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日常的009

 
昼寝から覚めたら、フランソワーズがいなかった。
 
もっとも、すぐいないと気付いたわけではない。
ぼーっと居間に降りていって、ぼーっとインスタントコーヒーを入れて、テレビでも見ようかな……と思ったところで、なんだか家の中が静かだと気付いたのだ。
 
買い物かな?と首をかしげた瞬間、偶然、彼女がいつも使う買い物バッグが目に入った。
ゆりかごの中ではイワンが眠っているし、洗濯物も取り込んでいない。
でも、家の中に彼女の気配はなかった。
と、いうことは。
 
――散歩だ。
 
玄関に行ってみると、小さい革靴とスニーカーがきれいに揃えられていて、サンダルはなかった。
だから、僕は迷わず海岸へ向かった。
 
 
 
砂浜に降りたところで、ぎょっとした……というか、大げさかもしれないけれど、実際、僕は卒倒しかけていたと思う。
 
「フランソワーズ!」
 
絶叫したつもりだったけれど、たぶん声は出ていなかった。
疾走したつもりだったけれど、足がもつれてなかなか前に出なかった。
 
それでもとにかく僕は、砂浜に仰向けに横たわり、目を閉じたまま動かないフランソワーズに駆け寄ったのだ。
 
駆け寄ったものの、すぐ彼女に声をかけることはできなかった。彼女は僕の気配にも瞼を動かすことすらせず、身じろぎもしなかったのだ。
が、白いブラウスの胸が静かに規則正しく上下しているのを確かめ……僕は、思わずすとん、と腰を下ろした。
それと同時に、青い目がいきなりぱっちり開いた。
 
「あら、ジョー?」
「……あら、じゃないよ……」
 
かんべんしてくれ、と言いたかったが、言わなかった。
フランソワーズは僅かに首を曲げて僕を眺め、にっこりした……けれど、それ以上動こうとしない。
やっぱり、何かおかしい。
 
「どうした?動けないのか?……まさか、ケガ!」
「ちがうわ。ふふ、もしそんなことになっていたら、ちゃんとあなたを呼ぶから大丈夫よ」
「……じゃ、いったい」
 
昼寝にしてはおかしい。
草原ならいざしらず、敷物も敷かないで砂浜に仰向けで寝てるなんて。
いや、彼女は草原でだって、めったにそんなことはしないのだ。
 
「転んじゃったの」
「え?」
「いいお天気だなーと思って、のんびり歩いていただけなのに。あらっと思ったときは遅かったわ」
「……珍しいな」
「ホント。この体になってから初めてかもしれないわ」
「あ……!もしかして、君、何か」
「もしかしたら、そう、かしら。……でも、調子がわるいところなんかないと思うのだけど」
「自覚できるようになったら手遅れかもしれない。すぐ博士に診てもらって……」
「……そう言われると思った。だからしばらくこのままでいようかな……って」
「フランソワーズ」
 
青い目が楽しそうに瞬いているのに気付き、僕はようやく烈しい言葉をのみこんだ。
たしかに、緊急にどうこう、ってことではないのだろう。
彼女が言った通り、もしそうならきっと彼女は僕を呼ぶはずだから。
 
「ごめんなさい。……ホントはね、起きるのがイヤになっただけよ。砂だらけになっちゃったんですもの」
「あ……」
 
そういう、ことか。
ぽかんとした僕の表情がおかしかったのか、フランソワーズはくすくす笑った。
 
 
 
いいのよ大丈夫よ……と繰り返し、笑うフランソワーズを立たせて、ばたばた砂をはらってやった。
それでも、細い亜麻色の髪にしがみつくように入り込んだ砂粒を全部落とすのは無理だ。
思い切り首をふってみようかしらと言われ、犬みたいだからやめろよと答えると、また楽しそうに笑った。
 
「それにしても、呑気だなあ……どれくらい寝ていたんだ?」
「そうねえ……砂が温かくて気持ちよかったのよ」
「もう寒くなってきたよ」
 
僕はかがんで、地面に手を押しつけるようにしてみた。
まだほんのり温かい……けれど、もうすぐ日が落ちる。
そうしたら、あっという間に冷えるだろう。
 
「うとうとしながら、目が覚めたら星空かしら……って思ったわ。そうだったら素敵だなあって」
「風邪を引くよ」
「そうね……それに、実際は星じゃなくてあなただった」
「……」
 
ごめん、というのも変だけど、申し訳ないような気分にはなる。
黙っていると、フランソワーズはいつものように僕の腕にそっと手を触れた。
 
「それも、素敵だったけれど」
「……うん」
 
馬鹿みたいだ、と思いながら、僕はいつものようにフランソワーズが触れた腕をそのまま彼女の腰に回した。
いつものようにそのまま歩き始める。
いつもより、腕に力を込めて。
 
「ジョー、砂がうつるわ」
「……うん」
 
肩に触れる彼女の髪からは強い潮の香りがしたし、なんとなくざらざらした感触も伝わってくる。
でも、かまわない。
 
「戻ったら、すぐシャワーを浴びなきゃ」
「寒いよ。お風呂を沸かした方がいい」
「それほどでもないわ。平気よ」
「僕が寒い」
 
笑い飛ばされそうな気がしたから、そう言いながら彼女を思いきり抱きしめた。
かなり砂ははらったつもりだったけれど、やっぱり相当じゃりじゃりしていて……その奥には、柔らかくて温かいいつもの感触がある。
 
「玄関も君の部屋も汚さない方がいい」
「……」
 
そうしたら、庭からベランダ経由で僕の部屋にいくしかないってことだ。
君の部屋のよりは小さいけれど、バスルームに湯船もあることはある。
 
 
――それで、いいよね?
 
 
更新日時:
2013.10.17 Thu.
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Last updated: 2013/10/17