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「相剋」論5 (4)
第二章 穢れ無き者
 
第1節 「僕は、君を殺した」 
 
「相剋」本編で、ジョーは二度「殺人」を犯した。
はじめに、タイラント。次にバイスを、彼は「殺した」。
 
もちろん、サイボーグとして生きてきた彼が、実際に命を奪った人間は数知れないわけで、何を今更……と いうことなのだけれど、とりあえずジョー自身が、それらとこの二人を殺したこととは「違う」と考えるの だった。
何が、違うのか。
 
「信念、自己保身の為に他人を犠牲にすることを拒否する心の動き、自尊心……これだけ痛めつけても、奴 はこれらを手放そうとはしない」
そして、クワイトは009を見遣った。ニッと嗤う。
「……だが、な。永遠に苦痛に耐え続けることは不可能だ。いつかは屈する。必ずな。かつて私に服従を誓った時のように……。そして、奴はお前を殺す。自分が苦痛から逃れるために」
タイラントの目を覗き込み、クワイトは嗤った。
「そうやって苦痛から逃れれば、今度は、奴自身の信念が、奴自身を責め虐むことになる。苦痛から逃れるために他人を殺した自分を、奴が許せると思うか?」(Act.4 戦士の条件)
 
タイラントもバイスも、クワイトが「殺せ」と命じた。
他者に命じられたとおりに殺した、というところがまず009の他の「殺人」とは違う。
で、意外な感じもするが、ジョーはNBGの幹部として暮らしていた間、この二人しか殺していないのだっ た。
もちろん、他者を殺せと命じたからといって簡単に従うジョーではないし、常人ならウンザリするだけのその難しさこそがクワイトの楽しみだったのだから、それも当然といえば当然だ。
 
ジョーは、「守るため」にしか殺さない。それ自体矛盾しているのだけど、その矛盾を引き受ける、という信念で生きている。だからこそ、それ以外の「殺人」は彼にとっては自らの存在意義を揺るがす過ちとなる 。
タイラントを「殺した」のは、クワイトが言うとおり「自己保身のため」だった。実のところ、タイラント は死ななかった。だが、ジョーは言う。「僕は、君を殺した」と。
 
一方で、バイスを「殺した」ことは、それとはまた少し異なっている。
クワイトの命令に従って……というこは、つまり自己保身のために殺したということで、それについてはタ イラントのときと同じなのだけれど、ジョーの罪の意識はややズレている。
 
バイスを殺した事。それは、忘れてしまいたいと思わずには居られない程、苦い記憶だった。無論、今更、 他人の命を奪うことに悔悟の念を抱いても仕方ない。これまで多くの『敵』と戦い、倒してきた。それはつまり命を奪ったという事で、常識的に考えれば、殺人だ。
けれど。それは常に、相手か自分のどちらかが死ななくてはならない『戦い』の中での事であり、何かを守る為であり、誰かを助ける為だった。
それに、バイスを殺したのは組織としての決定に従っての正式な『処刑』だった。009は単なる刑の執行人に過ぎなかったのだ。
だが、と009は自問する。
バイスを目の前にし、好きなように殺す権利を与えられ、自分は何を想ったか?
復讐。
自分が味わった苦しみをバイスにも味あわせてやること。それを望んだ。
実行こそしなかったものの、その誘惑は抗い難い程に魅力的だった。それを魅力的だと感じた自分が、009は恐ろしかった。
そして。
バイスを撃った瞬間。
その一瞬、バイスを殺した…という、その事に、喜びを感じる自分が居た。
認めたく無かった。
だが、それは事実だった。(Act.6 襲撃)
 
実は、組織が決定した死刑を執行する「単なる刑の執行人」であること自体が、ジョーには「あり得ない」 ことである。ジョーに、それ自体を「罪」とする考えはないとしても、彼自身はそもそもそういう組織に所属することをあらかじめ拒否した・或るいは拒否されている存在だからだ。
ということは、その問題についてはあまり考えなくてもいいのかもしれない。考えても仕方がないというか 。
だから、ジョーが苦しむのは、バイスを殺したときに自分が「復讐」「喜び」を意識していた、ということについてなのだった。
それが彼を飲食ができない状態へと追い込んでいく。
 
