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完結篇を読む 序 
 
やーっと、完結篇を読んだのだった!(踊)
 
なんといっても、11月頃出るんだろー、でも出ないかも(しみじみ)と、恐ろしく何の根拠もなくざっくり(倒)思っていたので、出た、ということ自体が不意打ちだったし、娑婆の仕事もワヤになっていて本屋にも行けず通販するにも宅配が来る時間に家にいない、という日々だったのだった(しみじみじみ)長い(涙)
 
そうこうしている間に、完結篇を読んだ、というような話もちらほら見かけるようになったけれど、よーするにしまむらが粗相をしたらしい♪ということはわかるものの、それ以上はいまいちわからなかった(悩)<当たり前だっ!(涙)
 
で、台風17号のおかげで(?)びみょーな時間がちょっとできたので、大きい本屋に一冊ずつ残っていた(汗)完結篇1、2巻をgetしたのだった!いやー危ないトコロでした、一旦売れ切れたら2度と再入荷なんてしないだろうし(しみじみ)<その考え方やめれ(涙)
 
実を言うと、完結篇、という話が出るたびに、それは読まなくてもいい(涙)という気持ちはいつも持っていた。
というのは、もともと、私の場合「終わらない009」の流れでファンになった……みたいなところがあるからで。そういう意味では、今回の映画がめちゃくちゃ楽しみだったり♪
 
完結篇は、完結篇だから、当然「終わる009」なのだった。
それをどーやって終わらせるのか、ということについては、完結篇小説が出たときにちょっと考えて書いたことがあったけれど、今回もその路線で突き進んでるなーという感じが強くする。
 
「終わる009」を終わらせることは、誰もしたくないことであるにちがいない(涙)
そして、一方で、ホントに冗談みたいだけど、映画のキャッチコピーの言うとおり!
 
終わらせなければはじまらない!
 
というのも真実なのだった。
 
がんばれ小野寺さんー(涙)
 
と、こそこそ応援するしかない(しみじみ)
 
以前書いたように、終わるための唯一の方法として、私たちと同じ地平に降りてきたしまむらたちは、当然ながら、これまでのしまむらたちとは別人なのだった。
 
私たちの知っているしまむらは、あくまで閉じた架空の世界の中で、あるべき姿を石ノ森さんによってあらかじめ作られ、読者に与えられていた存在だった。
 
小説の中で思い悩み粗相するいいから(汗)しまむらは、違う。
あるべき姿など、彼にはない。
私たちにそういうモノがないのと同じように。
 
で、しまむらではないしまむらがなぜ必要なのか、というと、それはもちろん、「終わらせる」ためにであって、それ以上でもそれ以下でもない。
 
しまむらは、「サイボーグ009」という作られたヒーローである以上、終わることができない。
そして、ヒーローなんだからそれで当然じゃないか、と切り捨ててしまうには、しまむらは読者の中に入り込み過ぎてしまった。
 
読者である私たちは終わる。
私たちの世界にあるものの全ては終わる。
だから、しまむらも終わらなければならない。
 
それが、完結篇だ。
 
ただ、私たちひとりひとりが終わることによって続いていくものがあるように、完結篇が終わることによって、続いていくものがある。
それが、今回の映画に代表される「009」だと思う。
 
第2巻で、ようやく全てのメンバーが小説で描かれた……わけだけれど。
結局、完結篇がもたらす痛みのほとんどはしまむらが一人で背負ったんだなーという印象が残った。
 
その甲斐あって(?)どうやら、最後にしまむらはアレ(サイボーグ超戦士♪)としての目ざめを迎えた……らしい。
 
やっぱりタイヘンなことだったなあ……と思うし、アレをいちいちあと8回やるのでは、すごーくタイヘンなことになるはずだけど、今回主人公しまむらがソレをきっちりやってくれたので、あとは「以下同文!」で一応納得できるよーな気がする(しみじみ)
 
私は3至上主義者なので、極めて個人的に(笑)お嬢さんの章にも、同じ重さと痛みを感じたけれど、やはり主人公のエネルギーはすごいなーと思ったのだった(悔)
 
ともあれ、これで一番苦しいトコロは乗り越えた……のだと思う。
しまむらは……ってことは、つまり読者も。
 
乗り越えることができた読者は、最終巻を読むことができるだろうし、何らかの感動をもってその終わりを見届けることができるだろうとも思う。
それが、石ノ森さんと小野寺さんと読者が巻き込まれた、理不尽な(笑)「完結篇」を生み出す苦闘の、唯一の代償だという気がする。
 
結局、神々との闘いとは、自分との闘いなのだろう。
そういってしまうと馬鹿馬鹿しく簡単なようだが、自分と闘うなんて、できるはずがないのだから(真剣)ホントにそれをやろうとすると、タイヘンな仕掛けが必要になるのだと思う。
 
「サイボーグ009」にたまたま出会い、なぜかコアな(倒)ファンになってしまって、しかもその作者(とその後継者)は、「完結篇」を書いてくれる極めて奇特なヒトたちだったのだ。
 
それを読むことができている今、私はその仕掛けの中に幸運にも入り込むことができている。かなりの幸運だと思う。
 
これはなんというか、ファンとして……というよりも、文学ってなんだろう?という、答えのない疑問の、ひとつの答のカタチとして、見届けたい。
 
どーしても見届けなければもったいない!と思うのだった。
 
更新日時:
2012.09.30 Sun.
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Last updated: 2015/11/23