1
「あなたと一緒にいたい」
というのが、どういうことを意味しているのか。
僕は、わかっているつもりで少しもわかっていなかったのだと思う。
だから、僕は彼女が僕にすがりついたとき、感動さえした。
彼女の甘い香り、やさしい柔らかい肌、温かさ……それは全て、僕が彼女に頼られている、信頼されている……そして受け入れられている、ということを実感させてくれたのだから。
ひどく、幸福だった。
ほんの数秒にすぎなかったけれど。
次の瞬間、僕は天国から地獄へたたき落とされる、というヤツを初めて経験したのだ。
――え?!
まさか、と思った。
ありえない、とうろたえた。
どうしていいかわからず、僕は混乱した。
いや、もちろん、それは当然のことで、十分あり得ることで、どうしてか、なんてわかりすぎるくらいわかりきったことだった。
それでも、そのときの僕は混乱したのだ。
それぐらい、僕は彼女を……フランソワーズを、愛していた。
2
フランソワーズは、美しい。
僕が知る、どんな女性よりも。
僕が知る、というのは、現実世界にとどまらない。
ありとあらゆるフィクションの世界も含めた、全世界の女性をかき集めてみても、彼女より美しく清らかで優しい女性はいないのだ。
彼女は僕の理想の、夢の女神だった。
彼女のためだと思えばサイボーグになったことも受け入れることができた。
それだけじゃない、僕のここまでのろくでもない人生すら……それさえ、彼女と出会うためにあったのだと思えば、ただただ、感謝あるのみだ。
僕のこの思いは、恋などというものではない。
そんな儚い、浅薄で身勝手なものでは断じてない。
誓ってもいい、これまでの長い戦いの中で、僕は一度たりとも、彼女に邪な思いを抱いたことがない。
だからこそ、僕が彼女を守る唯一の戦士にふさわしい男なのだ。
それは僕のひそかな誇りだったし、僕が初めて得た確かなアイデンティティでもあった。
それが、あの浜辺であっけなく崩れた。
その悪夢は陶酔の中から少しずつ頭をもたげ……気付いたときには、僕をすっかり縛り上げ、のみこんでしまっていた。
やがて。
僕は体の中心付近が、決してあってはならない忌まわしい変化をしつつあることをハッキリと自覚したのだ。
その意味に戦慄した瞬間。
まさに、その瞬間だった。
フランソワーズは、はっと僕の胸で顔を上げ、敵襲を告げたのだ。
ああ、もしそれがなかったら……なかったら、僕はどうしていただろうか!
だからといってダガス軍団に感謝などはしない。当然だ。
が、結果として、彼らが僕を救ったのだ。
僕は、当然のように……これまでいつもそうしていたように……彼女を手放し、彼女から離れ、駆け出した。
とてもそうすることなどできそうになかったのだが、できた。
何と言っても、未知の敵、宇宙からの恐るべき侵略者が襲来したのだ。
さすがに、そのインパクトは凄まじかったのだと思う。
最大の危機を脱し、更になし崩しに戦闘に入った……ことで、僕はやや安堵していた。
そうだ、あれは、悪夢だったのだ。そう思えばいい。
懸命に自分に言い聞かせた。
大丈夫。
ここは戦場だ。
しかも、これまでとは比べものにならないくらい、危険な……絶望的ですらある戦場なのだ。
ここなら、もう二度と、決して……!
……と思っていた。
が、そうはならなかったのだ。
スターゲートを抜け、初めての大規模な宇宙戦を切り抜け、傷ついた機体を修理できる惑星を探し……ナビゲーターの彼女にはあまりに過酷な時間が続いた。
だから、目的地となる星が決まったとき、仲間達は口々に彼女に休むようにと言った。
もちろん、僕も。
とはいえ、平和な地球にいるのとは事情が違う。
彼女に誰かが付き添い、少なくとも彼女のキャビンに送り届け……できれば、落ち着いて休めるように傍にいてやるべきだった。
僕以外の誰が、その任につけただろう?
