「相剋」論3
〜もうひとつの「相剋」〜
序章 見えない物語
ライは、「相剋」という物語において、最も重要な意味を負う人物であるにも関わらず、最も無意味な人物にも見える。
重要な意味を負う…ということについて多くの説明はいらない。
彼は主要人物であるクワイトを生みだし、やがて消滅させようとする。その過程で009と関わり、その救済に、非常に重要な役割を果たしていく。
「相剋」はライの物語、と考えることもできる。
自らが生み出した過ち〜クワイト〜との戦いの物語である。
一方で、ライは、変な登場人物だ。
事件のほとんど中心に位置しながら、この人には、結局何も起きていない……ような印象がある。
これについては、監督の理恵さまがきわめて象徴的なコメントを残している。
物語の最後の最後まで、「自分が分かってないってことがついに分からなかった人」…という印象です。(「公開一周年記念特別企画[相剋]アンケート一次集計結果報告)
そうなのだった。
これだけ激しい物語の渦中にいて、ほぼすべての事件に濃密に関わっていて、それでいて物語のはじめから終わりまで、何も変わらなかった人物……ライは、そう見える。
これでは、なんというか、物語の中にいる意味がない。
が。
物語の中にいる意味がない人物が、物語の中にいる、なんてことが可能であるとも思えない。
「相剋」を読んで、ライが好きになった、共感した!という人はあまりいないような気がする。
嫌いだ!という人は結構いるかもしれない。が、彼は「悪役」というわけでもない。
なんだかわからないのに、物語の中にいる。
しかも、濃厚に存在する。
その収まりの悪さというか、違和感……みたいな感じが、ライからは拭えない。
私もライをとりたてて好きというわけではない。嫌い、というほどでもない。
なんだかわからない。
わからないことが、気持ち悪い気がするのだった。
しかし。
私がどう思おうと、ライは物語の進行上、重要な地位をしめているのだった。
辛抱強くそこにこだわってみることで、何かがわかるかもしれない……という予感もするのだった。
納得できるか否かは別として、「相剋」は事実、ライの物語でもあるのだ。
ならば、それはどんな物語なのか。
もしかしたら、それは物語ではない……のかもしれないのだけど。
第一章 「罪」とは?
「相剋」の特徴のひとつに、ギルモア博士の存在が希薄である……ということがあげられる。
むしろ、彼の位置に据えられているのがライなのだ。
ウラル研究所に舞台が移ってからは、事態を分析し、考えるのはライだった。普段ならコレはギルモアの仕事だ。
ギルモアとライが「交換可能」な位置づけにあるとしたら、まずはこの二人を比べてみることから始めることができる…と思う。
二人の共通点は、言うまでもないことなのだけど、かつてブラックゴーストに所属する科学者であったこと。そして、その中で自分の「過ち」に気付き、組織への反逆を志したこと。
ライは、自ら望んでネオ・ブラック・ゴーストに関わった。
それはそのきっかけになったという、ガモ博士のあり方に似ている。
「ギルモア博士のように、だまされていた訳ではない。それと知りながら、その創立に力を貸した。(Act.3 一週間 SIDE A 過ちの代償)
平ゼロでは、ギルモアが本当に「だまされていた」のか?という疑問が浮上し、実は「だまされていた」はそれほどの免罪符にならないのだ、ということに私たちは気付かされた。
平ゼロ第2話で敵はいみじくもギルモアに「だまされたふりをしていたのではないかね?」と問いかける。その問いかけに正しく答えることは、誰にもできないのかもしれない。
