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「相剋」論5 (2)
第二章 記憶の底
 
第1節 すべては記憶から始まる
 
チアフルの特殊能力(?)は、なんといっても「記憶力」だと思う。それがはっきり前面に示されたのは「極北の地にて」でだった。
もちろん、チアフルという人間は「相剋」本編からずっと続いているわけで、「相剋」にも、その能力の片鱗はきちんと表現されている。前章でも触れたとおりだ。
が、「極北の地にて」では、その彼の能力がどのような意味をもつものであったのか、その本質に迫るようなコトが明らかにされているのだった。
 
バイスがウラル研究所を拠点として00ナンバーの捕獲作成を展開していた、あの時。
当時、未だ Neo Block Ghost の上級幹部として振舞っていたライの裏切を警戒したバイスは、部下に命じて基地内のあちこちに盗聴器類を仕掛けさせたのだったが、それら無数の盗聴器類の位置を、チアフルは、殆ど一人で調べ上げて仲間達に報せていたというのだ。
そこいら中を『敵』が闊歩する状況下で、どのようにしてそれをやってのけたのかと言えば、食事や飲み物を運ぶ振りをして基地内を歩き回り、自分が見つけた位置は勿論、すれ違う仲間がそっと伝えた内容までをも全て記憶していったのだ。また、当然のこととはいえ、集めた事柄を情報端末に入力することはおろか紙に書き記すことさえする訳にはいかなかったから、それらの情報の蓄積や整理も、全て、チアフルが頭の中で行っていたのだ。
その能力は、まさに人間データベースとでも言うべきで、ライ一党は、この時に限らず、もうずっと以前から、自分達が知り得た(それを知っているということを組織に知られる訳にはいかないような)様々な情報を、チアフルに覚えておいてもらうことで蓄積してきたのだった。(「極北の地にて 上」)
 
ライの「裏切り」計画は、チアフルの記憶力なしには実行できなかった。「人間データベース」という言い方は非常にわかりやすい。
しかし、チアフルのこの能力は、人間として突出しているとはいえるものの、異質であるとはいえない。それは、要するに、人間なら誰でもとりあえず記憶力はもっているだろう…というような意味でのことなのだけれど、この意味はなかなか深いのだった。
 
私たちは情報を「蓄積」することを知っている。その方法として、私たちが主に使用するのは「文字」である。文字によって、私たちは「誰でも」同じように情報を蓄積することができるようになったのだった。
が、文字のなかった時代でも、もちろん人間はそうした蓄積を行っていた。文学でいうと、それがいわゆる口承文学だったりする。
 
口承文学の多くは、その地に文字が流入すると、ものすごい早さで滅びてしまう。
というのは、文字に記録されたコトは覚えておく必要がないから…でもあるし、文字化された言葉と、そうでない言葉との間にはやはり埋めようのない溝があるから…なのかもしれない。
ともあれ、人間の多くは、文字の力にあらがえないのだった。
文字があるのに、そんな物は必要ない、とがんばるヒトはまずいない、ということだと思う。
 
情報を文字化する、ということは、記憶を生きた人間から分離するということでもある。分離された情報は、あるシステム…共同体のシステム…によって管理され、不特定多数の共同体に所属する人間たちに共有されることになる。
一方で、文字化されない記憶というのは、私たちが普段目にする文字化されている情報とは性質が違う。文字化されず、記憶されている情報は、私たちの生身、生…と一体化しているモノなのだった。
 
このことは、たとえば、記憶を片っ端から失っていく病にかかってしまった人間…というのが小説などのテーマとなることによって、あるいは、PCを日常的に扱ううちにハードディスクの役割というものを何かと意識せざるを得なくなった…ことなどにもよって、最近では私たちに強く意識されるようになったと思う。
記憶は、私たちが「私」を持つために必要…というよりも、記憶そのものが「私」である、という一面がたしかにあるのだった。
 
ライたちが現状を変えようと動き始めたとき、必要なのはもちろん「情報」だった。
しかし、それは文字化によっては維持できない。彼らが戦おうとしている敵が、すべての文字による情報を管理していたからだ。そのような中で、「現状を破壊しようとする私」のための情報など、存在を許されない。
 
チアフルはその記憶力によって、彼自身が情報となり、文字化に左右されることのないデータベースとなった。システムを支配することはできても、個人を支配することはできない。NBGはなすすべがないのだった。
そして、絶望的だと思われるような状況の中で「反逆者たち」がひそかに形作られていく。
 
すべては、記憶から始まる。
このことが、ライ一党におけるチアフルの役割を見ているとよくわかるのだ。
文字情報は、個人から分離されたモノとなっている。それを管理・所有することは可能だ。
しかし、個人の中にしか蓄積されていない「記憶」を他者が管理・所有することは絶対にできない。
だから、高度に管理が行き届いた共同体に反逆する者たちは、まずは個人の「記憶」からスタートするしかない。このことは、つまり、いかに高度に管理が行き届いた共同体においても、「個人」が存在する限り、反逆者は出現しうる、ということでもある。
これを「個人」の立場から見ると、いかに管理された共同体に属していても、私たちには常に「自由」が保証されており、その土台となるのが「記憶」だということにもなる。
 
チアフルが持っていた「記憶」は、いかに彼が常識を越えた高い能力の持ち主であろうと、NBGが所有していた「情報」には質量とも到底及ぶものではなかっただろう。
しかし、NBGはチアフルたちに手を出せなかった。彼らを「アヤシイ」と思ってはいても、彼らの持つ情報では、それを「証明」できなかったからだ。
証明、とは、同じ情報を言葉をかえて言い直していくという作業でもある。だから、本来その中にはない異質の情報であるチアフルたちに影響を与えることはできないのだ。
 
NBGがライたちを処分するのは、簡単なことだったはずだ。
彼らは009たちのように実質的な抵抗ができる力を持っていない。誰かが「自分で」彼らを殺そう、と決意し、実行すればよいだけのことだった。
が、NBGにそういう人間はいなかった。NBGの人間たちは皆、管理された情報…共有できる記憶しかもっておらず、そこでは「個人」というものが存在できなかったからだ。
 
ライたちが個人として、NBGと戦おうと決意したとき、そこにはチアフルがいた。
彼の記憶、彼の存在が、「NBGと戦う者」の存在を保証することになった。
すべては、そこから始まったのだった。
 
チアフルは、支配を恐れない。
どんな絶望的な状況にあっても、彼が飄々としていられるのは、その記憶力ゆえなのかもしれない。
彼は、文字の力…共同体の力を借りなくても存在することのできる「自分」を常に保っているのだった。
それは、とてつもない「自由」の保証であると同時に、とてつもない「孤独」の象徴であるのかもしれない。
 
 
第2節 内の毒・外の毒
 
チアフルの記憶は、「反逆者」ライたち…という、小さいながらも或る共同体の存在そのものである。一方で、チアフルという個人そのものでもある。
これはなかなかの矛盾なのだった。
 