読み返してみると、ジョーがそういう意味で自分の信念を裏切ったのはほんの一瞬なのだ。
が、問題は時間の長短ではない。自分の中に、自分を裏切る「闇」が「ある」という確かな事実が、そしてそれが自分を支配する可能性も「ある」ということが、ジョーを絶望させる。
 
そんなことで絶望しちゃうのか?とつい思ってしまいそうになるけれど、もちろん、彼は私たちとは違う。 サイボーグだからだ。
彼の力をもってすれば、ほんの一瞬の隙が取り返しのつかない罪につながる可能性もある。だから、ジョーは恐ろしいほどの意志の力で、自分を律してきたのだし、それが崩れたときの衝撃も大きい。
 
人の心には悪が潜む。もちろん、自身の心の中にも。
そのことを、ジョーはクワイトによって知らされた、と自ら述懐する。
しかし、「相剋」事件が終わったときでさえ、ジョーは自分の中に悪があることを認め、諦めようとは 思わない。むしろ彼は、確かに認めたそれを「本当の敵」と見なし、戦う決意をしているのだった。
 
ウィッチは後に、フランソワーズを見ながらこう思う。
 
(サイボーグとしての能力を……戦いの場ではなく、日常の中で……人間としてコントロールする。それが 、フランソワーズに……いや、彼女だけじゃない、ジョーにも……多分、あの赤ん坊以外の00ナンバー全員に……負わされた枷、という訳だわ)
だがそれは、彼らを悩ます枷であると同時にその魂を穢れから護る盾でもあるのだ、とウィッチは想う。
(本当に……あなたは、穢れとは無縁の存在ね)(極東の地にて 中編)
 
サイボーグとしての能力を人間としてコントロールする、というのは、ジョーにおいては「殺人」――他者に力を振るうこと――を禁忌とすることにあたるだろう。それを守ることが彼の「魂」を「穢れ」から守る 。
ここから、なぜジョーにとってバイス殺しが自身の生死に関わる問題になるのかを理解することができる。
 
彼らにとって「魂」を「穢れ」のない状態にしておくことは、単に道徳上の問題ではなく、彼らの生存その ものが世界から「許される」かどうか、という切実な問題になるのだ。だからそれは重い「枷」に見える。
一方で、枷が重いからこそ、彼らは生きている限り穢れから遠ざけられるということにもなる。
そして、それが穢れ=死、というイメージにもつながるのだ。
 
では、「穢れ」とは何か。
ジョーと同様に、ウィッチもシンプルにそれを分析する。
 
003は、他人の痛みを自分のものとして感じてしまう。それが、同情でも共感でも無いのは明らかで。
(まさかそんな受け止め方があるとはね……)
思ってもみなかった。そう考え、そしてウィッチは首を振った。
(いいや、違うわね。忘れていた……だわ)
そう。
忘れていた。
あまりにも遠い昔のことで。
(私にも……そういう頃はあった。いや、私だけじゃない。多分、どんな人間にも、そういう頃はある。あった筈だわ。穢れていない、無垢なとき……というのがね)
自分と他人の区別を意識することなく、世界と己の区別すらなく、あるがままの全てを受け入れ、喜び、泣くことのできた頃。この世の穢れを、その存在すら知らなかった、もう戻れない遠い日々。(極東の地にて  中編)
 
自分と他人を区別しない。世界と己を区別しない。
誰でも子供の頃はそうだ、とウィッチは考える。それが「無垢」である、と。
 
正確に言うなら、子供にとって世界=己であり得るのは、彼らが究極の利己主義の状態にあるからだ。
もちろんそのままでは他者と共存できないから、子供は少しずつ世界と己は違うのだと認めていく。
それをウィッチは「穢れ」と表現する。
 
ジョーも00ナンバーたちも、そうした子供とは違う。
彼らは、他者と共存しつつ、世界と己を区別しない生き方をしているのだった。
そうするためには、彼らは子供の対極にいなければならない。
究極の利他主義に。
 
世界=己、という点で、利己主義と利他主義は同じなのだ。
そして、利己主義は糺されるべきものであり、利他主義は不可能なことと私たちは考える。
だから、ジョーは「甘い」ように見えるし、危うくも見える。
彼の言動は、利他主義を信じない者から見ると、利己主義にしか見えないからだ。
 
