たまーに、なのだけど。
私は、年の瀬の切羽詰まった頃になると、しょーもないモノを書きたくなってしまうことがあるようなのだった(しみじみ)
で、今年はそれが…
超銀なのだった!!!!(涙)なぜ(汗)
ちなみに、ウチのATOKは、いまだに「ちょうぎん」を「長銀」と変換する。
五段活用のときも、私はいちいち「ちょう=超」「ぎん=銀」と変換しており、ときどき
いいかげん「ちょうぎん」を「超銀」と変換することに決めませんか?(うんざり)
と問いかけるATOKにやかましい(怒)とお断りし続けているのだった(しみじみ)
そんな超銀。どんな?(悩)
で、なぜか、今月に入ってから、超銀についての話題を耳にしたり目にしたりする機会が増えたのだった。
極めつけが冬コミ。しみじみ<わけわからないぞ(涙)
いやー。
やっぱり超銀ってスゴイ!(感心)
とにかく、超銀というのは、一旦見てしまったら最後、何かを語りまくらずにはいられなくなる恐ろしい魔力をもつ映画なのだと思う。しみじみ
ってことで!
なんか変なスイッチが入ってしまったので、とりとめもなく語るのだった!やめて(涙)
とりとめのない第1話
タマラさまの扉
思えば、私が「009」を知ったのは、1979年の新ゼロのとき。もう中学生になっていた。
で、超銀は1981年正月の映画だったのだから、ほんとーに「009」ファンとしての入口で出会った、ということになるのだった(しみじみ)
超銀は、一応仮にもお正月映画だったので、メディアでの扱いがそれなりに盛んだった。
今思うと、それに結構振り回されていたような気がする。
当時ばりばりの3至上主義者…ってかお嬢さんさえいれば島村なんか出てこなくても何の問題もなし!
「サイボーグ009」の登場人物はお嬢さんだけでよし!ありえねえ(涙)
というかなりイカレた思春期の私だったが、そんな私でも、ついついうっかり、メディアにほよっとのせられて、
ファンタリオン星のタマラさまは悪いオンナだ!
というような認識になりかけてしまったものなのだった(しみじみ)
今なら、自信を持って言える。
もちろん、じょーら部におけるタマラさまがどーゆー存在なのかは、私の知るところではない。だってじょーら部ちがうもん!(力説)
が、3至上主義者にとって、タマラさまはまさにタマラ「さま」と呼ぶべき、空前絶後の(涙)泣くな!ありがたいゲストキャラなのだった(しみじみ)
なぜ、タマラさまがそういうキャラとなったのか…に迫るには、おそらく、時代背景を考えにいれる必要がある。が、それは次章以降あるのか?(汗)で語ることにして、結論だけにしておくと。
タマラさまは、おそらく「サイボーグ009」で唯一、お嬢さんを
しまむらをめぐる恋仇
と認めてくださったキャラクターなのだった!!!!!(涙)だから泣くなって(しみじみ)
ファンタリオン星で、タマラさまはいまわの際に、
あなたがこの星に残ってくださらない本当の理由
として、恋仇お嬢さんの存在&勝利を暗示してくださった(しみじみ)島村に通じてたのかどうかは謎ですが!踏みっ!(怒)
こんなものわかりのいい女性キャラが他にいただろうか?と思うと。
いない。
いないのだった!
新ゼロのマユミさんやキャサリンさんは、お嬢さんが「いる」ということすら知らなかった。
平ゼロのシンシアさんやイシュキックさんはお嬢さんがいることぐらいは見てたかもしれないけれど、正直眼中になかったと思う。
ヘレンさんやメリーさんだって、もしかしたら何かをちら、と感じ取る…ぐらいはしてくださったかもしれないけれど、何気なく振る舞い続けていたのだった。
アルテミスさまなんか、それどころではなかった(しみじみ)いいから(涙)
原作だって旧ゼロだってそうだ。
唯一の例外が、おそらく旧ゼロ「悲劇の獣人」で。
でも、あれも、なんというか9&3を「わたしたちのような恋人たち」という感じで、要するに自分たちの悲恋を投影して見ていただけのことだったように思う。
そうなのだ。
3至上主義者は、しまむらの恋物語…みたいなもの(悩)が始まるたびに、なんか微妙に蔑ろにされているような怒りを感じつつ、でもこんなこと感じてるの世界中でえ(汗)私だけなのかも(悩)とも同時に思わされてきたのだった(しみじみ)
タマラさまは、そこに出口を作ってくださった。
出口っつーか(悩)
もしかしたら、禁断の扉だったのかもしれないのだけど(汗)
とにかく、ソレは1981年1月に始まったのだった(しみじみ)
このときから、3至上主義者は、踏みたいときにはいつも公然と、
この浮気者〜♪
と島村を踏むことができるようになった!(踊)
そこにどれだけの正当性とか信憑性とか必然性(倒)があるか、ということは別にして、とにかく、踏めば踏んだでどーにかなるようになったのだった(しみじみじみ)
とりとめのない第2話
いくぢなしの謎
3至上主義者の超銀パラダイスはまだまだ続く。
たとえば、
島村を殴る(驚)
なんてことも、できちゃったりするのだ!