それ故に、チアフルの脳内には二系統の起動入力を持った即効性の毒物がしかけられていた。万一の場合に備え、本人の意思もしくは外部……おそらくはライ……からの入力によって起動する、毒物が。(「極北の地にて 上」)
 
タイラントをして「正気の沙汰じゃない」と言わしめたこの二系統の毒物は、なんのために必要だったのか。目的は、とりあえずはっきりしている。チアフルの記憶を消す…つまり「反逆者」の情報を消すため、だ。
 
さらにその目的は「犠牲」を最小限に食い止めるため、ということでいいのだろう。「反逆者」の情報がNBGに渡れば、それを構成していた関係者が徹底的に排除される。それだけでなく、将来にわたって、そういう者が出現しない…しづらくなる…システムも強化されるだろう。
つまり「反逆者」の記憶を消す、ということは、次の「反逆者」の出現を信じるとき是非とも必要になるのだった。
ヨミ篇で009と三つの脳が交わした「自分は細胞にすぎない」という発想とほぼ重なるだろう。
 
こう考えた上で「毒」の意味を思うと、考えるためにもうひとつの要素が必要であることがわかる。
問題は「記憶」…つまり情報なのだ。だったら、チアフルがそれをNBGに渡さなければよい。たとえば「死んでも教えない」と決めていれば、情報はチアフルの死とともに消え、NBGには渡らない。それができるなら「毒」を仕込む必要は全くない。
 
が、もちろん、そうはいかないのだ。
自分の意志で、それは貫けない、ということをチアフルも、ライも知っている。
捕まれば、チアフルは情報をNBGに渡す。それは避けられない、もう定まったことだと、チアフル自身も、ライも考えている。
 
009なら、そんなことは絶対にしない、と思うだろう。彼はそのように行動する。
もっとも、その彼も、クワイトによって情報を手放したのだけれど。
そのときの009がそうであったように、記憶を奪われるということは耐え難い屈辱なのだ。それは「自分」そのものが他者に奪われ、他者の管理下におかれることだから。
 
そう考えると、チアフル自身にとって、自分で起動入力する「毒」は、「自分」を他者に奪われないための手段である、ということができる。記憶を奪われることを、死よりも耐え難いこと、重いことだと、チアフルは位置づけているのだった。
彼は、こんなことも言っている。
 
『俺はもう、一回死んでんの。幽霊なの。敵にとっつかまってイタイ目にあわされるっくらいなら、幽霊は幽霊らしく、あの世に避難すんのがイチバンなの』
『避難って、死んじまったらそれまでなんだぞっ!』
思わずそう言い返したタイラントに、チアフルはさらりと言った。
『だから? だって、本来の居場所に行くだけだろ?』
ヒトらしい感情のまるで欠落した声音。
明るい黄玉の瞳が、瞬間、深淵を映し……
凍れる刃が喉元を掠めたかのような風を感じ、タイラントが言葉を失う。(「極北の地にて 上」)
 
なるほど、「死んだ」人間なら「生きる」ことには固執しなくてもよい。
自分が「生きる」ことより「記憶」を大切にしてもおかしくない。
しかし、タイラントの言うことももっともなのだ。「死んじまったらそれまで」なのだ。
チアフルが言うように「一回死ん」で、しかし今は生きている、なんてことはあり得ない。
 
チアフルのいう「一回死ん」だとは、具体的にどういうことだったのか、作品はまだ何も語っていない。が、私たち読者は漠然と納得することができる。個人がある共同体の中で生きるとき、その共同体によって「自分」を押しつぶされる…殺される、と感じることがあるだろうということを容易に想像できるからだ。
それでも、なお、私たちはとりあえず生き続けることはできる。チアフルもそうだ、ということなのだろう。
 
しかし、彼は死んだ…のだけれど「幽霊」となった。それがつまり個人としてNBGに抵抗を続ける意志であり、「反逆者」としての生だ。
チアフルの言葉は、一見すると彼が拷問の痛みを恐れているような印象を与えるが、実際に拷問を受けたとして、彼はその痛みそのものを恐れることはないだろう。彼が恐れるのは、009と同様、その痛み…肉体としての「死」を回避しようとする自らによって、「記憶」を奪われることなのだろう。
 
そう語るチアフルは「人間らしい感情」を失っている。
チアフルの「人間らしさ」は、タイラントが言うように「死んじまったらそれまで」と震えているのかもしれない。それを捨て、「記憶」を守る。それがチアフルの決意である。
が、皮肉であるが、そうやって守りたい「記憶」こそが、彼自身の生…「人間らしい」生と一体となっており、むしろそうでなければ存在し得ないものなのだ。だから、チアフルが生き続け、なおかつ自身を守るためには「毒」が必要なのだった。
 
一度「個人としての生」を失い、NBGに支配されたチアフルは、支配されながらも「幽霊」であることを捨てきることをしなかった。その幽霊の意志が彼の肉体の中に記憶を蓄積し、反逆者を作り上げる。確かなものは記憶だけなのだ。だから、幽霊は覚悟する。この記憶を奪われるときはここ…この世を去るときだ、と。
幽霊はここにある生には執着しない。執着するのはかつて殺された「意志」のみ。
 
チアフルは、幽霊の意志によって慎重に組み上げられ、作り替えられた生身の人間である、ともいえる。その明るさも、感情というにはあまりに作為的なのだった。
彼の明るさに「生きる喜び」はない。すべては作られたもの…演技である、とさえ感じられるのだった。
タイラントは思う。
 
その勢いに押されて無意識に頷きつつ、タイラントはしみじみと思った。どうして自分は、こうも他人を表面的な態度からでしか評価できないのだろうか、と。
以来、タイラントはチアフルに対して、絶大な信頼を寄せている。(「極北の地にて 上」)
 
タイラントは直感する。チアフルの明るさは「表面的な態度」である、と。
そして、その奥に潜む意志の強烈さに圧倒され、彼に信頼を寄せるようになる。009に対してそうであったように。
009の力をもたないチアフルが、それに代わるものとして持つのが「毒」である。おそらく、そういうことなのだと思う。
 
一方、「毒」は外からの入力によっても起動する。
それを握る者はおそらくライだと推測されるが、はっきりとはわからない。もちろん、チアフルはそれを許容しているのだった。
 
なぜ外から「毒」が外部からも起動入力されなければいけないか。
それは、チアフルの記憶が、チアフル自身だけではなく、共同体そのものであるからだろう。
この場合も、「毒」の目的は、チアフル自身の目的と重なっているが、問題は、チアフル個人の肉体が、同時に共同体の所有でもある、ということであり、チアフルがそれを認めているということである。
 
そんなことは実現し得ない。私たち「個人」はあくまで個人であって、イコール共同体である、ということなど不可能である。
それが唯一、可能になる…わけではないのだけど、そう信じ込むことが一応できる…のは「死」が媒介となったときだけだ。
 
