店に入るなり、所在なさげに辺りを見回していた青年が、張々湖の姿を認めると、ぱっと顔を輝かせた。
「張大人!……よかった、店を間違えたかと思った…!」
「これは珍しいお客さんネ!ジョー、よく来たアル……こっちに座るヨロシ!」
「ありがとう……すごく立派なお店だね」
素直な称賛に、張々湖は嬉しそうに鼻をうごめかせた。
「それで、間違えたかと思ったアルか?いきなり失礼なコトヨ!」
「いや……そういう意味じゃ……」
「さて、何食べるアルか?どんな店でも、ワタシの出す料理、いつも一緒アルよ」
「うーん……久しぶりだから、大人に任せるよ。すごくお腹が空いているんだ」
「やれやれ、相変わらず自己主張のない御仁ネ。よろしい、任せとくアル!」
丸っこい体が弾むようにすばしこく動き、厨房の方へ消えるのを見送り、ジョーは改めて店の中を見回した。
入口の豪華な飾りつけにも驚いたが、内装はもっとスゴイ。テーブルや椅子もいかにも高級品らしく、堂々とした品格がある。
以前、横浜にあった「中華飯店張々湖」のややがたついたテーブルを思い返し、ジョーは思わず息をついていた。
「はい、お待たせね!」
「え…?」
張々湖がたった一つだけ運んできたのは、熱い中華粥の入った鍋だった。
目を丸くしているジョーに、張々湖は微笑した。
「お腹がすいている、嘘アルね。ワタシの目はごまかせないヨ!……こっちには仕事で来たアルか?……接待疲れ、みたいな顔してるアル」
「……さすが大人だね。ばれたか。ごめん、実はそうなんだ。北京に本拠地のあるスポンサーと打ち合わせがあって来たんだけど……なんだか毎日パーティみたいなのがあって」
「それは、くたびれるネ……少し胃を休ませるヨロシ。いや、胃というよりは、ココロを、アルかもネ」
「……うん。いただきます」
ジョーは粥をゆっくり口に運んだ。
一口食べるたび、懐かしい温かさが体にしみわたる気がする。
「すごく、おいしい。……僕はこれが、食べたかったんだ」
「そうアルやろ……ゆっくりしていくネ。ワテを思い出してくれて嬉しいヨ」
「ありがとう、大人」
どんな無理なスケジュールをこなそうと、疲れたり弱ったりする体ではない。しかし、心は別なのだということを、ジョーはあらためて感じていた。
「ホントに、変わらないな」
「ワテの料理、アルか?」
「うん……いつも、こんなにおいしいモノはないって思う。初めて食べたときからずっとそうだった」
「本当なら嬉しいことネ」
「本当だよ…!」
子供のように一心に箸を動かしている彼は、とても百戦錬磨の一流レーサーには見えないし、まして最強の戦闘サイボーグには見えない。
張々湖はふと、つい先月、同じようにこのテーブルについていた亜麻色の髪の少女を思い出した。
「店も立派になったアルやろけど……アナタほどじゃないネ」
「……え」
「でも、ワテにとっては、アナタはいつも同じジョー、ネ。料理が同じなのと一緒アル」
「……うん」
「他の皆もそれぞれ立派になったアルけど……それは同じ、ネ」
「そう……かな」
「もちろんアル」
会いに行けばいいネ、と言いかけた言葉を張々湖はのみこんだ。
フランソワーズにも同じことを言おうとして言えなかった。
どうしてかは、わからない。
――でも、変わらないモノ、きっと、見つかるネ。いつか……きっと。
ゆっくりと食事を終え、すっかりくつろいだ表情になったジョーは、名残惜しそうに立ち上がった。
支払いをしようとするのを押しとどめ、張々湖は出口まで彼を送った。
「ありがとう、張大人。ごちそうさま」
「こっちこそありがとうネ。……元気でがんばるヨロシ」
張々湖の言葉にジョーは嬉しそうな……しかし、どこか寂しげな笑顔でうなずいた。
「それじゃ……みんなに、よろしく」
「……」
少しずつ遠ざかり、消えていく背中を張々湖はいつまでも見送っていた。
これで、この店をまだ訪ねていないのはイワンとギルモアだけになったと気づき、思わず苦笑する。あの二人だけは来るはずがない……という気がした。
「あん人たちは、そう、ワタシたちのホーム、アルからネェ……」
そして、この店もまた、別の意味で仲間たちの「ホーム」であるのかもしれない。
華やかで贅を極めたキッチンでも。
質素なラーメン店の厨房でも。
暖かな湯気がたちこめる研究所の台所でも。
そして、戦場のただ中、風吹きすさぶ野営地でも。
どこでも、いつでも変わらないモノがある。
それを守りたいと、張々湖は思う。
ここを訪れた仲間たちは、皆、ジョーと同じことを言って立ち去ったのだから。
――みんなに、よろしく……と。
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