9      レースクイーン
 
「ねえ、ジョー?」
 
フランソワーズが妙に深刻な口調で話しかけてきたのは、のんびりした午後のティータイム。
 
「…どうかしたの?」
「ちょっと…聞きたいことがあって」
 
と言いかけたのに口ごもってしまう。
…どうしたんだろう。
 
ジョーは注意深くフランソワーズを覗いた。
 
「…あの」
「何か…聞きにくいこと?遠慮しなくていいよ」
 
励ますように微笑むと、フランソワーズの表情がほんのわずか、和らいだ。
 
「…あの、ね…」
 
言葉を切り、軽く深呼吸してから、彼女は言った。
 
「レースクィーン…って…何?」
 
 
何…と言われても。
 
目が点になっているジョーに、フランソワーズは懸命に付け加えた。
 
「あの…わかってるのよ、レースクィーンっていうのは、チームを応援する女の子たち…のことでしょう?そのチームのシンボルみたいな…オーディションで選ばれたりする…のよね?」
 
何か…嫌な予感がする。
ジョーは慎重にうなずいた。
 
「それは…わかってるんだけど…」
 
何がわからない…っていうんだろう。
で、僕に聞きたいことって…?
 
嫌な予感がだんだん強くなってくる。
 
「あのね…ジェットに…きいたの」
「何を?!」
 
思わず強い口調になる。やっぱりそうか。
いいかげん、カンベンしてほしい。
 
僕のチームのレースクイーンの一人が僕にぞっこんだとか、結構お似合いなんじゃないかとか、この間からさんざんからかわれて…軽い冗談のつもりなんだろうけど、フランソワーズにそれは通用しない。
ジョーはぎゅっと唇を噛んだ。
 
「ジェットが何を言ったか知らないけど、レースクィーンっていうのは、君の言うとおり、チームのシンボルであって…それ以上でも以下でもないよ。それはもちろん、綺麗で魅力的な人が選ばれるんだから、いろいろ…その、取りざたされることだってあるけど…要するに、チームの一員…って考えてくれればいい。彼女たちは彼女たちの役割をプロとしてきっちり果たしてくれているし、僕たちだって彼女たちに敬意をはらってる」
 
一気に説明してから、じっとフランソワーズの目を見つめた。
君にまで、あることないこと疑われるのはガマンできないよ…!
 
…やがて。
フランソワーズはほっと表情を和らげ、大きなため息をついた。
 
「…そう…なの。ごめんなさい…私…誤解していたわ…だって…いろんなグラビアや…雑誌や…」
「だから…!そういう目で見る奴らだってもちろんいるけど…僕たちは違う」
「そうよね…どんなところにもそういう目でしか女の子を見ないヒトって…いるわよね…わかったわ、ジョー」
 
…え?
 
「やってみる…私。ジェットがあんなに困ってるんだもの」
 
やってみる…って…何を?
 
 
意外にも、ジェットは真剣だった。
憤激を露わにしたジョーの電話も予想していたらしく、彼は落着いて説明した。
 
「いや、ホントに困ってるのさ…ちょっとトラブってな…ほとぼりが冷めるまで、なり手がいなくなっちまった」
「なり手がいない…なんて、そんなはず…!」
「選り好みしなきゃな…だが、ウチの主だった娘たちはみんな逃げちまって、華がないったらありゃしないのさ…ま、今回はどうしようもねえ…俺も、もしフランに断られたら諦めるしかないと思ってね…別に俺たちは彼女ら見ながら走ってるわけでもないんだし…」
「君は見ながら走ってると思ってたけど」
「お前とやるとき、そんな余裕ないって」
 
だから。余裕ある時はどうなんだよ。
 
「トラブル…って…何があったんだ?」
「う〜ん…噂が立っちまったんだよ…ウチのちょいエライおっさんたちが、大々的にレースクィーンを盗撮させて、そっち方面に流して小遣い稼いでる…ってな」
「…そんな…くっだらない噂…!」
「と、俺も思ったんだけどな…いやもう、やっぱり煙ってのは火がないと立たないもんで…」
「ホントだったのかぁっ?!」
「なぁ?…で、マトモな娘がよりつかなくなっちまったってわけだ」
 
