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正義と愛と 〜サイボーグ009VSデビルマン〜
序  対決?
 
サイボーグ009の映像化とか新作とかいう話を聞くと、咄嗟にデマだろうと思ってしまう。
それは思春期の入口で新ゼロに出会い、超銀で煙にまかれた挙げ句、平ゼロ・完結篇始動までほぼ20年間、ひとりで放置されたファンにありがちの結果だと思うのだった(しみじみ)
20年ぐらいどーってことないよな、とこの年になれば思うけど、10代からの20年は長い(しみじみじみ)
 
ところが。
21世紀になった途端、平ゼロだ完結篇だREだと、いろんな009が、ホントに出るの?(汗)と思っているうちにホントに出て、どとーのよーに通り過ぎていったのだった(しみじみ)
 
となると、さすがに今後は、新作出るよ!というニュースを聞いても、少しは信じてもいいかな?と思えるようになる、かも……なんて気がしていた2015年。
 
でも!
さすがに!
 
デビルマンとコラボ♪
サイボーグ009対デビルマン!
秋に公開だ!!!!
 
……のニュースを見たときにはびびったのだった(しみじみ)
 
なんだそれーーーーー!!!!!
 
というか。
なんでデビルマンなのか。
 
いや、デビルマンの方(?)でもそう思ってるにちがいない。
ってか、それがアリなら、なんでもアリじゃないか?
ル○ンとコ○ンが対決したというウワサを聞いたときも目が点になったけど、まさかそれがこの年になって自分に降りかかってこよーとわ!
 
対決するからには、何かがなければいけない。
対立する何か。
そして、対立しっぱなしでは収拾がつかないから、さらに何かがなければならない。
着地点となる、共有できる何か。
 
…………って、なに?(汗)
 
とりあえず新作が作られて微妙にではあっても世間で話題になるならもうおっけー♪というのが基本的な気持ちではあったので、うん、作られないよりは作られた方が全然いいよ!と思い、何が対決なのかサッパリ見当がつかないまま、映画館に行ったのだった。
 
そして。
見終わったとき。
 
なるほどー。と思ったのだった。
 
何が?というと、その時点ではもうひとつハッキリしなかった。
ハッキリしなかったというか、あまりにも情報がありすぎて整理がつかなかったというか。
とにかく、
 
なるほど、対決だった!(驚)
 
……と納得し、見てみないとわからないものだなーとしみじみ。
009はもちろん、デビルマンについてもだいたいは知っている(悩)と思っていたのだけど、なんかそういうのってあてにならないんだなーと(しみじみじみ)
 
REのときと違って(汗)映画はそれきり見ることができなかった。
でもブルーレイを注文してたので、そっちをゆっくり見て考え直そう、なんて思ったのだった。
 
で、少しゆっくり見て、書いてみる……のだけど。
 
それにしても、デビルマンと009を対決させてみようなんて、誰がどうして思いついたのか。
なんかすごいなーと思うのだった(しみじみ)
 
 
当然ですが、ものすごいネタバレの嵐です(汗)
この作品のみならず、「サイボーグ009」「デビルマン」原作のネタバレもかなり含んでいますので、未見・未読の方はあらかじめご了承の上進んでください(しみじみ)
 
 
 
 
1 ヘレナとサッちゃん
 
冒頭はミュートスサイボーグ戦とジンメン戦。どちらもいきなりクライマックスから始まる。
 
青空のもとのミュートス戦。
暗闇の中のジンメン戦。
 
その青空の下で、ミュートスサイボーグたちが次々倒れていく。
00ナンバーたちも傷ついている。
そして、一騎打ちとなった009とアポロン。
 
となると、当然「あとはゆうきだけだ!」になるのだった。
 
この場面は原作、平ゼロで描かれ、これが3回目ということになる。
原作のアポロンは自分の強さを誇示し、強い相手と戦い勝つことをヨロコビとしていた。
最強のサイボーグであること、それが彼の行動原理だったのではないかと思う。
 
平ゼロでは、それに加え「神」の要素が入る。
アポロンは、神として愚かな人間を導き、戦いを終わらせることを自らの役割と考える。
そして、それに刃向かう者を排除していく。
009との戦いもその一環ということになる。
 
今回はそれを踏襲しつつ、またちょっとずれている。
新ゼロでオーディンが最期に言った、
 
我々サイボーグは支配者にならなければ決して幸せになれない。
 
を何となく思い出させる台詞を、アポロンは吐くのだった。
 
人間を超える力を持ってしまったら、神か悪魔になるしかない。
僕は、神になる!この姿にふさわしい神にね!
 
それは間違っている、こんな戦い、いつまで続ければいいんだ、と訴える009にアポロンは更に言う。
 
終わりはある。戦い続けて勝ち残った者が神になればいい。
 
人間は戦いをやめられない。
だから神が必要になる。
これは平ゼロでアポロンが言ったことでもある。
 
ところが、お約束通り、二人の間に割って入ったヘレナがアポロンに言うのだった。
 
私たちが生き残っても戦いの歴史は終わらない。
でも、009なら、いつの日か!
 
待てこのやろしまむら。
てめーまたやりやがったなっ!(踏みっ!)
 
