「相剋」論5 〜ふたつの原罪〜
第一部 チアフル
序章 そして彼らは賭ける
「相剋」番外編「極北の地にて」が「完成」し、公開されたのは、2007年7月。
一応「番外編」のようではあるのだけど、それはなんというか、実は「続編」なんじゃないかという予感を果てしなくはらんだ作品であり、私もついうっかり「相剋論4」をやりたくなってしまったりしたのだった。
そうやって、あれこれ考えていた当時、どーしてもどーしてもスゴク引っかかるんだけど、出口が見えない問題があった。
それは、ジョーとチアフルが「賭け」をした、と語られるシーンなのだった。
「賭け」の内容は、タイラントがジョーをウィッチとチアフルの所へ連れて行くことができるかどうか。そのためには、もちろんタイラントがジョーと戦って「勝つ」必要がある。
チアフルは「出来ない」に賭け、ジョーは「出来る」に賭けた。
結局、それができなければ仲間とは認めない・二度と会わない…とジョーに宣言されたタイラントは、「本気」を出し、「勝つ」ことができた。
話の内容としては、タイラントがジョーの「仲間」と認められる・或いはその自覚を持つ…というようなことが中心であって、それとチアフルとは一見無関係に見える。
よーく考えてみると、ジョーとチアフルがここで賭けをしなければいけない理由がいまいちはっきりしていないのだった。
賭けなどしなくても、ジョーがタイラントに対して、「僕に勝てなければ二度と会わない」と宣言することは可能だし、そうされたとき、やはりタイラントは賭けがあろうとなかろうと、本気を出してジョーに勝つ…にちがいない。
もちろん「賭け」のエピソードによって、タイラントがジョーに勝った!ということの意外性が、かなり強調される。「実は…」というように、「後でわかったこと」として示されるため、読者の興味を惹きつける効果もある。
ただ、「相剋」では、作者が或る「効果」を狙ってエピソードを恣意的に操作するような手法は、まずとられていないのだった。エピソードは、必要だからそこにある、語らなければならないから語る、というのが基本的な作者の姿勢だと思う。
だとすると。
この賭けのエピソードはなぜ「語らなければならない」ものだったのか。
それが、わからなかった。
「賭け」だからなおさら気になる、ということもある。
賭けというのは、一種の呪術・占いのような一面があるのだった。
それを主人公であるジョーがする…ということは、「次の戦い」もうっすらと予感させるような重さだと思う。
で、なぜ、ここでそれが必要であり、なおかつその相手が「チアフル」でなければならないのか。
賭けをしそうな登場人物が、彼しかいない…というのはあるかもしれない。
ライ側の他の人々は、そういった遊びとはかなり遠いところにいるような気がする。
00ナンバーの場合は、ジョーが「勝つ」ことに、慣れているというか懲りている…みたいなところがあるはずなので、彼と賭けをしよう、という発想にならないのではないかと思う。
そうすると、たしかに、賭けの相手はチアフルしかいない。
…が。
だったら、なおのこと。
この「賭け」のエピソードはチアフルという人物と密接に関係していて、彼の在り方をクローズアップさせるものでもある…と考えるべきだと思うのだった。
そして、にも関わらず、それがどういうことなのかが、やはりさっぱりわからなかった…わけで。
この疑問が解けた……気がしたのは、今回公開された「後日談」を読んだときだった。
ジョーとチアフルは、また「賭け」をしたのだ!
