「平服…と言うんだから、まぁ、モーニングじゃないってことだな…ブラックスーツでいいんじゃないのか?」
「でも、日本ではそもそもモーニングやタキシードを持っている男の人がそれほどいないみたいよ。つまり、礼服にあたるのがブラックスーツってことなんじゃないかしら?」
「ふむ…おい、ジョー。どうなんだ、その辺り?」
尋ねられ、ジョーはあからさまに困惑した表情を二人に向けた。
「その辺りが僕にはわからなくて相談してるんだけど…」
「ねえ、ジョー…それじゃ、コレを読んでみて」
フランソワーズに日本語の本を渡され、ジョーは栞のはさまれているページをひらいた。さまざまな結婚式についての説明と、それにふさわしい服装とが延々と記されている。
「…あ。ここに書いてあった!…うん、ブラックスーツじゃないみたいだ…ようするに、ジャケットにネクタイ…ぐらいでいい…らしいね」
「なんだ。それじゃホントに《平服》ってことなんだな」
「よかったわね、ちゃんとわかって…」
「うん、ありがとう、フランソワーズ…ブリテン」
「…が。そうなってみたらみたで、何を着ればいいか、迷うところだろう、若者よ」
「…え?」
「ホントね…決まりがないなら、後はその人の個性とセンス…ってことになるもの」
「いや、別にいいよ…僕にそんな、個性だのセンスだのって…第一、主賓とかじゃないんだから…」
「あら!お祝いする気持ちを表すんですもの…主賓かどうか、なんて関係ないわ」
「そうそう。どんな末席にいようと、招待されてるんだ、お主らしいスタイルでキメるのも先方に対する礼儀ってもんだぞ」
「……」
マズイ…と気づいたときは遅かった。
結局、ジョーはその日の服装を決めるにあたって、ブリテンとフランソワーズ…つまりはイギリス人とフランス人のポリシーやら美意識やらにとことん付き合う羽目になってしまったのだった。
※※※
巨人の謎を追うため、各地から集結したばかりのサイボーグたちだったが、事件は散発的で、まだこれといった決め手になる手がかりはなかった。
一方、この戦いが大規模な…長期戦になることは明らかだったので、とりあえず平穏な時間がまだありそうな今のうちに…と、彼らは交替で短期間それぞれの故郷に戻り、それまでの生活の「後始末」をしていたのだった。
最後に「後始末」をしたのは、研究所のある日本に在住し、それが誰より容易にできるジョーだった。
で、その際、彼は自宅に結婚式の招待状が届いているのに気づいたのだった。
はじめは、黙殺するつもりでいた。
招待主…真鍋美香…は、ジョーの数少ない幼なじみの一人だ。
赤ん坊の頃からジョーと同じ施設で育ち、一緒に中学校まで通った少女だった。
懐かしくない、といえば嘘になるが、それならそれで、戦いに身を投じようとしている今のジョーには遠ざけておくべき相手だ。
しかし、捨てようとしたその招待状を、たまたまフランソワーズに見つかってしまい、結婚式に出席するよう、説得されてしまったのだ。
招待状にわずか添えられた直筆のメッセージから想像すると、美香は、レーサーとしてのジョーの活躍をほとんど知らないようだった。招待状も、事務所に届いたのではなく、以前彼女に教えたアパートの住所から、転居先へと転送されていた。
それなら、なおさら…と、フランソワーズは言うのだった。
「きっと、あなたを大切に思っていた人なんだわ…」
「大切に…?」
彼女の言おうとしている意味は、ジョーにはいまひとつわからなかった。
施設を出てから彼女とは手紙も電話も交わしたことがない。もちろん、会ったことなどないのだ。
「そうよ、大切に。私、よくわからないけれど…でも、きっとその方、色々なときにあなたを心の支えにしていたんじゃないかしら…会うことはなくても」
「そんなこと…」
「そういうこと、あると思うの。男の人にはないのかしら…?」
「うーん…僕には、ね。君にはあったのかい、そういうこと?」
「え…」
フランソワーズは一瞬、大きく目を見開き、やがてうつむいた。
そのまま、彼女は小さくつぶやいた。
