1
珍しく003の機嫌が悪いと思ったら、昨日、007にかなり悪質な嘘をつかれたらしい。
どんな嘘だったのか、については、彼女も007も、おそらく事情を知っているはずの博士や006までもが僕に教えようとしない。たぶん、僕がそれを聞いたら怒ると思っているんだろう。
どういうことなのか気になるのだが、どのみち、もう過ぎてしまった4月馬鹿の話なのだ。聞いて不愉快になることがわかっているのなら、聞く必要もない。
…という具合に、僕だってそれなりに気持ちを整理しているのだから、彼女の態度はやはりいただけないと思うのだ。
「おい、003。いいかげんにしろよ。いつまでそんなふてくされた態度でいるつもりなんだ?」
「……」
「007のことは、カンベンしてやったんじゃないのか?」
「……」
「それとも、実は、他に何か気にくわないことがあるのか?もしかして、僕に何か言いたいのか?…だったら、はっきり言いたまえ。その方がずっとスッキリする」
「……」
ダメだ。とりつく島もない。
それでいて、彼女は僕のカップがあくと、いつもの優しい手つきでお茶をつぎ足してくれる。
テーブルに出された菓子も、僕の好物で……たぶん彼女の手作りなのだ。
むしろ、普段よりもずっと心のこもった、というか、丁寧で行き届いた「おもてなし」ってやつをしてくれている。僕でも気づくぐらいに。
だが、それは見当違いというものだろう、フランソワーズ。
君は気の遣い方を完全に間違っているぜ。
007も困ったヤツだ。いったい、何をやらかしたんだろう。
今日は、こんなはずではなかったんだが。
研究所を訪れるのは久しぶりだった。
それほど忙しかったというわけではなかったけれど、なんとなく……機会をつかみそこねていたというか。
「とにかく、出かけよう。こんなにいい天気だし、それに、明日からは雨が降るらしいよ。今日が一番の見頃だと思うんだ」
「……でも、お弁当が」
お。やっと口を利いた。
「いつものようにできていなくてもさ、オニギリがちょっとあればいいよ……僕も手伝うから」
「……」
003が迷うように僕を見る。
うん、成功したな。
弁当なんかいらない、どうでもいい、と言いそうになったのを危ういトコロで呑み込んだのだ。
いつも彼女が丁寧に作ってくれるソレを、徒に軽んじるような発言をしてはいけない。
僕にしてはよくできた方だと思う。
ともあれ、003は急にそわそわした様子になって、忙しそうにキッチンへ向かったのだ。
もちろん、その後を追いかけた。
手伝うといっても、僕じゃ足手まといにしかならない。
でも、こういうとき、問題なのは気持ちだからね。
2
人出もスゴかったが、それだけのことはあった。
見事な満開の桜に、003はただただ目を見開いているようだった。
初めてみるわけじゃないだろうけれど。
「スゴイだろう?」
「…ええ!」
それから、彼女はふっと笑った。
僕が威張っている様子なのがおかしいという。
「あなたが咲かせたわけじゃないのに……」
それはそうだ。
でも、これは日本人の誇りってヤツさ。
「明日から雨…って言っていたわね。ずいぶん散ってしまうのかしら」
「うん…そうだろうね」
「もったいないわ……」
「全部散るわけじゃないさ。それに、来年もまた咲くんだし」
「……」
あれ?と思った。
今日はそもそも口数の少ない彼女だったが、この沈黙は何だかおかしい、ような気がする。
僕は注意深く彼女をのぞきこみ……ぎょっとした。
「……」
「お、おい、……003?」
「……」
「どうしたんだ?」
目にゴミが入ったとか、そういうことではないとハッキリわかる。
それぐらい、ハッキリと彼女は泣いていた。
「ごめ、ん……なさ……」
「……ホントに、007は何をやらかしたんだよ?」
「……」
どうにもならない。
僕は、泣きじゃくる003をそうっと抱き寄せ、物陰に隠れるようにした。
別にそんなことをしなくとも、みんな桜に夢中で、こんな僕たちに気づきはしないだろうけれど。
「来年、まで……長い、わ……」
「…うん…?」
「待たなくちゃ、いけないのよ……」
「それは…そうだね」
だから、どうしたんだ?
