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  4   超銀
 
 
 
君はたぶん知らないだろう。
仮に知ったところで、君には…いや、誰にも…どうにもできないことだが。
 
君は知らない。
僕が、地上最悪のストーカーだということ。
 
もちろん、ターゲットは君だ。
 
 
 
メールの着信を知らせるランプが点滅している。ジョーはゆっくり携帯を開いた。
東京のオフィスから問い合わせだった。
 
たしか一昨日、それについては返信をしたはずだが、未着だったらしい。
で、どうも海外へのメールについては、そういうトラブルが時折ある電話会社なのだという。
いいかげん会社を変えたらどうだ?と勧められることもあるが、ジョーはいつも笑って請け合わない。
本当に重要なメールなら、返信がなければ当然再送してくるだろうし、いくらトラブルが多い電話会社だといっても、二度三度重なってそれが起こることはまずないはずなのだ。ということで、実害はほとんどない。ないどころか、むしろ……
 
その、一昨日送信したはずのメールを再送してから、受信メールの一覧をもう一度表示し、丁寧に眺めると、ジョーは携帯を閉じた。
ちらっと時計を確かめ、今度はごく小型のノートパソコンを開く。
 
「…13:48…チュイルリー……と、いうことはリヨンへは……ぎりぎり、だな」
 
思わず舌打ちする。
できれば、もう少し余裕が欲しいのだが…。
 
しばし黙考した後、ジョーは息をついて、メーラーを立ち上げた。
予定されていた取材をひとつキャンセルするしかない。
面倒な交渉になりそうだが、やむを得なかった。
 
 
 
高速鉄道で旅立った友人を見送り、フランソワーズはのんびりメトロへと戻ろうとしていた。
ターミナル駅には、外国からの旅行者も目立つ。
アジア系の若者を見かけるたび、つい目で追ってしまうのはいつものことだ。
無意味なこととわかってはいるのだけれど……けれど。
 
「…え?」
 
見覚えのある栗色の髪がちらっと見えた気がした。
咄嗟に透視モードへ切り替える。
 
まさか。
…どうして?
 
フランソワーズは呆然と立ちすくんだ。
声をかけようと思うのだが、体が動かない。
 
ジョー?!
 
彼女の心の声が聞こえたかのように、栗色の頭がゆっくりと振り返る。
やがて、大きく見開かれた目が、彼女を捕らえ……
 
「フランソワーズ?!」
 
ジョーが足早に近づいてくるのを、フランソワーズはやはり呆然と立ちつくしたまま、ただ見つめることしかできなかった。
 
「どう…して…あなたが、ここに?」
 
彼女の声が震えているのに気づき、ジョーのまなざしはふと痛ましそうに揺れた。
彼はすぐに優しく首を振り、微笑してみせた。
 
「安心して…『迎えにきた』わけじゃない。まさかここで君に会えるなんて…フランソワーズ、今、少し時間はあるかい?」
「え…ええ。でも、ジョー…あなた…は?」
「僕なら、大丈夫……元気そうだね。よかった」
「ええ、ありがとう……あなたも」
 
ようやく笑顔になったフランソワーズの頬がうっすらバラ色に染まっていくのを、ジョーは幸福な気持ちで見つめていた。
 
 
 
レストランを出ると、街は既に深夜の静けさをまといつつあった。
本当に時間、大丈夫なの?と心配そうに繰り返すフランソワーズにジョーは微笑を返した。
 
「大丈夫なのか、本当は僕の方が聞くべきだな…なんだか、君をこのまま帰すのがイヤになってきた」
「まあ、ジョーったら…だから飲み過ぎだって言ったのに…!」
「僕が、酔ってると思っているんだ?」
「思っているわ…そうでなければ……」
「…そうで、なければ?」
 
ふと黙り込んだフランソワーズの肩を引き寄せ、ジョーは囁くように尋ねた。
ややあって、細い声が応える。
 
「…そういうことを言うあなたは、嫌い」
「……」
「コドモみたいだと…自分でも思うわ。でも…でも私、あなたが…みんなが、こうやっていろいろな女の人とおつきあいすることもあるんだ…って…あまり考えたくないの」
「…どうして?」
「だって…!みんなは…私にとっては、家族と同じなんだもの…大事なきょうだいよ」
「そう…か。つまり、『妹』にこんな話をするのはルール違反…ってことでいいのかな」
「…ええ」
 
不意に強く引き寄せられ、フランソワーズは息をのんだ。
同時に、熱い吐息を耳に感じ、思わず身を堅くする。
 
「ジョー?…いや、放して…!」
「僕も、君にとっては…きょうだい、なんだ?…みんなと同じように…?」
「…そう、よ…だって…ねえ、放して、お願い…!」
「駄目、だよ。もう決めた。放さない…少なくとも、明日の朝までは」
「…ジョー!」
 