原作で、ギルモアは、サイボーグ手術が「人類の未来のため」になると思いこまされていた…ことに言及している。ところが、実際のソレは兵器開発だった。そこで「だまされた」ということになるのだろう。
とはいえ、これはもちろんマンガを読むときには反則になる発想かもしれないのだけど、サイボーグ手術の研究に成功してしまうほどの科学者が、その長き過程において、それが軍事利用されるという可能性に一度も気付かない、なんてことはありえないように思うのだった。
その辺りのもやもやが、ライにはない。
彼が、テレパスである、という設定が、そこを明確にしてくれるので、私たちはすんなり先に進むことができる。
「そいつは、口に出しては言わなかったが、世界を戦乱の渦に陥れる計画を持っていた。奴は、その為に俺を利用しようとしていたんだ。当然ながら、たくらみは、俺には筒抜けだった。だが、俺はだまされたフリをした。世界の行く末など俺の知ったことではなかった。非合法の研究を誰にはばかることなくすることができる、しかも、研究費をいくらでも使って……。その事の方が俺には重要だったんだ。……そして俺は、妹の恋人だった男を連れて行方をくらました」(Act.3 一週間 SIDE A 過ちの代償)
ライが言っているように、科学者がブラックゴーストに身を投じるひとつの大きな理由は、研究を「誰にはばかることなく」「研究費をいくらでも使って」することができる…そうしたい、という欲望である。それは否定できないと思う。
ともあれ、ライもギルモアも非道な人体実験をしてしまったわけで。
そして。
そして…ほんの数ヶ月で、Neo Black Ghost は、自分達よりも大きな力を持つ筈の組織に対して、影響力を持つようになった。それで……奴を処分する話はなくなった。それどころか、奴は、それまで実験体としての扱いから、組織の構成員としての待遇を受けるようになった」
ライが大きく息をつく。
「……ことここに至って、やっと俺は自らの犯した罪の大きさに気付いた。だが、もう手遅れだった。奴の方が、俺よりも数段悪賢く、抜目がなかった。奴を利用していたつもりの初代総裁は、結局、奴に殺された。奴は別の人間を総裁に据え、影で Neo Black Ghost を支配した」(Act.3 一週間 SIDE A 過ちの代償)
ライが「自らの犯した罪の大きさに気付いた」のがこの時点だとすると。
その「罪」とは何だったのか。
「手術は…ある意味では、成功だった。確かに、奴の知能は常人を遥かに越えるレベルに達した。他人の思考を読むことはできないが、感情の波を感じることはできるようになった。共感能力。いわゆる、『エンパシー』と言われる能力だ。しかし……。奴はそれまでの記憶を総て失った。俺の事も妹の事も忘れ、自分が誰かも判らなくなっていた。そして、性格が恐ろしく残忍なものになっていた」(Act.3 一週間 SIDE A 過ちの代償)
「俺達は奴を閉じ込めて、対応策を協議した。知能の向上は良い。奴の造った兵器類も、かなり使える。だが、あの性癖はちょっと困る。別に博愛精神に溢れてなくても良いが、もう少し、見境があるようにならないのか、と。(Act.3 一週間 SIDE A 過ちの代償)
少なくとも、クワイトが記憶を失い、残忍な性格になった……時点で「罪」の意識はない。ライは「対応策を協議」しているのみだった。
「対応策」が見つからないまま、クワイトの残忍さがさらに突出していき、誰にも止められなくなったとき、ライは「罪」と言う。
罪とはなんだろうか…?と思うのだった。
「過ち」は罪ではない。たぶん。
「対応策を協議」できることは、罪ではない…という気がする。
過ちが罪になるのは、それが「取り返しのつかないこと」となってしまった時…ではないだろうか?
