こそこそこくご


2    言葉の意味
 
読む力、を考える手始めとして、言葉(単語)の意味を知っているとはどういうことか、を確認したい。
 
言葉の意味とは…国語辞典に載っている説明だ、と考えるのは、正しいけれど正しくない。
 
たとえば
 
誠実
 
の意味は?
と聞かれたら、答えは
 
誠実
 
以外にはない。
国語辞典にはもっともらしい説明がついているけれど、もしその説明が「誠実」の意味であるなら、「誠実」などと言わず、その説明をはじめから使えばいいわけで。
 
国語辞典の説明は、
 
多くの人が納得できる、その言葉にかなり近い言い換え
 
でしかないのだった。
 
では、誠実とはどういう意味なのか。
それは、私たちの頭の中に漠然とわき起こるイメージなのだ。
このイメージを「誠実」以外の客観的な言葉に完璧に置き換えることはできない。
 
国語辞典の説明は、私たちのイメージの防波堤みたいなものだと考えるのがよい。
イメージは人によって千差万別なので。
 
だから、辞書に書かれている意味を覚えるのは、防波堤を築く…ということでしかない。
もちろん、それができるのとできないのでは大違いなのだけど。
 
本当に言葉の意味を知るためには、なるべく多くの用例を知る必要がある。
 
あるものを見て「華麗だ」と思ったとき。
それは本当に「華麗」でよいのか。
 
辞書を引くだけでは不十分で、私たちは知る限りの「華麗」なモノを片っ端から思い出してみる必要がある。
 
その多くが、今「華麗だ」と思ったものとある共通のイメージを持っているなら、それを「華麗だ」と言ってもいいだろう。
 
言葉の意味は、決して一元化されていない。
読むときには、その人がその言葉を使うのはどういうときなのか、に注目しなければならない。
特に、抽象的な言葉の場合。
 
言葉の意味を知る、ということは、言葉の意味を知らないと自覚することでもある。
ある一つの言葉の意味はこれだ、と決めることは、私たちにはできない。
これだ、と決めたとき、私たちはその言葉の残りの意味を一気に失うことになる。
 
多くの人が使うその言葉の意味を知っているのは便利だし、大事だと思う。
でも、ある人が放った一つの言葉の意味を考えるときは、いつもゼロから出発しなければならない。
 
言葉を正しく使う、というのは、言い換えれば
 
言葉を多くの人が使っているやり方からあまりはずれないように気をつけて使う
 
ぐらいの意味しかない。
 
私たちに語りかけてくる人の言葉の意味がさっぱりわからない…と思ったとき。
私たちは、できれば、もっとわかりやすく言葉を使ってほしい、とその人に願うことはできる。
もちろん、その言葉の意味は間違っている、糺しなさい、とその人に要求することもできる。
 
一方、その人の言葉をよく観察すれば、その「わからない」言葉の意味を探り当てることもできるかもしれない。
 
言葉の意味は、言葉を放つ人と受け取る人がどこかで重なったとき、初めて伝わる。
 
重ならない場合、その責任は言葉を放つ人にも受け取る人にもある。
とるべき責任の重さを定義することはできない。
 
私たちは、重ねた経験から、この場合は言葉を放つ人が努力すべきだ、とか、受け取る人が努力すべきだ、とか、あれこれ判断することはできる。
 
ただ、自分が言葉の意味と直接向き合ったとき大事なことは、とにかく努力することである。
 
意味がわからない。
 
そう言う前に、努力を惜しまない、という覚悟をすることはどうしても必要だ。
特に、新しい思想や、複雑な意識を語ろうとする文章を読むときには。


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