フランソワーズは懸命に彼の腕をふりはらおうとした…が、力が入らない。
ジョーは足元をふらつかせる彼女を支えるように抱きしめた。
 
「飲み過ぎたのは、君の方みたいだね、フランソワーズ…送っていくよ…君の部屋は、どこ?」
「そんな…こと…」
「早く、教えて…眠ってしまったら…わからないよ?…フランソワーズ?」
「……」
 
やがて、すっと眠り込み、腕の中でおとなしくなった彼女をそっと抱き上げ、ジョーは微笑した。
 
「…仕方、ないよね…君をここに置いていくわけにはいかない」
 
自分に言い聞かせるようにつぶやく。
この様子なら、計算どおり…宿に着く頃には目ざめるだろう。
 
問題は、それからだ。
 
 
 
そのメールは見ていない…と告げると、フランソワーズの美しい目に涙が浮かんだ。
 
「…嘘」
「嘘じゃない…僕の携帯、見るかい?…ああ、そうか…それじゃ証拠にならないんだ。削除することだってできるからね」
「……」
「ないものを…ない、と証明するのって…難しいな」
「ジョー…私」
「この電話会社には、時々あるらしいんだ、こういうトラブル…知っている?」
 
黙ってうなずくフランソワーズを、ジョーはそっと抱き寄せ、唇を重ねた。
 
「ごめん…不安にさせてしまったんだね。それも、こんな長い間…もう一度送ってくれさえすれば、よかったのにな」
「…怖かったの…ごめんなさい」
 
何が、怖かったのか…と、ジョーは聞かなかった。
その気持ちはよくわかる。わかりすぎるぐらいだ。
 
「謝らないで…こうして君と会えた。僕はそれで…十分だよ」
「…ジョー」
「もう、帰さない…君を確かめたい。今、ここで」
 
いいよね…?と囁くと、フランソワーズは微かにうなずいた。
 
 
 
とうとう、彼女にも言われてしまったなあ…。
 
ジョーは携帯を開き、ひそかに苦笑した。
別れ際、そっと唇を離したとき、フランソワーズは幸福そうに微笑んで…囁いたのだ。
できたら、電話会社を変えてくれたらいいのだけど…と。
 
でも、変えるわけにはいかない。
 
ぼんやり着信履歴を眺めていると、フランソワーズからのメールが入った。
さっき送った短いメールへの返信だ。
彼女はジョーからのどんなメールにも…どんな他愛もない内容のメールであっても…すぐに返信をしてくれる。
それを忘れることなどありえない。
だから、彼女からの返信がない、ということは、つまり……。
 
電話会社のせいなのだ。
 
それを確かめる必要などジョーにはない。だから、再送などしない。
そして、それを不安に思うこともジョーにはない。彼女とは違って。
 
なぜなら、彼女のように、その不安に耐え続けることなど、ジョーには到底できないからだ。それが、ごくわずかな不安であっても…今回のように。
 
君は、僕の生きる喜びそのものだ。
君を失うことは、僕の全てを失うことに等しい。
だから、もしその時がきたら、僕は……
 
どうするつもりなのか、本当をいうと自分でもわからない。
 
 
あの日。
フランソワーズに何気なく送ったメールに返信がないまま、一週間が過ぎた日…ついに限界がきた。
ジョーは、行動を起こすことを決意した。
彼女についてのあらゆるデータを集め、彼女が、パリにあるそのターミナル駅を通るはずの日時、場所を丹念に割り出し、そこでひそかに彼女を待った。
 
狙ったとおりの時間と場所に彼女は現れた。
そして、彼女は…それも狙いどおり…人混みの中からすぐさまジョーを見つけ出し、驚きに目を見張った。
 
その美しい目の中に、揺れる不安と悲しみと…変わらぬ深い愛情を素早く読み取った瞬間、ジョーの胸を苦しみに焦がし続けていた暗い炎は、嘘のように消え去ったのだ。
 
 
 
そもそも、こんなモノを使わなければいいのだろう…と、ジョーは携帯を閉じ、ポケットにしまいながら嘆息した。
そう思っていても、この小さな機械がもたらしてくれる幸福感…彼女とつながっている、という儚い実感…は、どうにも抗しがたい誘惑なのだ。
 
僕の、生きる喜び。
僕の全て。
それを、ごく細い糸のように、この機械は伝えてくれる。
 
その糸が切れた…のなら。
理由は二つだけ。
 
通信トラブルか。
君の、心変わりか。
 
どちらであっても、僕には耐えられない。
絶対に許せない。
でも…もし、後の方だとハッキリわかってしまったら。
僕はきっと、激しい怒りと絶望の業火に焼かれながら…二度と立ち上がることができなくなる…そんな予感がするんだ。
 
だから、あの電話会社は変えない。
最後に一度だけ立ち上がるために。その可能性をつなぐために…ね。
 
 
フランソワーズ。
そして、君ならたぶん…僕が電話会社を破壊しにいくよりは、君自身を壊しにいく方を望むだろうと思う。
僕は、それをよくわかっているんだ。


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