二つめの賭けがどういう内容だったのか…は、実ははっきり書かれていない。
ただ、「合宿」の終わりに、ジョーがチアフルにこう言う。
「甘かったのは、僕だ。賭けは……君の勝ちだよ」
ってことは、二人はやっぱり賭けをしていて。
そして、チアフルの勝ち。
…とは、どういうことか。
さらにジョーのセリフをさかのぼってみる。
「まあ……僕の根負け、かな?」
「はぁっ?」
とても009のものとは思えない言葉に、チアフルは素っ頓狂な声を上げた。
「こ…根負けぇ?」
なんじゃそりゃ、と呟くチアフルを暫し見つめ、009がゆっくりと視線を下ろす。そして、手に持ったコーヒーカップを何となく回しながら、009は静かに口を開いた。
「タイラントは、僕とは違う。それは当たり前なんだけど……。でも僕は、それが判ってなかった。そんな当たり前の事も判らずに、僕は彼に僕と同じ事ができるようになる事を求めた。僕がするみたいに、『敵』に怪我を負わせず勝てるようになるべきだって……」
「いいんじゃないの、それで。いや、結局、タイラントには出来なかった訳だから、良くは無いんだろうけど……」
不思議そうに言うチアフルに、009は首を振った。
「駄目なんだ」(極北の地にて 後日談・後編)
ジョーがタイラントに課した課題は、「敵」に怪我を負わせず勝てるようになること。それは、ジョーと同じ事ができるようになる、ということだった。「賭け」があるとしたら、ここだろう。
課題を課したのはジョー自身であり、したがって彼がその試みの失敗に賭けるわけはないと考えられるから、この場合、ジョーとチアフルは次のように賭けたはずだ。
ジョー…タイラントはジョーと同じ事(敵に怪我を負わせず勝つこと)ができるようになる。
チアフル…タイラントはジョーと同じ事(敵に怪我を負わせず勝つこと)ができるようにならない。
結果として、タイラントは「ジョーと同じ事」が「できなかった」。
だから、賭けは、チアフルの勝ち。
ジョーはそう言っている。
ちなみに、前回の賭けでも、二人はタイラントがジョーの課した課題をクリア「できる」「できない」を問題としている。
そして、そこでもジョーは「できる」と賭け、チアフルは「できない」と賭けた。
面白いのは、この二つの賭けがいずれも、結果としてはどうもイマイチ成立していないらしい…ということだ。
はじめの賭けでは、チアフルが悔しがることで「賭け」の成立を一旦認めたものの、しかし「反則」があった、としてそれを翻している。
二度目では、ジョーがチアフルの「勝ち」を認めているものの、チアフルはまったく嬉しそうではない。事実としては「勝ち」なのに喜べない…ということだ。
どうも、二度ともスッキリしない結果だといえる。
そして、どちらもその原因はジョーの「反則」にある。
とはいえ、ジョーがチアフルを陥れ、勝つために「反則」を仕組んだとは考えにくい。
勝負がスッキリついた感じにならない…のは、賭けの設定そのものに問題があるからなのだろう。
チアフルは、タイラントがジョーよりも「強い」ことを実は知っている。
最初の賭けが「反則」になるのは、「本気」を出したタイラントはジョーより強いに決まっている…それは自明のことだとチアフルが考えているからだ。
しかし、タイラントは「本気」を出さないだろう…というのが、チアフルの読みであり、彼にとってはソコこそが賭けの本筋になるところだった。
だから、タイラントが「本気」を出すしかないような刺激を、賭けの当事者であるジョー自身が与えたのが「反則」になる。
面白いのは、チアフルが「タイラントはジョーより強い」ことを「知っていた」ということであり、にも関わらず「ジョーが勝つ」と「判断した」ということだ。
どちらも、言われてみればたしかにそのとおりであって、チアフルに限らず、二人をよく知る者なら、その考えに賛同する可能性も十分ある。
ただ、どちらも、ぼーっとしたアタマではちょっと出てこない発想かもしれない。
どんなときにも、極めて「正確な」判断のできる知の持ち主である、というのがチアフルのひとつの特徴であり、それについてはまた考えていくことになるが、この判断もまた、実に彼らしい「正確な」ものなのではないかと思う。
おそらくチアフルは「正しい」のだ。
が、その正しさはどうもジョーには通じない。
そして、ジョーのやり方は、正しさにそれ以上の正しさをもって対するのではなく、まったく相容れない価値基準から騙し討ちのようにチアフルを不意打ちするのだった。
「反則」というのはもっともなことで、しかも実際には審判のいない「賭け」であるがゆえ「反則」であろうがなかろうが「負け」は決まるのだった。
チアフルはそのこともわかっている。だから悔しがるのだと思う。
そのようにして1回目の賭けが、「正しくは勝つはずなのに負け」という結果になったのに対し、2回目の賭けはまた興味深い結果となった。今度は、「正しくは負けたはずだが勝ち」というジョーの態度を、チアフルはつきつけられたのだった。
ここにきて、「賭け」の「意味」がぼんやりと見えてくる。
問題は勝敗ではなかった。
この「賭け」が示す本当の問題は、ジョーとチアフルの「違い」…ほとんど絶望的に接点のない「違い」だったのだと思う。
おそらく、彼らはまったく相容れないモノを抱えている…のだけど、同じ方向へ進もうとしているのだった。だから「賭ける」しかない。「説得」も「話し合い」も「妥協」もできないからだ。