つまり、個人はある共同体そのものとして「生きる」ことはできなくても「死ぬ」ことならできる。死ぬということは生きることではないのだけれど、生と死は常に連続しているから、たぶん錯覚…ではあるのだけれど、死ぬことによって生きたことを証明できる、という発想にはなり得るのだった。
 
ライが「毒」の入力スイッチを握っている、ということは、チアフルが個人としてではなく反逆者の共同体そのものとして死ぬ…つまり、生きるという意志を示している、ということだ。
それはいわゆる「自己犠牲」と似ているのだけれど、彼の場合はまたそれとも少し違う。
 
自己犠牲とは、共同体のために自分の命を捨てる、ということであるが、チアフルの場合、そもそも「自分」というものがない…幽霊だ、という立場なのだった。
だから、彼は「仲間のために自分を犠牲にする」という気持ちなど持っていない。
 
ライが毒のスイッチを押すとしたら、どんなときか。
チアフル…チアフルの「幽霊」は、彼自身の生に執着しない。だから、ライのスイッチは必要ないとも言える。ライが異変に気付くより、チアフル自身が気付くことが圧倒的に早いはずだからだ。それでも、ハプニングは起こりうる。ライの方が異変を早く察知することもあるかもしれない。
また、チアフルは自分が「生」の要求に従い、NBGに屈する可能性を認めている。ライの入力はそのようなときに必要とされるだろう。
 
要するに、チアフル自身が「死にたくない」と思ってしまったときには、ライがスイッチを押すことになるのだった。
そして、現実にそのスイッチを使う可能性は限りなく低いとしても、ライがそれを持つことをチアフルが認めている…というところに、チアフルが自分の生をどうとらえているか、がうかがえる。
チアフルは、「生きたい」と考える自分を完全に否定する。彼にとっての本当の自分は、あくまで記憶によって形作られた「幽霊」としての存在なのだ。
 
記憶は人間を形作り、人間を支配し、操る。
それは、人間の外にあろうと内にあろうと、同じことなのかもしれない。
私たちの体は、私たちそれぞれに生きることを求める。
しかし、「記憶」だけは違う。
記憶はそれ自体を守るために、本体である肉体を犠牲にすることをいとわない。
それが、人間の特性であると言えるかもしれない。そのようにして、人間は「何か」のために命を捨てる。自分の命、そして他者の命を。
 
卓越した記憶力を持つチアフルは、だからこそ記憶の恐ろしさ、力をよく知っているのかもしれない。
記憶は人間を作り、さらにはその人間を越えて他者と共有され、共同体を作っていく。
やがて記憶は文字化され、人間と切り離され、人間を支配するようになる。
 
チアフルはいまだ肉体として、個人としての自分と分けられていない「記憶」をはっきりそれと意識しつつ抱いている。
その自覚が、彼の何者にも縛られない「自由」を保証する。
一方で、彼は記憶の怪物めいた力を理解し、それが本当は自分だけのものではないのだということも理解している。
彼が、たしかに自分だけのものであると確信できるのはおそらく「命」だけなのだ。だから、その絶対の信頼をおく「命」を制御することによって、記憶を制御しようとしているのだと思う。
 
そのように命を道具として用い、記憶を制御しようとする「チアフル」は、彼が言うように「幽霊」であるのかもしれない。
幽霊の意志が、生の要求を越えたところから彼を動かしている。
その正体はやはりわからない…が、おそらく、幽霊になれるのも人間だけなのだ。
それだけは間違いない、という気がする。
 
 
第三章 昏い瞳の先に
 
第1節 魔女の傍らで
 
チアフルが、自らを「幽霊」「一度死んだ人間」というとき、反射的にではあるが、思い起こされるのがクワイトとウィッチなのだった。
そして、チアフルはどういうことかはいまだ不明なのだが、ウィッチとともに暮らすことを選ぶ。
彼は、ウィッチに何を見たのか。
 
チアフルがウィッチに会ったのは、クワイトの死後だった。
彼女がライの妹である、ということについては決戦の出撃前に聞いており、そのときは「頭をかかえて」いたりする。
 
クワイトの死後、ウラル基地でのウィッチは彼女の恐ろしいまでの能力を遺憾なく発揮していた。鋭い知性と強固な意志。それは、チアフルのそれと重なるところもあっただろう。
しかし、それよりも大きかったのは、おそらくは彼女が一度死んだ人間である…ということだったかもしれない。
 
ウィッチは、クワイトがライによって「殺された」とき、「自分」を捨てた。彼の望みを無条件で叶える「魔女」となり、感情を捨てた。
クワイトは、彼女の感情を読み取ることができなかった。彼女の感情はいつも静かで透明で、鏡のようだったのだ。
その姿もまた、チアフルと重なるような気がする。
 
ただ、チアフルが「一度死んだ」「幽霊」である自分とよく似た女性に出会ったとして、それを理由に彼女に心を惹かれるか、というと、どうだろう…と思う。むしろ、チアフルは「幽霊」であることによって「自分」を突き放して生きているのだ。「自分」のための恋などフツウではあり得ないように思う。
 
チアフルがウィッチをどう見たか、を考えるとき、手がかりは、前章で引用したあのアヤシイ言葉のみだ。
 
「一途で、ひたむきで、そして可憐……」
 
このうち、話を聞いた002がどーにもこーにも理解できなかったのが「可憐」だった。
と、いうことは、案外ココにヒントがあるのかもしれない。
「可憐」…それこそが、常人には絶対にわからない…つまり、チアフルのみが見抜いた彼女の性質であると考えるべきなのではないか。彼にしかわからない、ということはつまり「惚れる」要因となりうるということでもある。
 
もちろん、それ以前の問題として、チアフルは「本当に」ウィッチに惚れているのか、ということを解決しておかなければいけない…のかもしれないが。
これについては、「極東の地にて」でフランソワーズの目を通して、それなりに証明できているような気がする。
 
そこで、とりあえず「可憐」に戻ってみる。
チアフルが出会ったときのウィッチは、まさにこれ以上ないという絶望の淵にいた。
クワイトの望みを叶える、ということをやり遂げた彼女は、それによって彼を失った。なすべきことをなしとげ、感情を殺し抜いた結果、恋人を葬ったのだった。
 
架空の実験設定ではあるが、「相剋」「実験室」に置かれた「ありえない終末」において、「狂った」009を倒そうとする003は、それを果たせない。009の方が彼女よりも圧倒的に強いからだ。
しかし、彼女は狂った009を前にしたとき、彼を倒すことについては躊躇も葛藤もしない。そうなったとき彼を倒すことは、ほかならぬ009の望みであり、彼と交わした誓いだったからだ。彼女が思い悩むのは「どうすれば」彼を倒せるか、ということだけなのだった。これは、クワイト自身の望みに従い、躊躇なく彼を死なせた…というウィッチの姿と重なっている。
ともあれ、003は009を倒す力を持っていなかった。だから、それを実行するのはタイラントであり、しかも彼は003にこう言うのだ。
 