クワイトが凶悪化し、コントロールができなくなったとき、ライは「罪」を犯した!と気付く。
「世界の行く末など俺の知ったことではなかった。」と嘯いたライは、強大な力を手にしたクワイトを目の前にし、恐怖を実感する。が、コレは「だから私の責任において、世界を守らなくては!」という発想とはちょっとずれている。
ライにとって、やはり世界の行く末などどうでもいいのではないか、彼は、つまりクワイトを自らの統制下に置き直したい…それが「過ち」の修正である、と考えているだけなのではないか、と思うのだった。
とにかく、奴を始末せずに死ぬ訳にはいかない。死ぬなら、奴を道連れにしなければ……。(Act.3 一週間 SIDE A 過ちの代償)
ライが考えるのは、クワイトの「始末」…自分の手による「始末」なのだった。
それは困難な、命がけで臨まねばならぬ恐ろしい仕事だ。
ライは、そうして罪を償おう、と思う。
なんとしても、自らが作り出した「過ち」を修正する。結果として、それはクワイトと自分の死になるのかもしれない。
人が何かを命がけでやろうとする姿は、文句なしに崇高だと思う。だから、なんだかわかりにくくなってしまうのだけど、ライは結構むちゃくちゃを言っているのだった。
一方、ギルモアはサイボーグたちを「始末」しようとはしなかった。
ここは、物語上やむを得ない部分でもあるのだけど……。
ギルモアにとっての「過ち」は、手術そのものではない。それは「成功」している。
「過ち」とは、悪しき組織に自分の力を預けたこと…だろう。
だから、彼はそれを償うため、組織を倒そうとする。そのために、自ら改造したサイボーグたちの力を借りようとするのだった。これが、原作ギルモアの立場だと思う。
平ゼロだと、話はもっとややこしくなる。
「過ち」はそもそも8人をサイボーグにした、ということそのものにある……というのが平ゼロの立場だと思う。
これは、「過ち」ではない。「罪」だ。
絶対に取り返しがつかない。
ライの…あるいは原作ギルモアの「罪」と比較したとき、こちらの方が格段に重いのは、言うまでもない。
ライや原作ギルモアは、僅かな可能性しかない…にせよ、自分のしたことを修正する手段を持っているのだった。ということは、「罪」と感じているのは彼ら自身のみであって、それは単なる「過ち」…ただし修正困難な…にすぎないかもしれない。
これに対して平ゼロギルモアの「罪」には、修正の手段がない。絶望的にない。
しかし。
結果として三者はみな同じことをしているのだから、ライにも、原作ギルモアにも、平ゼロと同じ「罪」はもちろんあるのだ。
地下室で、ウィッチはライを嗤う。
「もう二度と、あなたに彼を殺させはしない。あなたは一度、彼を殺した。天使のようだった彼を殺して、悪魔にした。そして、今、もう一度彼を殺すと言うの?」
「それ以外に方法があるのか? 奴を放っておけば、どうなると思う。また組織を再建し、再び人々を苦しめ、殺し、世界を混乱の渦に叩き込むだろう。そんな事が許されると思うのか? そんな悪魔を放っておけるか! 確かに…確かに奴がこんな風になったのは、俺のせいだ。俺の過ちだ。俺の…俺の浅はかさと愚かさの結果だ。だから……だからこそ、俺が、この手で決着を付ける! 退くんだ、エカテリーナ」
「嫌よ」
ウィッチの答えはにべもない。
「彼を殺したいのなら、まず、私を殺すがいいわ」
「な…に……?」
ライは我が耳を疑った。目を見開き、呆然と問い返す。
「………正気か?」
「あなたよりもよっぽど正気よ、兄さん。この世の悪魔を殺す? 決着を付ける?」
ふん、と嗤う。
「だったら、妹を殺すくらい簡単でしょう?」(Act.9 決着)
ウィッチもかなりめちゃくちゃを言っているのだけど、これは強烈だと思う。
ライにとってのかけがえのないものは、たぶん「妹」なのだ。
その命と、自分のなそうとしていることをいきなり天秤にかけられ、ライは混乱する。
なぜ妹を殺すことは簡単でなく、クワイトを殺すことは簡単なのか。
その意味がじわじわとライに押し寄せる。
そして。
全てを009に預けるしか術のなかったライは、陽光のもとで絶叫する。
「…あ……あああぁぁ…!」
ライが頭を抱え、絶叫する。苦悩の叫び。
「…ラ…ライ様……」
アイラニがうろたえるが、しかし、彼にもどうしていいか判らなかった。(Act.9 決着)
これを最後に、ライは動く登場人物ではなくなってしまう。物語から姿を消す、と言ってもいい。代わって登場するのはもちろんウィッチである。
全てが終わり、妹に「許すわ」と言われても、彼の表情に喜びはない。
「……兄さん。私は…あなたを、一生、許さない……」