そう考えると、ジョーが009としての「殺人」をなぜ「罪」と考えないのか、も説明できる。
その殺人は「自分」すなわち「世界」が命じたものだからだ。
009は世界のために、人を殺してきた。そう判断したのは紛れもなく009自身なのだけれど、それは世界の判断でもあるのだ。
こんな判断をしてしまう人間が存在していいのか、というとよくないだろう。
私たちは009を危険だ、と考えるしかない。その存在に気づいた瞬間、そうとらえるしかない。
だから、ジョーが利他主義をほんの僅かであっても崩したとき、彼はむしろ世界から抹消するべき存在となるのだった。
 
ウィッチがその存在…利他主義に生きる人間を、そうと知りながらとりあえず認めるのは、それを成し遂げ得る人間を見た経験があるからだった。クワイトである。
同時に、彼女はそれがあっけなく究極の利己主義に転じる様も目の当たりにしてきた。
彼女は、そういう意味で、利他主義の美しさと恐ろしさを知り尽くした人間なのだ。
 
未だ少女だった頃の、遠い遠い記憶。
その頃の自分の隣には、地上に舞い降りた天使のような彼が居て、世界は光に満ちていると、そう信じていた。多少は大人になって、必ずしもそうでは無いのだという事を知っても、隣で笑う彼を見れば、世界の大半は光の中に在るのだと、そう信じたままでいられた。
光の射さない場所があることなど、想像したことすら無かった。
(ほんと、無邪気だったわ……)
今の自分は、世界の殆どを覆う闇があることを知っている。一条の光すら射さない場所があることも知っている。
多くの闇と、一握りの光。その狭間で惑う、愚かしい人の営み。
それが世界の姿であることを。
(フランソワーズ……。あなたはそれを知っているのに、それでも世界は光に満ちていると……信じているのね)
それが何故かといえば、003にとっての『世界』は自分にとっての世界よりも遥かに広いからだ、とウィ ッチは考える。
天と地と、そこに在るあまねくすべての命。
003にとっての『世界』とはそうなのではないか? かつて自分の隣に居た天使が、地を這う虫や風に舞う花びらにすら、手を振り笑いかけ愛しんだように。
そして、いつか総ての人々がその事に気付く日が来ると……そんな日が来て欲しいと……願い、祈り、信じているのではないだろうか。
(……無茶な願いだわ)
そんな願いを抱くことのできる、穢れ無き魂。
(結局、あなた達は同じなのよ……)
003も、009も……恐らくは、00ナンバー全員が。
無垢なる者の、強さと危うさ。(極東の地にて 中編)
 
ジョーは、強く、危うい。
たった一瞬の「裏切り」……過ちが、彼の全てを崩壊させる。そのようにして彼は生きている。
 
バイスを殺し、禁忌を破ることによって「穢れ」をまとったジョーに「死ね」と命じるのは、ジョー自身だった 。
では、自分で自分に死ねと命じるのなら、自分で「いや、生きよう」と思うこともできるのではないか、そうしないのはジョーの「弱さ」ではないか、とうっかりすると思ってしまう。が、それは間違っている。
ジョーにとって、自分とは世界なのだ。自分が許さないということは、世界が許さないということ。
だから、ジョーはジョーである限り、水も食料も拒否し続けるしかない。
 
食べよう、飲もうと思ってもできないのだ、とジョーは言う。
「自分」は世界であり、自分の意のままにできるものではないからだ。
そうではない、自分と世界は違うのだと認め、世界と切り離された「自分」のみが生きる方向に一歩を踏み出せば、それは殺人兵器「009」としての一歩になる。
といって、自分が望みのままに「自分」を殺すこともできない。それは世界を殺すことになるからだ。だから 、ジョーは「死ぬまでは生きている」しかないのだった。正確に言うと「生きようと思わずに生きる」という ことになるのかもしれない。
 
そこで、不思議なのは、バイス殺しでそうなってしまったジョーが、なぜタイラント殺しの後はそうならな かったのか…ということなのだ。
タイラントが結局死んでいない、ということや、与えられていた恐怖の切実さというようなことはあまり重視するべきではない。
 
「僕は、君を殺した……。そう、だな? タイラント」
真っ直ぐに見つめてくる瞳。果てしなく昏い闇を映した。絶望という言葉すら生ぬるい、冷たく凍った刃の ような、その瞳。自らに対する自らの裏切への冷たい怒りを秘めた。
「……ああ………そう…だ……」
タイラントは、やっとの事でそう答えた。もっと何か、009の心を和らげるような事を言いたかったのだが、言葉が出てこなかった。
再び、沈黙。
009の視線が宙をさ迷う。
そして。
「……すまない……」
そう言って唇を噛み、009は絞り出すように言葉を続けた。
「…いや……謝ってすむような…そんな事じゃない……。君は死んだ…僕が、殺した……。僕…が……っ! 」(Act.4 戦士の条件)
 