ジョーは二三度深呼吸した。
 
「じゃ…つまりキミは、そーゆートコロにフランソワーズを…」
「あいつならおとなしく盗撮されることもないって」
「ジェットっ!!」
「冗談だ馬鹿っ!…加速装置入れまったかっ???」
「…入れるところだった」
 
ため息。
 
「とにかく、だ。そんなコトがマジに公になったら、大騒ぎだろ?…俺も面倒な思いする羽目になるしな…だから、まあ、さくっと手を打っておいたわけだ」
「…手を…キミが?」
「俺がやったとは思ってないだろうが…相当怖い思いしたはずだぜ、あのおっさんたち…誰に話しても信じてもらえないだろうけどよ」
「……何やったんだキミ?」
「ま、適当に想像しといてくれ」
 
そうさせてもらうよ。聞かない方がいいかもしれない。
 
「で、この問題はめでたく解決!なんだが…その辺が彼女らには理解してもらえなくてな〜、当り前だよな…俺が手打っといたから絶対大丈夫!なんて言って信じられるはずないし…信じられても困る」
「…それは…そうだね」
「…だろ?」
「でも、だからってフランソワーズを…っ!」
「言っておくが、俺は無理強いなんかしてないからな」
「キミが困った顔したから放っておけなかったんだろ?彼女はそういう人だ…それをわかっててキミは…!」
「心配いらないって。たしかに…レースクィーンってのは結構目立つし…で、世の男ドモにはそりゃいろんなヤツがいるわけで、そこんとこはどーにもならないけどよ、まぁ彼女は今回限りなんだし、派手な報道も、もちろん、させねえし」
「……」
「スタッフが彼女をそーゆー目で見ることはないし、俺も…って、まぁ、なんだ、レース中によそ見してるヒマなんかないしなっ!」
「僕が、出てれば、だろうっ?!」
「…お前。今から出るのは無理だぞ。頼むから無茶すんな」
 
 
4
 
フランソワーズも真剣だった。
ジェットに呼ばれて出かけるたびに、彼女は浮かない顔で帰ってきた。
 
「私に…つとまるかしら」
 
そう言われたら、大丈夫だよ、としか言いようがない。
 
大丈夫に決まってるじゃないか。
僕んとこのレースクィーンだって、キミと比べたら、その…なんだ。
 
うまく説明できそうにないので、ジョーは「大丈夫だよ」の先を言わないようにしていた。
説明している間に、なんだか面倒な方向に話が転がってしまうような気がしてならない。
 
そして。
最近、気を付けていると、彼女は時々ふと立ち止まって遠くを見るようなまなざしになり…
何かポーズをとってみたりするのだ。
 
朝食の後かたづけをしているときとか。
掃除の最中、手にハタキを持ってとか。
イワンを抱いてあやしているときも。
 
何の練習をしているのか、わかりすぎるほどわかる。
 
ジョーは懸命に動揺を隠し、さりげなくやり過ごすことに専念した。
専念していないと、つい視線が釘付けになってしまう。
 
白いブラウスに、膝丈スカートに、短いソックス。
エプロンつけてスリッパはいて。おまけに赤ん坊を抱いている。
そんなレースクィーンがいるはずないのだけど。
 
この格好でここまで壮絶な色気があるというのはどういうものか。
これであの格好になったらどうなってしまうのか。
 
《ムシロ、コノ格好ダカラ色気を感ジルノサ…多分ニキミノ趣味ダ、じょー》
 
「ぅわあっ?!」
 
急に大声を上げて飛び上がったジョーに、フランソワーズは驚いて振り返った。
 
「ど…どうしたの…ジョー?」
「え…ええといやその…イ、イワン…が」
「…イワン?」
 
フランソワーズは不思議そうに、腕の中ですやすや眠っている赤ん坊を見下ろした。
 
「よく眠ってるわよ…?」
「ね、眠ってるって…?」
 
《タヌキ寝入リ…ッテ、ふらんそわーずニ教エルノ?…ボクガ今話シタコト、彼女ニ説明シテホシイ?》
 
黙ったまま険しい顔で睨み付けているジョーに首をかしげ、フランソワーズはイワンを庇うように背を向けた。
 
「おかしなジョー…イワンと買い物に行ってくるわね。少しひなたぼっこさせてあげたいし」
 
 
 