「…あったわ」
「……」
そうなんだ、とジョーは口の中で言った。
言った…つもりだったが、たぶん、彼女には聞こえていなかったと思う。
※※※
その日、ジョーは、ブリテンがコーディネイトしたスーツに身を包み、フランソワーズと選んだ贈り物を持って研究所を出た。
贈り物は、上品なデザインの万年筆。
美香との思い出といえば、小中学校の頃、宿題を手伝ってもらったコト…しか思い出せなかったジョーに、フランソワーズが、それなら…とアドバイスしたのだった。
式場は小さなレストランだった。
いわゆる人前結婚式というものらしく、新郎新婦が簡素な誓約式を済ませた後、立食形式の披露パーティが始まった。
招待客の数はそれほど多くなく、ざっと見渡したところ、見覚えのある顔もなかった。ジョーは会場の隅に用意された椅子になんとなく身を隠すように腰を下ろした。
白いドレスに身を包んだ美香は美しかった…が、記憶の中の少女とは全くの別人であるような気がしてならない。なぜ自分が招待されたのか、ジョーにはどうしてもわからなかった。
グラスを手にした若者達が、入れ替わり立ち替わり、新郎新婦の席を訪れ、談笑している。自分もそうするべきだと思いながら、ジョーは立ち上がることができなかった。
結局、美香と言葉を交わすことも贈り物を手渡すこともしないうちに、式は終わった。
会場を出るとき、出口で見送りに立っていた美香は、軽い会釈の後、ジョーを見つめ、微笑した…が、それが、彼をジョーと認めた上での微笑だったのかどうかはわからなかった。
※※※
ストレンジャーのシートに収まり、渡すことのできなかった贈り物をポケットの上から確かめながら、ジョーはほっと息をついた。
一生懸命準備を手伝ってくれたブリテンやフランソワーズには悪いが、これでよかったんだろうな、と思う。
言葉を交わすことはなかったが、美香の幸せそうな姿を見ることができた。
受付で「島村ジョー」と記名したので、自分が出席していたことも彼女にはちゃんと伝わる。それで十分だという気がする。
贈り物を渡さなかったのも、結局はよかった。
美香が自分を覚えていてくれたことは、思いがけず嬉しいことだった…が、これからはむしろ忘れてほしいのだから。
それなら、自分を思い出すよすがとなるようなモノを、わざわざ彼女の許に残すことなどない。
…しかし。
エンジンをかけると、ジョーは、贈り物の包みがポケットからはみ出していたりしないか、片手で用心深く確かめた。
フランソワーズは普段「目」を使ったりしないから、きちんとポケットに収まってさえいれば、持ち帰ったとバレることはないはずだった。
バレてしまったら、きっと彼女を悲しませることになる。それは、避けたかった。
ストレンジャーは高速道路に入った。
都会の美しい夜景が窓の外を流れていく。
ふと思った。
いつか、彼女が…フランソワーズが花嫁になる日が来たら。
きっと、彼女は僕たちみんなを式に招待してくれるんだろうな。
そのとき、僕はどうするだろう。
彼女に贈り物をしたいと思うだろうか。
僕を彼女の片隅に残してほしいと願うだろうか。
…わからない。
でも、もしそうしたいと思ったら、そのときはコレを渡すことにしよう。
彼女はきっと、呆れて笑うだろうから。
笑って受け取ってもらえるなら、それが一番いいのだから。
奇妙な寂しさが水のように胸に広がっていく。
それは、つまり、彼女に…003である彼女には、結局そんな幸福な日など訪れない…ということを、自分が心の底ではわかっているから…だからなのだろう、と、ジョーはぼんやり思った。
それでも、僕はコレを持っていよう。君に見つからないように。
どんなに時間がかかっても、いつか、必ずその日は来る。そう信じよう。
君は君の場所に戻り、誰よりも幸せになる。
僕は絶対に諦めない。
その日まで君を守る。
諦めないよ、フランソワーズ。
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