虹がきらきら立つた城のなかで
ゆるい笛がつづいて
そして嬰児はぽつかりと目をさました
白いさびしい光があつた
だが笛の音色はしなかつた
どこに母親の顔があるのか
かたかげの障子ばかりが白く見えた
よく見ると すぐ顔のちかくに
紛ふ方もない母親が
その静かな瞳で眺めてゐた
それゆゑ嬰児は一時に悲しくなつて
こゑを上げて泣き出した
室生犀星「遠い笛」
1
僕は、しょっちゅう君をさがしている。
と、君に言ってもきっと信じてもらえないだろう。
だって、僕自身も、そう気づいていないことがほとんどだから。
そもそも、君をさがす必要などないはずだ。
君は、いつも僕の傍らにいる。
でも、僕はいつも君をさがしているんだ。
いつもさがしている、ということは、いつも君が見えていないということでもある。
そんなはずはないんだけれど。
2
「それは、あんまり近くにいすぎるからじゃないかしら」
君が考え深い目でそう言うのを、僕はかなりぼんやり聞いていた。
というのは、君の考え深い目というのがとても美しいからで。
実のところ、話を聞いている場合ではない、という気がするぐらい惹きつけられてしまうのだ。
君の言うことは、なんとなくわかる。
たしかに、君はあんまり近くにいすぎるのかもしれない。
考えてみれば、僕は君を僕自身のように感じていることが多い。
正確に言えば、それは感じていることにならないだろう。
「少し、離れてみるといいのかもしれないわ」
と、君が言ったとたん、君に言わせると「ものすごい勢いで」僕は振り返ったのだという。
そうだったかな、と思うのだけど、君は嘘を言わないから、多分そうなんだろう。
3
僕が、君をさがしている自分に気づくのは、いつも夢の中だ。
僕は、何もない空間に、ただ浮かんでいる。
何もない。
光も、闇すらない。
本当に、何もない、としかいいようのない空間だ。
そこで、僕は君をさがしている。
何もないのだから、実はさがすこともできない。
僕は、じっと耳をすましている。
君が、聞こえるような気がするのだ。
聞こえないような気もする。
とにかく、そっちに進む。
進んでいるのかどうかも、実はわかっていない。
君は、聞こえた、と思うと聞こえなくなる。
聞こえない、と嘆息すると、ふと聞こえる。
どこをどう歩いているのか、本当に歩いているのかもわからないまま、僕はさまよう。
さまよっている気になっているだけなのかもしれない。
そんな、夢だ。
4
夢は、夢だから気にすることはない。
それに、そうしてさまよう間、僕は悲しかったり寂しかったりもしていないようなのだ。
どうしてなのか、うまく説明はできないけれど、納得はしている。
夢から覚めると、君が僕の傍らにいる。
世界はあっけなく僕に戻る。
だから、僕は気づくんだ。
つまり、君が世界の全てであるということ。
何もないところで、僕が当たり前のように君をさがすのは、君が世界そのものだからだ。
そして、君をさがしている限り、僕は悲しくも寂しくも恐ろしくもない。
あると信じているから、疑わないから「さがす」んだろ?
僕は、何もないところででも、何もないところだからこそ、君をさがす。
たぶん、僕は君が傍らにいると意識しているときの方が悲しくて、寂しくて、恐ろしいんだと思う。
だから、なるべく意識しないようにしている。
たぶん、ね。
意識しようがするまいが、君はいつも僕の傍らにいる。
それは、わかるんだ。
5
君がどこにいるのか、考えるとわからなくなるけれど、見ようとすると、見えなくなるけれど。
ただ立ち止まって耳を澄ませば、君は聞こえる。
聞こえるような、聞こえないような君が聞こえる。
僕は、それを頼りに君をさがす。
それを頼りに、僕は生きる。
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