買い物から帰ってきたフランソワーズは嬉しそうにジョーを呼んだ。
 
「ねぇ、見て…」
 
彼女が大事そうに紙袋から取り出したのは…ほっそりした踵のミュールだった。
 
「可愛いでしょう?…すごく気に入って…衝動買いしちゃった」
 
楽しそうに笑う。
 
女の子の靴のことなんて何もわからないけど、でも…
そうやって笑っている君を見るの、僕は好きだ。とっても。
 
「似合うと思う?」
「うん」
「もう…いい加減な言い方…!」
 
そんなことない…けど。
 
やっぱりうまく言えず、ジョーはそっと片方のミュールを手に取ってみた。
 
…小さい。
 
うすい水色で、淡くきらきら光っている。
月の光みたいだ。
いや…あったかい日の、少しだけ霞んだ空の色にも見える。
 
なめらかに波打つカーブを目で追うと、だんだん息が詰まってくる。
指でなぞってみたかったけど…ちょっと怖いような気がしてやめた。
 
僕の掌にのってしまいそうに小さくて。
風にもっていかれそうに軽い。
 
「…よそ行きに買ったの?」
「…ううん」
 
フランソワーズはくすっと笑った。
 
「洗濯物を干したりするときに、うちの庭で履くの」
「えぇ?…もったいないなぁ…」
「…だって」
 
フランソワーズは微笑んだままさらっと言った。
 
「こんな心細い踵じゃ、いざというとき困るわ」
「…フラン」
「でも、うちの庭なら…」
 
フランソワーズはふとジョーから目をそらし、振り返ると、窓の外を眩しそうに眺めた。
 
「あなたが、いてくれるから」
「……」
「…ダメ?」
 
言葉がでてこない。
フランソワーズに歩み寄り、そっと後ろから抱きしめた。
柔らかい亜麻色の髪に顔を埋める。
 
わかった。
きっと…君を守るよ。
だから…もっと笑って。
 
君が諦めた、きれいなものや、優しいもの…みんな取り返そう。
大丈夫。
僕が、いるから。
 
だから…僕の前では。
 
フランソワーズが腕の中でくすぐったそうに体を動かした。
ジョーは静かに彼女を解放した。
 
「…ジョー、お散歩する?」
「それ、履いて?」
 
嬉しそうにうなずくフランソワーズに、ジョーも笑ってうなずいた。
 
 
新しいミュールを履いて、踊るように歩くフランソワーズを、ジョーは草の上で眺めていた。
 
白いすんなりした足。
あのなだらかなカーブにぴったり合う、まるい踵…土踏まず…バラ色のつま先。
 
「どうしたの、ジョー…疲れた?」
 
駆け寄るフランソワーズに軽く微笑んでから、ジョーは素早く奥歯のスイッチを噛んだ。
 
「…えっ?!」
 
気付いたとき、フランソワーズは草の上に転がっていた。
ジョーの腕の中で。
 
「な、何するの…!脅かさない…で…?」
 
息を呑むフランソワーズを片手で抱きしめたまま、ジョーはもう片方の手を彼女の脚に滑らせた。
 
「ジョー?…ジョー、ジョーったら…!」
 
するっと指に片方のミュールを引っかけ、足からすくい取る。
ジョーは、寝ころんだままミュールを持った手を真っ直ぐ空へ伸ばし…振ってみせながら笑った。
 
「なにするの…返して…!」
「見て、光ってるよ、フランソワーズ…ホントにキレイだね…それに、小さくて…あったかい」
「…もう…!」
 
彼がこうなってしまうと、手のつけようがない。
めったにないことだが、はしゃぎはじめると、誰にも止められない。
なぜはしゃいでいるのかも見当がつかないから、余計に始末に負えないわけで。
 
