生物の授業してくださらないんですか?」
う〜む。
「そんなこと…可能なんでしょうかね?俺たちは授業料払って学校に来てるわけで…」
…待ってよアルベルト。
「それはオトナの問題だなあ…君たちが考えなくてもいいの…問題は、ジョーがいけないことしたのなら、それは謝らなくちゃね…ってことだけで」
「…じゃ、あの先生がしてることは?いいんですか?」
「そんなの、こっちの知ったことじゃないわ」
そんなのアリかよ、だからオトナって…と、ジェットはぶうぶう文句を言い始め、フランソワーズはうつむき…
アルベルトは微かに笑った。
「結構ヒドイですね。先生」
「今頃気づいたの?」
「…コイツらが驚くから…やめた方がいいですよ、そういうこと言うの」
うるさいわね。
「あの、私たち…話してみます、島村君に」
「無理しなくていいのよ…どうせ今夜、あの子んとこに電話しなくちゃいけないし…そのとき言うから」
そうなのよね。
しゃべらないヤツと電話する羽目になっちゃった。
ほんと、カンベンしてほしいわよ〜!!
8
その晩。
島村ジョーとの電話は、なんと2時間にわたった。
でも。
あの子が言った言葉は、ほんの数種類。
「はい」
「いいえ」
「いやです」
を中心として。
授業をマジメに受けなかったのは…自分が悪い。
注意を素直に聞かなかったのも。
…でも。
謝るのはイヤ。
なぜなら。
その後、教室を出たことについては、自分は悪くない。
先生が「出て行け」と言ったのだから。
フランソワーズたちの話によると。
結局、彼の「すいません」は先生のココロに届かず。
授業は中断したまま。
で、先生が「出て行け!お前がいる教室で授業なんかできるか!」と怒鳴ったので、ジョーは静かに席を立ったのだという。
たしかに…悪いのは教員だ、ってことになり得る状況かも。
…でもね。
「出て行け…って言われたからって出て行ったら、オシマイでしょ?出て行かないようにがんばらなくちゃいけないじゃない〜!」
無言。
どうやって?…と聞かれているような気がした。
どうやって…って。
それはその、要領でしょう、要領…!
すまなそうにうつむいて、相手の出方を見るとかさあ…
…と言うわけにはいかない気がして、私も黙った。
「とにかく。悪いことはわかってるんだから、謝るの。」
「謝りました」
「向こうは謝られたと思ってないのよっ!」
気持ちが届いていないんだから、届くまでトライするしかないでしょうっ?!
…むちゃくちゃ言ってるような気もするけど。
「先生が…間違ってても…」
「いいのっ!どっちが正しいかなんて、知ったことじゃないわ!授業受けられなかったら、丸損するのはアナタよっ!」
…そうよ。
先生が正しく美しい人ばっかりだと信じてるなんて、どうかしてるわ。
そうじゃない先生に出逢ったからって、手も足も出ないようじゃ生きていけないでしょう?
変なヤツに逢ったらどうするか?
それくらい考えられるようにならなくちゃっ!
どんどん思考が教育から転がり落ちているような気がしてならない。
ジョーはしばらく沈黙して…ぽつりと言った。
「先生…困ってるんだ」
「困りゃしないわ」
「先生も、困ってるなら…謝る」
「…は?」
謝る、とジョーは繰り返した。
9
ジョーがどう謝ったのかは…わからない。
でも、生物の授業は無事再開された…らしい。
「ああいう子には…ガツンと言ってやった方がいいんですよ…少しは考えたでしょう」
彼は得意そうに言った。
そうね。考えたでしょうね。
「あの子のことで何か困ったことがあったら、また私に言ってください、先生」
はいはいはいはいはいはいはい。
その日の教室掃除。
ジョーはきわめて不機嫌だった。
もちろん、私も。
だったらいっそサボればいいのに。
彼は相変わらず箒を持って突っ立っている。
「ジョー、このゴミ、掃いて」
…動かない。
「ジョー?…これ」
ゴミを指さす。
彼は動かない。
「これですよぉ〜!」
しゃがんでゴミを指さす。
と、いきなり尻を箒で押された。
思わずよろける。
「何するのよっ?!」
「……」
カッとなって立ち上がった。
箒を握るジョーの手を上から掴む。
「このゴミっ!掃くのっ!こーやってっ!!」
「触るんじゃねえよ、ババァっ!!」
なにぃっ…?!