と言いたくなるのは我慢しておいて<してません(汗)
とにかく、ヘレナはそう言い切る。
それだけではない。こうも言う。
 
アポロン、あなたにももう、わかっているはず。
 
……何を?(汗)
 
と思うのだけど、どうやらアポロンはわかっているらしいのだった(悩)
二人はそのまま溶岩の谷へ落ち、絶命する。
 
絶叫するしまむらには、たぶんわかっていない。
そしてしまむらと同様、この時点では私にもわからない。
 
ただ、てめー相変わらずの通常運転だなこのやろフザけろよしまむら(怒)とぶつぶつ言うくらいで(踊)
 
ヘレナは、なぜ009なら戦いの歴史を終わらせることができる(かもしれない)と考えたのか。
惚れたから(倒)と言ってしまえばそれまでだし、実際そうでもあるのだろう(しみじみ)
が、それならどうしてアポロンまで(涙)何かを「わかって」しまったのか。
 
ちなみに、原作の場合、ヘレナはほとんど無理心中でアポロンと海に落ちる。
熱をもったアポロンは水に飛び込むと絶命する、という設定もあったりする。
これは結局非力なヘレナがアポロンを倒すことを不自然にしないための伏線であろうし、ということは、この設定がなければ、アポロンはヘレナの制止を拒絶したであろう、ということでもある。
まさか姉が009にたぶらかされているとは夢にも思っていないアポロン(涙)は不意をつかれ、烈しく動揺し、姉と心中する羽目になる。
 
平ゼロはそこまで酷く(?)ない。
アルテミスはやはり009を庇うが、それは彼に惚れたからというよりは、自分たちがガイアに騙されていたことを知り、戦いの意味はない・戦ってはいけない、とアポロンに告げるためだった。
アポロンは悲しみとガイアへの怒りにかられ、なんというか、009のことなどどうでもよくなってしまう(倒)感じで破滅へと向かう。
 
今回の場合。
ヘレナが009を庇ったのは、要するに惚れたからなんだろう、とも考えられるが、それより大事なのはやはり、彼女が「戦いを終わらせる」者として009を選んだという点だ。
そして、アポロンもそれに納得した……のかどうかはわからないが、少なくとも、原作ほど無理心中の感じはなく、むしろ彼は姉とともに死ぬことを自ら選んだ……と思えるような描写になっている。
 
素直に考えれば、アポロンにとってヘレナを失うのは世界そのものを失うに等しかったということだったのだろう。だから、姉の死を確信したとき、彼は生きようとする意志を失った。その辺りは平ゼロのアポロンに似ている。
さすがに、あのわずかな時間でアポロンが姉の言葉に心から納得し、自らも009を助け、後を託すために死を選んだ……とは考えにくいのだった。
ただ、二人はテレパスでもあったようなので、その可能性もゼロではないのだけど。
 
この姉弟は、もちろん本編のセト・エバにつながっていく。
小説では、アポロンーヘレナと、セトーエバはそれぞれブラックゴーストによって人工的に作られた双子の姉弟だったということで。
人工的に作られた、というのが具体的にどういうことなのかはあまり詳しく語られていないが、とにかく、この二組の双子は「配合率」が近くよく似ていて、そのせいか姉同士、弟同士がシンクロを起こしてデータがうまくとれなかったりした……のだという。
ちなみに、もしそのシンクロ問題がなければ、おそらくヘレナは0014、アポロンが0017となっていたのではないかと思われる。
 
009はなぜ戦いを終わらせることができるのか。
アポロンと009は何が違うのか。
 
ヘレナが残した問を彼女の分身としてのエバと、アポロンの分身としてのセトが受け継ぎ、解き明かしていく。
それが、この物語のひとつのテーマとなる。
 
 
一方、不動明はジンメンに食われた「サッちゃん」と対峙する。
「明おにいちゃん」と悲しげに語りかける「サッちゃん」をデビルマンは攻撃できない。
もちろん、それがジンメンの狙いだ。
 
しかし、「サッちゃん」はデビルマンに叫ぶ。
 
おにいちゃん、こいつを殺して!あたしは死んでる!
 
その言葉を受け、デビルマンは「サッちゃん」の顔面に拳を打ち込む。
そして血まみれになった「サッちゃん」の恐怖に見開かれた目を優しく閉じてやるのだった。
 
「サッちゃん」はデビルマンと化した不動明に、なおも当然のように「おにいちゃん」と呼びかけた。彼女にとって、デビルマンと不動明は全く同じ存在だということだろう。
「あたしは死んでる!」とはいうものの、彼女には意識がある。彼女は「明おにいちゃん」を助けるため、そして自分を殺したジンメンを「明おにいちゃん」に倒してもらうために、自らを投げ出し、叫んだのだ。
 
ヘレナが009に何かを託したように、「サッちゃん」もデビルマン=不動明に何かを託す。
ヘレナと同様、自分の命と引き替えに。
 
何か、というのは漠然としているが、とりあえずは、彼女たちを苦しめた悪しきものと戦い続けるということだと考えておいてよい。
 
二人の少女が流した血を、009とデビルマンはそれぞれ受け止め、背負っていくことになる。
しかし、そのやり方は明かに違う。
 
ヘレナの言葉を受け止め、その死をつぶさに見つめ、絶叫した009は、しかし彼女に触れることがなかった。
一方、デビルマンは、自ら「サッちゃん」に拳を打ち込み、彼女の命を絶つ。
 
明かにデビルマンの苦悩の方が009より鮮烈だ。
しかし、二人の少女が彼らに託したものの重みはきっと変わらない。
それなら。
実は009も、デビルマンと同等の苦しみをここで受けたはずなのだ。
そして、彼はそのことに気付いていない。
 
「こいつを殺して!」と叫んだ「サッちゃん」は、それが自分の死を意味すると理解していたし、デビルマンも当然それをわかっていた。その上で、彼女を自らの手にかけ、彼女の血を浴びることを選んだのだ。
 
もしかしたら、009もまた、そうしなければならなかったのではないか。
「あなたなら、戦いを終わらせることができる!あなたが生き残りなさい!」と叫ぶヘレナに拳を打ち込み、彼女の命を絶たなければならなかったのではないか。
 
しかし、彼はそうしなかった。……とか言いつつ、そんなことをする009をちょっと想像しにくいというのも実のところ、本当なのだった。そして、009が殺さないから、ヘレナは自死し、アポロンを死へと導いた。
 
苦しみとひきかえに、デビルマンは「サッちゃん」の目を閉じてやることができた。
009はヘレナが落ちた溶岩の海をなすすべもなく見下ろすだけだった。
 
しかし、その009の傍らには仲間たちが立っている。
それを言うならデビルマンにも飛鳥了がいるのだけど。
 
 
 
2 守りたいもの
 
この冒頭場面で、デビルマンと009は敵に対してそれぞれ大事な言葉を放っている。
 
これほどお前たちデーモンが憎いと思ったことはないぞ。ゆるさん!
 
