3      星祭りの夜!<待て(汗)
 
日暮れが近づいていた。
009はギルモア研究所めざして車を飛ばしていた。
七夕の会…というのに招待されたのだった。
もちろん、003の提案だ。
 
「…ったく。女の子ってのは、どうしてこういう行事が好きなのかなあ…?」
 
たぶん、短冊に願い事を書く、みたいなこともさせられるんだろう…と思うと、かなり面倒だという気がする。いっそ断ってしまおうかとも思ったが、これといった理由もなかったし、003をあまりがっかりさせても気の毒だ。
 
そういえば、手ぶらだった。
クリスマスではないのだから、プレゼント交換、ということはまさかないだろうが、それにしても彼女が喜びそうなお茶菓子か果物ぐらいは用意するべきだったかもしれない。
海岸沿いの交差点で信号待ちをしながら、009はちょっと町へ引き返そう、と決めた。
 
店じまいをしようとしていた和菓子屋で、七夕用…とある菓子をいくつか求めた。
どんな味がするものやら見当もつかなかったが、星や天の川をかたどったらしいそれらは淡く可愛らしい色合いで、いかにも003がよろこびそうなものだった。
 
もう、すっかり暗くなっている。
さっき引き返した交差点にさしかかったときだった。
009は、奇妙な物音と、押し殺した悲鳴のような声を聞いた。
 
「…なんだ?…あっ!」
 
車を急停車させ、飛び降りると、009はガードレールを飛び越えて砂浜に飛び降りた。
数人の若者が、一人の少女を押さえつけようとしている。
 
「オマエたち、何をしてるんだ!乱暴はよせっ!」
 
叫びながら、009は風のように男達に飛びかかり、あっという間にたたきのめした。
やがて、うめきながら起き上がった彼らは、口の中で何かののしりながら、そそくさと逃げ出していった。
 
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとうございます」
「何があったんです?アイツらは、いったい…」
「わかりません…知らない人たちですわ。急に、つかみかかってきて……」
 
座り込んだまま震えている少女の腕を009は静かに取り、ゆっくり立たせてやった。
 
「さあ、とにかく、行きましょう…こんなところにあなたのような女の子が一人でいたら、またああいうヤツらに狙われるかもしれない」
「…いいえ。それは、できません!」
「…え?」
 
 
 
少女は、ルミ、と名乗った。
ここで恋人と待ち合わせをしているのだという。
 
ずいぶん無責任な男だなあ…と、009はひそかに思った。
こんな淋しい、街灯ひとつない砂浜に女の子を待たせておくとは。
 
彼女をここに置き去りにしていくのは気がかり…ではあったが、恋人がくる、というのなら、自分はこのまま立ち去ったほうがいいのだろう。そう思ったときだった。
 
「…あの」
「…何か?」
 
ルミは009のシャツの袖を引きながら、うつむき、消え入るように言った。
 
「本当に…申し訳ありませんが…もう少しだけ、ここにいてくださらないかしら」
「それは…僕はかまいませんが」
 
009は首を傾げた。
ルミは、明らかにほっとした表情になり、暗い水平線を見やった。
 
「3年前、私たちは約束しました。7月7日、七夕の夜……必ず、ここで会おうと」
「…七夕の夜?」
「ええ。運命に引き裂かれ、それでも互いを愛し続けた、牽牛と織女のように」
「…何か、事情があるようですね」
「聞いて…くださいますか…?」
 
控えめに尋ねる009を振り向き、ルミは寂しそうに微笑んだ。
 
彼女の恋人は、船乗りだった。
3年前、彼は素晴らしくやりがいのある航海に誘われたのだと彼女に嬉しそうに語った。
 
「…その仕事に就けば、長い間日本を離れなければなりませんでした。だから…と、彼は私に、約束してくれたんです」
「なるほど…そして、今日がその日、というわけですか。それは、楽しみでしょうね」
「…でも!」
 
ルミはきゅっと唇を噛み、小さく肩を振るわせた。
 
「…それきり、彼には会っていません。一昨年の七夕も、去年も……」
「え…?それは、どういう…ことです?」
「わかりません。彼が立派に働いているということは、会社の方から伺っています。それに、文通はしているんです…でも、会いにきてはくれません」
「なんだ、手紙はやりとりできるんですね…それなら、どうして会えないのか、彼に聞いてみればいい。男は、案外のんきなものですよ。あなたがこうして待ってくれているとは思ってもいないのかもしれない」
「…いいえ!」
 
