ひょんなことから(?)がんだむ・しーどとですてにー♪をちょびっと見たのだった。
面白いなーと思った…というより、主人公のすーぱーこーでぃねーたー様にやられたらしい…ということのようなのだった(涙)
それで、全部を見たわけではないのだけど、なんだか、妙にひっかかる言葉があるのに、この間気付いた。
思えばこの作品らしい、と言える言葉だ…と思うソレは、
終わらせる。
…なのだった。
がんだむなので(?)当然のように舞台は戦争。
戦争だから、誰がいい人で誰が悪い人、ということも特にない。
そして、主要人物のほとんどが、この言葉を口にするのだった。
終わらせる、というのは、もちろん戦争を終わらせる…ということ。
でもって、その手段は登場人物によって違っている。
何がしたいのか、一番よくわからない…というか、はっきりしていないのが、主人公のすーぱーこーでぃねーたー様なのだった。
が、それは彼の欠点というわけでもないように思う。
むしろ、「終わらせる」手段について、明確なビジョンを持っている他の登場人物の方がめちゃくちゃアブナイ感じで。
主人公の親友少年は、秩序とか正義とか…そういう何か「正しい」力が「終わらせる」力だと信じ、でもそれに裏切られてしまう。
大人たちは、要するに敵がいなくなれば「終わらせる」ことができる、と考える。
一作目で、大人達は文字通り、敵方の人間を根こそぎ全滅にする…という、めちゃくちゃわかりやすいヤケクソ手段をとる。
二作目では、戦いのモトとなる心そのものや、世界の不確定要素(?)をなくしてしまえばいいのだ、というような発想を展開していく(汗)
主人公は、それらを否定しつつ、なお「終わらせる」ことへ向かおうとする。
が、その実、否定しているだけで、彼自身のビジョンというものはあまりよく見えない。
…で。
フト気付くと、同じようなことを、平ゼロしまむらも言っているのだった(倒)
思い起こせば、彼は要所要所で、「こんな戦いは終わりにしなければ」「終わらせる」と言っていたような気がする(しみじみ)
そして、しまむらにも明確なビジョンはない。
すーぱーこーでぃねーたー様とかなり似ていると思う。
正解(?)を言うなら、彼らが終わらせようとしていることは、たぶん終わらせることができない。
そして、矛盾しているようだけど、彼らは、ソレを強引に終わらせようとする者たちと戦うのだった。
でも、同時に彼らは「終わらせる」ことを諦めない。
なかなかじれったい話なのだけど、このテーマそのものは、それほど新しいものではない…と思う。
人間が何かを手に入れようとする姿としては、むしろありふれているかも。
戦争は終わらせるべきものだ。
続けても何もいいことはない。
…が。
たとえば。
旧ゼロしまむらは、今自分のしているコトを終わらせたい…というような発想をあまり持っていないように思う。
モチーフが戦争なので、もちろん、こんなことは終わらせなければ!という一面は確実にあるのだけど…
彼が自分の使命としてめざしているのは、彼の戦いを終わらせることそのものではなく、もっと前向き(?)な「勝利!」だ。
これは、「戦い」が語られる多くのマンガ・アニメに共通している。
新ゼロしまむらだと、もう少し微妙になってくる。
彼は「誰がために戦う?」と思ってしまうわけで。
誰かのためになってることなら、終わらせる必要はない。しかし、新ゼロしまむらは、ソコにふと疑問を抱くのだ。
「この戦いは、本当に誰かのためになっているのか?」
問いに答える者は、新ゼロにはいなかった…と思う。
だから、この問いは問われっぱなしで終わる。
が、もし、本当は誰のためにもなっていない……のだとしたら。
たぶん、新ゼロしまむらもまた、ソレを「終わらせる」ことを考えるべきだろう。
そして、その先にいるのが、もちろん平ゼロしまむらだ。
戦争は終わらせなければならない。
その一方で、「終わらせる」ことを望む主人公たちは、どこか儚く、哀しい。
彼らは、自分が今命をかけてしていることを、他ならぬ自分自身で無価値なものと決定し、それを断ち切ろうとしている。
それは究極の(?)自己犠牲の姿と言えるかもしれない。
すーぱーこーでぃねーたー様は、その苦しみに耐えつつ、本当に終わらせてしまおうとする大人たちに向かって、最後に「それでも守りたいものがある!」と叫ぶ。
そして、数年を経て彼は、終わらないことに耐える決意をし、終わらせようとする者に対し、戦い続ける覚悟はできている、と宣言する。
何かを終わらせたいと願い、全力疾走するのは、つまり若者の姿なのかもしれない。子供の姿、と言ってもよい。
が、本当に終わらせることはできないし、してはいけない。
なぜなら、終わらせたいものの中にこそ、守りたいものがあるからだ。
平ゼロしまむらも、最終話でそれに気付く。
「絶対に信じられる何か」を見いだした彼は、親友とともに宇宙に放り出される。
すーぱーこーでぃねーたー様がそうであったように、しまむらも生還すれば、きっと新しい大人になる。
彼もまた、終わらないことに耐えつつ、戦い続けることを選び取るだろう。
それが原作後期のしまむらであり、おそらくは完結編のしまむらなのだった。
本当を言うと、私たちが終わらせなくても、すべてのものはいつか終わる。
だから、私たちにできることは、そこに向かって懸命に生きることだけなのだと思う。
もうそれでいいじゃないか…なんて、思ってしまうのは、大人のずるさかもしれない。
それを許せない子供の純粋さに私たちはふと憧れたりする。
でも、それは儚い憧れなのだった。
遠い夢のようなもので。
本気で現実にすることはできないし、してはならない。
終わらせたい!と願う少年達はどうしようもなく儚く、哀しく、愛おしい。彼らがそのままの少年で終わることを願う…のもアリかもしれない。
でも、私は、彼らが大人になることをつい願ってしまう…のだった。職業柄なのかもしれない(しみじみ)<?
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