二人は絶対にお互いの在り方を受け入れることがなく、しかし同じ方向に進まなければならない…から「賭ける」のだと思う。
雑な言い方だが、チアフルの価値観が「正しいか否か」であるのに対し、ジョーのソレは「納得できるか否か」なのだった。
1回目の賭けでは、ジョーが「納得」を手に入れるために反則…不正を行った。
2回目の賭けでは、ジョーは「正しくない」にも関わらず「納得」できてしまっている。
賭けの上では勝ったり負けたりしているものの、ジョーとチアフルの姿勢はあまり変わっていないのだった。
ジョーはどんな結果であろうと「これでいい」と納得する。
一方チアフルはどんな結果であろうと「認めない」と思う。
しかし同時に、彼の知性はジョーの「力」を認め、彼の出す「結果」の正しさを認める…認めざるを得ない。
チアフルとは何者なのか。
それを知ることは、ジョーとは何者なのか、を探ることでもあると思うのだった。
第一章 「現実」を生きよ
第1節 知の極まるところ
チアフルを見直すためには、やはり「相剋」本編に立ち戻る必要がある。
名前が示すとおり、チアフルはとにかく明るい、楽天的な男…というイメージが先行しがちだが、同時に、おそろしく冷静な人間であり、優れた知性の持ち主であることも強調されている。
「相剋」での彼は、料理をしている場面が印象的に描かれているが、本職(?)はロボット工学者であり、兵器開発を手がける人間である。それは、00ナンバーと行動を共にするようになってからも変わらない。
彼はウラル研究所の兵器開発室メンバーのトップであり、防衛設備を担っていたし、そこを引き払った後も、それらをもとにした24時間体勢の監視システムを構築・管理しているのだった。ちなみに、料理の方は「自称厨房担当」ということであり、本来の任務というわけではない。
兵器開発者…が持つ影の部分は「相剋」本編でほとんど直接語られることがない。唯一の例外が、「ジョーは大丈夫だ、と言ってやれない」とチアフルに告げられたときの、フランソワーズの述懐である。
いつも場違いなまでに明るいから、すっかり忘れていたけれど、この男もまた Neo Black Ghost の科学者なのだ。ロボット工学が専門だと言っていたから、戦闘用ロボットや、それに類するものの開発に携っていた筈だ。どんな経緯でここに来る事になったのかは知らないが、望んで来たにせよ、攫われてきたにせよ、ここに来てからの生活は、平穏とは程遠かっただろう。自らの生み出した兵器によって、何処かで誰かが死んでいく。その事を、己の手が血塗られている事を、知る者なのだ。(Act.7 闇を歩く)
彼女は、チアフルの「昏い瞳」に気づいたとき、このことに思い至る。
彼の「昏い瞳」はここだけでなく、「相剋」本編の各所で垣間見られ、しかし、そこだけの話として終わっていて、追及されることがない。
彼の「明るさ」と、その「昏い瞳」とはあまりに対照的なのだが、あまりに対照的であるがゆえに、むしろ読者には受け入れられやすいのかもしれない。そして、その対極をつないでいるのが、彼の持つ卓越した知性である。
「相剋」本編において、チアフルはいつも正しい。
特に、同じく優れた知性の持ち主であるはずのライが、時に強い感情にかられて動きがとれなくなるとき、その正しさ・冷静さは一層際だって見える。
「な…るほど……」
エストラが掠れた声で言う。
「……バイスは00ナンバーが009を置いては行かないだろうと思い、警備の兵力を集中した。00ナンバー側はそれを逆手に取って、まんまと脱出に成功した……009を…犠牲にして……」
「そゆこと。結局、そうするのが、一番、合理的だろ?」
「だがっ!」
ライが叫ぶ。
「…009はっ……」
「まぁ、拷問されるだろうってのは…覚悟の上だと思うぜ?」
サラリと言うチアフルを、ライが睨み付ける。
「そ…そんな事をっ!」
「じゃあ、聞くけどさぁ、ライ? 全員で捕まってて…んで、どーすんのよ?」
「………」
尋き返されて、ライが言葉に詰まる。(Act.1 それぞれの決断)
「ライ……」
静かな光を湛えた黒い瞳。それが、ライのアイスブルーの瞳を覗き込む。
「…チアフルから、伝言です」
「?」
「『少しは自分の部下を信頼しろ』と」
意味が解らずに、ライは目をしばたたかせた。
その様子に、カティサックが微かな笑みを浮べる。
「解りませんか? ライ」
軽く首を傾げ、カティサックは言葉を続けた。
「…私達は、皆、自分自身の判断で、貴方の決定に従う事にしたのです。つまり、私達は、貴方の決定が正しいと判断して、貴方に従っているのです」
「………」
「私達は全員、自分で言うのも変な話ですが、優秀な学者です。少なくとも、Neo Black Ghost が研究員として欲する程度には。論理的思考や判断力には、それなりの自信があります。その私達が、貴方の判断を是としているんです。貴方が間違っているのであれば、私達全員が間違っている訳です。……私達の判断力は、そんなに信頼性が低いですか?」(Act.2 陰謀渦巻く中で SIDEA)
そして、チアフルは常に己の「知」のみをもって物事に当たり、判断する。
彼自身が動揺し、パニックに陥ったときですらそのようにする。
(ななななな〜?)