戦うしかないのなら、戦いを終わらせるために、僕は戦いの鬼になる!
 
デビルマンの言葉は非常にわかりやすい。
彼は、デーモンが憎いのだ。ゆるさん!と思うのだ。だから戦うのだ。
ものすごくわかりやすい。
 
それに比べると、009の言葉はなんだかもたもたしている(倒)
結局「戦いの鬼」になるという結論なのだから、その点では悪魔の姿にめりめり(倒)変身したデビルマンと同じ、という気がする。
が、そこに至るまでがタイヘン(嘆)で。
 
まず、「戦うしかないのなら」という条件がつく。
そして「戦いを終わらせるために」という目的もある。
 
こういうのが揃って、初めてしまむらは「戦いの鬼」になる。
しかも、さらに往生際が悪い。
彼は「僕は戦いの鬼だ!」と言ったわけではない。
これからなるよ♪ということのようだから、もしかしたらまだなっていないのかもしれないのだった。
 
「俺はオマエが憎い!俺はオマエを許さない!」と叫ぶデビルマンとかなり違う。
怒りにかられるから、憎しみに燃えるから、許さないと思うから戦うのではない……ようなのだ。
 
だーかーら、「誰がために戦う」って言われちゃうんだオマエ>しまむら(しみじみじみ)いいから(汗)
 
戦いの鬼とはなんだろう、と考えると、わざわざ鬼というのだから、少なくとも人間ではない。それだけは確かだ。
鬼とは何?という問題ではなく、人間ならざるモノを「鬼」と呼んだということ。
 
セトとの戦いの中で、009は言う。
 
サイボーグにされ、人にない力を手にいれてしまったと知ったとき、僕は人間じゃなくなったと思った。人の皮をかぶった悪魔たちに、自分も悪魔にされてしまったと。
 
……ってことは、ギルモア博士も(悩)<こら(汗)
 
サイボーグは、たしかに人間ではない……のかもしれない。
そういうわけで、009は自分が人間ではなくなった、と基本的には思っていたらしい……けど、イマイチ往生際が悪かったので(え)戦いの鬼「になる」なんて言ったりしていた。
 
そんな009に、悪魔そのものの姿と力をもったデビルマンがこともなげに言う。
 
悪魔の姿をしていても、俺は人間だ。守りたいものがある。
 
そういえば、デビルマンはデーモンたちに「アモン」と呼ばれるたびに「アモンじゃねえ!」と言い続けていた。そんな弁明はデーモンに通じない、と了君に言われながらも。
 
そして、デビルマンの「守りたいもの」とは、ものすごくシンプルだ。
これも彼が自分で言っている。
 
俺は美樹と、美樹がいるこの世界を守りたいと思った。ただ、それだけだ!
 
……それだけなんですか(汗)
 
まさかそれだけだとは、たぶん009も思わなかったかもしれないけれど(汗)
とにかく、デビルマンには守りたいものがあって、それが人間のあかしだという。
そして、009もまた宣言するのだ。
 
姿や力じゃない、自分が人であり続けられるかどうかは、自分で決められるんだ!
 
サイボーグでありつつ人間であることはできる、それは自分で決められる。
だって、あからさまに悪魔にしか見えない……ってか、実際悪魔の力を持つデビルマンが、俺は人間だと堂々と言い放つのだから(汗)
 
同時に、それまでの009は、自分が何であるかということを自分では決められないと思っていた、ということもわかるのだった。
 
それと一見対照的に、デビルマンは全てを自分で決めているように見える。デビルマン自身もおそらくそう思っている。
戦うのも、自分が戦おうと思うからだ。
しかし、それが自らの欲望のまま動くということなら、むしろデーモンの行動原理である。
 
デビルマンがデーモンを憎み、戦うのは、正確に言えば、デーモンらが、彼の守りたいもの……「美樹」を、「サッちゃん」を害する存在だからだ。
「サッちゃん」を守れなかったデビルマンは、あえてジンメンの攻撃を受け、痛みを負った。
そうしなければ自分が許せなかった、と彼は言う。
 
彼を「許さない」と断罪するモノが、彼の心の中にいるのだった。
彼を動かす行動原理が単純に自らの欲望であるなら、こうはならない。
それゆえに彼は欲望のまま動くデーモンではない。
人間、なのだ。
 
「守りたいもの」が、デビルマンを縛り、人間にとどめようとしている。そうとも言える。
しかし、それを彼は枷とは思わないし、むしろそれこそが自分の心そのものであると意識している。
 
009は「人である自分」は消滅したと思っていた。
今ここにいるのは「悪魔」であり「戦いの鬼」だ。
 
しかし、実のところ、きっぱりそうと思い切れるわけでもない。
だから彼は「戦いの鬼になる!」と叫ぶ。
「鬼になる」と決めた主体として「人である自分」が、かろうじてだが、いる。
 