「ジョーは死んだ。抜け殻は俺が壊す。あんたはそこで見てろ」
見届けるのが、あんたの役目だ。振り返りもせずにそう言うタイラントに003が息を呑む。
「こいつを壊したら、あんたは死ぬ。そうしたら俺が、あんたも壊してやる」(「ありえない終末 4.世界が終わるとき」)
 
たとえ「死んだ」ジョーであっても、それを「壊す」ことによって、フランソワーズは「死ぬ」。その彼女をタイラントは「壊してやる」という。
「死ぬ」は心の問題、「壊す」は肉体の問題…と考えることもできる。
ウィッチもフランソワーズも、最愛の恋人が「死んだ」状態になり、絶望しても、それだけで「死ぬ」ことはない。彼女たちには「死んだ」状態となった彼らのために、なお生き続けなければならないなんらかの理由があるからだ。
彼女たちが「死ぬ」ことを許されるのは、恋人たちが「壊された」瞬間なのだった。
 
フランソワーズは、ジョーを壊され、自らが死んだ次の瞬間、タイラントによって壊された。が、ウィッチは違った。
彼女はまず自らの手でクワイトを「壊し」、それによって「死」んだ…にも関わらず、009を助け、不眠不休で働いた。チアフルが見たのはそういう彼女だった。
ウィッチが009を助けた理由については、彼女自身がこう語っている。
 
「それは、クワイトが『ライの研究所に捨てて来い』って言ったからだし、私が医師だからよ」
「けど。あんたには、ジョーを助ける理由なんて無かっただろ?」
そう言う004を、ウィッチはキッと睨んだ。
「馬鹿にしないでちょうだい。私は医師なのよ。目の前に居る者を黙って死なせるなんて事が、できるとでも? どんなに可能性が低くても、何もせずに死なせるなんて……した事…無いわ……」
そこで言葉を切り、ウィッチは俯いた。
「…私が…何もせずに死なせたのは……クワイト…だけ……」(「Act.10 夜明け」)
 
「死んだ」彼女には、なぜか「信条」が残っていた。
もちろん、それ以前にクワイトの「遺言」もあった。…が、彼の望みは009を「捨てる」ことであり、助けることではない。やはり、009を助けたのは、彼女の「信条」だったのだ。
 
クワイトもジョーも、「死んだ」ことにより狂気に堕ち、悪魔となる。
が、ウィッチは「死んだ」後、医師としての信条と良心のもと、ジョーを救う。
クワイトはこう言った。
 
「嫌だ。私は……私は、自分の好きなようにやりたいんだ。お前なぞ……すぐに発狂させてやる」(「Act.9 決着」)
 
「死んだ」彼らは「自分の好きなように」やった結果として、人々を苦しめ、世界を破壊していく。が、「死んだ」ウィッチは「自分の好きなように」やった結果として自らの心身を削りつつ、人々を救う。
チアフルが「可憐」と感じたのは、そのあたりではないか、と思うのだった。
 
そして、それがもし女性がもつ特質なのだとしたら、それをもってチアフルが彼女に「惚れる」ということもあり得るように思う。
自分に彼女と同じことができるかというと、できない、というのが彼の結論ではないかという気がする。が、だからこそ、彼は彼女に惹かれるのかもしれない。
 
「極東の地にて」で、フランソワーズはウィッチの体が少し丸みを帯びたように感じ、それを「チアフルの努力の結果」と考える。
「死んだ」彼女を「壊してやる」ことによって、タイラントは救いを与えた。反対に、チアフルは彼女を「壊さないようにする」ことに心を砕く。
結果は全く逆方向に向かうのだが、2人の男をこのように動かしたのは、死してなお壊れることができず、狂うこともできず、ひたすら自分をすり減らして生き続けようとする女性たちの「可憐さ」であったのかもしれない。
 
チアフルは、「一度死んだ人間」と自らを評する。「死」の意味するところが、クワイトやジョーと同じだとすると、その行き着く先は狂気だろう。彼が時折見せる「昏い瞳」が、ソレ……なのかもしれない。
 
クワイトやジョーのような「力」を持たないチアフルは、「昏い瞳」を持ちつつ、それを実行するには至らない。彼は明るさを偽り、強固な「記憶」の力と、ひそかに忍ばせた「毒」を支えに辛うじて「チアフル」であることを保ち、生き続ける。
そんな彼にとって、死んだにもかかわらず、狂うことのないウィッチは一条の光となるのではないかと思う。
 
狂ったジョーを「壊した」として、しかし、その後、自分はどうしたらいいのかわからない…とフランソワーズは「相剋」本編で告白した。
それは、おそらく、因果関係を辿り、理性を駆使したところで想像できることではないのだと思う。つまり、チアフルには到底理解できないことだ、とも言える。
そして、現時点で、まさにその状態になったまま生き続けているのは、ウィッチだけなのだった。
彼女自身も、自分がどうしてこのようになったのかは説明できない。
が、彼女はその生をはっきりと肯定する。
そんな彼女の傍にいて、彼女を壊さないようにする……それは、チアフルにとって、彼自身が生き続けるための、何より強い支えにもなるように思うのだった。
 
 
第2節 パンドラの箱
 
「相剋」本編において、ジョーが見抜いたクワイトの正体は、「他人を自分の思い通りにしようとする欲望」だった。最後の決戦で、彼はクワイトと、ただその一点において対立し、戦い抜き、勝利した。決してクワイトの思い通りにならない自分…という反証をひとつ置くことによって自らが正しいことを証明したのだった。
そして、そのジョーが「極北の地にて」では、タイラントとの「合宿」を終え、チアフルにこう言うのだった。
 
「僕が彼にやろうとしてた事は……突き詰めれば、クワイトが僕にした事と同じだったんだ」
「………」
「彼の意思を無視して、僕は彼を僕の思い通りにしようとした」
タイラントのありようを無視し、もう一人の自分、『もうひとりの009』にしようとしていたのだ、と009は言う。(「極北の地にて 後日談・後編」)
 
自分がクワイトと同じことをしていた、ということをジョーは悔やむ。が、チアフルは「その何処が悪い?」と尋ねる。抑揚のない、感情の欠落した声で。
チアフルは、それは当たり前だ、と言いたいのだろう。全ての人間は…もちろんジョーも…クワイトである、それが真実だと。
さらに、チアフルはこんなことも言う。
 
「よく……持ってるよ」
あんな状態で。正気と狂気の狭間。生と死の狭間。その境界上で。
「もしこれで、ジョーが助かったとしたら、それは……」
「奇跡…アルか?」
そういう006に、チアフルが首を振る。
「違うな。奇跡ってのはさ、もうちょっと安易なモンだよ」
あの状態から立ち直ったとしたら、それはもう『奇跡的』なんて表現では追いつかない。そう、チアフルは言う。
「ともあれ、もしもジョーが立ち直る事があるとしたら……。その昔、おっちょこちょいな女の子が開けちまった災厄の詰まった箱の底に、『希望』てのがあったって話しも、あながち嘘じゃないって事だろ。俺はずっと、アレは絶対ガセネタだって…そう思ってたけどさ」(「Act.8 明かりを灯すもの」)
 