パニックに陥るチアフルの目を、茶色の瞳が静かに見る。
「驚かせて、すまない。出口を教えて欲しいんだけど」
丁寧な口調に、やっとチアフルが落ち着きを取り戻す。そして、目の前に居るのが誰かを悟った。
(……ジョー…だ……)
本物に会うのは初めてだが、例の降伏勧告の映像で見て、知ってはいる。それに、現在、この研究所に居る人間は少ない。その総てをチアフルは知っている。知らないのは、タイラントと009だけなのだ。(「Act.7 闇を歩く」)
チアフルは、突然現れ、自分を捕らえたジョーに対して「おまえは誰だ?」と質問しないし、「助けてくれ」と取り乱すこともない。
彼は、自分の記憶・知識を咄嗟にかき集めて、素早く判断するのだった。
明るく人当たりのいい言動とは裏腹に、チアフルは他者を信頼する…というか、他者に期待するということがまずない。
だから、彼がその知性をもって全力を尽くした結果として「不可能だ」と思ったとき、彼の諦めは本当に徹底しているのだった。
チアフルは、あがくということをしない。それが無駄である、ということをわかった上で無駄なことをすることは文字通り無駄であり、実行する意味がない…というより、そんなことをしてはならない、と彼は思っているようなのだった。
「ハッキリ言って、どうしたらいいのか、皆目見当も付かないな」
ライの言葉は全員の想いでもあった。
「まさか、009があそこまで徹底した行動に出るとは…正直、予想していなかった。……甘く見ていた…と言えばそれまでだが……」
それにしても、あそこまで苛烈な性格とは、とライは首を振った。
「そう…ですね……」
カティサックが頷く。
「仲間を『裏切った』というのは、009にとっては、何よりも重い罪……なのでしょう」
もう二度と、許されないと思い詰める程に。そう言い、カティサックが溜め息を吐く。
「どう…します…?」
エストラの言葉に、カティサックが静かに言った。
「いずれにしろ、この状況で我々に出来る事は、無いでしょう」
「ま、ね」
チアフルが同意を示す。
「009には戻ってくる気が無い、00ナンバーには連れ戻す気が無い。これじゃぁ、手の打ちようがないよな」
この先が思いやられるぜ、と首を振り、チアフルはバンザイをしてみせた。
「お手上げ」
最早、苦笑する以外に無い、一同であった。(Act.7 闇を歩く)
そうしたチアフルが行き着くところが、「明るさ」である。
どうしようもない、と判断したことは、どうしようもないのだ。
「でもまぁ……」
不意に明るい声でチアフルは言った。横に立つ003にニパっと笑いかける。
「……幸不幸は自分の心が決めるモノ。よーするに、何事も気の持ちようってね」(Act.7 闇を歩く)
「現実」を変えることはできないが、「幸不幸」を決めることならできる。
それでいい…というか、人間にはそれしかできない、と彼は考えているのだった。
だから、チアフルの明るさは昏さと表裏一体、ということになる。
全てを…自分の心さえも、コントロールすることのできる「知」。それが、チアフルである。
彼の知性は、「どうにもならないこと」が「現実」にはある、ということを彼に教える。
そして、それに抗っても何も解決はしないのだということを教え、それならば唯一自由になる(はずの)自分の心を知によってコントロールするしかない、と教える。
チアフルは善というものを知っている。悪というものも知っている。善を為すこと、悪を糺すことの正しさをよく知っている。
彼は当然のように強い意志をもって、どこまでも正しいことをやりぬこうとするし、「できること」をやらないですまそう、というような横着はしない。きっとやり遂げてくれる。
だから、彼はライ達から絶大な信頼を得ているのだった。
「それから、チアフル」
「はいな」
「俺達がドタバタすれば、00ナンバー達が黙っちゃいないだろう。だが、今は一刻を争そうんだ。早くしないと、009の命に関わる。だから……」
「抑えとけ、かな?」
「そうだ。戻ってから、俺が説明するから、とにかく手出しをしないでくれ、と」
「また…難しいこと頼んでくれて……」
頷きつつ。チアフルがぼやく。(Act.7 闇を歩く)
しかし、それでも「どうにもならないこと」はあるのだ。
全てを知っているからこそ、彼にはその「果て」も知覚できる。
そして、その「果て」を飛び越えようとする……飛び越えてしまう人間が、ジョーなのだった。チアフルにとって、ジョーは常に彼の「想定」を越える、驚くべき存在である。
ついでに言うと、ジョーほどではないが、00ナンバーたちにもその傾向がある。「相剋」本編の最後に、ウィッチが004に「馬鹿」と言った、彼らに対する同じような思いは、チアフルにもあるのではないかと思う。
第2節 食べなければ死ぬ
「自称厨房担当」ということは、つまり、チアフルは料理をすること、それを他人にたべさせることが「好き」なのだった。彼自身、このように言っているシーンがある。
やれやれ、と溜め息を吐いて、チアフルは言った。