ルミはぱっと顔を上げ、挑むように009を見つめた。
美しい大きな目に、みるみる涙があふれてくる。
 
「こわいんです…どうしても、聞くことができません。だって、彼…約束のことなんて、すっかり忘れたようで…私と会いたいなんて、思ってもいないようで…それをわざわざ確かめるなんて、つらすぎます…!」
「…でも、それでは……」
 
困惑する009に気づき、ルミははっと顔を赤らめ、またうつむいた。
 
「ご、ごめんなさい…私ったら。助けていただいたのに、あなたに八つ当たりなんか…」
「…いいえ、それは。でも……」
「本当にありがとうございました。お引き留めして、ごめんなさい。助けていただいて、とても嬉しかった……さようなら」
「ルミさん……」
 
ルミはそう言うと、くるっと009に背を向けた。
009は思わず息をついた。
 
 
 
彼女の傍を離れ、車道に戻ったものの、やはり気になってしまう。
去年も一昨年も無事に待ったのなら、さっきのような男達が今夜もう一度彼女を襲うようなこともないのだろう。
そうは思うのだが……
 
ガードレールにもたれながら、なんとなく砂浜を見下ろしていた009は、いきなり後ろから襟首をつかまれ、太い腕で首を羽交い締めにされた。
 
「何をするっ!」
 
なんなくその腕をふりほどき、背負い投げをくらわせた。
アスファルトに叩き付けられたのは、若い男だった。
さっきのヤツらではない。
 
呻きながらも身を起こそうとする男に、009は鋭く問いかけた。
 
「オマエは何者だ?…僕に、何の用だっ?」
「それは、こっちの台詞だっ!あの娘に…ルミに何をした?」
「…何…?」
 
きっ、と正面から男をにらんだ009は、思わず小さく息をのんだ。
男の顔は、半分ほどが醜く爛れている。
ひどい火傷のあとのようだった。
009は、はっと気づき、叫んだ。
 
「そうか!オマエが、あの人の…ルミさんの恋人だという、船乗りだな!」
「…っ!」
 
男は顔色を変えると、そのまま走り去ろうとした。
が、もちろん009から逃げ切れるはずはない。
 
「は、はなせっ!」
「待て!…どういうことだっ!ルミさんは、オマエをずっと待ち続けているんだぞ!あんな寂しい砂浜で…去年も、一昨年も!」
「うるさい!オマエには関係ないことだ!」
 
悲痛な声で叫ぶ男の目を、009は鋭く見据えた。
 
「なるほど…その、傷か。オマエは、醜い姿をルミさんに見せるのをおそれて、それで…!」
「だ、黙れ!」
「なんて意気地のないヤツだ!…彼女が、どれだけつらい思いをしているか、オマエにはわからないのかっ?」
「黙れっ!…黙れ、黙れーーっ!…オマエに俺の気持ちがわかるものか!」
「ああ、わからないね…僕がわかっているのは、ルミさんの苦しみだけだ!」
「…この…っ!」
 
男は獣のようなうなり声を上げながら、009につかみかかった。
 
 
 
数分後。
どんな攻撃も009にあっさりかわされ、翻弄されて、ついに立ち上がる力さえ失った男は、それでも闘志をみなぎらせた視線を向けてきた。
009は半ば呆れながらも、その執念に感心するような気持ちになっていた。
 
「もうやめよう。僕にはどうしてもわからない。そんなに彼女を愛しているのなら、なぜ会ってやろうとしないんだ?第一、その傷はどうしたんだ?…オマエは、本当に船乗りとして成功しているのか?」
「…お、俺は…この傷は…」
 
男は荒い息を整えながら、とぎれとぎれに語り始めた。
 
彼の乗った船は、航海に出て間もなく船火事を起こしかけてしまった。
彼を始めとした船員たちの活躍で、どうにか消し止めることができたものの、先頭に立って勇敢に働いた彼は、そのときひどい火傷を顔に負ってしまった。
 