「奇跡」よりも「希望」の方がずっと信じがたい、というのがチアフルの立場、ということだろう。
「奇跡」と「希望」の違い…を考えると、言うまでもないが、前者は神の手の中にあり、後者は人の手の中にある、ということだ。
 
チアフルは、神が「奇跡」をなすことについては否定しない。
その神が自分の目の前に登場してくれなければ意味はないのだが、もし登場してくれるのなら、奇跡は起きる、と考えているのだと思う。
神は、彼の知性の及ぶところではない存在だから、そういうことになるのだろう。
 
しかし、「希望」は違う。
チアフルはまぎれもなく人であり、にも関わらず、彼はそれを手にしていないのだった。
だから、彼は「希望」を「ガセネタ」と言う。
 
チアフルとジョーの決定的な対立点は「希望」についての考え方である、と思う。
そして、実はチアフルの方がどうも分が悪い。
例えば、上記の場面でも、結局ジョーは助かってしまい、チアフルが「希望」があるのも「あながち嘘ではない」と思うための条件をクリアしてしまったのだった。
 
それでは「希望」とは何か…というと。
ここまでの「相剋」に書かれている内容から考えると、それは「人間」が、その中に宿る不条理な力によって「変わる」ということなのではないかと思う。
 
チアフルは卓越した知性で、あらゆる因果関係を把握することができる。
「ああすれば、こうなる」という関係は、それを厳密に分析していくことさえできれば、全ての事象を支配する…と彼は考えているのではないかと思う。
そして、「希望」は、或いはジョーの行動は、その因果関係からおそらく逸脱するのだ。
 
たとえば、鉄から金は作れない。
それが「人間」が受け入れなければならない現実であり、チアフルはその立場に立つのだと思う。
神であれば、もしかしたら、鉄を金にすることはできるのかもしれない。それを目の当たりにするチャンスがあるかどうかは別として。しかし、人間に、それは無理だ。
「希望」は、いってみれば、人間がおのれの不条理な力を発揮することで、鉄を金にできる、というようなモノ…つまり、まやかしだと、チアフルは考えるのだと思う。
たしかに、そういった主張は大抵がまやかしなのだった。まやかしなら存在する可能性がある。それはもう、無限にある。
 
ジョーは、まやかしでない「希望」がある、と信じている…というか、あるのが当然、という態度で動くのだと思う。
だから、彼の行動は、チアフルにとって、それはもう驚きの連続であり、むしろあきれ果てる、というような反応しかできないようなものでもあった。
 
チアフルは「希望」を語るとき、パンドラを持ち出す。
「希望」を主張する者は、すべてが整然と整い、安定している世界を破壊するのだ。
人間に「希望」はない。が、知恵はある。
神になれなくとも、人間には人間の能力があり、安らぎがある。人間であるなら、目指すべきはソコだ、とチアフルは考えているのかもしれない。
 
とはいえ、人間のその現実が、決して幸せなものではないことも、おそらくチアフルは知っている。
神になれず、現実を粛々と受け入れ、何も変わることのない世界で死ぬまで生き続けることの不幸をも、彼は知っているのだと思う。
だから、そこを破ろうとする…破っていくように見えるジョーは、チアフルにとって危険な存在であるのと同時に、どうしても心引かれる存在でもある。
ジョーを見つめるチアフルの昏い瞳は、騙されるな、と常に己に警告を放ち、同時に騙してくれ、ともひそかに訴えているのかもしれない。
 
 
第3節 星を仰ぐ
 
「相剋」本編で、ジョーとチアフルが直接会話を交わしたシーンは、実は一つしかない。
ジョーが、仲間達のもとから「脱出」したときである。
その僅かなやりとりの中で、チアフルはジョーが「NBGに屈してはいない」ということを見破る。サイボーグたちよりも001よりも、ライよりも早く。
チアフルは、なぜ彼が屈していないことを見破れたのか。チアフル自身はその理由を語らない。
 
チアフルの見たところ、表面上はどうあれ、009は Neo Black Ghost に屈してはいない。(「Act.7 闇を歩く」)
 
「表面上は」そうではないものを、チアフルは「見た」のだ。
だったら、それを語ってくれないといまいちわからない…のだけれど推測することはできる。
 
まず、ジョーのチアフルに対する言動のていねいさ、である。少なくとも冷たかったり、高圧的だったり、嘲笑的だったりしない。それをもって「屈していない」というには早計かもしれないが、ジョーがそれまで仲間たちにとっていた態度とはずいぶん違うのだった。
次に、ジョーが仲間達の気配を察したときの言動である。
 
「006が、近くにいる。007と008も……004は司令室だから、まだこっちに来るには時間がかかるだろう」
何で判る? と訝しげに見るタイラントに、009は微かに笑った。こめかみの上に指を当てる。
「脳波通信機だよ、僕の周波数も、皆と同じなんだ。ずっと切ってたんだけど、もしかして…と思ってスイッチを入れといたんだよ」(「Act.7 闇を歩く」)
 
ジョーはうっかり仲間達を「皆」と呼んでしまう。
更にこの後、仲間と戦うことを避けるために、わざわざ壁に穴を開けて脱出する。
そして、とどめがコレなのだった。
 
呆然とするチアフルの視界の中で、タイラントが壁の穴から外へと飛ぶ。続いて009が壁の切れ目に手をかけ、チアフルを振り返った。
「ごめん……。ありがとう」
そして背中を向け、009はタイラントの後を追った。(「Act.7 闇を歩く」)
 
この、「ごめん……。ありがとう」の意味を、チアフルは正確に理解したのだと思う。
「ごめん」は、「脅かしてごめん」かもしれないし、「迷惑をかけてごめん」かもしれない。
NBGに属するジョーは、もちろんチアフルやサイボーグたちには「迷惑」であり「脅威」となる。それを認め、謝罪するのだから、彼の心はNBGを「敵」と認識しているのである。
 
さらに、「ありがとう」はもっと意味が深い。
チアフルはこのときジョーに何をしてやったのか…というと、「ありがとう」と言われる程のことなど何もしていない、というのが正しいだろう。なのに、ジョーは「ありがとう」と言う。
おそらく、仲間たちに会うことを自らに禁じたジョーにとって、この基地…つまり、仲間達が所属するモノの代表となるのが、たまたまではあるが、チアフルだった、ということなのだろう。彼の「ありがとう」はチアフル個人にではなく、仲間達に向けられたものであった可能性が高い。
 
そうなると、「さようなら」ではない…というのもちょっと面白い。
ジョーがここでチアフル…つまり、仲間達との再会を期していたとはとても思えない。が、別れを告げてもいないのだった。この辺が、彼の底知れなさではないかという気がするし、結局彼が仲間達のもとに戻ることができた要因となっているようにも思う。
 