「わぁった。ジェットの分は、俺が持ってくよ」
「悪い…毎日……」
謝る008にチアフルは首を振った。
「いいって。結局、俺が好きでやってるんだからさ」
自分が作ったのを他人に食べさせたいんだよ〜。と笑うチアフルに、008は深く感謝した。(Act.8 明かりを灯すもの)
そして、彼の料理を食べない、とゴネる者は「食べなければ死ぬんだぞ!」と説かれることになる。
同じように料理を担当する006の発想と、それは少しズレるような気がする。
006は、たしかに料理が好きである…し、仲間達にそれを食べてもらうことに喜びを感じている、とも思う。
が、チアフルと彼の間には大きな違いがひとつ見られる。
「ワテら、これからどーなってしまうんアルかねぇ……」
多少の休息を取るようにと言われたものの、部屋に戻って一人になるのも嫌で、かといって仲間の誰かと一緒に居るのも何となく気が進まず、研究所内をウロウロした挙げ句、006は厨房に来ていた。
調理の手も止まりがちで、何だが訳の分からない形の餃子を作りつつ、既に二桁回目の溜め息を吐く。(Act.7 闇を歩く)
006の描写は「相剋」にそれほど多くない。手がかり不足は否めないのだが、チアフルとのシーンはその中でかなり印象的に描かれている。
上記の場面には、チアフルもいる。彼は、シチューの鍋をかき混ぜながら、006に「本当に009が裏切らないと思っていたのか?」と声をかける。
このシーンで、006とチアフルとは、ともに「裏切った009」という大きな問題に直面している。
もちろん、ジョーを仲間としてきた006と、そうではないチアフルとの受け止め方に違いがあるのは仕方がないこととして、面白いと思うのは、006は、ジョーを心配しながらでは「ちゃんとした餃子」を作ることができないらしい、ということなのだった。
チアフルはどうか…というと、多分、できる。
そこからの連想にすぎない…のだけれど、006は「食べないと死ぬ」から食べろ、とは言わないんじゃないのかな…と思うのだった。
食べるのは言うまでもなく生存のための手段であるが、006にとって「料理」とはそういうものではない。おそらく、006は「食べる喜び」をとても大切にしている。ただの食べ物ではなく、喜びをそこに付与する。006にとって料理とはそういうものだろう。
チアフルにとってもそれは変わらないだろうが、彼の場合、どちらかというと「食べさせたい」の方が「喜ばせたい」より勝るのではないのではないか…と思う。
何より、チアフルにとって「喜び」とは、前節で述べたとおり、生きるための一種の「諦め」の手段でもある。手段なのだから、必要でないときには発動することもない。
おいしい料理を作ることは、006においては「目的」そのものであるが、チアフルにおいては「手段」でしかない。そんな風に思うのだった。
チアフルが初めて006に出会ったとき、彼は「調理ロボット」の操作に失敗していた。
そもそも、調理ロボット、という発想が006にはないだろう。
また、チアフルはたびたび、仲間達のためにハーブティーを用意する。それはおそらく「リラックスするため」であり、気持ちを落ち着けて少しでも先に進めるようにする「目的」あってのことだろう。
チアフルは、食に快楽を求めない。
求めないわけではないのだけれど、それはあくまで手段なのだった。だから、彼においては、常に「とにかく食う」が至上の目標となる。
「不幸」に沈むあまり、餃子がうまく作れない006に、そんなチアフルは冷徹な言葉を投げる。
苦しげに息をつく。目を伏せて頭を振り、チアフルはシチュー鍋に視線を戻した。
「だから、裏切られても文句無い……ていうか、裏切って欲しいよ。あんなのに耐えてくれなくって、いい」
火を止めて蓋を閉め、隣の鍋の様子を見る。
「死ねって事でも無いんだろ? 死ぬな裏切るなって……すんげー残酷な事言ってるんだって、判ってんの? それってさ……苦しみつづけろって、そういう意味なんだぜ?」
006は言葉も無かった。
「そこまで要求すんだったらさ、殺してやれよ。今すぐ、裏切者として」
あまりといえばあまりな台詞に、006が飛び上がる。
「…チ…チアフルはん…それは……」
言いかけた言葉は、しかし、口の中に消えた。自分を見詰める、鋭く昏い瞳に射すくめられて。
006が再び俯く。怖かった。(Act.7 闇を歩く)
鍋の様子を見、淡々と料理を続けながら、チアフルは語る。
その言葉はあまりに正しい。反論できない。
そして、006はチアフルの「昏い瞳」の昏さを素直に感じ、素直に怯える。
だから、それに気づいたチアフルは「ごめんな」と謝罪する。
やがて。チアフルが、ふぅ、と息を吐く。
「…わりぃ……」
ぽん、と006の肩を叩く。
「ホント、悪かったよ……カンベンな……。あんたの気持も考えずに、勝手なこと言っちゃってさ。……あの〜…怒った…?」
その言葉に006が恐る恐る顔を上げる。そこにはいつもと変わらない、明るい瞳の男がいた。
「…あ……」
