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COLUMN


 3    新ゼロ
 
 
「僕は……モナコ・グランプリがあるから……」
 
それ以上、何を言えばいいのかわからなくなり、ジョーは口を噤んだ。
そんな彼をしばらくけげんそうに見つめていたフランソワーズは、そうなの、と優しく微笑した。
 
 
 
戦いがつらくなかったことなどない。
が、この戦いは、奇妙で…そして、とりわけつらかった、とフランソワーズは思う。
 
二つの命が失われた。
そのうち一つは…かけがえのない仲間の命は、奇跡によって戻ったけれど、もう一つに奇跡は起きなかった。
 
これでよかったのかしらとフランソワーズは繰り返し思い。
よかったはずなどない、とも繰り返し思った。
 
そして、更に思うのだった。
自分が、こんなにつらいのだから…彼は、もっともっとつらいにちがいない、と。
なぜなら、彼は…どうやら、二つの命の復活を、一瞬であったけれど、握っていたというのだから。
 
一つの命は戻り。
一つの命は失われた。
 
正確に言うと、失われたのかどうかはわからない。
それなら、せめてどこかで、あのひとが生きていてくれれば…と、フランソワーズは願わずにいられない。
が、彼の様子を見ると、なぜか、そうとは思えないような気がするのだった。
 
モナコ・グランプリがあるから…と、旅立った彼の後ろ姿は新しい闘いに赴くというにはあまりに儚かった。
 
 
 
どうして、彼女のことを考えなかったの?
生き返ってほしいって……
 
思い詰めた青い瞳が美しかった。
その瞳に見つめられるのがつらかったから、僕は逃げるように旅立った。
 
僕は、どうして彼女のことを考えなかったのだろう?
アルベルト「だけ」が戻ったのは…それは、僕が彼の復活「だけ」を願ったから。
その理由を、フランソワーズは気にかけている。
気にかけているのは…たぶん、理解できないからだ。
きっと、そうだろう。
 
もしボルテックスにいたのが、僕ではなく、フランソワーズだったら…
二人はともによみがえっていたのではないか。
そんな気がする。
 
僕は…怖かったんだよ、フランソワーズ。
あの星で、彼女といるところを君に「見られた」とき。
君の目が、いつも僕をまっすぐに映していた青い目が、静かにゆっくりと伏せられていった。
それが、僕にとってどんなに恐ろしいことだったか…君にはわからないだろう。
僕自身だって、わかってはいなかったんだ。あのときまで。
 
彼女の亡骸を抱きしめて泣く僕を、君が見ているのも知っていた。
でも、あのときは怖くなかった。
彼女は…亡骸だったからね。
 
僕がこんなヤツだと知ったら…君はきっと失望するだろう。
いや。怯えるかもしれない。
 
 
 
「鬼神のごとき走り」で復帰初のレースを制したジョーは、すぐさまパリに飛び、今日で公演を終えると聞いていた、フランソワーズの舞台に駆けつけた。
白いバラの花束を抱え、不意に楽屋に現れたジョーに、フランソワーズは驚き、幸福そうに笑った。
 
「…気づかなかったわ…見ていてくれたのね」
「うん…素晴らしい舞台だった」
「ありがとう…あなたこそ、素晴らしいレースだったわ…優勝、おめでとう…でも、大丈夫だったの?今、こんなところに…来てしまって」
「大丈夫…って?」
「忙しくなっているんじゃない…?」
「ああ、そういうことか…大丈夫だよ」
 
ジョーは苦笑した。
大丈夫ではなかった…のかもしれないのだけれど。
でも、今回の優勝は、手段であって目的ではない。
 
もう一度、彼女の前に立つために…自信が欲しかった。
もちろん、どんなレースに何度優勝したところで、自分が本当に欲しい自信にはならない。
それでも、何かが必要だった。
 
 
 
幸せな時間は瞬く間にすぎる…とフランソワーズは思った。
楽しい食事を終え、セーヌのほとりをゆっくり彼と歩いた…が、その道も、もう終わりが近い。
 
大丈夫…なんて嘘だと、わかっている。
夢は必ず覚めるものよ。
 
そう自分に言い聞かせ、フランソワーズは立ち止まり、ジョーを見上げた。
もう時間は尽きかけているはず。
いけないと思いながらも、自分を制しきれず、フランソワーズはジョーのポケットに、今日の最終便のチケットがあるのを「見て」しまっていた。
 
「今日はありがとう…楽しかったわ」
「うん…僕も」
「ここまでで、大丈夫よ…もうアパートはすぐそこだもの」
「…うん」
「体に…気を付けてね、ジョー」
「ありがとう…君も」
「ええ。おやすみなさい…」
 
柔らかく微笑し、背を向けたフランソワーズを、ジョーはぼんやりと見送った。
 
 
どうして、彼女のことを考えなかったの?生き返ってほしいって。
これから、どうするの…?
 
 
「――っ!」
「…え…?!」
 
驚くフランソワーズを後ろから体当たりするようにとらえ、抱きしめるなり奥歯を噛む。
 
夥しいバラの花びらがいっせいに散った。
むせかえるほどの香りをまき散らし、吹雪のように舞い上がる花びらの中で、ジョーは「彼女」の幻を見た。
 
――009…ここに…わたくしのもとに、残ってください…!
 
 
 
これから、どうしようか…?
 
涙に濡れた亜麻色の髪をそっとなでつけ、白く細い肩をあたためるように抱きながら、ジョーは心でつぶやいた。
 
これは質問じゃなくて、相談だよ…フランソワーズ。
安心してほしい。
僕はどこへでも行ける…どんなことでもできる。
君が、傍にいてくれさえすれば。
 
フランソワーズ。
僕はあのとき、彼女のことを考えなかった。
それは…ね。
彼女が蘇ると、困るからだ。
 
だって、彼女がいると…君は僕の傍からいなくなってしまう。
…そうなんだろう?
 
こうして君を抱いて…君を泣かせて、初めてわかった。
君だって、彼女の消滅を望んだんだ。
少なくとも、彼女と同じ世界には居られない、と君は思った。
 
だから、君はあのとき瞳を伏せた。
君の世界を閉ざそうとした。
僕と彼女をまとめて切り離そうとした。
 
そんなことは、許さない。
君だって、本当はそんなこと…望んでいなかったはず。
 
だから…
彼女を闇に葬ったのは、僕と…君。
そういうことだったんだ。
 
 
これから、どうしようか、フランソワーズ?
僕たちは、どこに行けばいいだろう。
 
朝が来て、君の涙が乾いたら…歩き始めよう。
大丈夫、僕はどこへでも行ける。
 
君が、傍にいてくれさえすれば。



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