チアフルがとらえたジョーの姿は、仲間達に対してNBGの幹部として振る舞った姿とどうにもこうにもズレてしまう。
そして、ジョーは仲間達と会わないようにして基地を脱出する。
 
ということは。
ジョーは相手が「チアフル」だから上記のように振る舞った…のだ。
いや、もしジョーがチアフルを知っていたら、そうはしなかったのかもしれない…が、このときのジョーにとってチアフルは「フツウの人間」でしかなかった。
要するに、ジョーは「油断」した、ということなのだろう。チアフルを見くびって、つい「地」を出してしまった。
 
問題は、ジョーがその強固な意志・苛烈な性格の持ち主であるにもかかわらず、この大切なときにうっかり「地」を出してしまったというそのこと自体にある。
チアフルは、たしかに「仲間」ではない。が、どんな人物であるかもジョーにはわかっていないはずだ。実際、チアフルはこのやりとりの中にジョーが隠し通していた「真実」を見つけてしまった。
もちろん、これはジョーの失敗なのだった。そして、このことから、彼がいかに追い詰められていたか、無理を重ねていたか…も想像できるのだった。
仲間に対してNBGの幹部として振る舞うことは、ジョーにとって耐え難い苦痛だったのだ。心身ともに追い詰められ、緊張が極限に達したとき、だからこそジョーは「油断」した。油断した、というよりは、限界に達してしまった…ということだったのかもしれない。
チアフルは、それを感じ取ったのだと思う。
 
仲間と戦わず、誰を傷つけることもなく「脱出」した、というその事実だけでも、ジョーの真実を推測することはできる。
が、それを知らされた仲間達はそう推測することもなく、ほっとした様子を見せるのだった。彼らはジョーの「表面上」の態度しか見ていないからであり、やはり真実を「見た」のはこの時点ではチアフルだけなのだ。
 
この後、チアフルはサイボーグたちの説得に当たる。
彼だけがジョーの真実を「見た」ということを思えば、当然の帰結なのかもしれない。
チアフルは、002にこう語る。
 
「カティサック達が言うにはさ、ジョーは自分で自分を苦しめてるんだ…って。『仲間』を裏切った自分には、狂うことも許されない。命がある限り、苦しみ続けるべきだ…って。……それが、未だにジョーが狂わないでいる理由なんだよ。助けようが無いんだ。ジョーは、自ら望んで悪夢に苛まれているんだから」
何であんなに苛烈な性格なんだ、と想う。もう少し弱ければ、救われるのに。
「……ジョーはもう、誰にも助けを求めてなんかいないんだ。あんた達にも……。自分は『仲間』からも見捨てられた…って…そう思ってるんだよ。見捨てられている筈だって、そう思い込んでいるんだ」
沈黙。
そして、チアフルは尋ねた。
「……そうなのか?」
009は、もう、お前達に見捨てられたのか?
答えを待たず、チアフルは部屋を出て行った。(「Act.8 明かりを灯すもの」)
 
チアフルにわかっていること。それは、ジョーの「現実」である。それがどんなに苛烈であり残酷であっても、彼のまなざしは躊躇したり容赦したりはしない。
そして、チアフルにわからないことは、まさにチアフルが002に「尋ねた」ことなのだ。
 
009は、もう、お前達に見捨てられたのか?
 
チアフルは、前に006との会話の中で、00ナンバーたちの「裏切るな・死ぬな」というジョーへの要求がいかに残酷であるか、について言及している。しかし、確かに彼らを「裏切った」そして「屈してはいない」ジョーを救うには、皮肉であるようだけれど「裏切るな・死ぬな」と求め続けるしかない…ような気がする。
そんなことは、無理なのだ。無理だから、ジョーは苦しんでいる。
しかし、彼は苦しみ続け、それを終わらせようとしない。
 
それをチアフルは「苛烈な性格」と考え、「もう少し弱ければ救われるのに」とも考える。
ならば、「救われる」とはどういうことか。
チアフルの考え得る「救い」の在り方は「裏切れ・生きよ」か「裏切るな・死ね」のどちらかしかない。ほかには終わりようがないのだと思う。
しかし、それは「終わり」ではあるが、「救い」ではない。それを「救い」と捉えるのは人間の弱さであり限界なのだ。だから、チアフルは思う。ジョーは救えない、と。
 
しかし、それなのにチアフルは002に問うのだ。
他の救いというものがあるのか、ないのか。
自分にはわからない、想像のつかない救い。
それが、お前たちにはあるのか、と、チアフルは問う。
 
002にこの問いかけをする前、チアフルは悩んでいる。
そして、結局はこう思うのだった。
 
唇を噛み、覚悟を決める。
(どう転んでも駄目だってんなら、気の済むようにするのが一番…てな)(「Act.8 明かりを灯すもの」)
 
チアフルは「経験のあるカウンセラー」なら、ジェットに問いかけるべきかどうかがわかる、と考えているようでもあったが、おそらくはカウンセラーであっても結局はわからない…と思う。なにより、そういうモノがここに「いない」ことは間違いないわけで。
そして、彼の決意の仕方は、まさにチアフルらしい。
どう転んでも駄目、ということを前提として、気の済むようにする…のだった。前に述べた「ラテンの血」が発揮されているところなのかもしれない。
 
駄目だとわかっている。しかし、諦めきれない。
そのとき、神が奇跡を起こしてくれるかもしれない…と期待する代わりに、チアフルは002に問う。あの、ジョーの「仲間」である002に。
そして、002はそれに応えた。
 
(どーなってるアル?)
006の無言の問いかけに、チアフルは小さく首を振って答えた。
(…俺にも、さっぱり……)
小さく『お手上げ』ポーズをして見せる。
(ま…まぁ、この場合、助かるアルけど……)
(そりゃ、まぁ…ね)
しかし、これが今朝まで部屋に閉じこもって、食事すらしようとしなかった人間か? とチアフルは余りの展開に、目眩すら感じていた。
「俺達は、ジョーを見捨ててなんかいない。そうだろっ!」
異様なまでの迫力で力説する002に、一同がこくこくと頷く。(「Act.8 明かりを灯すもの」)
 
目的は見事に達成された…にもかかわらず、チアフルに喜びはない。
ジョーを見捨ててなどいない!と人が変わったような力強さで語る002の姿は、不条理そのものであり、到底チアフルに理解できるものではない。
 
ちなみに、この不条理をどうにか説明…してはいないのだが、しようとしているのが003である。彼女は、このときのジョーをどうやって救ったらいいのか、彼が、自分が、どうすれば「よかった」のか、全くわからないままだった。ここまではチアフルと同じだ。
しかし、彼女は唐突にこう想う。
 
レッサートの言葉が、003に一条の希望を与えてくれた。
(……ジョー……。私は…私達は……あなたを………)
必ず連れ戻す。絶望の淵から。闇を照らす明かりとなって。
誓いは破られてはいない。絆は失われてはいない。彼が彼である限り。(「Act.8 明かりを灯すもの」)
 