僕たちにとって、それはもう当然のことになっていた。
僕は、それほどまでに、自他ともに認める彼女の絶対的な騎士だった。
あの浜辺でのことがちら、と胸によぎった。
が、僕はまだ自分に自信をもっていた。
この非常時、しかも疲れ切った彼女を前に、この僕が彼女の忠実な騎士以外のモノであるはずなどない。
断じて、ない。
……はずだった、のだが。
嵐のような「そのとき」が通り過ぎ、我に返ったとき。
僕は凄まじい歓びと絶望に震えながら、同じように震えている彼女を堅く抱きしめていた。
そして、知った。
かけがえのない貴い女神をこの自らの手によって永遠に失ったことを。
……にも関わらず、僕が恐ろしいまでに満たされている、ということも。
そんな相反する心と体をもてあましたまま、僕はあの星に降り立ったのだ。
3
タマラと、フランソワーズが似ている……と思ったのは、もしかしたら僕だけだったのかもしれない。
たしかに、どこが似ているのかと問われたら、うまく答えられない。
それでも、彼女たちは似ている、と僕は思った。
タマラは、僕を無垢な心で慕ってくれた。かつて、フランソワーズがそうだったように。
それだけではない。彼女はフランソワーズと同様、美しい人だった。
巨大な悪に凛々しく立ち向かい、人々のために身を投げ打って戦い抜く……彼女もまた、そういう清らかで希有な乙女だったのだ。
彼女は僕を頼り、いろいろな相談をもちかけてくるようになった。
そうして彼女と語らううちに、僕の中にひとつのイメージが育ち始めていた。
それは……たしかに途方もないことだった。なぜ僕がそんな思いに囚われたのかということも今ならわかるような気がする……が、そのときはわからなかった。
とにかく僕は、少しずつ……少しずつではあったが、その思いを強くしたのだ。
フランソワーズを、この星においていくことはできないだろうか……と。
彼女に戦いは似合わない。それを誰よりよく知っているのは、僕だ。
しかし、彼女には平凡な安寧も決して似合いはしない。
この美しい王女とともに、この星に愛と生命を吹き込み、蘇らせる……それは、彼女に最もふさわしい生き方のように思われた。
少なくとも、僕たちとともに血みどろの戦いに身を投じ、命を散らすよりは、ずっと。
まして、僕は――。
彼女を汚した償いをしようと思ったわけではない。償えることではないのだと十分承知もしていた。
しかし……こんな僕に汚され、その僕と死地に向かう、それだけが彼女の運命なのかと思うと、どうにもやりきれなかった。
この星で彼女にふさわしい生き方が、もしできるのなら……。
もちろん、フランソワーズがそんな提案を承知するとは思えなかった。
信じがたいことであったが……彼女は、僕を愛してくれている。
おそらく……おそらく、ではあるが、彼女は、僕に汚されたとも思っていない。
もし、この星に残れと言ったら、彼女は拒絶するだろう。
あの浜辺でそうしたように……いや。
あのときとは違う。
僕のその言葉は、何より残酷な裏切りとなって彼女の心を抉るに違いない。
それでも、僕は諦めきれなかった。
タマラは……そしてフランソワーズは、それほどまでに美しかったのだ。
4
僕は、なぜボルテックスでタマラの復活を願わなかったのか。
その理由は、ひとつ。
僕が、心に持ち続けていた儚い夢を捨て、代わりにフランソワーズを……そして地球を選んだからだ。
タマラとフランソワーズが……清らかな女神たちが統べる美しい世界。
僕が夢見た理想世界。
そんな世界は、なかった。
タマラは、星を治める為の伴侶として、フランソワーズではなく僕を選んだ。
あの浜辺でフランソワーズが言ったように「あなたと一緒にいたい」と言った。
タマラはテレパスだ。
僕の密かな憧れと望みを知らなかったとは思えない。
その上で彼女はああ言った。
僕があの星に残ることができない本当の理由……僕自身も知らなかったその理由を、タマラはわかっていた。僕の心の奥で熱く燃えている、本当の望みを。
何をどうしようと、僕はもうフランソワーズを手放すことなどできはしなかったのだ。
そのことを、タマラは教え……そして、去った。
僕の心に住んでいたけがれない少女……夢の乙女をも引き連れ、永遠に去ってしまった。
その美しい世界は、どこかにあるのかもしれない。
彼女たちは今もそこにいるのかもしれない。
ただ、もしそうだとしたら、それゆえに僕とは絶望的に無縁の世界なのだ。
夢に見ることができても、近づくことはできない。
僕は夢から覚め、フランソワーズを抱きしめた。
女神などではない、でも唯一の女性……僕の、恋人を。
どんなことがあろうと、放しはしない。命の続く限り。
それでも……堅く堅く抱きしめた彼女が、ふと僕の腕をすり抜けていくような感覚を覚えることが、今でもないわけではない。
そのとき僕は、恐ろしい恐怖に震え、同時に至上の歓喜をも味わうのだ。
フランソワーズ。
君はいつも僕の傍らにいる。僕は、君を放さない。
でも、君は自由なんだ。君はいつでも飛び立つことができる。
僕には結局、君をただの女に引きずり下ろすことなどできはしないのだから。
優しい美しいフランソワーズ。
ここは、君の居場所ではない。
でも、もう少しだけここにいてほしい。僕の傍に。
僕の命が果てるまで。
君の永遠の前で、そんな時間は一瞬にすぎないのだから。
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