向けられた視線を受け止める事ができず、ライが俯く。
「…そう、想っていたわ」
「…エカテ…リーナ……?」
つと、ライが視線を上げる。その視界の中で、ウィッチはゆっくりと首を振った。
「けど……許すわ」
その言葉に、ライが呆然とする。
「それで、あなたの犯した罪が消える訳じゃない。でも……」
嘆息。
「でもね、兄さん。私には……もう、あなたに対して憎しみを掻き立てる事が…できないのよ」
「…エカテリーナ……」
「ジョーが……ジョーが、あなたに代わって償いをしてくれた。私の憎しみを…消し去ってくれた。だから……」
もう、憎しみを持ち続けられなくなってしまった。そう言って、ウィッチは苦笑した。
「まったく…たいした坊やだわよ、ジョーは……」
そう思わない? と尋ねられ、ライは頷いた。
「ああ……そう…だな」(Act.10 夜明け)
罪は消えない。
取り返しがつかないから、償うこともできない。
時がたつにつれ、原作ギルモアにも、その影がひたひたと押し寄せる。
改造した若者達と共に生き、彼らを慈しむほどに、ギルモアは自らの取り返しのつかない罪を知ることになる。
が、ギルモアも結局は許される。平ゼロでさえそうなのだ。
再改造された008は彼に「ありがとうございます」と言い、003は「私たち、わかっていますから」と言う。
ライが本当に自分の「罪」を自覚したのは、あの絶叫のシーンだった、と私は思う。
そう考えると、「過ち」を修正しようとするライの物語としての「相剋」はひどく残酷な結末を彼につきつけたことになる。
ライの物語はここで終わった。
終わったから、ライはその後、物語から姿を消す。
一応、そういう風に解釈することができる。
…が。
それなら、彼に与えられた「許し」とは何なのか。
その問題が残ると思う。
第二章 信用と信頼
戦いの中で、ライは科学者たちのリーダーだった。
どういうリーダーであったのか、については、物語の始めの方でカティサックが明快に説明してくれている。
「…私達は、皆、自分自身の判断で、貴方の決定に従う事にしたのです。つまり、私達は、貴方の決定が正しいと判断して、貴方に従っているのです」
「………」
「私達は全員、自分で言うのも変な話ですが、優秀な学者です。少なくとも、Neo Black Ghost が研究員として欲する程度には。論理的思考や判断力には、それなりの自信があります。その私達が、貴方の判断を是としているんです。貴方が間違っているのであれば、私達全員が間違っている訳です。……私達の判断力は、そんなに信頼性が低いですか?」(Act.2 陰謀渦巻く中で SIDE A 一片の希望)
ライは、「優秀な学者」に支えられている。
だから、彼らの支持が彼の正当性を保証する。
そして。
だが、一人では、もう、どうしようも無かった。そこで俺は、Neo Black Ghost に無理やり連れて来られた者達を、少しづつ自分の配下に集め始めた。一応は上級幹部だった俺には、それなりの特権があったから、その特権と、テレパスとしての能力とを最大限に利用して。そうやって集めたのが、今この研究所に居る、アイラニやカティサック達だ。俺は彼等と協力し、奴を殺し Neo Black Ghost を滅ぼす方策を練った。(Act.3 一週間 SIDE A 過ちの代償)
ライは強い目的意識をもって、その目的達成のために、協力者を集めた。
そして、「上級幹部」であり「テレパス」である、という力をもって、彼らのリーダーの責を果たし、支持を得た…ということだろう。
だから……?と言われてしまうかもしれない。
これは、当たり前すぎるほど当たり前なリーダーの姿である。取り立てて言うほどのことではない。
もちろん、私たちが009というリーダーを知らなければ、だ。
009が変なリーダーである、ということについては、以前「相剋論2」でふれたことがある。
彼はごく自然にリーダーであった…のだ。
いつの頃からなのかは解らない。だが、いつの間にか、009は全員の命を背負っていたのだ。無論、総てではない。総て背負えるほど、他人の命は軽くない。けれど。ほんの少し、まるで薄いベールで包むように、009は自分達を包み込み、守っていたのだ。敵意に満ちた外界から、敵から、そして、それぞれ自身の心から。
009が悩み、惑い、決断する事で、他のメンバーは自らの内なる迷いから、ほんの少しだけ、開放されていたのだ。誰一人として、この自分さえも、今の今迄その事に気付いてすらいなかったが。
だが。009がいなくなり、その不可視のベールが取り払われた今、004はその事を痛感していた。
自分がいかに甘かったのか、を。(Act.5 交錯する想い SIDE B 真実はどこに?)
