花火を見に行かないか?……と話しかけてきたジョーに、フランソワーズは少し驚いた。そういうことには興味のない人なのだろうと思っていたから。
実際、その夏、ギルモア研究所のある海辺の町やその周辺でも何度か花火大会が催されたようだったが、それらにはいたって無関心なジョーだったのだ。
そしてフランソワーズもまた、日本のそれは規模も技術も桁外れに素晴らしいと聞いてはいたものの、花火大会にそれほど心を惹かれることもなかった。
動きやすく、汚れてもいいような格好にした方がいい。荷物もなるべく小さく、と言われたので、ポロシャツにパンツ、ウェストポーチという出で立ちでフランソワーズがリビングに下りていくと、ジョーも似たような準備をしていた。
クルマではなく、電車で行くのだと聞き、また少し驚く。渋滞がひどくなるし、会場近くは交通規制をしているから電車と徒歩で行くのが無難なのだという、
「東京に行くんだよ。隅田川」
「トウキョウ?……スミダガワ……」
聞いたことがあるような気がする……が、フランソワーズはやや戸惑った。
そこは、ビルや住宅が密集しているような地域ではなかったか。
思ったとおり、電車を乗り継いでいくうちに海は次第に遠ざかっていった。
車内もフランソワーズが経験したことのないひどい混雑振りで、これが有名なツウキンラッシュというものなのだろう、と、ひそかに思う。
――この人たちも、花火を見に行くの?
通信を開くと、ジョーは少し驚いたようにフランソワーズを見、それからうなずいた。
――たぶん、ね。
――キモノを着ている人が多いけれど……
――うん。あの人たちは間違いなく花火見物だな。
やっぱりそうなのかと納得しつつ、フランソワーズは静かに辺りを見回した。
かなりの数の女性が、色とりどりのキモノに身を包んでいる。よく見ると、履き物も少し変わっていて、いずれにしても「動きやすい汚れてもいい」服装には思えない。
Tシャツにハーフパンツ、というようなごくラフな出で立ちの若者も目立ってはいたが、それでもそれなりにコーディネイトには気を配った……晴れの日を意識した服装のように見えた。花火大会、というのはつまりフェスティバルなのだから、当然といえば当然かもしれない。
もう少し考えて着替えればよかったと、フランソワーズはひそかに後悔したが、ジョーの方はそんなことなど気にならないのだろう。
――着いた。降りるよ。
ぎゅっと手を握られ、フランソワーズはいつもの彼らしくない動作に僅かに動揺した……が、たしかに、そうしていないとあっという間に人波にのまれ、はぐれてしまいそうだった。
群衆はみんな同じ方角に、おそろしくゆっくりと進んでいた。それでいて、どこをどう歩いているのか、まったくわからない。
フランソワーズはようやく「動きやすい汚れてもいい」服装の必要性を理解した。
この中にあってなお、オシャレをしようとかキモノを着ていこうとかいう発想になることなど、ありえないわ……と思う。
「ここまでくれば、どうにかなるかな」
「……ジョー?」
群衆の歩みは更に遅くなり、もうほとんど動いていないように思えた。
が、まだ住宅地から抜け出すこともできていない。
花火は川沿いで打ち上げられるというが、川は……フランソワーズがこっそり透視してみると……相当遠く、いつたどり着けるのかわからなかった。
不意に、歓声が上がり、火薬が爆ぜる音が響いた。
ほら、とジョーが上を見るように促す。
「――っ!」
鮮やかな大輪の花……文字通り、花火が、空を埋め尽くしている。
フランソワーズは、呆然とその輝きを見上げ……次の瞬間、微かな悲鳴を上げ、身を縮めた。
火の粉が頭上にまっすぐ落ちてくるように思えたのだ。
「大丈夫……結構、スゴイ迫力だろ?」
「……え、ええ」
花火は次々に打ち上げられる。
だんだん落ち着いてきたフランソワーズは、こっそり力を使った。
花火が打ち上げられている場所を確かめ、距離を確かめ、火薬の規模をざっと見積もって、なるほど、危険はなさそうだと納得する。
「こんな町の中で花火大会をするのは、やはり危ないんだ。でも、それだけに、ここで打ち上げられる花火は、注意深く作られている。絶対に町や見物している人たちに危険がないように。それだけじゃない。これだけの人が集まっても事故にならないようにと、努力している人たちだって大勢いるんだ」
「そんな苦労をしても、一生懸命ここで花火を打ち上げる人たちがいて……こうやって一生懸命見に来る人たちもいる、ということなのね……でも、わかるわ。まるで手が届きそう……!他ではこんな経験、絶対にできないもの」
「ああ。……きれいだし、面白いだろう?」
「……ええ。本当に」
かつて。
この同じ場所で、全てを焼き尽くす炎が、逃げまどう群衆の頭上を襲ったのだという。
おそらく彼女はそのことを知らないだろうと、ジョーは思う。
今、話すつもりもなかった。
「私たちも……いつか、こんなふうになれたらいいわ」
「……」
不意に、フランソワーズがつぶやいた。
ジョーは返事の代わりに、つないだ手にそっと力を込めた。
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