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完結篇感想おぼえ書き
 
私が、本当に肌で感じ取った「009」が「未完」であるという感覚は、新ゼロにあった。
もちろん、ここでも終わらなかったのは「神々との闘い」だ。
 
新ゼロのスタッフが語った、「神々との戦い」を扱いきれなかった理由として一番印象に残って いたのは「神々があまりに強大すぎて、このままだと00ナンバーサイボーグたちがすぐに全滅し てしまう」というものだった。
それはそうだろうな……と納得した。
 
そして、結局作られなかったミュートスサイボーグ篇は「サイボーグ同士のすさまじい闘い」に なるはずだったのだという。
 
「最後の、すさまじい闘い」……ということは、石ノ森さんも言っていた。
完結篇2のエピローグで、ショーさんの前に現れたギルモアの凄惨な姿も、もちろん、それを予告していた。
 
が、私はやはり心のどこかで、かつての新ゼロスタッフと同じことを考えていたのだった。
神とは戦えない。
神と戦おうとすれば、009たちはすぐに全滅してしまうから。
 
が、そんな都合を完結篇3の展開は押し流して進んでいく。
「サイボーグ超戦士」も、その中で生まれたのだった。
 
「009」には主人公のパワーアップ♪という発想がないよなーと、ずっと思っていた。
だから、サイボーグ超戦士には驚いた。
それはちょっと違うんじゃないかなーと、思った。
 
違ったのだ。
サイヤ人がスーパーサイヤ人になるのとは、話がちがった……いや、当人(?)にとっては、同 じなのかもしれないけれど。
 
サイボーグたちの「進化」は、ただただ、全滅しないため、生き延びるため……というより、戦 い続けるための進化だった。
進化とは、そもそもそういうものだったはずではないか。
 
進化を遂げても、すぐにそれを上回る敵が現れる。
さらに進化を遂げる。が、万全な状態で力強く遂げるのではない。
命の全てを振り絞り、闘いながらその最中で、進化は続く。
進化は切り札などではない。最強の戦士など決して現れない。
進化とは、死に直面して初めて発現する、生き延びるための、苦し紛れの、やみくもな苦闘その ものだったのだ。
 
完結篇3のスゴイところは、やはり容赦ない戦闘に真正面から取り組んでいることだ。
新ゼロが描くのを諦め、石ノ森さんが「すさまじい闘い」としか言わなかったその闘いが、具体 的にどのようなものであるか。
小野寺さんはごまかすことなく書き切ってくれた。
 
人間とは?神とは?悪魔とは?
 
そう問いかけ、考え、結論を導き出すだけでは、完結篇はできなかった。
「009」は闘いの物語だ。
だから、彼らはどうしても闘わなければならなかった。
 
そう思うと、これまでどれほど強大な敵と対峙しようと、009は闘いきってはいなかった。
そのことは、前に触れたことがあるかもしれない。
 
強大な敵と闘いきれば全滅するのだ。だから闘わなかった。
それは、闘いを避けたという意味ではない。
闘わなかったからこそ、009たちは生き延びたし、したがって物語も成立したのだ。
それだけのことだったのだ。
 
完結篇2のラストで、009が「意識加速」を行ったとき、私はこれが進化の最終形としか思っ ていなかった、……というより、それ以上の進化がなぜ必要であるのかを理解していなかった。
いってみれば、オリンピックで競技を競い合うように、009と「敵」が整然と能力を発揮しあ い、せめぎ合う……というようなイメージしか持っていなかったのだ。
 
ただの人間である009が、神と戦えるはずはない。
だから、戦うためには彼らと同じレベル……「階級」にシフトしなければならない。
私は、そのようにしか「進化」をとらえていなかった。
 
たしかに、翡巫女との闘いで、009は進化をとげた。
が、それはつまり「死なないため」の進化にすぎなかった。
 
009たちが神と同じレベルにシフトすることなどあり得なかったのだ。
彼らは、それを拒絶していたではないか。
人間として生きたい、と言っていたではないか。
ちゃんと読んでなかったなー(汗)と思ったのだった。
 
たとえば、超能力で「空中元素固定装置」を発動させる……なんて方向に009たちは向かわな かった。
彼らの傷ついた体は、これまでと同じようにギルモアによって人間ができる精一杯、ぎりぎりの 形で修復される。
光に包まれて変身したりなんかしないのだ!当たり前じゃないか!
 
