7      鎮魂
 
日に千たび心は谷に投げ果てて有るにもあらず過ぐる我が身は   
式子内親王
 
 
 
「ジョーは?」
「もう、大丈夫よ…少し休んでいろって、ジェットに叱られたわ」
 
幽かな微笑みが、かえって痛々しい。
アルベルトは黙ってうなずいた。
 
勝った…のかもしれない。
作戦は成功した。
ブラックゴーストの基地は壊滅した。
 
そこで働いていた何百人もの団員とともに。
 
いつものことだ。
考えても仕方がない。
だが。
 
 
自爆装置が動き始めた基地の中で。
彼らは…009を見失った。
 
何が起きたのかわからない。
途中まで一緒に逃げていたはずの009が突然消えた。
おそらく、加速装置で。
 
「どうなってるんだ?!」
通信にも返事がない。
サイボーグたちは、必死で基地の隅々に目をこらす003を見守るしかなかった。
 
「…いたわ!!」
「どこだ?!」
「この2階下の、弾薬庫の近く…倒れてる!」
「…っ!!」
飛び出そうとする002に、003は叫んだ。
 
「だめよ!壁が崩れたわ!…通路が、埋まってるの!!」
「だったら、ワイの出番ね!003、しっかり誘導頼むアル!!」
 
思いがけないほどの機敏さで、006は火を吹き、足下に潜った。
「…弾薬庫の近く…と言ったな、003?」
「……」
 
少しでも間違えば、006の炎が引火する。
そうでなくても、これだけの爆発が続けば…
 
ドルフィン号は緊急発進の準備をしたまま、待ち続けた。
003は、まばたきもせず、身をこわばらせて透視を続け、006と通信を交わし続けた。
数分後。
006の慌ただしい通信が入った。
 
「はいな!009、助けたアル!…今乗り込んだよ、緊急発進ね!!」
「ドルフィン号、発進!」
 
008が吠えた。
 
ドルフィン号が飛び立つのとほぼ同時に、基地は崩れ去った。
 
 
009のダメージは大きかった。
 
「いったい…彼はどうして、あんなところに?」
「…子供が、いたのよ…」
 
か細い声。
サイボーグたちはギクリと003を振り返った。
 
「子供が?…どうして、あんな基地に?」
「わからないわ…私が見つけたとき…ジョーはその子に向かって両手を伸ばして…倒れていたの」
「…その…子供…は?」
003は首を振った。
「…がれきの下敷きになって…もう…」
 
ジョーは…見たのかしら…?
 
小さな女の子だった。
柔らかな体が、無惨に押しつぶされて…
 
「フランソワーズ!」
 
鋭い声に、003はハッと顔を上げた。
004が厳しい眼差しで見つめている。
 
もう…考えるな。
思い出すな。
 
灰青色の目が強く光る。
003は静かに頷いた。
 
「…ジョーの様子を見てくるわ」
 
 
 
うなされている。
額に浮かぶ脂汗をそっと拭いながら、003は、苦しげにのばした009の手をそっと握りしめた。
 
「ジョー…」
 
声に応えるように、うっすらと瞼が開く。
 
「…00…3…?」
「あ…気が…ついた…?動いてはだめ!」
 
身を起こそうとしてうめく009を、003は慌てて抑えた。
あえぐような問いかけ。
 
「…あの…子は…?」
 
すがりつく視線。
003は一瞬たじろぎ…黙って首を振った。
 
「…!」
「…ジョー」
「どう…して…!」
 
力無く003の手を払い、009は両手を握りしめ、きつく額に押し当てた。
 
「…ぼくたちは…いったい…何を…?」
 
何も言うべき言葉はなかった。
003は目を閉じた。
 
006を誘導しながら見た、無数の死骸。
うめきながら炎につつまれていく兵士。
「敵」の断末魔。
 
…押し殺した、声にならない声。
003は静かに目を開いた。
009の頬に、とめどなく涙が流れている。
 
「ごめん…フランソワーズ…みんな…君だって…つらいのに…」
 
やがて…涙を拭い、大きく深呼吸すると、009はつぶやいた。
003は再び黙って首を振った。
次の瞬間。
茶色の目が大きく見開かれた。
 
「…フラン…ソワーズ…?」
 
わらって…るの…?君は…?
 
差し伸べられた震える手を、003は優しく両手で包んだ。
 
「目を閉じて…ジョー…もう少し…休まなくちゃ…ね?」
「…フラン」
「…大丈夫よ…だから」
 
大丈夫…?…何が?
…ああ。でも。
君がわらってくれるなら…
こうして温かい手で包んでくれるなら…
 
ゆっくりと…瞼がおりていく。
やがて、安らかな寝息が届き…
 
「フランソワーズ、交代しよう」
009の手を握ったまま、003は振り返った。
「…ジェット…ありがとう…でも、まだ、大丈夫よ」
 
002は難しい顔で首を振った。
 
 
 
寝室への階段を上がりかけたとき、呼び止められた。
 
「フランソワーズ」
「…アルベルト」
 
ぼんやり見上げる青い瞳を、アルベルトは探るように覗いた。
 
「ジョーは?」
「もう、大丈夫よ…少し休んでいろって、ジェットに叱られたわ」
 
幽かな微笑みが、かえって痛々しい。
アルベルトは黙ってうなずいた。
 
「…大丈夫か?」
「え…?」
「お前のことだ」
 
フランソワーズは首をかしげるようにしながら、何気なく顔を背けた。
 
「…大丈夫よ…泣いたりしていない」
「……」
「…どうして…かしら」
 
ジョーは…泣いていたのに。
どうして、私は…涙が出ないの…?
…悲しくないの…?
 
あんなに小さな子を…死なせてしまった。
あんなに残酷に。
私達が殺した。
私達が…あの基地に行かなければ…あの子は今でも笑っていたわ。
あの…兵士も。技術者たちも、みんな。
 
どうして…何も感じないの?
悲しくも…恐ろしくもない。
 
私は…わらっていた。
ジョーが…驚いていたわ。
 
どうして、わらえるの…?
涙が…出ないの…?
 
私の心は…
心は、どこへ行ってしまったの?
 
 
「…あ…?」
 
体が…動かない。
痛い。
 
痛みに、我に返った。
後ろから…抱きしめられている。
鋼鉄の…腕。
 
「…アルベルト」
「大丈夫か…?」
 
強い腕。
確かに伝わってくる…鼓動。
 
生きて…いるのね、私たち…
こんなに…なってしまったのに…まだ…
…生きて…いられるなんて。
 
恋人をその中で死なせた腕。
無数の武器が詰まった鋼鉄の腕。
…死神の腕。
 
ふっと抱きしめる力がゆるんだ気がした。
003は咄嗟にその腕をつかんだ。
 
「…離さないで」
 
幽かな声。
004はぎゅっと口を結び、うつむく003から目をそらした。
 
離さないで。
わたしがどこかへ消えてしまいそうなの。
生きているのかどうかもわからない。
あなたの腕を…感じるから。
…だから…やっとわかる。わたしは…まだいるって。
 
…離さないで。
 
 
腕の中にすっぽりおさまる華奢な体。
細い肩。
羽のように細かく震える指が、俺の腕をつかむ。
 
…離さない。
 
離せば、お前はどこかへ消えてしまう。
儚い露のように。
あの日の幻のように。
 
だから…離しはしない。
 
生きているのかどうかもわからない俺に、ただ一つ残された心。
何度絶望しても、何度壊れても。
俺が拾いあげる。俺が守る。
 
俺のただ一つの心。
お前は…生きろ。
 

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Last updated: 2011/8/3