面白いなーと思うのは、カティサックたちと004たちの違いである。
ライの力を認め、支持し、彼の正しさを自らの力で証明するカティサックたちと比べると、004たちは本当にただ009を信じているだけだったりするのだ。しかも、そのことに気付いてすらいなかったりするわけで。
気付いてすらいない、というのは、身も蓋もないことを言ってしまえば、気付くような要因がなかった…ということなのだろう。
009がなぜリーダーでいられるのか、誰も説明できない。できないけど、彼しかリーダーはいないのだった。009は「能力」を「信用」されているのではなく、「009」だから…というただそれだけのことで「信頼」されているのだ。
もちろん、そんな変なリーダーは他と交換不能である。
ここで、考えたいのはもちろんライについてである。
009について考えても仕方がない。感心するよりほか、どうしようもないのだった。
で、ライ……なのだけど。
009と比べるとはっきりわかるのだった。
ライはテレパスであり、天才でもあるのだけど…その能力は絶大なものなのだけど…
でも、「能力」を「信用」されてのリーダーにすぎないのだった。
にすぎない、という言い方にはちょっと問題があるかもしれない。
009のように変なリーダーはまずいないのだから。
ライは、ごく当たり前の、人間としてのリーダーである、と言える。
おそらく、009がいなかったら、ギルモアがサイボーグ達のリーダーだったにちがいない。
そして、そうであったら、彼らはひとつの目的で結ばれた戦う集団…にすぎなかったのだと思う。ごく初期の原作ではそうだった。
また、これは、長年原作に馴染んだファンが平ゼロに感じた違和感にもつながるかもしれない。
サイボーグたちは、009をよくわからないままに、なんだかリーダーなんだよな、と「信頼」することで、はじめて奇妙な一体感を得るのだ。
その結びつきは、何の根拠も保証もないままただ信頼で結ばれている家族のあり方に似ているし、その妙な結びつきこそが彼ららしさでもあるのだった。
ライに寄せる科学者たちの思いは「信頼」というより「信用」だと言える。
彼らにはライを信じる根拠がある。そして、その正しさを自らの力で証明しようとする。
そのようにして、彼らは「Neo Black Ghostと戦う者たち」の集団…ごく当たり前の人間としての集団…となるのだった。
科学者達が視線を交わしあう。やがて視線は一人の人間に集まった。黒髪に黒い瞳の東洋人に。
一同の視線を見返し、小さく頷くと、カティサックは004に問うた。
「004、ライは…どうする、と?」
「俺達にはライの協力が必要だ。従って、ライは俺達と行動を共にする」
004が無表情に答え、002がそれを補足する。
「ライは、自分の意志で、俺達に協力してくれるんだ。俺達が強制した訳じゃない。で。そのライが、あんた等を望む場所に送り届けてくれと……」
再び、視線が交わされる。ひとりひとりの目を、カティサックが見つめる。全員がカティサックに頷き返した。
最後に今一度、全員を見回し、そして、カティサックは004を見返した。
「では、我々もここに残ります」
「…な……?」
002が息を飲む。
「我々が、これまでライに従ってきたのは、己の身の安全の為ではありません。いつの日にか、Neo Black Ghost を倒すためです。戦うためです。。……確かに我々は非力です。銃を取って、あなた方と共に戦う事はできません。しかし……我々の中には兵器の専門家もいます。例えば、この研究所の防護システムを強化するくらいならば、できます。医療スタッフも居ますから、あなたがたをサポートする事は、十分に可能だと思います。それに……」
軽く首を傾け、カティサックは言葉を続けた。
「状況次第では放棄するとしても、当面の拠点とするのであれば、サポートスタッフがいた方が何かと便利ではありませんか? 無論、守ってくれとは言いません。必要ならば、我々を置いて出撃して下さって構いません。ここは我々の研究所です。敵からの襲撃には、自分達で対処します」
(Act.5 交錯する想い SIDE B 真実はどこに?)