「ホントに、子供みたい…しょうがない人ね」
「…これ…ほしいな、僕」
「あなたには小さいわ」
「持ってるだけでいいんだ」
「…ヘンなの」
 
ため息をつくと、ジョーは楽しそうにフランソワーズを抱きかかえながら、体を起こした。
 
「嘘…!ごめん、返すから…ね、履くところ、よく見せてよ」
「どうして…?」
「どうしても…」
「見たって面白くないと思うわ」
「いいから…!」
 
フランソワーズの足がミュールにおさまるのを、ジョーは息を詰めて見つめていた。
 
「ホントに…よく似合うよ」
「ホントに…ヘンな人ね、ジョー」
 
手をつないで帰途につく。
何度目かのため息をつきながら、フランソワーズはジョーをのぞいた。
相変わらず謎の上機嫌。
 
困るといえば困るけど…
でも、たまにはいいわよね。
この靴、気に入ってくれたってことなんだと…思うし。
 
「…よかった」
「何が?」
「あのね…レースのとき、これとよく似た靴を履くのよ」
 
…え?
 
ジョーは立ち止まった。
 
「あ…もちろん、もっと素敵なの…ヒールももう少し高いし…ちゃんとした靴よ…細いベルトがついてて」
「……そう」
 
ジョーは柔らかく微笑んだ。
その優しい眼差しに、思わず頬を染めながら、フランソワーズは呟くように言った。
 
「あの服は…ちょっと恥ずかしいんだけど…でも、靴は気に入ったわ」
「…恥ずかしいのかい、フランソワーズ…?レースクィーンになるの」
「あ…当たり前…よ…!自信も…ないし…でも…ジェットが…困ってるのに…」
 
フランソワーズはふと目を伏せた。
 
「靴…買おうか」
「ジョー…?」
「その靴…調べればすぐわかるから」
「え…でも」
「僕にも、履いてみせてよ…それで、どこかに出かけよう」
「でも…ジョー」
「大丈夫…僕と一緒なんだから…いいだろ?」
 
ジョーはぎゅっとフランソワーズの手を握りしめた。
 
 
鏡の中で微笑む自分をたしかめ、フランソワーズは微妙に腰のひねり方を変えてみた。
 
「あ…ダメだわ」
 
これ以上ひねると、ちょっとアブナイことになる。
深呼吸してから、1、2、3!とリズムをたしかめ、腰をひねり、ぴたっと止める。
…この位置…覚えておかなくちゃ。
 
こんなにあちこちが開いていて、スリットだってこんなところにまで入っていて…
でも、立って「きをつけ」してるだけじゃ、仕事してることにならないし…
ジェットに恥をかかせるわけにはいかないわ。
 
鏡の中の華やかな笑顔がすっと消える。
フランソワーズはまた大きく深呼吸した。
 
レースクィーンのグラビアを始め、いろいろな資料をかき集め、研究するうち、ジョーのチームのクィーンたちの写真にもいくつかぶつかった。
 
ジョーは、クィーンたちをそういう目で見ることはない、と言った。
彼の言葉に嘘はないはずで。
それでも、輝くばかりに明るい、華やかな少女たちを見ると、自然に気持ちが沈んだ。
 
私には…あんな表情はできない。
だって、知ってるんですもの。
この体は…作られたもの。
 
美しいということは、自分でもわかっている。
でも…作られたものなんだわ。
 
そして、あの人も。
 
二人が、あんなにレースにうちこむのは…忘れるためなのかもしれない。
サーキットで無心に時間の壁を目指している間だけ…忘れていられるからなのかもしれない。
…だったら。
だったら、私は。
 