ジョーは口を堅く結んで、顔を背けた。
私は彼の顎を掴んで、こっちを向かせ、怒鳴った。
「あんた、年幾つっ?!」
教室が静まり返った。
「16の男がそーゆー口きいていい相手は…お母さんだけよっ!!」
…あ。
私はハッと口を噤んだ。
ジョーはたたきつけるように箒を投げ出し、教室を出て行った。
どうしよう。
…って。言ってしまった言葉は戻らない。
ジョーには、両親がいない。
お金を出す親類はいても、面倒をみる親類はいなかったらしく。
施設で育ち、今は一人暮らしをしている。
もちろん、書類上は、親類と同居…ってことになってるんだけど。
やっと口きいたのに。
たぶん、アレがあの子のホンネ。
お母さんにきくような口をきいたのなら…受け止めなくちゃいけなかった。
これで…あの子はもう、私に話しかけられなくなる。
体が微かに震えている。
大きくため息をついた。
10
私の話を聞いた学年主任は、ちょっと面白そうに瞬いた。
「そうですか〜それはヒドイな、先生…」
「はい…ほんと、どうしよう…」
「島村、泣いてるね、間違いなく。校庭の隅っこで」
…そんなはずないですが。
顔を上げると、彼は懸命に笑いをこらえている。
「笑い事じゃ…!」
「い、いや…すみません…」
…もう。
でも…少し気が楽になったかも。
深刻な顔をされるよりは。
冬の日は短い。
学年主任と校舎を出たときには、もう暗くなっていた。
「あら…?」
私は首を傾げた。
校門の近くに、フランソワーズと…ジョーが立っている。
変な組み合わせ。
「さよなら」
学年主任が声をかける。
ちょっとホッとして、私も。
「さよなら」
すると。
ジョーが、つっと前に出た。
「さっきは…すみませんでした、先生」
…え?
黙っている私に、ジョーはもう一度すみません、と口の中で言い、アタマをぺこっと下げた。
…どうしよう。
って、どうするもこうするも。
私も急いでアタマを下げた。
「あ、謝るのは…私の方…です。ごめんなさい」
えーと。
次にどうしたらいいかわからない。
学年主任の笑い声に、私は慌ててアタマを上げた。
ジョーがいない。
フランソワーズが、困ったような笑顔で私を見ている。
学年主任が苦しそうに笑いながら言う。
「逃げましたね、アイツ」
「…逃げ…ましたか?」
さよなら、と会釈して、フランソワーズが駆け出した。
「あ…フランソワーズ、そっちから帰るの?もう暗いから、こっちの大通りの方から…!」
呼びかける私の袖を、学年主任は黙って引っ張った。
11
ジョーが掃除をさぼるようになった。
どういうことだかわからないんだけど。
逃げ足は、ジェットより速い。
「待てっ!逃げるな、島村ジョーっ!!」
追いかけるから逃げるのかもしれないけど。
追いつくはずもないけど、追いかけないと…でも追いつかない。
これじゃ…身がもたない。
ある日、アルベルトが一枚の紙を持って職員室に来た。
「これ…検討していただけますか?」
何、これ?
…掃除の班…?
人数がまちまちになっている。
多い人数のところと、少ないところと…
「みんなの意見をきいて…で、ちょっと俺が手直ししたものです。これで、しばらくやらせてほしいんですが」
よく…わからないけど。
でも、ためしにやってみてもいいかも。
…というわけで。
今週の教室掃除当番は…
ジョーとジェットとフランソワーズ。
…3人。
いくらなんでも少ないんじゃないの?!
という私に、アルベルトは大丈夫です、と請け合った。
「大丈夫、というより…コレしかないと思いますよ。アイツらには」
しかも…初日はジェットが学校を休んだ。
どうなることかと思ったけど…
ジョーとフランソワーズは黙々と働いた。
それはもう…息の合った働きっぷりで。
私語もなく無駄な動きもなく。
掃除は、わずか15分で終った。
「ご苦労様〜!じゃ、ゴミは私が捨ててくるわね」
よっこいしょ、とゴミを持ち上げる。
ゴミ捨て場は結構遠い。
裏庭の林の向こう。
ちょっと外れの方にあって…
「あ、先生!私が行きます!」
「いいわよ、フランソワーズ…重いし」
…と。
ジョーが黙ってゴミ袋を私の手から取った。
「…ジョー?」
「あ、待って、島村君…!」
ゴミを持ってすたすた歩き出したジョーを、フランソワーズが追いかけていく。
ほんとに、律儀な委員長…
翌日からはジェットが加わり、掃除はますますはかどった。
ゴミ捨ても、黙って3人で向かう。
あれだけサボっていたジェットが、二度とサボらなくなった。
もちろん、ジョーも。
どういうこと…?と聞いても、アルベルトは笑って答えない。
掃除当番表を見た学年主任はいきなり爆笑した。
…なんだかわからないけど。
うまくいってるみたいだから、いいわ。
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