それで、泣いているのか?
「どうした?……次の休みに北の方に行ってみるかい?日本は南北に細長い国だから、探して歩けば、結構長いこと花見ができるんだぜ」
「……」
003が不意に大きな目で僕を見あげた…ので、思わずどぎまぎしてしまった。
……なんだ?
が、ほどなく彼女はほうっと溜息をつき、小さく首を振り、言うのだった。
いいの、来年まで待つわ……と。
3
研究所に戻るとすぐ、僕は007をシメ上げて、結局4月馬鹿に何をしたのか、白状させようとした。
003をあんなに悲しませたんだ。
そんな嘘を、一年に一度だろうとなんであろうと、許すわけにはいかないと思った。
……が。
「オイラだって、わけわからないよ!」
「だから、どんな嘘をついたんだと聞いているんだ!その後はオマエにわからなくたって、僕が考える!」
「フーン?……やっぱり、そういうこと?」
「……やっぱり?」
007は急にふてぶてしい様子になり、僕をにらみつけた。
「オカシイと思ったんだ。ぜーったい、兄貴が絡んでいるんだってね!そうでなけりゃ、003があんなになるもんか!」
「話をごまかすな!僕の質問に答えろ!」
「答えちゃっていいの?聞かない方がいいじゃないのかい?」
「…なん、だと?」
思わずカッとなりかけたとき。
鋭い声が僕たちを引き離した。
「007、009!…少し静かにしていてちょうだい。001を寝かせたいの」
「…うわ」
聞かれてた…!と慌てふためく007に、僕は思わず息をついた。
聞かれてないはずないだろう。彼女は003なんだぜ?
とはいえ、ただ聞かれているだけではなくて、このことで彼女がまた不機嫌になりかけているのだったら、これ以上007を追及するわけにはいかない。諦めるしかなかった。
007が恨みがましい目で僕をちらっと見て、つぶやくように言う。
「別にいいじゃないか、もう。来年まで待つって言ったんだろ、003?」
「…何の話だ?」
「桜だよ」
「それとこれとどういう関係が……」
「あーあ、馬鹿馬鹿しいや!オイラ、今日はもう帰る!どうぞ、あとはごゆっくりー、だ!」
「おい、007!」
007は振り返りざま、思い切りアカンベをすると出て行った。
4
わけはわからないままだったが、たしかに、どうでもいいのかもしれない。
夜更けになって、やっぱり雨が降り始めた。だから。
……だから、なのだと思う。
僕は、研究所の玄関でコートを着せかけてくれる彼女の手首を掴むと、有無を言わさず引き寄せ、そのまま抱き上げ、走り出した。
僕も、花を散らしたかったのかもしれない。
僕だけの、花を。
「…北の、方に……行くの?」
ようやく息を整えた彼女が囁くように言う。
しばらく考えて、桜の話をしているんだ、と思い当たった。
口を開こうとしたとき、僕も息を整えなければならない状態になっていると気づいた。
「…君が、そうしたいなら。……でも、僕は研究所がいいな」
「でも、桜は……」
「花は桜だけじゃないだろう?…君の庭はいつもキレイじゃないか」
「……」
彼女はそれきり口を開くことなく、僕の胸にもたれて眠ってしまった。
その細い肩を抱きながら、明日の朝、彼女を送り届けるとして…博士に何て言えばいいだろう…と、僕はふと我に返った。
雨はまだ降り続いている。
明日のことは明日考えればいいのかもしれない。
それにどう言い訳しようと、散らした花は戻らない。
言い訳する必要もない。
だって、これは僕だけの……ただひとつの花なのだから。
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