「フランソワーズ」
 
静かな声だった。が、フランソワーズは飛び上がって振り返った。
部屋のドアがいつの間にか開いていた。
 
ジョーは無言のままフランソワーズに歩み寄り、その両肩をそっと抱いた。じっと見つめながら、囁く。
 
「…キミに、頼みがあるんだけど」
 
 
足音荒く入ってきたジェットに振り向きもせず、ジョーは若い女性スタッフの言葉にうなずきながら、真剣にメモをとっていた。
 
「そうか…それじゃ、そのへんのデパートじゃ売ってないんだね…ありがとう、助かったよ」
「あ、あの…島村さん…でも、必ず手に入るとは限らないと思います。もしよかったら…これを差し上げても」
「ふふ、まさか…そういうわけにはいかないよ」
「いいえ…!あの…大丈夫です、なんとかしますから、私…!」
「そんなことしたら困るだろう、君が」
「そんな…こと…!私…もし、島村さんが…」
 
舌打ちし、大声を張り上げる。
 
「なんだ、泥棒にきたのか、ジョー?!」
「やあ、ジェット…優勝おめでとう!」
 
慌てて部屋を駆け出していく女性スタッフを横目で睨みながら、ジェットは差し出されたジョーの右手を思い切り握りしめた。
 
「ヒトの事務所から、恋人へのプレゼントを物色するってか?…セコイぞ、ハリケーン・ジョー」
「人聞きの悪いことを…この靴、どこで作ってるのか調べてただけだよ…フランソワーズがすごく気に入ったらしくてさ…」
 
堂々と言いやがったな。
やっぱり、コイツの仕業かっ!
 
「お前…何した、ジョー?」
「…何って…何のこと?」
「ウチのレースクィーンたちが、どうして急にわらわら戻ってきたのか、知りたいんだよ」
「それと、僕と何の関係があるの?」
「…あるだろうっ!」
 
どんっ!と、ジェットはテーブルを叩き、じっとジョーを見つめた。
澄んだ茶色の瞳に、一瞬楽しげな光が宿り、消えた。
 
「何か…困ったことでもあった?」
「やりやがったな…っ!あぁ、てめえにはたやすいコトだよなぁ?真面目で通ってるあの姉ちゃんにだって、3分で衣装の横領させちまうんだから…」
「だから、人聞きの悪いこと言わないでほしいな」
「…正直に言え、ウチのクィーンたちに何しやがった、お前?…言わねえと、フランソワーズに、チクるぞ…俺の考えを」
 
ジョーはじっとジェットの目を見つめ返した。
 
…沈黙。
 
たっぷり1分後。
ジョーはふっと微笑んだ。
 
「…キミにはかなわないな、ジェット」
 
もちろん、ごまかしきれるとは思ってなかったけど。
 
「でも、キミが考えるほど面白いことなんか何もしてないよ?ただ、よく話してみただけさ…彼女たちに」
「…話して…みた?」
「ああ…もちろん、キミの能力とか、やったこととかは抜きでね…ジェットのチームに限って、そんなヒドイこと、二度とあるわけない、ジェットの人柄からもとても考えられない…僕は、彼を信じているし、彼のチームも信じている…そう話したんだ」
「どこで?!」
「喫茶店だよ…一応、一人ずつね。まとめて、だと真意が伝わらない…ってこともあるだろ?」
「ほ〜ぉ、茶飲んで話しただけ、と言い張るわけだな?」
「僕はここんとこ、日暮れには研究所に戻ってるし、夜は…もしキミに聞く勇気があれば、だけどフランソワーズに聞いてみれば…」
「誰が聞くかっ!!!」
「ウン、聞かない方がいいと思う」
 
くすくす笑うジョーを、ジェットは歯ぎしりして睨み付けた。
 
「たしかに余計なコトをした…とは思ってる。ごめん…でも、フランソワーズが、ホントはとても恥ずかしがってるってわかったから…さ。可哀想になっちゃったんだ」
「可哀想、だぁっ?!…ぬけぬけとこの野郎…っ!てめぇがしたことの方が、よっぽど彼女を傷つけるんだよ、それがわからねえのかっ?!」
「…だから、誤解してるってば…僕はただ、お茶を飲んでゆっくり話しただけだよ…誠意を込めて、ね…毎日ケーキ食べるのって、結構辛かったけど」
「嘘つきやがれっ!!…そーゆー説得なら、俺だってしたっ!だが、全っ然…」
「誠意が、足りなかったんじゃないの?」
「な、にぃっ?!」
 
