日に千たび心は谷に投げ果てて有るにもあらず過ぐる我が身は
式子内親王
1
「ジョーは?」
「もう、大丈夫よ…少し休んでいろって、ジェットに叱られたわ」
幽かな微笑みが、かえって痛々しい。
アルベルトは黙ってうなずいた。
勝った…のかもしれない。
作戦は成功した。
ブラックゴーストの基地は壊滅した。
そこで働いていた何百人もの団員とともに。
いつものことだ。
考えても仕方がない。
だが。
自爆装置が動き始めた基地の中で。
彼らは…009を見失った。
何が起きたのかわからない。
途中まで一緒に逃げていたはずの009が突然消えた。
おそらく、加速装置で。
「どうなってるんだ?!」
通信にも返事がない。
サイボーグたちは、必死で基地の隅々に目をこらす003を見守るしかなかった。
「…いたわ!!」
「どこだ?!」
「この2階下の、弾薬庫の近く…倒れてる!」
「…っ!!」
飛び出そうとする002に、003は叫んだ。
「だめよ!壁が崩れたわ!…通路が、埋まってるの!!」
「だったら、ワイの出番ね!003、しっかり誘導頼むアル!!」
思いがけないほどの機敏さで、006は火を吹き、足下に潜った。
「…弾薬庫の近く…と言ったな、003?」
「……」
少しでも間違えば、006の炎が引火する。
そうでなくても、これだけの爆発が続けば…
ドルフィン号は緊急発進の準備をしたまま、待ち続けた。
003は、まばたきもせず、身をこわばらせて透視を続け、006と通信を交わし続けた。
数分後。
006の慌ただしい通信が入った。
「はいな!009、助けたアル!…今乗り込んだよ、緊急発進ね!!」
「ドルフィン号、発進!」
008が吠えた。
ドルフィン号が飛び立つのとほぼ同時に、基地は崩れ去った。
2
009のダメージは大きかった。
「いったい…彼はどうして、あんなところに?」
「…子供が、いたのよ…」
か細い声。
サイボーグたちはギクリと003を振り返った。
「子供が?…どうして、あんな基地に?」
「わからないわ…私が見つけたとき…ジョーはその子に向かって両手を伸ばして…倒れていたの」
「…その…子供…は?」
003は首を振った。
「…がれきの下敷きになって…もう…」
ジョーは…見たのかしら…?
小さな女の子だった。
柔らかな体が、無惨に押しつぶされて…
「フランソワーズ!」
鋭い声に、003はハッと顔を上げた。
004が厳しい眼差しで見つめている。
もう…考えるな。
思い出すな。
灰青色の目が強く光る。
003は静かに頷いた。
「…ジョーの様子を見てくるわ」
3
うなされている。
額に浮かぶ脂汗をそっと拭いながら、003は、苦しげにのばした009の手をそっと握りしめた。
「ジョー…」
声に応えるように、うっすらと瞼が開く。
「…00…3…?」
「あ…気が…ついた…?動いてはだめ!」
身を起こそうとしてうめく009を、003は慌てて抑えた。
あえぐような問いかけ。
「…あの…子は…?」
すがりつく視線。
003は一瞬たじろぎ…黙って首を振った。
「…!」
「…ジョー」
「どう…して…!」
力無く003の手を払い、009は両手を握りしめ、きつく額に押し当てた。
「…ぼくたちは…いったい…何を…?」
何も言うべき言葉はなかった。
003は目を閉じた。
006を誘導しながら見た、無数の死骸。
うめきながら炎につつまれていく兵士。
「敵」の断末魔。
…押し殺した、声にならない声。
003は静かに目を開いた。
009の頬に、とめどなく涙が流れている。
「ごめん…フランソワーズ…みんな…君だって…つらいのに…」
やがて…涙を拭い、大きく深呼吸すると、009はつぶやいた。
003は再び黙って首を振った。
次の瞬間。
茶色の目が大きく見開かれた。
「…フラン…ソワーズ…?」
わらって…るの…?君は…?
差し伸べられた震える手を、003は優しく両手で包んだ。
「目を閉じて…ジョー…もう少し…休まなくちゃ…ね?」
「…フラン」
「…大丈夫よ…だから」
大丈夫…?…何が?
…ああ。でも。
君がわらってくれるなら…
こうして温かい手で包んでくれるなら…
ゆっくりと…瞼がおりていく。
やがて、安らかな寝息が届き…
「フランソワーズ、交代しよう」
009の手を握ったまま、003は振り返った。
「…ジェット…ありがとう…でも、まだ、大丈夫よ」
002は難しい顔で首を振った。
4
寝室への階段を上がりかけたとき、呼び止められた。
「フランソワーズ」
「…アルベルト」
ぼんやり見上げる青い瞳を、アルベルトは探るように覗いた。
「ジョーは?」
「もう、大丈夫よ…少し休んでいろって、ジェットに叱られたわ」
幽かな微笑みが、かえって痛々しい。
アルベルトは黙ってうなずいた。
「…大丈夫か?」
「え…?」
「お前のことだ」
フランソワーズは首をかしげるようにしながら、何気なく顔を背けた。
「…大丈夫よ…泣いたりしていない」
「……」
「…どうして…かしら」
ジョーは…泣いていたのに。
どうして、私は…涙が出ないの…?
…悲しくないの…?
あんなに小さな子を…死なせてしまった。
あんなに残酷に。
私達が殺した。
私達が…あの基地に行かなければ…あの子は今でも笑っていたわ。
あの…兵士も。技術者たちも、みんな。
どうして…何も感じないの?
悲しくも…恐ろしくもない。
私は…わらっていた。
ジョーが…驚いていたわ。
どうして、わらえるの…?
涙が…出ないの…?
私の心は…
心は、どこへ行ってしまったの?
「…あ…?」
体が…動かない。
痛い。
痛みに、我に返った。
後ろから…抱きしめられている。
鋼鉄の…腕。
「…アルベルト」
「大丈夫か…?」
強い腕。
確かに伝わってくる…鼓動。
生きて…いるのね、私たち…
こんなに…なってしまったのに…まだ…
…生きて…いられるなんて。
恋人をその中で死なせた腕。
無数の武器が詰まった鋼鉄の腕。
…死神の腕。
ふっと抱きしめる力がゆるんだ気がした。
003は咄嗟にその腕をつかんだ。
「…離さないで」
幽かな声。
004はぎゅっと口を結び、うつむく003から目をそらした。
離さないで。
わたしがどこかへ消えてしまいそうなの。
生きているのかどうかもわからない。
あなたの腕を…感じるから。
…だから…やっとわかる。わたしは…まだいるって。
…離さないで。
腕の中にすっぽりおさまる華奢な体。
細い肩。
羽のように細かく震える指が、俺の腕をつかむ。
…離さない。
離せば、お前はどこかへ消えてしまう。
儚い露のように。
あの日の幻のように。
だから…離しはしない。
生きているのかどうかもわからない俺に、ただ一つ残された心。
何度絶望しても、何度壊れても。
俺が拾いあげる。俺が守る。
俺のただ一つの心。
お前は…生きろ。
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