その009の在り方は、人であるかどうかは自分で決められる、と悟った後も変わらない。
009にとっての「守りたいもの」とはこういうものだからだ。
 
心が苦しくなるから希望を願い、誰かを守りたいと思う。
 
……誰かって誰だしまむら(しみじみ)
 
こんなにあやふやなのに、守りたいものが自分にもある、と009が思えるのは「心が苦し」いからであり、「希望」が欲しいから、らしい。
それがかなり確かなことなので(涙)009は確信する。自分にも、守りたいものがあると。
だから、人であり続けることができる。
だれが認めなくとも、それを自分で決めることができる。
 
デビルマンなら言うだろう。できるもできないもない、認められるかどうかなど、問題ではないと。
実際、デーモンたちは彼を「アモン」と呼ぶ。でも、そんなことに意味はない。
彼は何度でも平然と言う。ただ言う。俺は人間だ、と。
 
だって、美樹ちゃんがいるのだ。
彼の在り方には何の関係もなく、確かに美樹ちゃんはいる。
 
009には美樹ちゃんがいない。
003がいるじゃないか、と言いたいところだが、そーゆーことにはならない、というのを3至上主義者はもーウンザリするほど経験している(踏み!)
 
009にとって、美樹ちゃんは「誰か」なのだ。
誰かとは誰なんだ、という問に彼が具体的な名を上げないなら、「誰か」とはそのまま「全ての、自分以外の人間」ということになる。
もう少し正確に言えば「自分と仲間以外の人間」だ。いくら009でも、自分と仲間たちが、「自分」であり「仲間」であり、漠然とした「誰か」などではない、ということぐらいならわかるだろうから。
 
誰かとは、たとえばヘレナ。
しかし、ヘレナというひとりの具体的な女性ではない。
彼女は、009を愛した……のかもしれないが、少なくとも009の側は愛されたと感じていない。
彼は彼女から、希望を託されたとしか意識していないだろう。
彼女は「誰か」の代表として、彼を縛る。そしてその枷が、彼を人間にとどめる。
 
不動明も結局009と同じことをしているのだが、自分はサッちゃんや美樹というひとりの女性を守ろうとしているだけなのだ、という自覚のもとに動いている。
そして、彼女らを守ることがそのまま世界を守ることになる。
 
二人のしていること、行動原理は同じなのだ。
が、不動明は牧村美樹ただひとりを、世界そのものとして自分の全てを捨てて守る。
それはつまり「愛」の姿だ。
それなら、一方で「誰か=全ての人間」を自分の身を捨てて守る009を動かしているのは「愛」というよりむしろ「正義」だ。
 
愛が全て、であるデビルマンの愛は、それにも関わらず満たされることがない。
彼は愛ゆえに全てを美樹から遠ざける。もちろん、自分自身も。
満たされることがないから愛し続けるのだとも言える。
 
美樹を遠ざけるのは、正体を知られたら彼女に憎まれる、というような単純な理由ではない。
仮に全てを知ったとしても、美樹は美樹であり続け、不動明を拒絶することはないだろうから。サッちゃんが最期までデビルマンを「お兄ちゃん」と呼んだように。
でも、だからこそ、彼の真実を美樹に知られてはならない。
 
知られたらどうなる、ということが問題なのではなく、彼女にそれを知られる時は、彼女がサッちゃんのように破滅の運命に巻き込まれた時に他ならないからだ。
 
そして、正義もまた009を孤独にする。
それは、彼ではない全ての「誰か」のために彼の全てを捧げよ、と告げる。
その苦しみだけが彼の人間として生きるための唯一の力となり、心の一番奥に灯る希望となる。
 
満たされないデビルマンを飛鳥了がいつも見つめている。
彼が「愛」のもうひとりの究極の具現者であると同時に「正義」の恐るべき使者でもあることを、不動明はまだ知らない。
 
009の傍らには「誰か」ではなく「自分」でもない「仲間」たちが寄り添い、彼をかろうじて孤独から救う。
その中に、彼と「正義」を最期まで共にしつつ、その果ての一瞬に「愛」をもたらす女性がいることを、島村ジョーはまだ知らない。
 
今はただ、彼らは「守りたいもの」のために戦うのだった。
その痛み、その苦しみがそのまま人間としての生であると信じて。
 
 
3 悪魔の戦い・神の戦い
 
敵味方を問わず、009サイドの登場人物かしばしば口にし、一方でデビルマンサイドの登場人物が全く言及しない言葉が「戦いを終わらせる」だ。
なんだか奇妙な感じがするが、009サイドの登場人物たちは、みんな戦いを終わらせることを目的として戦っているようなのだった。
 
ヘレナーエバは自らに与えられた目的を成就したときが戦いの終わり、と意識している。
だから、目的を失った戦いを「無意味だ」と考える。
無意味であるなら、すぐ終わらせなければならない。戦いは終わらせるべきものだからだ。
そこで、彼女たちはそれまでの敵味方の概念を捨て、戦いをすぐさま終わらせる意志のある者に協力する。
 
アポロンは、戦う意志を持つ相手が生き残っている限り、戦いは続くと考える。
もちろん、自分が勝つために戦っているわけだから、彼の想定する戦いの終わりが来たとき、彼はただ一人の勝者、神として世界に君臨することになる。
それが彼の目指す戦いの終わりであり……ということは彼もまた戦いを終わらせるために戦っているのだといえる。
 
似たことを0014も言う。
が、彼はアポロンほど楽観的ではない。
 
勝ち残った者にしか明日はないんだ。
 
と、いうのが彼の結論だ。だから、彼は戦い続けるしかない。
 
009たちはヘレナーエバに近い。
とはいえ、では戦う目的は何?と言われても、彼らにそれはこれだ!と答えられる感じはない。
ってことは、単に生き残るためだけに戦ってるのだとも言えるが、彼らはそう思いたくないのだ。
 