決戦が迫ったとき、ライは科学者たちを逃がそうとする。彼には、009のように彼らを死地に向かわせる決断ができない。できなくて当たり前なのかもしれない。009が変なのだ。
そして、科学者たちはそれを拒否する。ライが残るなら我々も、と言うのだった。
…しかし。
「009」を読み慣れている私たちは、続くカティサックの言葉に「あれ?」とちょっと違和感を覚えると思う。
「ライが残るなら私たちも!」という言葉の後ろに、彼へ寄せる信頼…というようなことが全然語られていないのだった。カティサックは、自分たちの能力について熱心に説明する。
当然だ。
彼らは「能力」によって「信用」を築き上げてきた仲間達なのだから。
その中で、ちょーっと変かも?と思うのが、ライの副官、アイラニである。
彼はもぉ、ライからぜーったいに離れようとしないし、無条件に従おうとしているように見える。
とはいえ、これもまた009に対する仲間達の思いとは違う。
ふっと001の泣き声が途切れた。ライが床に倒れ伏す。
「ライ様!」
アイラニが悲鳴を上げる。カティサックが素早く振り返り、部下に命じた。
「担架を」
「はいっ!」
居合わせたスタッフが部屋を飛び出して、医療センターへと走る。
「…ライ様! …ライ様っ!」
アイラニがライを抱え起こし、必死に呼びかける。(Act.5 交錯する想い SIDE B 真実はどこに?)
「…出撃は、明日の早朝。俺達は全員で出る。留守は…カティサックに一任する。ライは、俺達と来て貰おう」
「私も行きます!」
アイラニが叫ぶ。それを、004がじろりと見る。しかしアイラニはひるまない。
「私は、ライ様の副官であり、護衛です!」(Act.5 交錯する想い SIDE B 真実はどこに?)
ライに日常的に「様」をつけるのはアイラニだけだと思う。
で、少なくとも、009に「様」をつけて呼ぶ仲間はいない。
アイラニはライの直属の「部下」であるから、ライに従う……のだとしたら、やはり「無条件」に従っているのではない。
とはいえ、それでもアイラニはちょっと変なのかもしれない。
副官のあり方…として、クワイト&ジョーを持ち出すのはもちろん反則だが、ザイラス&クライムのような姿がごくフツウなのではないかと思うのだった。
アイラニの存在は、物語の中であまりはっきり見えてこないライの「魅力」のようなものを示唆してくれる。たしかに、「魅力」がなければリーダーたる人物にはなれない。
…が、それもまたごく当たり前の人間がごく当たり前のリーダーであるための、ひとつの「条件」にすぎないのだった。
ごく当たり前の人間として、ライは奮闘する。
奮闘することで、自分の能力と実績を示し、信用を重ねていく。
そのようにして科学者たちは結ばれ、ひとつの目的に向かって進んでいく。
「……ライ? おはよ。朝食の時間だぜ。……あん?」
電話の向こうの声に耳を傾け、チアフルは舌打ちした。
「だぁめ! 食えってぇの。え? だめだめだめ! いーかぁ〜、とにかく、ちゃんと食べなかったら、怒っちゃうよ〜。わぁった? ……そーそー。じゃね!」
受話器を置いて、溜め息を吐く。
「ったくも〜」
「どーしたアル?」
尋ねる006にチアフルが口をヘの字にして、訴える。
「……『食いたくない』ってさ。食わなきゃ死ぬってコト、まさか、知らないんじゃねーだろなぁ?」
ホント、世話が焼ける上司だぜ、とチアフルは肩をすくめた。(Act.8 明かりを灯すもの)
このチアフルの姿は、009たちの姿に似ていなくもない。
おそらく本質的には違うのだと思うけれど、少なくとも形はよく似ている。
彼らが辛抱強く積み上げたものは、ごく当たり前の人間として精一杯できる限りの信用…なのかもしれない。
そして、それが009を失い、当たり前の人間となったサイボーグたちを救う。
「あのさぁ、張大人。今まで黙ってたけどさ。…ってのは、ライから不用意な事を言わないようにって念押しされてたからなんだけど、ジョーが裏切らないって思ってたの、あんたらだけなんだぜ? こっちの、ライ配下のメンバーは、全員、こうなるのを予想してたよ」