「僕は、君を殺した」。この言葉の重みは、ジョーにとって計り知れない。
世界と切り離された、ただの「僕」が君を殺したのだ。そんな「僕」が存在していいはずがない。「僕」は世界の全てから糾弾される。そして、その世界は「僕」自身でもあるのだ。このままでは、ジョーは絶対に生きられない。
しかし。
 
「ジョー!」
たまりかねて、タイラントは叫んだ。
「俺は、生きてる!」
「それは、クワイトが銃のエネルギーを抜いていたからだ。僕が君を撃った事実とは、関係無い。僕は…… 」
「いいから、聞け!」
009の肩を掴み、言葉を遮る。
「俺はお前に言った筈だ、俺を撃て、殺せ、と。クワイトが望む以上、俺が死ぬのは既に決定事項だ、と! お前のせいじゃない。お前が謝る事じゃない。お前が悔やむ事でも無い」
「…だけど……」
言いかけて、009はハッとした。頬に暖かいものが落ちてくる。
「……っくしょう…! 俺は……どうすれば…お前を……!」
「タイラント……」
「お前は良い奴だよ。ほんとに良い奴だよ。信じられないくらいの……! あんな目にあわされて、どうして耐えられるんだ? どうして、他人の俺の為に……! くそ! 見てらんねぇ……。俺は…!」
もう、自分が何を言ってるのか、タイラントには判らなかった。
クワイトに対する怒りと、無力な自分に対する怒りと、頑として屈しない009に対する憧れにも似た想い と……。
強くなりたい。
そう、タイラントは思う。
強くなりたい。今まで自分が求めていた強さでは無い、何か違う強さ。
「……俺は…くそっ! どうしたらいいんだ……!」
つと手を伸ばし、009はタイラントの頬に触れた。
「…タイラント……」
道に迷って泣く子供のようなその瞳を見、009は言った。
「……ありがとう……」(Act.4 戦士の条件)
 
タイラントが示した「俺は生きてる」「お前のせいじゃない」はジョーを納得させることができない。
そして、タイラントがなすすべを無くし、ただ涙を流していることに気づいたとき、ジョーに変化が現れる 。
 
結局、泣き落としなのかー。と脱力しないでもないのだけど、それですませてしまうわけにもいかないのだった。
今のところわけがわからないまでも、ジョーはタイラントが泣いたからとりあえず生きていけたのだという しかない。
そして、ジョーは言うのだった。「ありがとう」と。
これが、仲間のもとに戻り、タイラントを「友達」として紹介したときには、微妙に変わる。
 
「僕の…友達だ。彼が居なかったら、僕は生きてここに居なかった。それは間違いない。本当に……僕にとって、彼は命の恩人だ。いや…そんな言葉じゃあ、とても足りない。あそこで……」
009はつと目を伏せて、唇を噛んだ。
「…あの… Neo Black Ghost 本部で、僕に味方する事が…どれ程の危険を伴う事だったか……。僕は……」
「ジョー、もういいから」
見かねたタイラントが、009の肩に手を置き、言葉を遮る。
「…もう…いいから…さ……」
「でも…」
(僕は、君を…殺した…んだよ……)
「お前の所為じゃない……」
気にするな。そういう瞳に、009は躊躇いがちに頷いた。
「…ご…めん……」
沈黙。(Act.8 明かりを灯すもの)
 
「ごめん」と「ありがとう」は違う。
少なくとも、「ありがとう」と言ったときのジョーは「謝ってすむようなことではない」とも言っている。
もっとも、そのときの謝り方は「すまない」なので、「ごめん」とはまた違うかもしれない。
 
「僕は、君を殺した」という事実と「ありがとう」「ごめん」の間にあるもの。
それが、タイラントが持つものであり、タイラントだけが持つものでもあるのだと思う。
ジョー自身も「仲間」も持っていない何か。
ジョーはそれを「友達」と呼んだのだけれど。
 