ジョーはあ、と時計を見た。
 
「急がないと…これからこの店に行かなくちゃいけないんだ…できたら今日中に手に入れたいから…」
「ジョー!待ちやがれっ!」
「…ジェット」
 
戸口で、ジョーは立ち止まり、振り返った。
茶色の髪がふわっと揺れ…片目を隠す。
 
「いい加減長い付き合いだ…僕が、どういうヤツか…わかってもらえてると思ったけど」
「…何…?」
「この問題を解決する方法は…二つあった…そう思わない?」
 
…げ。
 
やばいっ!
本能がそう叫んでいた…が。
もう動けない。
 
ジョーは満面の笑みを浮かべたまま、突き刺すような視線でジェットを見つめた。
 
「一つは…こうやってとにかく説得して、レースクィーンたちに、チームに戻ってもらうこと。もう一つは…」
 
キミのチームが…レースを棄権すること、だ。
 
「そうだな、たとえば、キミが何かの『事故』にあって大けがしたりして…とにかく、キミがレースに出なければ、レースクィーンも必要ないんだよね」
 
ジョーは優しく言った。
 
「彼女たちがすぐわかってくれてよかったよ…キミを相手にするのは、そう楽じゃないから」
「…ジョー、てめぇ…!」
「たしかに…キミの言うこともわかるよ…こんなこと、もしフランソワーズが知ったら、傷ついてしまうかもしれない…彼女は…いろいろ、考えてるから…いつも。」
 
ほんとは、そんなこと…考えなくていいのに。
何も考えなくたっていいんだ。
 
僕は…彼女を離れて生きることなんてできないのだから。
彼女の傍らで彼女を守る。
戦いを離れた僕が生きる意味はそこにしかない。
 
でも、僕はそれをどうやって彼女に伝えたらいいかわからないんだ。
…だから。
彼女を悲しませないために、できることなら何だってする。
 
「でも、僕はキミを信じてるんだ…キミなら、わかってくれるし、彼女に余計なことを言ったりしないって」
「……」
「…そうでなかったら」
 
ジョーはふっと口を噤んだ。
反射的に、ジェットは叫んだ。
 
「ごちゃごちゃ…うるせえんだよ、お前はっ!」
「…ジェット」
「信じているんならそれでいいだろうっ?!…黙って信じろっ!!」
 
やけくそのような怒声に、ジョーは満足そうに微笑んだ。
 
「もちろん、信じるとも」
 
 
数ヶ月後。
久しぶりにレースに復帰したジョーは、ジェットと終始接戦を繰り広げた末、ゴール寸前で彼を振りきり、優勝した。
 
どうしてもコイツには勝てない。
納得いくようないかないような気分で表彰台に上り、とりあえずジョーにシャンパンをぶっかけ…
…まぁいいか、と思いかけたとき。
ジェットは固まった。
 
…ちょっと待て。
お前、今、誰呼んだ???
 
振り返ったジェットの目に、満面の笑みで高く手を振るジョーが映る。
 
「フランソワーズ…!!」
 
そして。
恥ずかしそうに進み出たのは…亜麻色の髪のレースクィーン。
…というか。
 
呆然としているジェットの前を、ジョーはもどかしそうに横切り、フランソワーズに駆け寄ると、さっと抱き上げた。
次の瞬間、フラッシュの嵐。
 
「大丈夫。とても綺麗だから、笑って。僕を見ていれば、怖くないよ?」
 
囁くような脳波通信。
フランソワーズが僅かに頬を染めた。
 
…俺にまで聞かせるんじゃねえっ!!!
 