なんといっても島村とゆーのは、女の子に甘いとか優しすぎるとか言われまくる男のくせに、たまにお嬢さんを殴る(怒)やっぱりお嬢さんはどこか女の子じゃないのかも(涙)<弱気になるなっ!(汗)
お嬢さんは仕返ししてしかるべきなのだ!
ってか是非仕返ししてくださいお嬢さん(わくわく)わくわくしたら負け!<?
そんなわけで、超銀お嬢さんはスゴイ。
一見強そうな(え)平ゼロお嬢さんだって、スフィンクス(の端末)を殴っても島村は殴らなかったわけだし(しみじみ)
…が。
実は、疑惑が残る。
超銀お嬢さんは、ほんとーに島村を殴ったのか???(涙)泣くなよー。
もちろん、そんな疑惑が生まれるのは、あの謎の瞬間着替えのせいである(しみじみ)
そうなのだ。
実に遺憾ではある。
あるけれど、私は、おそらく、超銀お嬢さんは島村を実際には殴っていない(涙)だから泣くなって(汗)と思うのだった。
あの「いくじなし!ばっちーん♪」は、なんというか、島村のココロで起きたこと…というか、比喩のようなものなのだと思う。
おそらく、お嬢さんが実際にしたことは「いくじなし!」と叫んだだけなのだ。
いや、下手をすると叫んでさえいないのかも。
ただ、島村の背中を憤りをこめて刺すように睨んだだけ…とか。いやソレ却ってコワイ(涙)
それを、島村が
なんだか殴られたような気になった。
でもって、彼女が去ってしまったような気になった。
という受け止め方をしたのだと思う。つまんねー(ぶーぶー)やめれ(涙)
だから、島村は、去ってしまった彼女の幻の背中に向かって、あの有名な「君には闘いは似合わない…」フレーズをうたうぽえまーとなったのだった!
せっかくそーやって諦めをつけて自己完結していたのだから、お嬢さんは放っておけばよかったのだ!(はぎしり)
そしたら、あそこのBGMだって、同じ演歌でも、北島三郎になっていたのではないかと思う(しみじみ)わけわからない(涙)
泣かせてごめんよ…これでサヨナラだ。
こんなやくざな男のことは早く忘れて、君は幸せになってくれ。
…………。
だったら振り向くんじゃねーよ島村!(怒)踏みまくり!!!!
うーむ。明治は遠くなりにけり(しみじみ)<???
…という感じで。
ぐるぐる回る星の上で違う(涙)二人は結局抱き合ってしまうのだった(しみじみ)
バックに流れる演歌は、森昌子でもなく北島三郎でもなく…
強いていえば五木ひろしかも…いや、でもなんかそれも違うような(悩)
演歌というよりは曾根崎心中(やけくそ!)しみじみじみ(涙)
いや、ホント。
いつかは本気で殴った方がいいですよお嬢さん(切実)泣くかもしれないけどウザいけど!(しみじみじみ)
とりとめのない第3話
それでも地球は回っている
3至上主義者が超銀を見るとき。
大抵は、出発前の浜辺のシーンでぐるぐるするものだと思うのだった。
そんなわけで、まだココの話が延々続いたりする♪おーい(涙)
超銀には5つのノベライズがある。もっとあるのかもしれないけど(悩)
そのうち、この浜辺でお嬢さんが島村を殴った、とゆーことになっている作品はなんと、ひとつしかないのだった!(倒)
もちろん、他の4作品でも、93シーンそのものはちゃんと存在する。
セリフもかなり映画に忠実。
でも、お嬢さんは島村を殴っていない。
なぜお嬢さんは島村を殴れないのか。
ちょっと考えてみれば(考えるまでもなく)わかる。
物理的に無理(涙)
ちなみに、ただひとり、お嬢さんに島村を殴らせてくださった作者・杉山卓先生思わず先生呼び(しみじみ)は、涙ぐましいとしか言いようのない努力をしてくださっているのだった!
要するにこういうシーンになっている。
1、お嬢さん、島村を殴る。
2、島村驚く。
3、お嬢さん涙ぐんで駆け去る。
そして。
4、お嬢さん駆け戻ってくる!(驚)
…………。(涙)
映画だと、ココが謎の瞬間着替えと透過光(倒)によって、ごまかされているのだけどいやごまかしきれてないと思いますが(涙)さすがに、文字ではどーしよーもなかったのだろうと思う。
お嬢さんが駆け戻ってきたとき、当時高校生だった私もさすがに驚いたのだけど。
でも、きっと杉山卓先生は、3至上主義者だったにちがいない、とゆー気がするのだった!