と、思わず自分にツッコミを入れつつ、ひたすら圧倒されて読み進んだのだった。
 
闘って、闘って、戦い抜く。
 
それが、完結篇3の主旋律であり、最後までそれが緩むことはない。
そして、その姿はいつか石ノ森章太郎と重なっていく。
 
完結篇3に石ノ森章太郎は登場しない。
彼はなくなった、と009たちは言う。
奇跡など起きない。
 
が、どこまでも戦い抜き、諦めなかった石ノ森章太郎は、そのまま009たちの姿となって彼らの戦いを支えるのだった。
 
やがて力尽き、サイボーグたちが次々に斃れていく。
が、悲壮感はない。絶望もない。
彼らは最後まで闘いながら死んでいくからだ。
彼らは本当に死ぬ、そのときには「これで死ぬのか」とは思っていなかった。
ただ、仲間を守ろうと、そのために何ができるか、できることを全てやり遂げつつ、その中で死んでいったのだ。
 
その闘いに、終わりはない。
終わりとなるのは死だけだ。
石ノ森章太郎がそうであったように。
そして、私たちの誰もがそうであるように。
 
だから、001によって謎が解き明かされたとき、009は迷わなかった。
世界がどういうものであろうと、神が、天使がどういうものであろうと。
自分たちの運命がどのように定められているとしても。
 
ただ、闘い抜く。
生きるために。
今の自分と愛する者が、次の瞬間も生き続けるために。
 
それは、地上に生きる者全ての願いでもある。
人間や動物だけではない。
002がふれあった人工生命体「神の神」も、005と語り合っていた「精霊たち」も、同じ願いを持ち、彼らとともに闘ったのだ。
 
神々と天使の正体、人間の起源、地球の謎……そういった問題を読み解いていくのも、SFの読み方としては面白いはず……だが、私はそれらよりも、あくまで闘おうとする、生きようとする009たちの意志の方に心を惹かれるのだった。
 
そして、最後の瞬間、009は003を手放し、闘いから解放しようとする。
「君は来ちゃいけない。光の宇宙で幸せに暮らすんだ」と。
 
しかし、003はそれを拒絶する。
 
すべてを奪われた彼女がそれでも、しかも何よりも忌み嫌った闘いの中で生きてきたのは、そこに愛する者がいたからだ。他に理由などない。
だから、光だの闇だの幸福だの不幸だの……すべては、その後の話なのだ。
 
過酷な闘いの中で、彼女の体は容赦なく傷つけられた。
バレエを踊る夢も永遠に絶たれ、残されたのは血みどろの戦場だけだった。
 
「光の宇宙」で精神体として生きるなら、彼女の傷は癒えるだろう。
美しい姿を取り戻し、穏やかな時間を取り戻し、思うさま踊ることもできるだろう。
それは、彼女が夢見たことではなかったか。
 
が、そうした夢や希望の全てを次々にもぎ取られたからこそ、彼女には、たぶん容易に想像できるのだ。
奪われるとは、失うとはどういうことなのか。そして、もし009を奪われたら自分はどうなるか、ということが。
ここまで苦しみぬいたからこそ、003には何の苦も無くそれが想像できる。だから、彼女は迷わない。
 
母親を慕う子どものように、無心に一生懸命に、彼女は訴える。
おいていかないで、ひとりにしないで……と。
 
孤児として育った009は、たぶん、この世のどこかに光の世界があると思っていた。
そして、なぜかはわからないが、そこに自分は入れない。入ることを許されていない。
ずっとそう思っていたのではないか。
だから孤独だった。
 
が、003は最後に彼に教えたのだ。
そんな世界は、もともとどこにも存在しなかったのだ……と。
 
光の世界など、存在しない。
ただ、愛する者の傍で生きることが幸福なのだ。
ただ、それだけのことだったのだ。
 
幸福に満ちた理想郷「光の宇宙」。
すさまじい犠牲の上に守られた神の世界……それを、003は「ジョーのいない世界」にすぎないと言い切り、何のためらいもなく当然のように切り捨てた。
その003の思いが感じ取れたとき、009の「孤独」は氷解する。
 
抱き合った二人が交わした最後の会話は、それだけ抜き出して聞くと、ごく陳腐な、それこそ旧ゼロ時代のありふれた恋物語にありそうな、どーしよーもない言葉だ。
が、だからこそ愛おしいのだった。
 
そうだよね、そう言うしかないよねお嬢さん……と涙しつつ、結局最後までお嬢さんに言わせやがったなこのやろうフザけやがって、と、しまむらを踏むのだった。
#これが、本当に最後の踏み!
 
……踏めて、よかったなーと(しみじみ)<待て(汗)
 
 
そして。
地球はどうなったのか。
 
 
それについては、まだ整理ができていないが、考えれば道筋は立てられると思う。
その過程もまた面白そうなので、きっといつか考えてしまうとも思う。
 
でも、今は。
最後まで闘い抜いた彼らが、彼らの役割を果たし……解放されたことがただひたすらありがたい。
幸福そうに安らぐ彼らの名は、もう呼ばれない。
彼らは、ただ彼らであって、009でも003でもない。
そして、そんな彼らをのんびりと「ショーさん」がスケッチしている。
 
 
「ショーさん」がそこにいるなら、私たちもきっといつかそこにたどり着くだろう。
今は、そんな思いに……彼らが私たちにくれた希望に、じっと包まれていたいと思うのだった。
 
 
更新日時:
2012.10.30 Tue.
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Last updated: 2015/11/23