だから、誰も驚いちゃないだろ? とチアフルは006を見た。
「俺はさ、というか俺等はさ、見た事ある訳。バイスの拷問ってのを」
驚いたような目をする006に苦笑し、チアフルは言葉を続けた。
「見せられるんだよ。記録映像をさ。オドシの為、だろうね。組織を裏切ったら、こうなるぞ…って」
チアフルが目を閉じて唇を噛む。
そして。ゆっくりと目を開き、006を見、チアフルは言った。恐ろしく静かな声で。
「ハッキリ言って、滅茶苦茶だぜ。アレやられたら、俺だったら5分で裏切るね。一発で殺してくれるんだったら、もう、何でも喋るよ、絶対に」
苦しげに息をつく。目を伏せて頭を振り、チアフルはシチュー鍋に視線を戻した。
「だから、裏切られても文句無い……ていうか、裏切って欲しいよ。あんなのに耐えてくれなくって、いい」
火を止めて蓋を閉め、隣の鍋の様子を見る。
「死ねって事でも無いんだろ? 死ぬな裏切るなって……すんげー残酷な事言ってるんだって、判ってんの? それってさ……苦しみつづけろって、そういう意味なんだぜ?」
006は言葉も無かった。
「そこまで要求すんだったらさ、殺してやれよ。今すぐ、裏切者として」(Act.7 闇を歩く)
そうだ、と006は内心で頷く。自分の事ばかり考えている場合では無い。
(……ワテ…ちょっとジョーに頼り過ぎアルね……)
死なないで欲しい。裏切らないで欲しい。戻って来て自分達の先頭に立って欲しい。考えてみれば、ものすごく過剰な要求だ。
(それに……002や004にも……ちょっと、ワテ、頼り過ぎ或アルよね。そうアルよ。『これからどうなるのか』じゃ無いアルね。ワテが『どうするか』考えなきゃ駄目アルよ)
ほんの少し、明かりが見えたような気がする。006はそう思った。(Act.7 闇を歩く)
「……ジョーはもう、誰にも助けを求めてなんかいないんだ。あんた達にも……。自分は『仲間』からも見捨てられた…って…そう思ってるんだよ。見捨てられている筈だって、そう思い込んでいるんだ」
沈黙。
そして、チアフルは尋ねた。
「……そうなのか?」
009は、もう、お前達に見捨てられたのか?
答えを待たず、チアフルは部屋を出て行った。(Act.8 明かりを灯すもの)
結局、自分は何がショックだったのだろう。と002は思う。
(ジョーの奴が…裏切った事……か?)
けれど、それを責めてどうする? 責められないだろう。それを言うのなら、自分達も責められるべきだ。『何故、助けに来てくれなかったのか』と。
(そう…だよ……)
不意に002はハッとした。
『何故、自分を置いて逃げたのか?』あるいは『何故、もっと早く助けに来てくれなかったのか?』と、そうなじられても、文句は言えない立場なのだ。自分達は。(Act.8 明かりを灯すもの)
こうしてたどっていくと、サイボーグたちの間を縫って歩くのはチアフルなのだった。
ちょっと面白い。
そして、彼が失意の003にかける言葉はまた少し異質で、それも面白いのだけど……ここでは擱いておく。
ともあれ、チアフルから、ごく当たり前の人間と人間の結びつき……信用を間においた結びつきを諭され、彼らは救われる。
009が「信頼」できる変な人(汗)でなくなったとしても、人間として「信用」するという道が残されていると、ごく当たり前の人間である彼らは悟る。
そのために必要なのは…009を支えるのは…自分たちの「力」だ。
チアフルたちが、ライに対してそうしているように。
リーダーとしてのライは、009に遠く及ばない…のだと思う。
が、彼は一人ではない。
009ももちろん一人ではないのだけど、変な人なので、普段はわかりにくい。
一方、ライの場合は一人ではリーダーたりえないことがあまりにも明確であるゆえに、誰も、彼を一人にしようとはしない。
結果として、そのあり方が、崩れそうになった009たちの絆をつなぎなおしていくのだった。
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