憤然と睨み付けると…ジョーもふとジェットを見やった。
…不敵な笑み。
 
彼の視線を追い、フランソワーズもジェットを見つけた。
少し恥ずかしそうに…でも、これ以上なく華やかに微笑む。
 
またフラッシュが一斉に閃いた。
 
 
10
 
普段なら、さっさとニューヨークへ飛んでしまうジェットだったが、今回は日本に付いてこざるをえなかった。
フランソワーズをマスコミの猛攻から守るために。
 
日本に戻るとすぐ、張々湖が研究所にやってきた。
彼が調えた宴席で、ジェットは初めてフランソワーズに尋ねた。
どうして、レースクィーンをする気になったのか。
フランソワーズはすまなそうに答えた。
 
「ごめんなさい…あなたにまで迷惑かけて…あんな騒ぎになるなんて思わなくて」
「そんなことは気にするな…それより、俺が聞きたいのは、どうしてお前がその気になったのか、で…」
「…ジェット?」
「恥ずかしいとか、自信がないとか言ってじゃねえか」
「ええ…でも、ジョーが」
「ジョーが?」
「ジョーが…ね、せっかく練習したんだから、一度だけやってみればいい…って…それに…約束、して」
「約束?」
 
フランソワーズははっと口を噤んだ。
頬が真っ赤に染まっている。
 
「や…やだ…私、少し酔ってるみたい…お水、飲んでくるわ…」
 
ばたばた部屋を出て行く彼女を目で見送り…振り向くと。
 
ジョーが、見つめていた。
 
11
 
どちらからともなく、バルコニーに出ていた。
 
「どういうことだ?」
 
不機嫌を露わにした声に、ジョーはちょっと瞬いた。
 
「…何の話?」
「とぼけるなよ…俺が何を聞きたいのかぐらいわかってるんだろう?」
 
ジョーはくすっと笑った。
 
「やっぱり…聞きたいことがあったんだね」
「わかってるなら答えろ…まず、これから、どうするつもりなんだ?」
「どうする…って?」
「フランソワーズのことだ」
 
どうやら島村ジョーの恋人らしいレースクィーンの登場に、マスコミは一気に色めき立った。
表彰の後のあの写真はあらゆる雑誌に掲載され、記者も一斉に押しかけた。
ジョーとジェットは二人がかりでフランソワーズを庇い、何とかそれ以上の取材を拒否することに成功したのだが。
 
「うん…大変だったよね…キミがいてくれて、助かった…ありがとう、ジェット」
「…だからっ!俺だって永久にこうしていられるわけじゃない…これから、どうするんだって聞いてるんだよ!」
「…どうもしないつもりだけど」
「何…?」
 
ジョーは静かに言った。
 
「フランソワーズは、やっぱりレースクィーンをするの…恥ずかしいみたいだし、第一、彼女にはバレエがあるしね…今度のことは、僕のワガママだったんだから」
 
…ワガママ。
 
「…どういう…意味だ?」
「もう、取材はこないよ」
 
手は打ったから、とジョーはあっさり言った。
 
「手は…打った?お前、一人でか?…どうやって?」
「いいだろ…そんなこと。キミを巻き込んだらさすがに悪いかな、と思ったんだから…聞かないでくれよ」
 
たしかに聞きたくはないが。
…ちょっと待て。
 
「俺を巻き込んだら…ってな、ジョー。もう十分巻き込まれたように思うのは気のせいか?」
 
ジョーは目を丸くしてジェットを見つめ、少年らしい明るい笑い声を上げた。
 
「だって…キミから始まったんじゃないか…!僕は全然思いつかなかった…フランソワーズがレースクィーンだなんて…」
 
本当に。
考えてみたこともなかった。
でも、ジェットはちゃんと知ってたんだ。
フランソワーズが…どんなに綺麗で魅力的なのか。
 
「どうだった、ジェット?彼女、凄く綺麗だっただろう?キミの想像通りだった?」
「…いや」
 
想像なんてもんじゃなかった…と言いかけて、ジェットは勝ち誇ったようなジョーの表情に気付き、口を噤んだ。
 
…この野郎、そういうことかよっ?!
 