全滅したハイティーンナンバーたちの姿に、004は「俺たちも同じ運命をたどっていたかもな」とつぶやいた。
いや、次はあなたたちがやられる番でしょう、たどっていたかもな、とか他人事みたいに言ってる場合では……と思うような場面なのだけど、彼はそういう意味で言っているのではない。
というのは、それを受けて002がこう言うからだ。
 
だからいつもつらいんだ。たとえ生き残ってもな。
 
「勝ち残った者にしか明日はない」というのは「戦って勝たなければ生き残れない」ということ。
それなら、敵がいるかぎり……アポロンの言ったように、最後の一人として勝ち残るまで戦い続けなければならない。それが「運命」だということになる。
 
そんな運命は認めたくない。そんな生き方、戦い方をしているつもりはない。
でも、結局自分たちは既にその運命にのまれているのかもしれない。ただ、まだ負けていないから気付いていないだけなのかもしれない。
004の言葉はそういう危惧、恐れを孕んでいる。
だから、それがつらいのだ。
彼らは、戦いの末に生き残ったからといって、それを喜びとはできない。
 
そんな彼らの言葉をセトが「ざれごと」と両断する。
セトは登場してちょっと戦ってすぐ退場(倒)してしまうので、何を考えていたのか、なかなかわかりにくいのだが、おそらく、アポロンに近い考えを持っていたのだと思われる。なんといっても、彼はアポロンの分身みたいなものだ(悩)
要するに、アポロンが目指した「神」がセト……ということだろう。
 
自らが生き残るための戦い。
その戦いは、自分以外の全てを排除し、倒さなければ終わらない。
終わったとき、自分は世界にただ一人の存在となる。
 
いや、それってちっとも幸せじゃないんじゃない?なんでそんなことのために苦労するの?(汗)
と思ってしまうのが「弱くて愚かな」人間なのかもしれない。
 
その「神」の在り方とデーモンはよく似ている。
デーモンは戦いを好み、自分より弱い者を吸収し、より強くなっていく。それが彼らの喜びだ。
だから、彼らは戦いを終わらせようとはしない。
その戦いはひたすら自分のため……欲望のためなのだ。
 
ただ、それゆえにデーモンは戦いの終わりを想定しない。
そこが「神」と違うのだが、違うのはそこだけかなーと思う。
 
009とデビルマンは行動原理を同じくしながらその表し方が対照的なのだが、彼らのそれぞれの敵同士も、やはりそれと同じような立ち位置になっている。
 
自らのために、自らが望んでそうするのだ、と思うデビルマンとデーモン。
「誰か」つまり自分以外の全ての人類のために、そうあらねばならない、と思う009と「神」。
 
悪魔の戦いと神の戦いはよく似ている。
ただ、悪魔たちはその戦いの果てに何があるのか思いを馳せることがない。彼らはむしろそれが永遠に続くことを願い、欲望を満たし続け、勝利に酔いしれる。
一方で「神」になろうとする者たちは、戦いの果てを見据え、そこに向かって戦う。
 
それに対して、「人間の戦い」を挑むのがデビルマンと009だ。
デビルマンはなぜ、という説明もなく、シンプルに言い放つ。
 
「人間だから、戦えるんだ!」と。
 
そして、009は言う。
 
「人の弱さこそ、人の強さなんだ!」と。
 
人間は、自分が生き残るために、自分の欲望のために戦うのではない。
守りたいもののために戦うのだ。
 
守りたいものに振り回され、迷い苦しむ人間は、たしかに弱い。
戦って勝つためには、何の迷いもなくそれに自らの全てを賭けることができる存在の方が有利だという気がする。だからこそ、009は決意したのだ。戦いの鬼になる、と。
 
しかし、それでは戦いは終わらない。
少なくとも、人間にとっては、終わらない。
 
ヘレナには、エバには、戦う「目的」があった。
が、それは009言うところの「人間の皮をかぶった悪魔」の望みであり、彼ら個人の欲望でしかなかった。
だから、彼らが消滅すれば、目的も消滅する。
残されるのは、エバ曰く「ただの兵器にすぎない」。
 
デビルマンが守りたいものは、牧村美樹……だが、一応、それだけではない。
美樹がいる世界も、彼の守りたいもの、ということになっている。
とはいえ、実際に牧村美樹が消滅したらどうなるのか。
この、禁じ手ともいえる疑問に容赦なく応えるのが、この後の「デビルマン」原作の展開となる。
 
では、009は何を守りたいのか。
実は、これがよくわからない。
 
わからないのだった!(倒)
 
なんだか脱力しそうになるのだが、だからこそ、ヘレナは009に全てを託したのかもしれないのだ。
009は何かを守るために戦っている。
それが何かはわからない。
わからないから、少なくとも、今のところ、それが消滅することはない。
 
…………。
 
いや、ホントに全然わからなかったはずはない。わかったと思ったからこそ、ヘレナは動いたのだ。
ってことで、この話が始まる前に、ヘレナは間違いなく009とふれあい、何かを感じ取ったはずで(怒)<怒るなって(汗)
もー、なんだかなー(倒)と、やっぱり脱力してしまうのだった(しみじみ)
 
こうしてみると、なんというか、「サイボーグ009」のファンが圧倒的に女性だというのがわかる気がする。
ヘレナもエバも、一緒に戦ってきた仲間であるはずの男たちより009たちを選んだ。
その根拠は、なんだろう、エバはちょっとズレるけど、ヘレナの場合、たぶんリクツではない。
強いていえば009に惚れた、みたいな感じ……だけど、正確にいえばちょっと違う。でも、よく似ている感じ(倒)
で、彼女だけではなく、女性が産み育てる性だというのなら、大抵はそうなのではないだろうか……と思ったりもするのだった。
 