ここで003が感じるのがやはり「希望」なのだった。
そして、そのよりどころとなるのは「誓い」であり「絆」であり「彼が彼であること」。
 
どーにも、説明になっておらず、論理的ではない…と思う。
009は裏切ったのではないか。誓いも絆も破られた。彼は彼ではないのだ。だからこそ彼は苦しんでいる。
が、003はそう想わない。そこに「どうして」はない。もちろん、答もない。
ただ、希望だけを頼りとして、003は歩き始める。
 
結果として、ジョーは救われた。それもまた現実として、チアフルは認めざるを得ない。
確かに、彼を救うための「方策」そのものはそれなりに説明のつくことだった。問題は、それが実行可能かどうか、ということであり、実は不可能だろう、としか言いようのない方策だったのだけれど。でも、方策には誤りも矛盾もない。
 
それでよかったのだ。
「相剋」本編では、チアフルは00ナンバーたちの外に立っていることができた。
彼は論理的な破綻のない策を示しさえすれば、あとは何もしなくてもよかった。なぜかはわからないがソレを実行できるモノたちを前にしていたのだがら。
わからないが、まあこういうこともあるのかも…と、それこそ「奇跡」の一種であると解釈することもできただろう。少なくとも、それは「009たち」が為したことであり、自分ができないのだとしても、大筋に問題はなかった。
 
チアフルは、地上の人間が星を仰ぐように、彼らを見つめることができた。
その美しさ、神秘性に驚きと淡い憧れを抱き、素直に嘆息をもらしながら感動することもできた。
しかし、「極北の地にて」では事情が違ってくる。
タイラントが巻き込まれたからだ…と私は思う。
 
タイラントとジョーが「合宿」を始めたとき。
その目的はジョーが後で言ったとおり、敵を傷つけずに倒すことができるようになる・009のように…ということだった。
チアフルとウィッチはそれをわかっていた。だから、毎日のように苦しみながらジョーを叩きのめすタイラントを「馬鹿」と思っていたのだろう。
そんな中で、彼の昏い瞳…冷たさが少しずつ姿を現してくる。
 
「んーじゃ、俺はあの馬鹿を回収してくるわ」
軽い調子とは裏腹に冷たさを含んだ声音。(「極北の地にて 後日談・前編」)
 
 
この「冷たさ」は、タイラントの「どうしようもない」限界を見た冷たさ…ではないかと思う。同時にそれは、それでもなお戦いをやめないジョーへの冷ややかさでもある。
 
(ったくホントに。あのアホはっ! ちゃんと判ってるのかよ)
009が教えようとしていること。それを、きちんと理解しているのだろうか?
(……いい加減、気付けってぇの)
イライラと内心で呟きながらてくてく歩くチアフルの前方に、地面に伸びているタイラントが見えてくる。(「極北の地にて 後日談・前編」)
 
イライラするチアフル…というのもちょっと珍しい気がするのだった。
なぜ彼は苛立つのか…もちろん、タイラントがあまりにも「馬鹿」だからだ。彼は気づくべきなのだ。考えればわかるのだから。考えないタイラントが馬鹿で、悪い。
チアフルは…そして、おそらくウィッチもそう思っていたのだろう。
 
しかし。
なぜ、タイラントは気づかないのか。考えないのか。
なおかつ、タイラントはジョーを心から慕い、ともに歩こうと懸命になっている。
 
気づくこと、考えること、理解すること。
それがなくても、人と人がともに歩くなどということができるのだろうか。
できない、というのがチアフルの立場だと思う。しかし、タイラントはジョーの意図に気づかないままジョーを傷つけ、自分も傷ついていく。
 
ほどなく難しい顔をして戻ってきたチアフルに、タイラントは恐る恐る声をかけた。
「ん〜……。明日の朝っくらいまでかかるってさ」
残った料理どうしよう、徹夜明けに食べるのは何がいいかな、日本食は胃にやさしいって言うから肉じゃがの他にもう少し何か作るか? などと言いながらチアフルが腕を組んで唸る。
その様子を暫しぼんやりと眺め、そして、タイラントは大きく溜息を吐いた。
「どったの?」
「……あ……。いや……」
一瞬、何か言いたげな風に視線を宙にさ迷わせ……けれど、タイラントは首を振って立ち上がった。
「……なんでもない。片付け、手伝った方がいいか?」
「や、いいよ」
二人分だから大した量じゃないし、とチアフルが言う。それへ軽く頷くと、タイラントは悪いな…と呟くように言いながら部屋を出て行った。
その背を、チアフルが無表情に見送る。
そして。
「……へぇ」
人らしい感情の欠落した瞳。それが、僅かに眇められて。
けれど、それもほんの一瞬のこと。
「さぁ〜ってと、何つくっちゃおっかな〜」
などと言いつつ足取りも軽くキッチンへと向かうチアフルは、常と変わらず底抜けに明るかった。(「極北の地にて 後日談・中編)
 
タイラントの苦悩に嘘はない。
それは確かなことだ。
彼は、決して努力が…思う気持ちが足りないからジョーを理解できないのではない。
理解できるということと、人を思うこととは違うようなのだった。
違うようだ…ということは感じ取れるが、やはりチアフルにそれはわからない。
 
タイラントの背中を無表情に見送るチアフル。
無表情なのだが、見送らずにはいられない。
くだらない、と思うのだが、無視できない。
そして、思考はそこで止まり、「ラテンの血」が現れる。
これ以上なすすべはない…のだ。
 
このままでは、二人は破滅する。
チアフルにはそうとしか見えないし、かといって、それを回避しようとする二人でもないらしい。
「相剋」本編と似た状況ではあるが、違うのは、ジョーの相手が「仲間」ではなくタイラントである、ということなのではないかと思う。
チアフルにとって、タイラントはどちらかというと自分に近い存在であり、少なくともジョーやサイボーグたちとは異質なモノであっただろう。それは彼のみならず、ウィッチやフランソワーズも認めていることだった。
 
「……ジョー……」
彼は理解しているのだろうか? タイラントの事を、と003は思う。
(……違うわよ、ジョー。タイラントは……貴方とは違うの。多分……)
確信は持てないが。
(でも、きっと……)
何故ならば。
(彼には、貴方にここまでのダメージを与えることが出来る。貴方には出来ないけれど、彼にはできる。だから……)(「極北の地にて 後日談・中編」)
 
だから、「希望」はないはずだった。
タイラントはジョーの意図を理解するよりほかはないし、それに従うよりほかどうしようもない。もし、彼とともにゆくのであれば。
 
ところが、事態は思いがけないやり方で収束してしまう。
まず、ウィッチがジョーに宣告する。
 
「……いい加減、判ったんでしょうね?」
ぞっとするほどに冷淡で、酷薄とも取れる口調。
きつく唇を噛み、009が微かに頷いて。
氷点下の静寂。
「結構」
短くそう言い、ウィッチは壁際に置いてある端末の方へと踵を返した。(「極北の地にて 後日談・後編」)
 