仕事は順調だった。
彼の勇気と表裏のない人柄は、上司にも部下にも信頼されている。
ついに、彼は自分の船を任されるようにもなったのだという。
 
「…結構なことじゃないか。だったら、なぜ……」
「俺が、ここまで働き続けることができたのは、ルミが…彼女が、俺を愛していてくれたからだ!彼女は…俺のすべてだ」
「…だから!」
「だから!…彼女に背を向けられたら…俺は、生きていけない。それが、恐ろしい…もし、彼女が…」
「ルミさんを信じられないのか?…ああして、毎年…オマエとの約束を信じて、それだけを頼りに待ち続けている彼女を、なぜ…!」
「…………」
「…腰抜けめ。勝手にするがいい!…あっ!」
「う…?な、なんだ…?」
 
009はガードレールに駆け寄り、海岸を見下ろした。
 
「チクショウ!…さっきのヤツらだ!仲間を連れて戻ってきたぞ!」
「さっきの…ヤツら?」
「ルミさんを襲ったヤツらさ…!見ていなかったのか?」
 
表情をこわばらせてうなずく彼に思わず舌打ちし、009はガードレールに素早く足をかけた。
下の方から争う物音と、少女の悲鳴が聞こえ始めた。
 
「…待てっ!お、俺が…!」
「オマエが助けにいく、というのか?そんな疲れ切った体で何ができるつもりだ?…僕の力はわかっただろう、心配することはない。そこで待ってろ」
 
冷たく言い放ち、飛び降りようとした009は、いきなりものすごい力で後ろへ引き倒された。
咄嗟に受け身をとり、道に転がった彼の目にうつったのは、すさまじい勢いでガードレールを乗り越えていく男の背中だった。
 
 
 
男は、009が闇に紛れて、音もなく自分の加勢をしている…とは、最後まで気づかなかった。
もちろん、気づかせるつもりなど毛頭なかったのだから、それでいい。
 
夢中で抱き合い、涙を流し続ける恋人たちを見届けてから、009は素早く車に戻り、エンジンをかけた。
 
「…やれやれ。手のかかる二人だったなあ……あれぇっ?」
 
さっき買った和菓子のボール箱が、じっとりと濡れている。
慌てて蓋をあけてみると、キレイに整っていた涼しげな菓子が、なんとなくつぶれかかっているように見えるのだった。
 
「うーん、早く冷蔵庫に入れておかなくちゃいけなかったんだ……弱ったな」
 
009は首をひねった。
時計を見ると、もうどの店もとっくに閉まっている時刻だ。
しかたがない、と諦めかけたとき。
ふと、ルミのほっそりした立ち姿が脳裡をよぎった。
 
「そうだ!…たしか、研究所の近くの雑木林に、百合がたくさん咲いている所があったっけ!…ようし!」
 
この間、トレーニングの途中で見つけたのだ。
道のない藪の中だったから、003も007もそんな場所があるとは知らないだろう。
009は勇んでアクセルを踏んだ。
 
 
 
「……ねえ、003…そんなにがっかりしないでよ」
「あ…ごめんなさい、007…大丈夫よ」
「ったく!…何やってんだろうね、アニキったらさ」
「本当ねえ…」
 
003はくすっと笑い、バルコニーに出た。
夜風が優しく髪を撫でていく。
 
「まあ…きれいなお星さま…!セブン、ごらんなさい」
「…ホントだ!」
「もうこんな時間なのね…あなたはおやすみなさい、眠くなったでしょう?」
「うーん…でもさあ…」
「ジョーなら大丈夫よ。何かあったのなら、きっと連絡してくれるはずだもの」
「003、まだ…待ってるつもりなのかい?」
 
それには答えず、笹飾りにそっと手を伸ばす003に、007は息をついた。
 
「もう寝ちゃいなよ、003。男って案外のんきなモノなんだぜ。キミがこうして寂しい思いをして待ってるなんて、どうせ009は気づいちゃいないんだから…馬鹿馬鹿しいよ」
「こら!…生意気言わないの!」
「…ちぇっ、わかったよ…じゃ、おやすみ…ホント、ほどほどにしといた方がいいよ」
「ふふっ、ありがとう、007…おやすみなさい」
 
ひとりになったバルコニーで、003はまた星を見上げた。
 
 
でも、あなたはきっと来てくれる。
約束したんだもの。
だから、待ってる……信じているから。
 
いつまでも、待っているわ。
 
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