身も蓋もないことをいえば。
結局、デビルマンの戦いの果てに、人間は残らない。
……なんていうと、浅はかなのだけど(倒)少なくとも見かけはそうなっている。
残ったのは、ただ一人の勝者と、闇と、新たなる戦いだ。そのように見える。
 
009の戦いの果てに、人間が残ったかというと……(悩)
でも、彼らは「何か」を残した。
よくわからないのは相変わらず(倒)だけど、少なくとも、その世界には多くの笑い声が響き、陽光が降り注いでいたのだった。
 
人間が戦いに勝つ、なんてことがあるのだろうか。
戦い続けている間だけが、人間なのではないだろうか。
 
永井豪はそこを超えようとしていない。
少なくとも、自らの力だけでそれを超えられないのが人間だ、という前提で、その世界は展開しているような気がする。
でも、それがフツーだと思う。
 
そこをあくまで超えようとし続けた石ノ森章太郎がオカシイんだとやはり思うのだった。
だから完結篇は結局描かれなかった。それがすべての答えだと結論することは、確かにできる。
でも、彼は決して諦めていなかった。
 
正直、戦いの物語としては、デビルマンの方が圧倒的にわかりやすい。
でも、私もきっと、わけのわからない009と石ノ森章太郎を選ぶだろう。
そのわけのわからなさに時に戸惑い、苛立つことがあっても。
 
 
4 セト・エバ
 
……なんてことをつらつら考えるのはそれほど難しくはなかったのだけど、なんだかわからないー(汗)と混乱し、整理が必要だったのが、「セト」なのだった。
 
一番わからないのは、エバの作戦で、ハイティーンナンバーに浴びせられたアンチエネルギーを受けることでデーモンの意識も姿も封じられてしまった……というところなのだった。
問題は、そもそも「アンチエネルギー」って何?ということなのだと思う。
 
「アンチエネルギー」という言葉そのものからアプローチしても、それが何であるのかという手がかりはもうひとつ得られない。
……ので、仕方なく、ソレが結局何をしたのか、という観点で見てみると。
 
これは実にシンプルで、ハイティーンナンバーたちが持っていた「再生能力」を失わせる、ということなのだった。
ちなみに、その能力を失ったことをデビルマンに指摘されたアトゥンはこう言う。
 
そんなもの!死こそわれらデーモンの求めるもの。嬉しい!嬉しいぞ!この血祭りを楽しもうぞ!
 
思わず、かっこいいかもコイツ(汗)と思ってしまうのはおいておいて(しみじみ)
 
アトゥンが言うとおり、再生能力の対極にあるのは、当然だけど死。
ってことは、再生能力を無にするアンチエネルギーは、死=デーモンの望みに向かうエネルギーだということで。
 
エバは、デーモンと融合したのは「闇のセト」と言った。
単純にすぎるが、アンチエネルギーによってセトの魂の闇の部分が活性化し、それがデーモン・アトゥンの意識に勝ったということなのかなーと。
その仕組みは、人間がデーモンと融合したというより、むしろデーモンがデーモンを食らい、融合するときと同じなのではないかと思われる(悩)
それで、セトを前にした001が「デーモンの能力は僕の理解を超えている」と言うのかも。
セトは一見天使のような姿で現れるが、賢者(倒)001が見ると、これもまたデーモンのひとつの姿、なのかもしれない。
 
エバがアンチエネルギーを照射する決心をしたのは、それによって再生能力を封じ、アトゥンを倒す一助とするためだ。
彼女は躊躇しない。
セトがアトゥンに食われた、または闇の魂に支配されたのなら、それはもうセトではない。悪しき者が彼の体をもてあそぶことは許さない。
セトは、それを決して望まないだろうから。
 
なんとなく常識的(?)な思考のような気がするので、このまま流しても一応納得はできるけど、やはり小説の設定を見ておいた方がわかりやすい。
 
セトとエバ、アベル、それからアポロンとヘレナは、ブラックゴーストに作られた人工生命体(?)だった。
家族といえば同じ境遇の子供達だけで、だから姉弟の絆は強い。そもそも世界に二人きり、みたいな感じの肉親同士なのだった。
 
で、そうした子供たちの中から、さまざまなサイボーグプロジェクトに適した個体が検体として選ばれる。
009たちのように、人間をさらってくるより、その方が効率的ということらしい。
 
アポロンとヘレナは、セトとエバに近い配合率(?)の個体だったため、ミュートスサイボーグの方に回され、やがてセト、エバ、アベルがハイティーンナンバーサイボーグの検体としてふさわしいかどうかのテストを受けることになる。
 
セトの潜在能力は光のエネルギーとか、放射能を出さない核爆発とか、ようするになんかスゴイ(倒)ものだった。
だが、彼はその力を振るうことを恐れ、拒絶していた。
そして、そんな彼の能力を解放するためには、恐怖と怒りといったエネルギーが必要だったらしい。
 
そんなわけで、テストが始まると、彼らは容赦なく命の危険にさらされる。
ついにアベルが絶体絶命となる。
微弱ながら超能力者であるエバには、彼が絶命する「未来」まで見えてしまう。
そのぎりぎりの瞬間になって、セトがついに能力を解放した。
 