「本当言うと、僕もちょっと気が気じゃなかった。レースのときなんて、怖いくらい綺麗で…」
「…待て。見ながら走ってたのか、お前?」
「キミは見なかったの?あんなに一生懸命応援してくれてたのに」
 
ぐ、と詰まったジェットに、ジョーはまた笑った。
 
「一度くらい、こういうのがあってもいいかな…って思ったんだ。彼女だって、少し気が晴れたと思うし…ほら、いい写真も撮ってもらえたしさ」
「ほ〜ぉ、じゃ、つまり、世界へ向けて彼女と最高の記念写真を撮るのが、お前の目的だったってわけだな?」
 
地を這うようなジェットの声。
ジョーはゆっくり、柔らかい視線を向けた。
 
「だから、言ったろ?…僕のワガママだって…ね。」
 
 
 
12
 
夜が更けた頃。
懸命に引き留めるフランソワーズを振り切るようにして、ジェットは空港近くのホテルに部屋を取り、出て行ってしまった。
 
「…気にすることないよ、フランソワーズ」
「でも…!やっぱり…疲れてしまったのかしら…ジェット」
「気をつかっただけだと思うけど」
「…え?」
 
…違うか。
気をつかったというよりは…
 
「次のレースはヤバイかもしれないなぁ…」
 
なんとなく呟くジョーに、フランソワーズは首を傾げた。
 
「ジョー?」
「仕方ないか…!今度はキミに応援してもらうわけにいかないんだし…頑張るしかないや」
 
怪訝そうに見上げるフランソワーズをそっと抱き寄せ、ジョーは耳元に囁いた。
 
「ありがとう…フランソワーズ…約束、守ってくれて」
「…あれで…よかったの?」
「あれで…だって…?」
 
こつん、と額を合わせながら、ジョーは笑った。
 
「すごいな…もっと綺麗になれるの?キミは」
「…ジョーったら…!」
「わかっただろ…?みんな…キミに夢中だった」
「…そんなこと…それは…あなたが…」
「じゃ、試してみようか?今度、別の女の子で…」
 
フランソワーズがふと身を堅くしたのに気づき、ジョーは口を噤んだ。
 
「…ごめん…つまらないこと、言ったね」
 
つまらないことじゃ…ないわ。
あなたはもうわかってる。
あれが…私の精一杯。
 
あなたと約束したとおり。
精一杯の私で…あなたを応援した。
 
恥ずかしくなんかなかった。不思議なくらい。
あなたを見つめていれば、何も。
あんな幸せな時間を過ごせたんだもの。
私は、もう…
 
「…いつか…」
「いつか、なんかない」
「ジョー?」
 
ハッと顔を上げると、ジョーが真剣な眼差しで見つめている。
 
「…約束、しただろう?僕だけ…僕だけのためにって…それは、僕も同じだ」
「もちろんよ…でも…もし、いつか…」
「もし、いつか、なんてないったら…!」
 
まだ何か言おうとするフランソワーズの言葉を唇で強引に塞いだ。
 
どうして…どうしてわからないの…?
みんながキミに夢中だった。
熱病にかかったようにキミを見つめて、キミを追いかけて…
わかっただろう…?
 
キミより素敵な女の子なんかいない。
そして、キミが一番輝くのは…僕の前にいるとき。
 
確かめたはずなのに。
世界中の奴らに見せてやったのに。
 
それなのに、どうして、キミは…
 
「…そうじゃないの、ジョー…私…ね…」
 
ようやく解放され、苦しげに言葉を繋ごうとするフランソワーズを、ジョーは強く抱き寄せた。
 
…いいよ。
もう何も言わせない。考えさせない。
 
キミが迷う暇なんかないように。悲しむ暇もないように。
僕は、いつまでも。
 
止まることのない車輪。
僕の、もう一つのレース。
 
彼方で微笑む、キミを目指して。
 
 

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Last updated: 2011/8/3