ここでジョーが「判った」のは、タイラントが自分のようにはならない…自分とは「違う」ということだったのだろう。
それは冷淡で、酷薄な現実だった。ウィッチはそれをごまかさない。ジョーもそれを受け止めた。
だから、こう結論するしかなかったのだ。
タイラントと共に歩くためには、彼の意に添わない行動を強要しなければならない…のだと。
 
「ところでさ、良いわけ? これで……?」
唐突な言葉だが、それがタイラントとの『合宿』の事をさしているのは明らかだったので、009は小さく頷いた。
「うん、いいんだ……これで」
「マジかよ……」
信じられない、というようにチアフルが009を見る。それへ、困ったような笑みを浮かべて009は言葉を続けた。
「まあ……僕の根負け、かな?」
「はぁっ?」
とても009のものとは思えない言葉に、チアフルは素っ頓狂な声を上げた。(極北の地にて 後日談・後編」)
 
これで良いわけはない、とチアフルは思う。
タイラントがジョーのようになれない、ということが明らかであるなら、ジョーはタイラントと共に戦えない。彼にそれを強要するなど、ジョーには到底できないことなのだから。
タイラントと別れることになるが、それでいいのか?とチアフルは問う。
 
それは、チアフルの知るジョーの姿ではない、ということだろう。
何にせよ、諦めるということのない彼なのだから。
しかし、たしかにどーにもならない。どーにもならないはずだが、ジョーなのだ。自分には及びも付かないやり方で、意志を通してしまうのではないか、とチアフルは漠然と考えていたのだと思う。
だから、「これで良い」というジョーのセリフを「信じられない」とチアフルは思う。
 
そして、更に「根負け」という言葉にも驚愕する。
これは、驚愕だろう。
タイラントは、チアフルからすれば予測可能な範疇にいる人間だ。
あのクワイトをもねじ伏せたジョーが、なぜタイラントごときに負けた、というのか。
ジョーは、人間を越えた神秘的な力を持つ者ではなかったのか。
驚くチアフルに、ジョーは淡々と言う。
 
「僕が彼にやろうとしてた事は……突き詰めれば、クワイトが僕にした事と同じだったんだ」
「………」
「彼の意思を無視して、僕は彼を僕の思い通りにしようとした」
タイラントのありようを無視し、もう一人の自分、『もうひとりの009』にしようとしていたのだ、と009は言う。
それに応えたのは、抑揚の無い、人らしい感情のまるで欠落した声だった。
「……その何処が悪い?」
疑問でもなく事実を述べているのでもない、ただ音の連なりでしかないような、その言葉。それを発したのは、勿論、目の前に居る明るい金髪に黄玉色の瞳をした男。どんな色も浮かべていない無機質な視線が、ただ009に向けられていて。(「極北の地にて」後日談 後編」)
 
チアフルがジョーを認めていたのは、ジョーがいわば「神」のような力を持つ者だったからだ、と言ってよい。
チアフルは希望を認めないが、奇跡ならあるかもしれない、と思う。
ジョーは奇跡だ。そう思えばどうにか納得できる。
 
ジョーは強い。
だから、クワイトをねじ伏せた。クワイトより強かったから、彼を倒すことができた。
クワイトの意思、ありようを無視して、彼を死においやった。
そうするだけの「資格」がジョーにはある。他のモノにはない。人間にはない。もちろん、チアフル自身にもない。
だから、ジョーはタイラントを思い通りにしようとしてもいいのだし、そうするべきなのだ。彼を…人間を正しくあるべき姿に導くために。
ところが、ジョーはそれを真っ向から否定する。自分も「人間」にすぎないと、チアフルに告げる。
 
それを見詰め返し、009は答えた。
「悪いよ。タイラントは僕じゃない。一番大切なその事実を、僕は踏み躙った」
だからタイラントは抵抗したのだ、と009は続ける。
「僕の腕を折って……足を折って……タイラントは泣いてた。自分が腕や足を折られてるみたいに辛そうだった……でも!」
ギリっと歯を食いしばり、チアフルを睨み据えるようにして009は言葉を続けた。
「でもタイラントは止めなかった、僕を倒すまで! それが……成すべき事だったから! だから……判ったんだ。僕がタイラントに怪我をさせずに彼を倒すことができたのは……それができていたのは、タイラントが僕に倒されてもいいと、そう思っていたからだって事がっ!」
ゆっくりと息を吸い、吐いて。
それから009は静かに付け加えた。
「甘かったのは、僕だ。賭けは……君の勝ちだよ」
けれど、チアフルの黄玉色の瞳には、やはり、何の感情も浮かばなかった。(「極北の地にて 後日談・後編」)
 
タイラントにも成すべきことがあった。
そして、彼のやり方があった。
どんなにつらくても、それをやり通す意思もあった。
それならば、タイラントとジョーの間に何ら違いはない。
 
タイラントは「馬鹿」ではなく、正しく「抵抗」していたのだ。
人間として、もうひとりの人間であるジョーに対して。
タイラントは、ジョーに勝つこともできたのだが、勝ちたいと思っていなかった。それが彼の意思であり、その意思を貫いたことによって、ジョーは勝ってきた。それだけのことだった。二人の人間の間に、そもそも、勝ち負けなどないのだ。
 
だから、ジョーはタイラントをタイラントのまま、しかし共に戦うモノとして認めた。
そんなことは不可能だと、チアフルは思う。
チアフルの目はジョーを見つめ、しかしそこに何を見出すこともできない。
 
そして、もしタイラントにそれが「できる」のなら。
チアフル自身にも「できる」し、しなければならないのかもしれないのだった。
それは、まさに人間の手に残された「希望」を掴み直すことになるのではないだろうか。
 
チアフルは、そう踏み切ることができていない。
彼の昏い瞳は、まだジョーをじっと見つめている。
自分は星ではない、君と同じ人間だ、と静かに語るジョーを。
 
一方で、ウィッチはジョーに対し、こう言っている。
 
「私は色々な選択を誤ったわ。けれど、そういった間違いを積み重ねた結果、今ここに居ることに意味を見出している。それに呆れてるだけ」(「極北の地にて 後日談・後編」)
 
ウィッチもまた自分がしていることは「間違い」としかいいようがないことだということを認めている。
が、彼女は、なぜかそこに居る羽目になった今の状態を意味あるモノとして受け入れているのだった。
その自覚が、チアフルと少しちがう。
 
とはいえ、彼女と…そして、ジョーやタイラントと関わり続けるのなら、チアフルもまた、受け入れるしかないのだ。
彼は昏い瞳を心に抱きつつも、「他に誰もいないよな」とつぶやき、彼らの壊した扉を直し、ウィッチに雑炊を作る。
その先に何があるのか、やはりチアフルにはわかっていないだろうし、それが正しいことである、とも思ってはいないだろう。
が、「他には誰もいない」から自分がやる。
チアフルはそのようにしてジョーたちを追い、歩いていくのかもしれない。
 
更新日時:
2009.10.25 Sun.
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Last updated: 2015/11/23