それはすさまじいエネルギーだった……が。
その力を恐れ、拒絶し、セトは自らを封印して眠りについたのだった。
 
その後、アベルもエバも、たぶん眠っているセトも、再生能力をもつ細胞を(たぶん不十分ながら)ほどこされ、その上でサイボーグ化された……ということだと思う。
 
よくわからないけど、とにかく「神」を思わせる強大な力を持ちつつ、その力を用いることを拒絶し、結果として自我を封印したセトの姿は、なんというか、しまむらを思わせる(悩)
セトもまた、自分が生き残るためだけの戦いを拒絶したのだ。
彼がただ一度ふるった力は、彼の弟にひとしいアベル、そして最愛の姉であるエバを救うためにあった。しかし、その結果として彼が悟ったのはおそらく、自分に勝てる者は地上に誰一人いない、という事実だ。
それを知ったセトは、人間であり続けるため、自らを封印した。
 
アダムス博士は、そんなセトの肉体と潜在能力をデーモンの依り代として最高の素材と考えた。
デーモンとの融合には人間側に理性があってはならない。
そして、デーモンは人間に恐怖をもたらす存在だ。融合に成功すれば、セトの潜在能力を引き出す有力なファクターとなり得る。
 
アダムス博士はセトの人格を「軟弱」と評した。
彼らにはデビルマン・不動明の情報があったようだから、そう思ってもムリはない。
セトが不動明のようにデーモンを支配できるとは、ちょっと思えない。たしかに彼は「弱い」。
 
しかし、アダムス博士はそこを間違っていた。強さとは、そういうことではなかった。
セト・アトゥンの融合体は、エバを「覚えていた」のだ。
デーモンに食い尽くされたように見えてなお、セトは「守りたいもの」を忘れていなかった。
人間であるセトは、デーモンに食われ、実体を失ってなお、まだ生き残っていた。それがセトの強さだった。
 
セトは天使のような優しい少年、と小説で語られ、エバも「とても優しい子」と言っている。
そのセトでも、やはり「闇の部分」を持っている。
微弱なものだったのかもしれないが、持っている。酷な言い方になるが、だからこそ、彼は生身の人間だったときただ一度、それを振るったのだ。
そうでなくとも微弱だったソレが、さらにデーモンによって押さえ込まれていた自我の中にあったソレが、図らずも、アンチエネルギーを浴びることによって活性化した。
そして肥大化したセトの闇はアトゥンと戦い、難なく打ち勝った。
 
なんというか、ガン細胞みたいだな−(汗)というしぶとさだ。全然弱くない。「完璧な計画」をたてたように見えたアダムス博士の誤算はここにある。
そういえば、石ノ森章太郎はかつて人間の悪の部分、ブラックゴーストをガン細胞と評したことがあったような(悩)
 
003は、変貌したセトを透視し、機械とデーモンの間を揺らぎながら存在を保っている、と表現した。
セトはデーモンでない。自らが最強であることを、戦うまでもなく知っているからだ。
だから、彼の興味は戦いやその結果としての勝利にはない。
 
彼は、刃向かう者がいればそれゆえに倒す。それだけだ。
それはアポロンが目指した「神」の戦いだ。
 
セトには羽根がある。
光をまとったその姿は天使、神のようである。実際、そうなのだ。
 
デビルマン対009は、ここにひとつの決着を見る。
デーモンは、悪魔は、神に勝てない。
デビルマンの敵は009の敵の前に敗北する。
 
どうしてか……ということについて、作品は何も語らない。
が、セトとアトゥンが融合した最終形は、セトの外見と意識を持っていたのだ。結果としての勝敗は明かだ。
 
そのセトに「人間」としての心がまだあることを信じ、エバは飛ぶ。
彼の「守りたいもの」そのものの姿となり、彼の心に訴える。
そして、なんと、ほんの数秒で(倒)人間・セトは覚醒するのだ!
 
セトは瞬く間にエバの知るセトに戻る。
しかし同時に、彼は、もうこれ以上生き続けることを望まない。
絶対に振るうことのできない力を封印する術を完全に失ったからだ。
彼はエバに導かれ、エバのもとに戻りつつ、消える。
もちろん、エバもそれ以上生きることを望まない。
 
全てを009に託して、姉弟は消滅する。
アポロンとヘレナのように。
 
……ってことは。
結局、「人間」が勝利したってことになる。
 
デーモンは神に勝てない。
そして、神は人間に勝てない。
 
ただ、人間は神に勝って、世に君臨することを決して選ばない。
神を難なく倒し、人間はそれとともに消滅する。
自己犠牲、なのだった。
 
……009じゃないかそれ(倒)
 
顛末を見届けた飛鳥了は「それでいい」とつぶやいた。
いいわけないじゃん、お前の立場って……(汗)と思うけど、彼はまだ「その時」を迎えていない。
まだ自分を「人間」だと思っているのだった。
 
 
5 あとはゆうきだけだ!
 
作品全般を通して、009はもー、本当に通常運転で戦うのだった。
ラストの一見突拍子もない(倒)攻撃も、彼の戦い方としては奇異でもなんでもない。
009の必殺技・最終兵器は特攻。もう、いやになるほどいつもソレ。
今回、たまたま(倒)かなり無傷で生き残ったのは、まーなんというか、相手がデビルマンいわく「雑魚デーモン」だったからなのだろう。トドメを刺したのもデビルマンだったし!
 