タイラントの「涙」がジョーを動かし、利他主義を動かした。
それは、世界でもなければ己でもなく、「仲間」でもないものだった。
彼は、なぜ泣いたのか。彼の涙とはなんだったのか。
それを、もう少し考えてみなければならない。
 
 
第2節 皆殺しの夜
 
タイラントが、苦しむジョーを助けたい、自分の命を捨ててでも彼に生きてほしいと願ったのは、彼がタイラントの「理想」「憧れ」だったからだ……と、まず「相剋」は語る。
 
(そう…だ……俺は…ジョーに……)
一度は裏切られた真実。信じていたもの。憧れていた姿。
(……そうか……)
かつて自分がそうなりたいと思っていた、理想。現実を知らない子供の夢だと、その理想を捨て去る事こそが、大人になる事なのだと、そう自分に言い聞かせ、生き抜いて来た。
だが。
009との出会いは、タイラントにとって衝撃だった。他人の為に自らを犠牲にすることを躊躇わず、身も心もズタズタにされてもなお、絶望的な抵抗を続ける。その姿は、タイラントの心を強く揺さぶった。
正義など無意味だと、他人の為に戦うなぞ馬鹿馬鹿しいと、生きる為には卑怯であるべきだと、そうでなくては生き残れないと……そう思い、そう行動してきたタイラントであった。けれど、そう考えるのとは裏腹に、タイラントの心は彼が頑なに否定しつづけた、正義を求めていたのだった。いや、むしろ心の奥底でそういった存在を切望していたからこそ、タイラントは事ある毎に正義を否定してきたのかもしれない。自分自身を納得させる為に……。
そう。009は、まさにタイラントが無意識のうちに求めていた理想そのものだったのだ(Act.5 交錯する想い SIDE A 友としてできること)
 
ジョーに共感するということは、ジョーと同じ心性……「自己犠牲」「利他主義」をタイラントも持っているということ。
タイラント自身も、クワイトも、ウィッチも、ジョーも、そうだと考えていた。
だから、彼はジョーの「友達」であり「弟」であり、その上で「極北の地にて」の「特訓」がある。
しかし、それだけではなかった。
はじめにそれに気づいたのは、クワイトだったのかもしれない。
 
ギリ…と歯を食いしばり、タイラントはクワイトを睨み付けた。
その視線を、クワイトが心地良さそうに受け止める。
「憎しみ…か。面白い……少なくとも、ジョーからは得られない感情だな」
そして、クワイトは嗤った。(Act.4 戦士の条件)
 
ジョーに憎しみはなかったのか、ということなのだが、これはクワイトがそう言うなら、なかったのだろうと考えるしかない。
ジョー自身は「ある」と思っている。だからこそ「自分の感じる憎しみを肯定する事と、その憎しみのままに行動する事とは、別だ」(Act.9 決着)という言葉がある。特にバイスを殺したときには、それが顕在化し、ジョーは苦しんだのだ。
が、それもまたジョーにとっては「異常」な状態だったということで、彼が本来の彼であるとき、そこに「憎しみ」は存在していないのかもしれない。
 
黙り込んだまま身動ぎすらしない009を、クワイトは奇妙な瞳で見下ろしていた。
009が一言も喋らなくても、エンパスとしての能力をもってすれば、その心に渦巻く想いが見える。凍り付いたかのように動かない体とは裏腹に、激しく荒れ狂う感情の波。クワイトには、それが見て取れるのだ。
激烈な葛藤。自問自答。渦巻く白い波とそれを切り裂く黒い稲妻と。
エンパスとしてのクワイトの感覚は、他人の感情を、色と音として捉える。
低音で響く苦痛の黒。
高音で掻き鳴らされる恐怖の銀。
規則正しいリズムを刻むのは、使命感の赤。
木々の騒めきにも似た愛情の緑。
強く弱く折り重なって緩やかに繰返される中音は、信頼の蒼。
それらが混ざり合い、あるいは反撥しあい、009の周囲で渦巻くのが、クワイトには見え、そして聞こえる。
パチパチとはぜる黄色は、決意。それが、閃いては消え、また閃く。
その決意がどちらに向かうのか? それによっては己の命が無いというのに。
楽しむ様子も、脅える様子も無く、クワイトは、ただ、009の葛藤を見続けていた。(Act.9 決着)
 