とにかく島村を殴らなければならない、そのためには手段を選んではいられない!と思ってくださったにちがいない(しみじみ)
ありがとうございます杉山卓先生!(真剣)
…それはそれとして(涙)泣くなってばだから
ホントは殴られていない…のだとしたら。
あれは島村の妄想(怒)だったのだとしたら。
ウッ!とか言ってんじゃねえっ!(叫)被害者づらしやがって(怒)
と、いうような怒りがまた新たにわいたりする。いやでもそろそろソコから離れないと先に進まないから>自分(涙)
そうした怒りを抑えつつ、島村のセリフに注目してみるのだった。
というのは、島村がお嬢さんに面と向かって愛を語るシーンなど、これ以外には皆無だからで(しみじみ)
ってか、厳密に言うと、島村は面と向かっていない(怒)
彼は、海に向かってしゃべっているのだった(倒)
もちろん、コイツは島村なので、犬に向かってしゃべるよりはマシ(嘆)というように考えなければならないと思う(しみじみ)
で、彼のセリフをまとめるとまとめるな(涙)
1、君が誰よりも大切だから、死ぬかもしれない闘いには来て欲しくない
2、君は生きる力を与えてくれたただ一人の人
3、君には闘いよりも美しい自然や音楽やバレエがよく似合う
このうち、お嬢さんが反応しているのは1の内容のみなのだった。
たしかに、後は反応のしようがないかも(遠い目)
1に対し、お嬢さんは「いくじなし!」「あなたと一緒にいたい!」と主張する。
で、島村はそんなお嬢さんを抱き寄せるのだった。
これはつまり、えーと(悩)
やっぱり連れて行くことにした!
僕だってホントは君と一緒にいたい!
…ってことなんだろう(しみじみ)
じゃ、大切だから連れて行きたくない、と言ったアレはどーなったんだ(怒)と突っ込むことは可能なのだけど…
やはり、ここで問題になるのは「いくじなし!」なのだろう。
島村は、まずこの「いくじなし!」に殴られたのと同じような衝撃をくらい、それで心が大きく揺らぎ、1の主張を崩壊させられた、と言ってよいのだ。
だから、「いくじなし!」の後語られた、2や3には愛がこもっているはずなのに、イマイチ迫力がない。ような気がする(悩)
そもそも、何がいくじなしだったのかというと。えーと(悩)
いくじなし、というのは何かをこわがる人を罵る言葉だ。
しまむらがこわがっているのは、もちろん、お嬢さんを死なせること。
それがいくじなし、というのだから、お嬢さんは、
私が死ぬかもしれないからってびびってんじゃないわよ!(怒)
…と言いたいにちがいない(悩)
なんとなく、気持ちはわかる。
ただ。
このように、島村を罵るからには、お嬢さんは、
私はアナタが死ぬことなんか怖くないわよ!
と言わなければならない。
…………。
まあ、島村はそう簡単に死なないだろうし、島村が死ぬようなときはお嬢さんが先に死んでる可能性が高いから、ソレについては本当のところ、真面目に考えなくてもいいのだろう(しみじみ)
お嬢さんは、そもそも島村が死ぬことをそれほど怖がる必要がない。
だから、「いくじなし!」は
私が死ぬことを恐れるな(私はあなたが死ぬことを恐れていない)
と言っているのではないような気がするのだった。
どちらかというと、
私を死なせるかもしれないことを恐れて連れて行かないってことは…
守りきる自信がないってこと?!(怒)この甲斐性なし♪
と、とるべきなのかも。
スゴイぞお嬢さんっ!!!!(踊りまくり)
たしかにお嬢さんは島村に生きる力を与えまくっているのかもしれない(遠い目)
千尋の谷にコドモを突き落とす獅子みたいだー(しみじみ)いや違うってそれ(涙)
ともあれ。
「いくじなし!」と突き放された島村は、当然びびる。
お母さんが行ってしまう!お母さん?(悩)
お母さん聞いて!
僕はお母さんが大好きなんだっ!
必死で訴える島村に、お嬢さんはここぞとばかりにすがりつき、叫ぶのだ!
私は、ジョー、あなたと一緒にいたい!
…………。すげー(驚)
超銀お嬢さんはヤマトナデシコ、とよく言われる。
たしかにヤマトナデシコなのかもしれない。
…というか。
おんな太閤記?はい?(汗)懐かしいなー(しみじみ)
いろいろ考えてまとめてみるとだからまとめるなって(涙)
つまりこういう会話になっているのではないかと思う。
君には来てほしくないんだ!来てほしいけど、来たら死んじゃうから。さすがに死ねとはいえないよ!
いくじなし!私に死ねとも言えない・守ることもできないって言うの?
僕の生涯でただ一人、生きる力を与えてくれたのは君だった!君がいないと生きていけない!別にいいけど!どうせすぐ死ぬことになってるみたいだから!
君には闘いは似合わない。君には美しい自然や(以下略)僕が死んだあと君が生きていてもそれはそれでかまわない。僕は君がすきだから!
私はいつもジョー、あなたと一緒にいたいのよ!何を言うの!死ぬときは一緒よ!
フランソワーズ!一緒に死んでくれるんだね!
やっぱり曾根崎心中じゃないか(うんざり)いやそれは(汗)
…ともあれ。
とにかく、本人たちが納得しているんだからとりあえずいいのだった。
小さなこの星は回り続けるし、そうしてあの日二人はめぐり会ってしまったわけだし(しみじみじみ)
…つづく!わー(涙)
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