デビルマンはもちろん、デーモンたちと比べても、009の能力は地味だ(倒)
加速装置だけ。あと、ちょっと頑丈な体(倒)だから、多少の攻撃を受けても死なない。
加速装置を使って特攻、というのは、思えば009の必殺技として王道中の王道なのだった(しみじみ)
 
能力が加速装置だけ、ということは。
彼は勝つときは神のように勝つ。REでそうだったように。
そして、加速装置を封じられると、なんというか、もう、なすすべがないのだ。
平ゼロでそうだったように(倒)
今回も、それに近い。
そう考えると、やはり009の力の先、単純な勝利の先にあるのは「神」となること、なのだった。
 
もうひとつ、彼らにはチームワークという武器があるという。
それは間違いないのだが、表現するのは難しい。
今回もなんだかピタゴラスイッチのようになってしまった(倒)けれども、でも、仕方ない。
チームワークというのは、一見いかがわしいのだ。というか、本来目に見えるモノではない。
目に見えないモノを見えるように表現するからいかがわしくなるってことかも(しみじみ)
 
チームワークの本質は、原作「神々との戦い」で001が語っている。
それは、自己犠牲だと。
 
だから009は宣言する。あとは、ゆうきだけだ!と。
自己犠牲を振るうために必要なのは、それだけだ。
そんな009にヘレナは、エバは、未来を託し、自らもその道に殉じるのだった。
 
……でも。
いつかは終わりがなければならない。
 
勇気と、その結果としての自己犠牲。
ヘレナ、エバ、セトはそれを示した……が、戦いは終わらない。009に引き継がれる。
009なら終わらせることができる(かもしれない)というのが彼らの望みであり、それ以上を望むことはできない。
そのようにして、人間は戦い続ける。
 
戦い続けるためには、勝たなければならない。
しかし、人間であり続け、戦い続けるのなら、自らの欲望のためにそれをするわけにはいかない。
一方で、「誰か」自分以外の他者のためにそれをすることは、一見正しく見えるが、その果てにあるのは「神」となることのみだ。
 
デーモン、悪魔は欲望に生きる。
神は正義をかざす。
 
しかし、そのいずれの果てにも荒野とただ一人の勝者が残るのみなのだ。
だから、人間は「守りたいもの」のために生きる。
それは、「愛」に似ている。
が、それだけではない。
 
セトは「守りたいもの」エバを愛するゆえに、悪魔に打ち勝ち、神をも斥けた。が、それだけだったから、消滅するしかなかった。
デビルマンは「守りたいもの」として牧村美樹を愛する。それは悪魔に打ち勝ち、神へ挑む力ともなる……が、もしそれだけなのだとしたら。
 
009は、まだ愛をしらない。
そして、正義だけでは何も解決しないことを既に知っている。それを知ったのがこの戦いだと言ってもよい。
彼には「守りたいもの」が必要なのだ。
 
それは、心の奥にある。と、彼は信じる。
信じるから、戦う。実体は見えなくとも、見えないからこそ、ただ信じて戦う。
それもまた、勇気なのかもしれない。
 
 
 
6 対決がもたらしたもの
 
結局、対決ってなんだったんだろう……と思うと。
ものすごく単純化すればこういうことだ。
 
デビルマンは「欲望」に対して「愛」をもって、そして人間として戦う。
009は「欲望」に対して「正義」をもって、そして人間として戦う。
 
愛の戦いと正義の戦いの違いは、冒頭のミュートス戦・ジンメン戦に象徴される。
 
人間でありたい、人間であろうという意志は両者に共通している。
だから、「対決」したのなら、彼らがそこから得るべきは。
 
009は知らなければならない。人間であろうとするなら、正義はそれのみでは不十分であることを。
そして、彼がまだ本当の愛を知らないということを。
 
デビルマンも知らなければならない。人間であろうとするなら、愛はそれのみでは不十分であることを。
そして、彼がまだ本当の正義を知らないということを。
 
ついでに言うと正義を知らない愛も、愛を知らない正義も、それぞれ本当は成立しない。
それを求めることも、彼らの戦いだろう。
 
そう考えるなら。
最後に「彼から大事なことを教わった」ような気がしている(倒)009にとってこの「対決」はそれなりに有意義なものであっただろうと思う。
 
デビルマンは……?というと。
実は、彼は何も変わっていない、ように見える。
 
……アレ?(汗)
 
だから、この作品で得をした(笑)のは009の方だ。
しかし、物語として見ると。
 
この物語は当然だが「完結」していない。
続きもの(続かないけど)だとすると、そこで起きた事件によって「変わらない」のが主人公であり、事件によって「変わる」のはゲストキャラだ。
 
つまり、この物語の主人公はデビルマン、ゲストが009ということになるのだろう。
もちろん、それだと主人公同士の対決という枠が崩れるから、009によって「変わる」エバ・セト、そしてエドワードが入れ子のようにストーリーの流れを作るゲストとして配されている。
 
逆もやろうとすればできる……のかもしれないが、やはりデビルマンの方がなんというか、いろいろ融通がきかない(遠い目)
というか、009が融通ききすぎるのだ!(倒)
 
ただ、融通がききすぎるゆえに、じゃ、009ってなに?と真顔で問われると、答えには窮するところがある。
REみたいに、これが009だから!と言い切ってしまえば、そっかそうなのかも−。と一応納得できるけれど、こうやって対決させてしまうと、さすがに、009ってなに?という問に何か答えを出さなければいけないような気がしてしまう(悩)
 
それは難しいのだ。
だから、少なくとも神だとか悪魔だとか、その手の抽象的な話を展開させるよーな作品でなければ「対決」にならない。
そう考えると、デビルマン、とはよく考えたな−(汗)なのだった。
 
他に何か対決できそうな主人公がいるかなーと考えると、石ノ森以外の作品をあまり読んでないのでイマイチわからないのだけど……
 
ブラックジャックとか喪黒福造とか?(悩)<やめれ(涙)
 
いや、この際、ややこしいことは全部忘れて、バカボン(のパパ)とやっちゃえ!(踊)なんてことも思ったりする私なのだけど(しみじみじみ)だからやめれって(涙)
 
更新日時:
2015.11.23 Mon.
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Last updated: 2015/11/23