たしかに、憎しみは見えない。
意志の力によって抑えているから……であるとしても、これがジョーの在り方なのだと思う。
その憎しみを、タイラントはストレートにクワイトにぶつける。ジョーが「抑え込まなければならない」とする最も象徴的な感情である「憎しみ」を、タイラントはごく自然に心に抱くのだった。
それが烈しく表出したのは、タイラントがジョーの「死」を予感したあの闇夜だった。
 
(俺に出来る事は……何も無い)
出来るのは、009を助けられる可能性を持った者のところに連れて行き、とにかく頼む事。それだけだ。
その頼みが受け入れられなければ、009は死ぬ。
苦しみながら、緩慢に。
(ジョーが死んだら……その時は……)
殺す。
00ナンバー達もライ達も。クワイトもウィッチも、誰も彼も。009を助けられなかった、世界中の奴等総てを殺す。もちろん、自分も。
(……皆殺しだ)(Act.7 闇を歩く)
 
「皆殺しだ」とタイラントは思う。なぜそう思うのか。
実は、私には説明ができない。初めて読んだときも、何ともいえない違和感を感じた。
しかし、タイラントは恐ろしく真剣にそう考えている。気の迷いとか、ちょっと思いついただけ、ということとは違う。
 
タイラントは、ジョーのためなら死んでもかまわない、と思っていた。それは紛れもなく「自己犠牲」である。
そのタイラントがジョーの死を目前とし、追い詰められたとき、「皆殺しだ」と思うのだ。
ジョーが死んだら、ジョーの意志を継ごう・ジョーが守ろうとしたものを守ろう、とは考えないのだった。
 
そして、見落としてはいけないのが、「皆殺し」の中に「自分」が入っている、ということだ。
タイラントにとっては、世界の全てと自分とが「殺し」の対象となる。
ということは、これもまた「己=世界」…つまり、「無垢」のひとつの在り方なのではないかと思うのだった。
ただ一つ違うのが、「世界」の中に「ジョー」が含まれていないということだ。もちろん「ジョー」は「己」とも違う。
 
タイラントは「生きたい」と願う。「死んではならない」とも思う。
が、そこに「ジョー」が入り込んだとき、その願いは向きを変える。
自分が生きたい・死んではならないという願いが、「ジョー」を生かしたい、死なせてはいけない、という願いになるのだ。その強さはそのままに。
そして、その願いにおいては「己」もまた殺されるべき対象となる。ジョーを生かすため、タイラントはためらいなく自分を殺すことができる。
 
ジョーもまた、「己」を顧みない。これはもう繰り返すまでもない。
そして一方で、彼は他者を殺すことを実は厭わない。そこに「守りたい者」を守るという目的があるとき、彼は「殺人」を無数に犯すことができる。
それでは、ジョーが「守りたい者」とは、どこにいるのか。彼に「殺される者」と「守られる者」とは、何が違うのか。
前節で触れたとおり、そこに線を引くのは、他ならぬジョー自身なのだ。
だからこそ、彼は完璧な利他主義者でなければならず、世界と己とを同一視できる者でなければならない。
 
ジョーもタイラントも、己を顧みない。
世界と己とを同一視しつつ、彼らは自己犠牲の道を進む。
が、「何」のために彼らは自己すなわち世界を犠牲にするのか。
その「守るべきもの」は、「世界」でもなければ「己」でもないはずだ。
「己」あるいは「世界」を躊躇無く殺しつつ、彼らが守りたいものがある。それは何か。
 
ジョーにとって、それは「世界が平和になって、皆が幸せになる事」だ。
 
これは願いであって、祈りであって、叶えて貰うものでは無い。世界中の総ての人に、そう願って欲しい。けれど、それを強制する事はできない。
「総ての人がそう想う日が来たら、その日が、Black Ghost の滅びる日だよ。そんな日は来ない…ってそう言うだろうけど……僕だって、そうかもしれないって思うけど……でも、僕はやっぱり、そう願うよ。願わずにはいられない。そして、その日が来るまで……」
闘う。(Act.10 夜明け)
 
彼の「守るべきもの」に、実体はない。少なくとも、今は見えない。それは「願い」にすぎない。
しかし、「願い」であるからこそ、それは「世界」でもなければ「己」でもないモノとなり得る。
その願いを保つことで、己=世界でありつつ、世界と戦うという矛盾が解決できる。それしか道はない、とも言える。
そして、願いはその願いをつなぐ人間が存在する限り保つことができるのだ。永遠に。
それが、ジョーにとっての仲間たちである。
 
