夏休みも終わり…ってことで、読書感想文の宿題は今がたけなわなのかも(しみじみ)
それとも、今時そんな宿題ないのかも(悩)
ウチはのんきな学校なので読書感想文の宿題を出している。
でもって、変な学校なので、登校日(があるわけですが)に提出だったりして。
だもんで、私は提出された今年の感想文をもう読んじゃってたりする(笑)
…いや、コンクールの提出期限が早いのだった。
読書感想文の評価は難しい。
というか、何のためにそんなもん書くのか、というところから、考え方はまとまらないわけで。
ウチの学校は、よくコンクール入賞作品を出す…らしいのだけど、現場ではほとんど指導を入れていない(汗)
実際のところ、全国レベルになるような作品というのは、書かせる方の思惑など飛び越えて、感動できる作品だったりする。
だから、書かせる教師の思惑…に見合う作文かどうか、という評価ができるのは、ごく普通の作品が対象になるわけで。
今年は中1の作品を見たのだけど。
なんというか。
小学校の指導が透けて見える感じなのだった。
いろいろ書くんだけど、最後に必ず
この本を読んだことで、自分はどんな成長を遂げたか。
…が書かれているのであった。
それが悪いわけではない…のだけど。
でも、みんながみんなソレを書いてくる…というのはやっぱりおかしくて。
たぶん読書感想文は…或いは読書は、それによって子供の心が何か成長する、ということを目指して、指導されているのだろうなあ…と思う。
それは、ちょっと私にはツライ(汗)
この辺、本当に人によって考えはさまざまなのだけど…
コンクールで入賞するような感動作品を書ける子はたしかにいるし、どの子供にも、そういう作品を書く可能性はある。
そして、その感動の源は、やはり、書いた子供の心の成長…みたいなところ…にある。それは確かだ。
でも、実際ソレが出来るのはごく一握りなのだから…だから、むしろ感動作品を書くのは出来なくてあたりまえ。
出来なくてあたりまえのことを指導目標におくのはマズイような気がする。
それに、こっちの思惑がどうであれ、感動作品は出るべくして出ちゃうのだ。
…だから。
感動作品…が書けないのは当り前、それを目指すのはやめる…ってとこからスタートすると、読書感想文を書く意義というのはコレだと思う。
あるテーマに基づいた長い文章を書く。
…要するに小論文。
子供が自力で、創作じゃなくて長い文章を書こうと思ったら…そんな題材、そう簡単に転がっているものではないのだ。
とにかく長いのを書く。
それをやりやすいのが読書感想文なのだと思う。
一年に一度、構成意識を多少なりとも持って、1000字の文章を書く。
やってみて悪いことではないと思う。
うまくいってもいかなくても。
子供が一息に説明できるのは、個人差はあるけど、200字くらいが限度かな〜?と思う。
それを超える字数を書くには、200字以内のブロックをいくつか作って、それを並べる…という発想にならないと、ちょっと難しい。
授業では、その辺を説明する。
もっとも、感動作品は、そういう意識とは違うところから生まれたりするので、絶対こう書け、という指導はしないでおいたりする。
テストできっちり評価するわけじゃないので、書く方も評価する方も、何ができるかお楽しみ。気楽にやろうぜ。みたいな感じなのがいいと思うのだった。
…ってことで、時期的には何もかも手遅れなのだけど、
困ったときの読書感想文の書き方♪
1、その本を読んで、一番に叫びたくなったことをイキナリ書く。感動でも喜びでも腹立ちでも何でも可。心が烈しく動いたことをそのまま書く。(100〜200字)
ちなみに、コレが書けない場合は、本を替えた方がいいのだった。
2、1は心の迸るまま書くので、説明もへったくれもない。そこで、少し落着いて、1の背景、ストーリー、人物紹介などをする。長くなりすぎないように注意。(200〜300字)
3、ここから2系統に分かれる。
A、1・2を書いているうちに、新たにどーしても書きたいことが心を揺さぶったときは、ソレを書く。書けるところまで書く。書ききったら、Bに移る。Bに移ったあとでも、何か新しく書きたいことが心を揺さぶったときは、すぐ戻ってソレを書く。
B、書くことがなくなった…と思ったら、以下を適当に選び、組み合わせる。
a 1を自分で批判してみる。批判したら、その批判に対して自分で反論もする。反論できるはずだが、できなくなっちゃったら、それはそれでよし。
b 解説などを見て、この作品の一般的な評価・解釈を書く。できれば1に関係するところを探す。他人の意見を引用するときは、その出典を明らかにするようにする。
c 作者について調べたことを書く。できれば1に関係するようなことを探すとよい。
d 自分の経験を書く。もちろん、1に関係するようなことでなければならない。
これで、ひとつにつき200〜300字とすると、二つ選べば、ここまで書き終わったとき、原稿用紙(400字詰め)3枚目には十分突入しているはずだと思う。
Aが浮かんだら、すぐ書く。構成などは、この時点ではあまり意識しなくてもよい。
もちろん、三つ書ければなおよい。
さらに、それぞれを説明する過程で、2のような状況説明が必要な場合もあるので、ほとんどの子供が、コレを終えて、「もう、ホントに書くことはなくなった!」と叫ぶとき、4枚は書けてる…んじゃないかと思うのだった。
そして。
最後に。
もう一度1を書くのだ。
ただし、既に書いた1の部分を読み返してはいけない。
1の内容を頭で思い出し、もう一度、同じコトを書くつもりで丁寧に書いてみる。
そうすると、ここまであっちこっち書いた頭で書くわけだから、自分では全く同じコトを書いたつもりでも、何が違ったりする。
内容としては全く同じであっても、読むとそれほど同じに見えないし、むしろあっちこっち行った話がまとまったように見えてすっきりするのだった。
字数は1と同じか…普通なら、それより2割増しくらいになると思う。
結びの言葉は必要ない。
言いたいことを言い終わったら、そこでエンピツを置く。
下手に結びをつけなくても、1は一番インパクトのある叫びなのだから、文章を収束させる力を内容として持っている。
たぶん、これで5枚いける。
いけなかったら…ホントはあきらめた方がいい。
私はあきらめろ、と指導してたりする。
無理に引き延ばして書くのは、書く方も苦痛だけど、読む方も苦痛だったりして。
この作戦をとるとき、絶対はずせない条件が二つある。
ひとつは、
1が書けない本は駄目。書けないのなら、本を替えてやり直し。
もうひとつは
かならずもう一度書き直す。ブロックを入れ替え、1を柱に並べていくと、かなり良いものになる。
このとき、ブロックとブロックのつなぎについては、何も考えなくてよい。
ブロックが変るときには、改行すれば、それだけで大丈夫。
読む方は、改行さえあれば、話が飛んでいてもつながっていても、なんとなく読めるものなのだ。
…なんだけど。
そもそも本を読むのがめんどう!
文章なんて書きたくない!
…という子供がほとんどで、だから感想文は苦痛なのだと思うけど。
自分では絶対やらないことを無理矢理やらされ、失敗してもそんなにツライ思いをしないですむ。
…というのがある意味学校でやることの醍醐味だったりする…と考えて、やるだけやってみるといいと思う。
…やっぱり後ろ向きかも。
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