こそこそこくご


5    才能と努力
 
読解力・表現力のような、言語を扱う力は、たぶんに、その人の持つ才能とでもいうようなものに左右される…という意見は、よく聞く。
 
そうなのかもしれない…と思うことはある。
 
といっても、それは特に声を上げていうべきほどのことではなくて。
誰でも、得意不得意はあるよな…という程度のことだと思う。
 
たいていの人は、ラジオ体操することができる。
でも、人を驚かすようなラジオ体操をすることができる人は限られているし…
努力すれば、そういうラジオ体操もできるかもしれないけど、努力しても超えられない壁みたいなのはあってもおかしくない…と思う。
 
…でもって、国語のいわゆる学力なのだけど。
 
凄い勘の持ち主…というのは、やっぱりいる。
誰でもできることではないな〜と思ったりもする。
 
ただ。
たとえば、国語の定期テストが100点満点だとすると。
 
学校にもよると思うのだけど、多くの中学・高校では、100点満点中、50点近くは、「知識」問題なのではないか?…という気がするのだった。
 
知識というのは。
 
漢字を覚えるとか。
語句の意味を辞書で調べてそれを暗記しておくとか。
作者の名前とか文学史的知識とか。
本文を繰り返し読んでおけばなんとなくイメージがつかめるような空欄補充とか。
 
ついでに言うと、教員が授業で強調した、その作者の思想なり作品論なり…も、ノートを見直して覚えておくことができるコトだったりする。
 
それらは、とにかく勉強すれば誰でもできるようになる…はずだと思う。
時間がどれくらいかかるかは、個人差があるけれど。
 
一方、私たちの持っている読解力の基礎みたいなモノを伸ばすのは、容易なことではないと思う。
これは、たとえば、私立中学の入試問題をやってみればわかる。
 
高校生でも大学生でも、国語教師でも(涙)実のところ、100点などとれない…と思う。
その中学校に合格できる小学6年生と大差ない点数しかとれないと思うのだった。
 
大人になり、勉強すれば、小学生より読解力がつくというなら、大人は小学生の読むモノを、小学生より完璧に理解できなければならない。
 
できるような気もする。
でも、それは「知識」に助けられての結果ではないのかな〜?と思う。
 
私立中学の入試問題を解くのに、高度な「知識」は要求されない…というか、要求してはいけないことになっている。
知識の点で、小学生と同じ土俵に立ったとしたら(立つのは不可能だけど)大人は小学生より高度な読解力を発揮できるだろうか?
 
そう簡単にはできない。
…と、私は思うのだった。
だから、大人が私立中学の入試問題で小学生に圧勝することはできない。たぶん。
 
私立中学の入試問題と、大学入試問題は、もちろん、違う。
 
私立中学の入試問題でオトナ顔負けの点数がとれる小学校6年生も、大学入試問題には歯が立たない。フツウは。
 
私立中学の入試問題と、大学入試問題の最も顕著な差は、それを読み解くために必要な、語彙をはじめとする知識量で。
 
中高生は、6年間かけて、その知識を克服していくのだ。
 
それらは全て新しい知識なのだから、読解力もへったくれもない。
ひたすら吸収するより他にない。
 
ただ、読解力の基礎みたいな能力に長けている人なら、その知識を吸収する過程を、或る程度楽しむことができる…から、楽なのだ。
 
楽なのと苦痛なのとでは大きな違いだけど。
でも、違うのはそこだけだと思う。
 
ってことは、国語が劇的に苦手だと思っている中高生も、精神的苦痛に耐え、目の前にそびえ立つ課題から逃げず、5,6年かければ、或る程度の「読解力」はつくはず…と思う。
 
逆に、逃げてしまうと目も当てられないことになる。
とにかく、知識というのは吸収しないことには入らない。時間もかかる。
 
私たちには、読んだり書いたりすることに関係するある才能…というものが、それぞれにある…のかもしれない。
でも、いわゆる「国語」の学力としての読み書き能力を左右するのは、才能ではなく、身に付いた知識の量だと思う。
 
才能が左右するのは、その知識を入れる過程を楽しめるか否か…ということだと、私は思う。
 
もちろん、コレは重要なので。
結局は「国語って才能のあるヤツにはかなわない教科だ」みたいな現象が起きてしまう。
 
…でも。
ホントは違う。
 
国語に才能は必要ない。
あった方が楽にできるけど、必要というわけではないのだ。
 
とはいえ、他教科と同様、知識を身につけるために必要な努力は容易にできるものではなく。
しかも、国語の場合、その努力が目に見えて報われるような現象も起きにくいので、なかなか難儀なことなのだった。
 
特に、「知識」といっても、国語に必要な知識は、用例の数…みたいなコトになってしまうので、まとめ暗記もできない。
 
とにかく時間がかかる。
どーしてもかかる。
 
ってことは、せっぱ詰まる前からコツコツやっておかねばならないわけで。
せっぱ詰まってから始めても、往々にして時間切れになってしまうわけで。
 
…なので。
 
社会でとっても国語でとっても英語でとっても、1点の重みは同じ!
現代文の点数を上げることにこだわるなっ!あきらめて運を天にまかせるのだ
 
…なんて受験生に言ってしまいがちな私なのだった。


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