「ごめんな。ほんとに……」(Act.7 闇を歩く)
チアフルは「あんたの気持」に思い至る。
006がジョーに裏切らないでほしい、死なないでほしいと残酷な要求を向けるのもまた「しかたのないこと」だと考えたからではないかと思う。
「しかたのないこと」に対面したときのチアフルはあくまで明るく、優しい。
…ところが。
謝るチアフルに、006は首を振った。
「そんな事無いアル……。チアフルはん言った事は、重要な事アルよ……」
そうだ、と006は内心で頷く。自分の事ばかり考えている場合では無い。
(……ワテ…ちょっとジョーに頼り過ぎアルね……)
死なないで欲しい。裏切らないで欲しい。戻って来て自分達の先頭に立って欲しい。考えてみれば、ものすごく過剰な要求だ。
(それに……002や004にも……ちょっと、ワテ、頼り過ぎ或アルよね。そうアルよ。『これからどうなるのか』じゃ無いアルね。ワテが『どうするか』考えなきゃ駄目アルよ)
ほんの少し、明かりが見えたような気がする。006はそう思った。(Act.7 闇を歩く)
006は、チアフルの言葉から明かりを見出す。
チアフルは、ジョーを取り戻すことを「難しい」と考えている。考えているのだが、「食べなければならない」のと同じように、自分に可能なことを全てやり尽くすことは投げ出していない。そういう状態であるのだと思う。
その気持ちは006に伝わっている。彼もまた自分には何ができるか・何をするかを考え始めたのだから。
しかし、面白いのはそれを「明かり」だと006が明白に感じ取っているということだ。
さらに、006は「自分の事ばかり考えている場合ではない」という解釈の仕方をする。
これは、チアフルにはない発想なのではないかな…と思うのだった。むしろ、ジョーに近い。
00ナンバーたちには、こういう特徴がある…のかもしれない。
チアフルと共に厨房に立ったもうひとりの00ナンバーは、フランソワーズだ。彼女も、チアフルとの出会いの場面には、006と共にいた。
彼女もまた、009を失う悲しみの中で料理の手を止めてしまう。先の006の場面よりちょっと前のことである。
彼女に対して、チアフルは優しい。それは、女性に対するイタリア男の本能…なのかもしれないが、それだけではないような気もする。
彼女の悲しみは、チアフルから見ても、既に「どうしようもないもの」と写っているのではないかと思う。彼女にはこれ以上突き詰めて考える余地も、自ら何らかの努力をするべき余地もまったく残されていない。
チアフルは言う。
「ごめんな……。俺さ…なんてゆーか、慰めようがなくってさ……。『ジョーは大丈夫だよ』って…そう言ってやれればいいんだけどさ」(Act.7 闇を歩く)
そして、あの「昏い瞳」を見せるのだった。
フランソワーズはすぐに悟る。ジョーを取り戻す、という願いをかなえるのは絶望に等しいのだと。
沈黙する彼女に、チアフルは「幸不幸は気のもちよう」と笑い、玉ねぎを手渡して、これで泣け、と言うのだった。
チアフルが、食べ物を食べるものとして扱わないのは珍しいのではないか、と思う。
このとき、彼女が作っていたのはホワイトソース。ジョーの思い出にとらわれ、動けなくなった彼女からそれを受け取り、彼は玉ねぎを刻むことを彼女に勧める。それはもちろん「食べるため」のみじん切りではないだろう。「食べるため」のホワイトソースを引き受けておいてから、彼は彼女に玉ねぎを渡したのだ。
が、チアフルのペースのように見えるこのシーンは、最後にちょっとしたどんでん返しがある。フランソワーズは笑顔を見せ、チアフルに報いた。
「ホワイトソースは俺がやるからさ、玉ねぎ刻んでよ。もー、ぎったんぎったんに! すんげー泣けるぜ〜」
その言葉に、003が思わず吹き出す。
「そ…そーね……じゃ、そっちはお願いね。……この前みたく、焦がさないでね」
「…いや……あれはぁ………」
天井を仰ぎ、003を見、チアフルは溜め息を吐いた。006との話に夢中になって、気がつけばブラックソースができていた……というのは、あまりにも間抜けな実話だった。
「スミマセン。気をつけます。はい」(Act.7 闇を歩く)
フランソワーズはなぜ笑ったのか。
チアフルの言葉に…ではあるのだが、彼の言うように「心の持ちよう」を変えようとしたからなのかどうか、は怪しい。
彼女は「食べること」を忘れない。たしかに、ホワイトソースをチアフルに預けはしたものの、「焦がさないでね」と釘を刺す。
そして、チアフルはホワイトソースを焦がしたことがあるようなのだった。006との話に夢中になって……だという。
だから何、というわけではないのだが、00ナンバーたちは、やはりチアフルに捉えきれない何かを持っている…ということが、ここに現れているように思う。
そして、その後、何度か彼の昏い瞳に気づいた006はこんなことを思うのだ。
「チアフルはん……」
この男は、普段は能天気な程に明るいくせに、時折、ぞっとする程に昏い瞳をする事がある。
(…一体…何があったんアル…?)