一方、タイラントの守りたいものは「ジョー」の「命」なのだ。
「願い」に比べると、それはどうしようもなく儚い。永遠をそこに見出すこともできない。
生は1人の人間に、あくまで1度ずつしかない。つないだり、与えたりすることはできない。
 
ジョーは「守りたい」と願う。タイラントは「生きたい」と願う。
その違いは、対象が自分であるか他者であるかということではない。
タイラントは「自分が」生きたい、というのと同じ強さで「ジョーを」生かしたいと思うことができるのだ。
だとしたら、問題は自他、ということではない。
 
ジョーを失ったタイラントが世界と己とを破壊し尽くすモノとなる、というのはどうにも不条理で理不尽に思える。
が、それを言うならジョーもまた不条理であり、理不尽なのだ。
だから、「ありえないこと」であるが、「願い」を失えば、ジョーもまた極めて理不尽な破壊者となるはずだ。
 
完璧に制御された死と破壊。それが、総裁の求めるものだった。
かつて戦争を道具として世界を支配しようとしていた Neo Black Ghost の者達は、今や、それに仕える奴隷だった。総裁の命じた時に、命じた場所へ、命じただけの死と破壊を撒き散らす為の、ただの道具と成り果てていた。
総裁は、己の命令が速やかに間違いなく行われるよう、自ら各拠点を訪れ、時には前線にまで赴き、徹底していった。その不機嫌な瞳が向けられた者に、後悔の時間が与えられることは無かった。
総裁に逆らえば、死。
総裁に従っても、ただひたすら戦場から戦場へと渡り歩く生の果てにあるのは、死。
Neo Black Ghost 構成員に与えられる唯一の特権は、自らに死を与える……今や死の代名詞、死そのものと言っても良い……総裁である009の姿を目に出来ることと、そして、その手で直々に殺されるという選択が可能であること、それだけだった。(ありえない終末 2.血染めの帝王の座)
 
破壊者009が尋常でないのは、その破壊が破壊を目的とする、極めて不条理・理不尽なものであるというところにある。その狂気はNBGのそれとは全く異なっている。
唯一、それに対峙することができるのが、タイラントの「皆殺し」であると私は思う。
 
どういうことなのかはわからない。
が、タイラントにとってジョーは「願い」そのものなのだった。
だから、ジョーを失えば、タイラントは狂気に堕ちる。ジョーの代わりになる者は、いない。
こんなに危ない話はない。
 
もちろん、タイラントは「お前が死んだら俺は破壊者になるぞ!」と宣言したわけではない。
タイラント自身も、そのことに気づいてはいなかったのだから。
が、何というか、彼の気迫に、ジョーは自分が心の奥底に持っている狂気と同じものを感じとっていたのではないかと思う。
 
ジョーとタイラントは非常によく似ている。
違うのは、最も根本で彼らを支えるモノだけだ。
だからそれはもちろん根本的な違いとなるわけだが、違うのは本当にそこだけなので、よく似ているように見える。
 
タイラントは悪ではない。
タイラントが悪なら、ジョーも悪だ。
タイラントの願い…ジョーを生かしたい、という願いは、ジョーのそれとは異なっているが、それを否定することはジョーにはできない。
それは、タイラントの生き方全てを否定することにもなるからだ。
 
自己犠牲の形はひとつではない。
無垢の形もひとつではない。
タイラントはジョーにそれを示したのだと思う。
 
タイラントは、彼の「守るべきもの」であるジョーを殺すもの、消そうとするものに「憎しみ」を抱く。
命は消えるものであり、その運命を避けることはできない。それがあまりに明白なことだから、彼は、いつの日か自分を狂気へと駆り立てるモノとしての憎しみを手放さない。
ジョーは「憎しみ」を抑えることができる。それは、彼の「守るべきもの」が永遠に消されることがないと「信じる」ことのできるモノだからだ。
ただそれだけが二人の違いであると私は思う。
 
ジョーはタイラントを「殺した」とき、彼の狂気に触れたのかもしれない。
他ならぬ自分が、自分だけが、彼の「願い」であることを、彼がこぼし続ける涙から感じとったのかもしれない。
それならば、ジョーは生きなければならない。
もう一つの世界のために、生き続けなければならないのだった。
 
更新日時:
2010.05.03 Mon.
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Last updated: 2015/11/23