そういう瞳を見る度に、006は不安になる。恐い訳では無い。無論、最初の頃はそういうチアフルが恐かった。だが今では、チアフルの事が心配だった。普段の明るさとは、余りに対照的過ぎて。
(ワテに…何かしてやれる事って無いんアルかね……)(Act.8 明かりを灯すもの)
フランソワーズがチアフルの昏い瞳を初めて見たとき咄嗟に思ったように、006もチアフル自身に何が起こったのか、ということについて考える。そして、自分が何かしてやりたい、と思うのだった。
ホワイトソースを焦がさないでね、と言ったフランソワーズの言葉にも、おそらくは辛い言葉を放ったチアフルを労る意味合いがあるように思う。ジョーほど極端ではないにせよ、彼らはそのようにして、自分の悲しみを措いて他者を心配することのできる者たちなのだ。
「食べなければ死ぬ」のは「当たり前のこと」。
そんな当たり前のこともわからなくなるほど、私たちは時に愚かになる。
チアフルに、それはない。
彼は、常に冷静に正しく「当たり前のこと」を提示する。
そうしなければ死ぬ。死ねば最善を尽くすことができなくなる。「どうしようもないこと」に出会うまで、手抜きはしない、というのが彼の信条ではないかと私は思う。
しかし、同じように厨房に立ち、仲間達に料理を作る006とフランソワーズは、それとは少し違う「食べる」「料理する」ことの一面をチアフルに見せただろう。
それを彼がどう受け取ったのかまではわからないが、少なくともチアフルは006との話に夢中になってホワイトソースを焦がすわけだし、「極北の地にて」では、おそらくジョーのために、という流れなのだろうが、フランソワーズから取り寄せた肉じゃがや雑炊といった日本食のレシピを辿っているのだった。
第3節 ラテンの血
鋭い知性と冷静な判断力で、チアフルは常に「正しい」。
だから、彼が絶望するときには、逃げ場がない。
が、一方でチアフルは「生きる」ことを義務と考えている…というか、それは「当たり前のこと」である、という信念も崩さない。
それなら、絶望したとき、彼はどうしたらよいのか。
前節までに触れたように、それを解決する方法が「明るさ」だと言ってよい。
「……おまえは…」
ライがチアフルを睨む。
「お前は! 何だって、そう明るいんだ!」
「へ?」
目をぱちくりさせ、そして、チアフルはにぱっと笑った。
「そ〜りゃ、俺にはラテンの熱い血が流れてるからだよ〜」
「ふざけるなっ!」
ライが怒鳴る。
「009を、どうするんだ。このまま、バイスに連れて行かせるのか? そうしたらどうなるか、判らないのか? あのバイスに拷問されるんだぞ? そして、その後は多分、クワイトに引き渡されて……奴にどんな性癖があるのかは、前にも言っただろうっ?」
「仕方ないだろ?」
「…お前はっ!」
「ライ様っ!」
ライがチアフルの胸倉に掴み掛かり、アイラニが悲鳴をあげて間に入ろうとする。それをカティサックが片手を挙げて制し、エストラが倒れかけたポットを素早く支えた。
「………」
ライが左目を細め、チアフルの黄玉色の瞳を覗く。
沈黙。
そして、ライはチアフルの胸倉を掴んだ手を放し、椅子に座り込んで深い溜め息を吐いた。
「……すまん…お前の……言う通りだな、チアフル………」
沈痛な声。(Act.1 それぞれの決断)
チアフルは「ラテンの熱い血」をもって笑い、黄玉色の昏い瞳で見つめる。
それは「血」であって、天性のモノである、と彼は言う。
彼がイタリア人であることは、彼の知が選んだことではない。だから出口になる。
重苦しい沈黙。
それを破ったのは、やはり、チアフルだった。
「あのさ、ライ。しょーがない事ってあるのよ。俺等が非力なのは、今更どーしようもない。だろ? 大丈夫。なんとかなるって! なんたって、カミサマは、ぜってー俺等の味方だって!」
「…なんで…そんな事が判る……」
「わかるさ!」
あっかるくチアフルは請け合った。
「カミサマってーのは、イイ奴なんだろ? だったら、ぜってー俺の味方に決まってる!」
だって、俺ってイイ奴だも〜ん、と笑うチアフルに、ライはしみじみと言った。
「チアフル……お前、俺の専門を知ってるか?」(Act.1 それぞれの決断)
チアフルは、「カミサマ」について言及する。
しかし、一見神を信じ切っているようなこの言葉は強烈なニヒリズムを表してもいる。
「カミサマ」は味方だ、「イイ奴だ」と信じる、と断言し、だから大丈夫!と笑うのが「ラテンの血」なのだが、彼は同時に、だからこそ「カミサマ」はいない、ということも知っている。
どんなにイイ奴であろうとも、存在しないものなら役に立たない。チアフルはそれを十分わかっていて、しかし、カミサマがいるなら、味方をしてもらえるように「イイ奴」であろうと努力するのだ。
悪しきモノが善きモノを理不尽に滅ぼしていく惨い現実に直面するたび、チアフルの鋭い知性は、おそらくそうやってそれらを乗り越えてきた。
悪いモノは悪く、善いモノは善い。
神は善きモノである。それはチアフルの中でゆるがない。
彼は世界に一部の隙もなく知性の網をはりめぐらせ、全てが正しくあるために努力を惜しまない。
隙がないゆえに、努力を惜しまないために、チアフルはおそらく、現実から相当の痛手を受けることになってしまう。しかし、神は善きモノである、と信じ、問題は善悪ではなく幸不幸なのだ、だから自分の心の問題として解決できる、と、彼は笑う。
そうしておきながら、チアフルの知性は、神はいない、ということも冷徹に彼に告げる。
彼の知性は、人間の弱さ、脆さ、悪に傾くどうしようもなさを看破している。だから、頼るべき、信じるべきは神のみなのだ。
そして、神は、いない。
ジョーに裏切るな・死ぬなと望む00ナンバーたちにチアフルが苛立つのは、いないはずの「神」を彼らがジョーという人間の中に見ようとしているから…なのかもしれない。
賭けに負けた、と言うジョーにチアフルが昏い瞳を向けるのも、彼のやろうとしていることが、人間には不可能な神の領域に触れることだから…なのかもしれない。
チアフルの明るさは、ヒトとして生まれたモノの宿命を従容として受け入れようとする明るさである。
ヒトが、生まれながらに背負った悲劇・絶望を受け入れ、諦めて、それでも定められた命を生きようとする切ない在り方と言ってもよい。
絶望と隣り合わせの明るさ。
ヒトがどうしても逃れられないその宿命が「ラテンの血」なのだと思う。
…で。
その「ラテンの血」が、物語の最後に、こんな事をやらかすのであった。
「……あのなぁ…まぁ、お前がウィッチを気に入ったのは、まあ置くとしても……ウィッチの前彼…」
てのも妙な表現だ、と思いつつ002は言葉を継いだ。
「…ってのは、あのクワイトなんだぜ?」
アレがウィッチの好みなんだぜ? 太刀打ちできないって。そう言う002に、チアフルは人差し指を立てて横に振って見せた。
「ちっちっち……イタリア男を舐めちゃ〜イカンぜ、ジェット〜」
へらへらと笑う。
「世界一ナンパな民族、ラテン系の情熱の炎で、あの氷のような彼女の瞳を、溶かしてみせようじゃあないかっ!」
(……駄目だこりゃ…)
002が頭を抱える。その背中をバンバンと叩き、チアフルは言った。
「まーそーゆーワケで、彼女の事は、この俺にま〜かせて!」
勿論、その事に異存など、カケラも無い002であった。(Act.9 決着)
「相剋」本編に残された大きな謎のひとつが、チアフルがウィッチに「惚れた」らしい…ということだ。それはもちろん「極北の地にて」でも継続した状態となっている。
002に劣らず、私にもこれがどういうことなのか、いまいちわからない。
ただし、ここで「ラテン系の情熱の炎」を持ち出している、ということは、チアフルにとってウィッチへの求愛は「成功する可能性」が限りなく低い、ほとんど絶望的な問題として認識されている、ということなのかもしれない。
それならなおのこと、だったらなぜ?という疑問が発生するのだけど。
で、この問題を考えるには、おそらくクワイトと、タイラントと……ジョーを巻き込まなければ難しいような予感がしているのだった。
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